Myフィールドを耕せ!

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前回のブログにもつながる話しだけど。
→前回のブログ
「自分のために生きる」というスタンスでいると、
他人さまのフィールドでは息苦しくなる。

人の軸に合わせること。
人の基準に沿うこと。
人の期待に応えること。
人のフィールドで、
自分が伸び伸びと花を咲かせるなんて出来ない。
自分の花を咲かせるためには、
自分の土壌を自ら耕すことだ。

“自分らしさ”の探求

今年もいろいろあった。
随分と遠回りをして、
“自分”を知るための時間もお金も使った。
使い切った…

もう10年以上も自己探求をしているのに、
見えていなかった【本当のアタシ】。
正しくいうと、見えていたんだろうけど、
自分が受け入れてなかっただけだ。
自分が自分を認めていなかっただけだ。
おもしろいもので、
頭で分かっていても、
それを心底自分自身が受け入れていないと、
自分自身が腹落ちしていないと、
〈本当に理解していること〉にはならないのだ。
だから【本当のアタシ】が、
常にどこか別のところに居るんじゃないかって
ずーっと外に探し求めていたけれど、
それは灯台下暗しだったのだ。

例えていうならば、
アタシは対外的に「明るくて、楽しい」っていう
ポジティブなイメージを持たれやすい。
それが人から見えるアタシの姿であり、
実際に人へ見せている性質なのだ。

しかし、これは一つの事実なのに、
それを自分自身が受け入れようとしなかった。
なぜかというと「明るくて、楽しい」というのは、
なんだか薄っぺらい人間のように思えて。
浅はかで軽い人間のように思えて。
だから、明るくて楽しいだけじゃない自分になろうと、
人の深さに寄り添えるよう、背伸びしてきた。

「明るくて、楽しい人」の表層的な一面を流しつつ、
「重みのあって、深い人」になろうとしていた。
しかも、それがセラピストとしての“在り方”で、
重要だとも思っていた。
他人の人生に関わる仕事。
明るくて楽しいだけじゃ、務まらないと思ってた。
だから、一生懸命に人の深さに寄り添おうとし、
共感しようとしていたのだ。

しかし、「明るくて楽しい自分」を無視するもんだから、
全然“らしさ”が出てこない。
セッションをしている中で、
「アタシのやりたいセッションはこうじゃない」という
想いが徐々に強くなっていった。
なぜなら、自分が置き去りだからだ。
人からの借り物でセッションしているようなもんだからだ。
全くオリジナリティがセッションで出ないことに、
とても窮屈さとしんどさを抱えていった。
そして、自分を見失っていった。

「しゃーない!」という潔い諦め

そして、これまた気づきは突然やってきた。

明るくて、楽しくて、軽くて、浅い!
これこそが、紛れもないアタシじゃない?

…って。

人の深さや人生の重みに、
頑張って寄り添おうとしていたけど…
それが愛であり、思いやりだと思ってたけど…
そうじゃないとダメだと思っていたけど…

ごめん!
正直、アタシそれ出来ないわ!
しゃーない!!

と、潔く諦めることにした。

そしてアタシには、
明るくて、楽しくて、
軽やかな特徴を活かして出来ることや、
他のやり方やスタイルがある。
アタシが自分のフィールドで、
自分の花を咲かせることが出来るって。

自分の本質を自分で認め、
自分の性質を自分が最大限に発揮できるよう、
自分で自分の土壌を耕せばいいって。
そこに行き着いたのだった。

自分の曼荼羅づくり

3年前から師匠としている、
岡部明美さんに言われた。

「私は私の学びの曼荼羅があり。
 ゆかちゃんには、ゆかちゃんの曼荼羅があるよ。
 私の知らないことを、
 ゆかちゃんが知っていることもあるだろうし。
 だから、ゆかちゃんがこれまでに学んできたことで、
 自分の曼荼羅を作ったらいいんだよ。」

※曼荼羅とは…
宇宙を示したものと言われるように、
多くの要素を持った集合体。
空間・領域・場を表しており、
つながりを持った世界観が示されている。
「心の知恵袋」さんより)

そう、まさにそうなのだ。

自分の性質を知り、
自分の特徴を知り、
自分の“好き・ときめき”を大切にし、
自分の“ワクワク”を求め、
自分の心の底から求める“want”とつながる。

アタシがこれまでに培ってきた、
数々の経験・体験・知識・情報・出会い…
それは、アタシが自分の中にある、
好き・快・ワクワクを追いかけて、
ジブン曼荼羅を創るために収集してきた素材たち。

この素材を使って、
自分を満たすことをする。
自分を満たすことをしなかったら、
何のためにこれまで多くの時間と、
多額のお金を注ぎ込んでいたのだ!

もう自分がやりたくないこと。
無理して何かになろうとすること。
自分の奥底で「何かが違う…」という声を
無視し続けること…

全部やーめた!

本当に本当に自分の純度の高い“やりたいこと”だけを、
ジブン曼荼羅の中心に置いて、
そのことだけに集中することにした。
それこそが、自分を生きるということだ。

そして「やーめた!」を大切にすると、
不思議なことに、自分の本当に大切にしていることが
浮き彫りになってくるのだ。

これはまた長くなるので、
今日はここまで!

もう人のフィールドでは生きない。
もう自分のフィールドを耕し、大事に育てる。
人の軸・基準・期待には応えません!(宣言)

2019年は断捨離の一年だった。
今年はいろんなものを失った&手放したので、
2020年はゼロからスタートします。

Written by まついゆか

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アタシにとっての“バスト(胸)”の存在

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女性にとって、“バスト”の存在って
大きなものだと思う。(人によるけど)

アタシにとっての“バスト”は、
「あってもなくても同じ」みたいな、
そんな感覚だった。
今回の一件があるまでは。

スタイルに対するコンプレックスの強さ

アタシは昔から、
自分の体型にコンプレックスがあった。
胸が小さく、けれども下半身はシッカリしている。
そんなバランスの悪い自分の体を、
とても嫌っていて、恥ずかしく思っていた。
だから大事にもしていなかった。

女性同士でお風呂に入るのも嫌だったし、
胸の大きいグラマーな友人を羨ましく思い、
自分の胸は成長が止まってしまったように感じていた。

こんなスタイルの悪いアタシ。
胸の小さな自分は女性としての魅力なんて、
これっぽっちも無いものだと本気で思ってた。
女性として魅力のない自分は、
当然のことながら男性に愛されるわけがないって
これも本気で思っていた。

そのコンプレックスもあってか、
10〜20代は身体を大事にしていなかったし、
女性としての尊厳も低かった。
今となっては信じられないほど。

30代になってからは、あまり気にしなくなる

20代までは、容姿をとても気にしていたし、
お年頃もそういう年齢だったと思う。

けれども30代に入ると、
さほど胸の大きさは気にならなくなってきた。
それは、自分の身体を“あるがまま”受け容れたからであろう。
ある意味、諦めというか(笑)
「まぁ、もうこの身体だから、仕方ないよね!」
そんな気持ちになってきて、
人と比べることもしなくなったし、
コンプレックスを感じることもなくなってきたし、
個性と思えるようになってきた。

小さいのには変わらない(笑)
成長はもう期待できないしww
しかし“女性の魅力”というのは、
別に胸の大きさやスタイルでは無いってことに、
ようやく気づいてきたのは、
30代に入ってからだった。
それまでは目で見て分かりやすい、
「女性の色気・魅力=バスト」と思っていたけれど、
(中高生の男子か!!)
小さなバストだって、
私という存在に女性としての魅力もあれば、
色気だってあるんだと思えるようになってきた。

そしたら男性との付き合い方も、
徐々に変化してきて安定してきた。
身体ではなく“存在”を大切にしてくれる人と付き合うようになったし、
自分も楽になってきた。

右胸の良性腫瘍

今年の初夏、右胸にシコリがあることに気づいた。
「これくらいのシコリ、きっと誰にでもあるよね!」
という、謎の自己流解釈…けれども、左胸には無い。

「まさか…よね?」と思いながら、
健康診断に随分と行っていなかったから、
そのシコリをきっかけに健康診断へ行った。

そしたら、やはり胸のシコリが、
大学病院での再検査になったのだった。

8月〜9月にかけて検査をした結果、
【葉状腫瘍(良性)】と診断された。

癌細胞とは別の腫瘍で、
しかも良性なんだけれども、
大きく成長してしまうので、
医学界では摘出しなくてはいけないとされているらしい。

これまで恵まれたことに、
大きな病気や怪我もなく、
インフルエンザだってかからない、
花粉症にさえならない超健康優良児の自分に、
突如降り掛かってきた全身麻酔での手術。

最初は受け容れられなくて、
散々泣いて、泣いて、仲間たちに支えてもらい、
不安を出し切ったら、
ようやく落ち着いて現実を受け容れられるようになった。

手術することの肚が決まってからは、
特に不安になることもなく、
いたって普通の穏やかな生活をしている。

けれども、ふと昨晩、
「アタシにとっての“バスト”とは…?」について、
思いを巡らすようになった。

無くてもいい存在なんてない

今回の手術は、
腫瘍+腫瘍の周囲を摘出するので、
胸がなくなるわけではない。
乳ガンで全摘出しなくてはならない方も多くいる中で、
本当アタシは恵まれているのである。
ここでは、人と比べることはさておき…

自分にとって、
若い頃からコンプレックスとしてきたバストが、
いざ傷がつくとか、変形するとかって考えると、
「貧乳だからあってもなくても一緒」
なんて思っていた存在が一気にフォーカスされ、
急にバストさんに対する申し訳なさと、
愛おしさが湧いてきた。

こんなにもタフな体力と、
五体満足に生んで&育ててもらって、
胸が小さいだの、お尻が大きいだのを理由に、
自分の身体を大切にせずにいて。
なんて身勝手なんだろう。
改めて、自分の身体に対する愛が無かったことに、
今この状況になって反省をする。

先日、ハイヤーセルフリーディングへ行ってきて、
その時「この病気が伝えてくれるメッセージは?」と
聞いてみたところ、【自己犠牲】と言われた。

まさに「あってもなくても一緒」とし、
自分を粗末に追いやって、
自分の大事なことを中心に置いてこなかった、
自分の生き方を指摘されたようだった。

そして、自分がまさかバストに対して、
「あってもなくても一緒」と思っていたことも、
今回の一件ではじめて気づいた。
アタシという肉体に対して、失礼すぎる!

自己犠牲をやめる人生にシフトチェンジ

そんなに大事にしたくないので、
腫瘍&手術のことは、
一部の人にしか話してなかったけど。
今回の一件からの気づきとして、
書き留めたかったのでブログにしました。

もう自己犠牲をやめて、
自己卑下もやめて、
我慢することもやめて、
自分のことを“無くても一緒”という考えもやめて。
自分中心で生きることをしよう!

今年も自己犠牲、いっぱいしちゃってたなー!
癖になってるから、ついついやっちゃうけど。
自己犠牲って、被害者意識でもあるよね。
もぉ〜やだー!
そんなダサい生き方から脱出するのだ!

自分の肉体を愛し、
自分の存在を愛し、
あるがままの自分に感謝し、
自分の中心を生きよう。
女性としての魅力も、
人間としての魅力も、
十分にあるのだから大丈夫。
まずは、自分が自分を信じてあげる。

学びの多い人生じゃ。

Written by まついゆか

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“誰と”体験するか‥は大事

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何かを体験・経験することって、
とーーーっても大切で。
アタシは“リアル体験・経験”の重要性は、
20代からずっと伝えてきた(つもり)。

2010年に書いたブログでも、
そんなことを熱く語っていました。

2010年2月12日ブログ「人生は宝探し」

人生というのは、
体験を通して経験値を上げることが、
人生をより豊かにするんじゃないかって、
ずーっと思ってます。
ドラクエとかでもそうだよね。
(RPGやらないけど)

敵が出てきて、倒す体験をして、
自分のレベルがアップしていく。
新しい人と出会って、
自分のレベルがアップしていく。
新しいアイテムを手にするために、
自分のレベルをアップしていく。

現実世界も、いくら頭の中だけや
バーチャル世界で想像していても、
実際は動いていみないと経験値は上がらないと
思うわけですよ。

「まずはやってみる」に加えて…

だから、「まずはやってみる」が大切で。
その時に起こったことを、
検証していけばいい…本当、人生シンプル。

で、体験を通して経験値を上げることは、
とても大事なんだけど、
最近想ふことは…

誰と一緒に体験するか

も、めちゃ大事なんじゃないかって。

旅行にしても、
学びにしても、
ビジネスにしても、
遊びにしても。

誰と一緒にやるか

旅行も学びもビジネスも遊びも、
“一人”って場面も多くある。
一人でやる場合というのは、
「自分と一緒にやる」ということなんだと思う。
自分と向き合ったり、自分と対話すること。

それはそれでOKで。

クリエイティブなことをしたいとき、
それこそ旅行、学び、ビジネス、遊び…
誰と一緒に体験したいか。
誰と一緒に共有したいか。
その“クリエイティブ”を誰と創りたいか。
誰と関わって新しいものを生み出したいか。
誰に加わってもらって、
より面白いことが生み出されるのか。

そのクリエイティブなところに、
人間はワクワクするのだ。

だから、「誰と一緒にやるか」には、
私はこだわっていきたい。

目的達成も大切だけど

ということで、
目的を達成することも大切なんだけど、
「誰とどうやって達成するか」の
プロセスを大切にしたい。

その道のりが人生を豊かにし、
プロセスが色鮮になっていく。

「この人と一緒に創りたい!!」という、
人間の根本の欲求。
家庭だってそうよ。
「この人と一緒に創りたい!」と思って結婚し、
子供を持つわけだから。
家庭を作ることもクリエイティブなわけだ。

家庭を作ることが目的だから、
誰とでもいい‥ってわけじゃないでしょう。
家庭を作るプロセスこそが、
大切なわけです。

で、ビジネスも一緒だし。
旅行も遊びも一緒だし。

目的達成より、プロセスを大切にしたい。

そんな人生をこれからも歩もう。

Written by まついゆか

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10年前のブログから…『身近な人ほど見えにくい』

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なんだか、ふと…
10年前のブログを読んでみたくなって、
引っ張ってきた。
母のことが記事としてあったので、
転載してみようと思った。

2009/7/26『身近な人ほど見えにくい』より

先日、我が家のダイニングテーブルの上に、
“東京バナナ”が置いてありました。
お土産としてよく見かけますが…
まぁ、いかんせん関東に住んでいるので、
買うこともなけりゃ、貰ったこともありません。
「珍しいね。」と言ったら、
どうやら母が貰ってきたようです。

本日、母親とランチへ出かけた時のこと。
先日の“東京バナナ”を貰ってきた経緯を話し始めました。
うちの母親はよく喋ります。
そんな母親に対し、
私はいつも適度に聴き、
適度に流していました。
しかし、今日はなんだか話を聞きたい気分となり、
(東京バナナに興味があり?)
いつもより真剣に話を聞いていました。

こんなお話・・・

うちの母はパート勤めをしています。
彼女が勤めている会社は、
若い社員やバイトの子たちが多い場所で、
うちの母は彼らの賄いを作るオバちゃん。
母からすると沢山の娘や息子がいるようなものです。
皆「お母さん」と呼び、慕われている様子。

土用の丑の日の前日。
ウナギを愛して止まない子達が、
こう言ったそうです。

あぁー!!明日はメニューがウナギじゃん!
私休みだよ~いいなぁ。


と…。
しかも彼女と同じ状況の子(ウナギを愛するが、
たまたまシフトが休み)が5~6名ほどいたそうです。
この会社のメニューでウナギは、この土用の丑の日のみ。
一年に一回のチャンスだそうです。
しかも彼らは地方から出てきている子達で、
寮生活をしています。
…ともなれば尚更。
ウナギに会える機会はなかなかありません。

一方ウナギ好きがいれば、ウナギ嫌いもいます。
土用の丑の日の当日。
ウナギ嫌いな子へは、別メニューを母は用意しました。
そして余ったウナギを翌日、
休みだった彼女たちに出したそうです。
そしたらウナギを愛して止まない子達は大喜び☆

翌日、お礼に…と数名(ウナギを食した子達)から
“東京バナナ”をもらってきましたとさ‥チャンチャン!

という、なんの変哲もないお話しであります。
なのに、急に涙が出てきたんです。

灯台下暗しとは、よく言うものです。
本当に近くにあるものこそ見えまえん。
近くにいる人ほど本来の姿が見えません。

私は母が批判的になっていたり、
ヒステリックになっている姿ばかりを見て、
嫌悪感を抱いていたり、
嫌気がさしていたり、
疲れてしまったり。
それで話すら聞いていませんでした。

でもね、今回のウナギの話しを聞いて。
「なんて思いやりがあるんだろう。」と純粋に思ったんです。
「こんなに愛情の深い人だっただなんて。」と。
他人にそうしているのであれば、
私はそれ以上に母から、
深い愛情という名の思いやりをもらっているはず…。
そう思ったら、泣けてきました。

母の思いやりの深さを全く見ていなかったのは自分なんだ。
母の愛情を受け取ってこなかったのは自分なんだ。
母を受け入れてこなかったのは自分なんだ。

思わず泣いたことが恥ずかしくて、
ごまかしちゃいました。

多分、この恥ずかしさって、
自分の情けなさと恥ずかしさが入り組んだ感じ。
それだけに口に出して言うのには、
ちょっと勇気がなかった。

ほふー、なんだかその視点が持てるようになったということは、
受け入れて前に進めたということだな。

本当、最近はムキムキ・・・もとい。
メキメキ剥けている心の成長です。

まついゆかブログButterfly of Mind 2009/7/26

忘れてしまう“有り難み”

母が2014年に肝臓がんを患って以来、
再び同居をするようになったが、
やはり近くに居ると、
見えないこと、忘れてしまうことが
多くあるものだ。

・愛情深い人であること
・自分を後回しにして人に手を差し伸べること
・常に周囲の人を気にかけていること
・誰よりも娘、息子のことを想ってくれていること

近くにいると、
重いとか、煩わしいとか、面倒とか、
うざったいとか‥いろいろ思ってしまうんだけど。

こうして過去の記事を読んで、
客観的に捉えてみると、
母のいいところが見えてくる。

有り難みを感じるためにも、
母の体調はもう大丈夫だから、
そろそろ離れて暮らすことを本気で考えよう。

Written by まついゆか

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恋愛・ロマンスに興味が失せる

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最近、恋愛・ロマンスに興味が無い。
いや…最近じゃないな、前からだな。
特にここ最近、全く…ない。
男性に興味が持てなくなった。
持てなくなったどころか、
今は“イヤ”って感じ。
近づかないで欲しいとまで思うくらい。
結構‥これ重症か?

パートナーに望むもの

とはいえ、パートナーは欲しいと思ってるのよ、
これでも一応ね(笑)

周りには、
「そんな選り好みして!本当はいらないんでしょ?」
なんて言われたりするけれど。
いやいやいやいや‥
いつだってパートナーは欲しいワ!

ただ、パートナーに望むものが、
少し変わっているのかもしれない。

別に何か買って欲しいわけじゃないし。
デートをしたいわけじゃない。
セックスをしたいわけじゃないし、
身体の接触を常日頃したいわけじゃない。
以前はあんだけ「結婚、結婚」って
言ってたくせに…
最近は「別に結婚が目的じゃないよね」とも
思うようになってきてしまった。

じゃ、何を望んでるの?
どんな関係性を望んでるの?って…

・感性の分かち合い
・互いの刺激から気づきを得る関係
・互いの学びや成長へのサポート

・共同創造
これらが、出来る人!

ってところなんだなって、
最近気づいた。

セックスは「性欲解消」・「寂しさの埋め合わせ」なんてお断り

男女が共に時間を過ごすと、
セックスの流れになることもあるけど。

性欲の解消や、心の寂しさを埋め合わせるための
身体接触には、ホント嫌気がさす。
ここを目的とする男性がとても多い。

最近は「セックスは共同創造」としか思えない。
アートなんじゃないかって思うくらい。

性欲解消と寂しさの埋め合わせなら、
他を当たってくれ…
いや、違うな。
他を当たるんじゃない。

自己を見つめろ!

だな。

自己探求は欠かせない

というわけで、望むような関係を築くのであれば、
アタシ自身もそうだし、
相手にも自己探求をし続けていて欲しい。
続けて欲しいというよりも、
率先して取り組むくらいに、
自分に興味を持ち、人や命に興味を持ち、
人生とは?宇宙とは?など、探求する人がいい。
あ!シンプルに言うと、

外側を見ているんじゃなくて、
内側を見つめる人がいいんだ☆

こんなんだから、
なかなかパートナーが見つからない。
ここ、とても難しいラインなのよね。
めっちゃニッチすぎる。

けれど、そういう観点を持ってる人以外、
もう受け容れられないってことがわかった。
そういう観点でない人との時間を、
無駄に感じるくらいまでになった。

恋愛観・結婚観でもなく、パートナー観

体験をシェアするために、
デートや旅行をする。
エネルギー交換をするために、
セックスをする。
相手を感じるために、
スキンシップをとる。
感性を分かち合い、
気づきを循環させるため、
コミュニケーションをとる。
これがアタシの望むパートナー観。

別に高級品を望まない。
物質的な欲求はあまりない。
表層的なものは不要なのだ。
公園でお散歩でもいいじゃない。
素朴なことだって、
相手と分かち合い、
お互いのエネルギー循環が創れる人と、
人生を共に出来たら、
どんなに幸せなことか。
どんなことだって幸せに感じられる。

自分の中の“パートナー観”が、
ここではっきりと定義できて、
スッキリした〜☆
男性に興味が持てなくなったんじゃないな。
自分のニーズが明確になったから、
ニーズ以外の人への興味が失せただけだ。

ずーっとここ最近、
自分の望むもの、欲しているもの、
目指すものがわからなくって、
思い悩んでいた。

一回全部手放して、ゼロにしたら、
見えてくるものがあるね。
天へのオーダーも兼ねて、
ここに記してみました!!

アタシの望むパートナーよ、
ハートをオープンにして待ってるわ♡

Written by まついゆか

☆ 個人セッション申込 ☆

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エネルギー低迷は“誕生”の予兆

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4月半ばまで、
岡部明美さん主宰〈LPL認定セラピスト〉の
試験内容の一項目でもある、
〈逐語記録〉に時間を費やしていた。
これが、なかなかの作業ボリュームで、
予定していた友人との約束や、
ビジネスについて考える時間など、
全てを後回しにして注ぎ込んだ2週間。
途中、徹夜もしたりなんかして…
とにかく、久しぶりに「必死になった!」
という感覚が残った期間だった。
こんなに夢中に必死になったのは、久々だ。

逐語記録を提出し終えると、
ドッと押し寄せてきたのが、
それまで“保留”にしていたことの数々。
それが一気に入ってきた。

その保留にしていたことをやりながら、
徐々に落ち込んでいく自分のエネルギーを
ひしひしと感じていた…。
自分の中の奥底のエネルギーが、
どんどんと沈んでいく感覚。
そして、ついには潜伏領域に入ってしまった。
燃え尽き症候群だろうか…

だからブログ書くことも出来ず、
自分がどのエネルギーから発信すればいいか
まったくわからなくなり…迷走状態。
今もその状態が続いている。

けれど、どこかでわかっている。
この低迷するのは、
大きな変化の前であることを。
過去にも何度か感じたことあった。
大きな方向転換や、何かを生み出す前には、
大きな落ち込み・迷走・やる気が起きない
そんなことが起こることを、
私は自分の体験から知っている。
だから、今はジッとするのだ。
ひたすら瞑想し、
自分の内側にベクトルを向け、
ただ、ただ自分を内観する…

昔は、“プチ鬱状態”のことを、
心理学友人同士で【ウチュ】って呼んでた。
【ウチュ】…かわいいでしょ♡

今、アタシは【ウチュ】状態。
朝は起きれない、自宅に引きこもり、
アイディアも浮かばない、感情が湧かない、
人と会うのも控えたい、メッセージ等に
返信することすら億劫、身体が怠い。
(ごめんなさい‥返信できていない方)
そんな自分を責めない。
ただただ、受け入れていく。

“いのち”とは理屈無く、
このように上がったり下がったりしながら、
成長をしていく。
一見、下がっているように感じたり、
何も成し遂げていないように感じたり、
前に進んでいないように感じたり、
時には、後退しているかのようにも感じる。
けれども、決して後退していることはない。
前には進んでいる。
自分の“いのち”の力を信じて、
今は機が熟すのを待つ。

エネルギーの低迷は、“誕生”の予兆。
明けない夜はない。
上がらない雨はない。
もう間もなく、
大きな出産を遂げる気がする…

Written by まついゆか

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アタシ、傲慢です。

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アタシ、傲慢だ。
その傲慢っぷりを、出してはいけないと抑え、
出てしまった時には、自分を恥じ、罪悪感を抱く。

なんて謙虚さがないんだ…とか。
なんて自分勝手なんだ…とか。
なんて強引で押し付けがましいんだ…とか。

そんなことをいつも恥じ、
反省し、罪悪感を抱いて凹む。

でも…ちょっと待てよ。
“傲慢”なのって、そんなに悪いこと?

“ダメ”と思ってるから苦しい。

傲慢なことは“ダメ”と、
自分の中で定義づけている。
そこに、

ちょっと待ったー!!

という声が、自分の中に出てきた。

もし、この傲慢さを殺してしまったら、
傲慢さが持つ〈良い面〉も無くしてしまう。
傲慢さの良い面とは…
自己主張をハッキリすることとか、
人に対して熱心になることとか。
この〈良い面〉をなくしたら…

そんなのアタシらしくないんじゃない?

大事なのは、
傲慢な自分がいるということを、
自分が知った上で、
どうやって活用していくかってこと。
そう。自分がそのことを認識していれば、
コントロールが自由自在になる。

と、同時に。
そこから何を学ぶのか…を、
ちゃんと自分が持っていればいい。
“謙虚さ”を学べばいいのだ。

“ダメ”だと思って抑圧してるから、
突然出てきてしまった傲慢っぷりに、
自分自身で驚き、
隠そうとしていた部分がバレてしまったようで、
恥ずかしいと思ったり、
傲慢さを出してしまった自分に
罪悪感を抱くのよ。

ありのままで生きるとは?

【ありのままで生きる】とは、
こうして自分の中の、
自分が〈よからぬ部分〉と感じている部分を、
自分で認めて、受け容れること。

受け容れられたら、
もう〈よからぬ部分〉から脱出してる。
むしろ、強みになる。

〈よからぬ〉とするから、
影になり、必死に隠そうとし、
目を背けようとし、自分を苦しめる。
そして、ひょんなことから、
それがポンって顔だした時に、
アタフタしながら、

はぁ〜ごめんなさい!
アタシこんなんじゃないのよ〜

(オロオロ)

となるわけだ。

その必死になって隠そうとする労力、
バレまいと、取り繕うエネルギー、
自分の中にある“本当の自分”を覆う仮面。

それ…本当に必要?
まだ…必要ですか?

【ありのままで生きる】とは…

ぜ〜んぶ
認めちゃえばいいんだ〜✨

え? だって、しょうがなくない?

これがアタシだもの♡

と。

ありのままで生きるリスク

【ありのままで生きる】と、
どんなリスクがあるかというと…

こんなアタシを、
嫌う人がいるでしょう。

こんなアタシを、
面倒くさいという人もいるでしょう。

こんなアタシを、
ウザいと思う人もいるでしょう。

こんなアタシを、
怖いと思う人もいるでしょう。

そう、【ありのままで生きる】と、
ぶっちゃけ…

万人からは好かれません!

これだけは宣言しておくわ。
そりゃーそうだよ。

万人に好かれることを優先するなら、
カメレオンのような七変化っぷりで、
顔を入れ替えたらいいよ。

でもね、そうこうしているうちに…
本当の自分がわからなくなるよ?
本当の自分を見失うよ?
そっちの方が、断然苦しいよ。

だから、いいんです。
ありのままでいいんです。
リスクを背負ってでも、
【ありのまま生きる】方が、
自分の心やいのちにとっても健康的!

それに、相手がどう思うかは、
相手の領域だから。
良い人を繕っていたところで、
嫌っていく人は嫌っていくの。

ただね、もう一つのリスクとしては、
ありのままで生きる自分のことを、
もし嫌う人や離れる人が出てきたとき、
その結果に対して“責任”を負うこと。

ここで言う“責任”というのは、
端的に言うと、
〈相手のせいにしない〉ってこと。
人が離れていくことも覚悟して、
その結果を引き受けるってこと。

「アタシが素を見せたら、
 離れていくのねー!!」

なんて、
相手にぶつけちゃいけない。

ご縁が無かったんですね…以上、終了!

もし、そこで相手のせいにするならば、
そこには心の傷がありますので、
ぜひ癒やしましょう♡

解釈をプラスに変え、現実を変える。

リスクはあるけれど、
そのリスクをはるかに超えて、
【ありのままで生きる】というのは、
とても楽になります。

なぜなら…

嫌う人と同じ数だけ、
好いてくれる人はいる。

面倒くさいという人と同じ数だけ、
面白いと言ってくれる人がいる。

ウザいと思う人と同じ数だけ、
興味関心を持ってくれる人がいる。

怖いと思う人と同じ数だけ、
楽しい・頼もしいと思ってくれる人がいる。

そう、この世は二元論。
マイナスの分だけ、プラスがあるの。
だから、リスクを背負った分だけ、
新しい世界が待ってる。
これまではプラスの部分に、
目を向けていなかっただけ。
新しい世界を知ると、
もはやリスクもリスクではなくなる。

自分が傲慢さをマイナスに捉えていたら、
嫌う人・面倒くさいという人
ウザいと思う人・怖がる人が、
集まってくるという現実を創り出す。

けれど、その解釈をプラスに変えることで、
集まってくる人も変わってくる。
…これ、ホントだから。

というわけで、
アタクシ、堂々と〈傲慢さ〉を
生ききることにした〜☆
認めてしまったよ〜(笑)
あぁ、楽ちん。

アタシは、グイグイ女史になる!

それがアタシの生き方だから。
それがアタシという人だから。
そういう素質、前から持ってるから。
影で隠していたところに、
お日様を当ててあげることにした。

無理してイイ人やったって、
無理してマジメやったって、
無理して優しい人やったって、
楽しくないもん。

アタシは熱く、面倒くさく、
ドロドロに、そして堂々と生きていきたい。

だから、好むヒトだけ集まれ〜♡

Written by まついゆか

【ありのままで生きる】を推奨してます。

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自分で氏名を選んで生まれてきた

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自分の名前って、
実は自ら選んで生まれてきたんだよ…
って考えると、どんな感じがする?

「またまたぁ〜」とか
「いやいや〜!んなアホな!」とか
「ウソっぽーい!」とか
「怪しい!」とか。
まぁ、なかなか信じられないよね。

信じるか否かは自由だから、
別にいいんだけど。

なんとなく、
自分の名前で感じることがあったから、
そんな気づきについて書こうかと。

この話しを聞いたのは、ちょうど1年前

この〈氏名を選んで生まれてくる〉と
いう話しを聞いたのは、
ちょうど昨年の今頃に参加していた、
胎内記憶の第一人者である
池川明先生こと「あきらちゃん」と、
スコーレという乳幼児総合教育施設を営んでいる
土橋優子先生こと「ゆうこりん」の
お二人が開講していた、
【胎内記憶教育】の基礎講座だった。

★池川明先生ホームページ★

★ゆうこりんのスコーレ★

第2期生として受講したが、
とてもおもしろい話しがたくさん詰まっていた。
その中の一つが、

「氏名には“使命”が刻まれている」

という話だったのだ。

おぉ〜!
読みが同じ言葉には、
いろんな裏話やカラクリがあるもんね。
ここが日本語のおもしろさ。
「話す」と「放す」とか。
「言える」と「癒える」とか。
「築く」と「気づく」とかね。
詳しくは過去のブログ参考に♡
★コチラをクリック★

・・・で、話しを戻し。

「命」がつく漢字は4つの意味合いあり。
♡宿命
♡運命
♡使命
♡天命

この4つの言葉を、
子どもたちに「どんな意味だと思う?」と
聞いてみると…

〈子どもたちの理解〉
♡宿命
 自分の命にオーダーし、
 宿した人生の初期設定。

♡運命
 氏名に刻んだ意図を“持たずに”命を運ぶこと。

♡使命
 氏名に刻んだ意図を“持って”命を運ぶこと。

♡天命
 命をどう使い、どう生きたい・在りたいのか。
 命の目指すゴール地点。

・・・とのこと。
そして、子どもたちの多くは、

氏名は自分で決めてきた!!

と言うんですと。
それは、もし自分が意図した生き方を
すっかり忘れてしまった時、思い出すため、
キーワードを名前に刻んだということみたい。
へぇ〜!!

自分の氏名で“使命”を考えてみる

ということで、
自分の氏名にも“使命”が刻まれてるはず!
‥と思ったアタシは、
氏名を分解してみた。

■松
神のよる神聖な木。縁起のいい植物。
花言葉:不老長寿、永遠の若さ
勇敢、向上心、同情、慈悲

■井
泉の流れなどの水を汲むところ

■友
友達、仲間、互いに助け合う者。
志を同じくする仲間。

■香
かぐわしい、良い香りを身にまとう
美しい人、品がある女性、存在感

といった具合。

ここに更に加えて…

先日、ふと“慈悲”という言葉を、
感覚でしか捉えていないなーと思ったので、
改めて言葉を調べてみたら…

慈悲の「慈」は、
サンスクリット語の
マイトリーmaitri(友情)にあたり、
あらゆる人に平等に注がれる
最高の友情、友愛という意味だと。

なんだか、その「友」が自分の名前に
刻まれているというのは、
とても感慨深く、
そして、とても嬉しい気持ちになった。

読みからも分解してみる

更には、更には。

つい先日、
LPL認定セラピストの菊池かおりさんの
個人セッションを受けてきた。

その中で、
〈胎児記憶〉を辿るセッションとなり、
自分が何をするために、この地球に、
日本に、私になったのかを探求した。

そして出てきたのが、
「自由・楽しい・喜び」を
体現すること、伝えるためだった。
(生粋のエニアタイプ7です…笑)

ただ、「楽しい・喜び」については、
この漢字じゃないような気がして。

楽しい→愉しい
喜び→悦び

がシックリとくる。
諸説いろいろとありますが…

■愉しい
自分自身の気持ちや想いから
感じ生まれる楽しい状態のこと。
そして、自分の意識、気持ち、
考え方次第でどうにでも変化できる。
仏教にも通じる考え方です。

リフォームエコライフさんの公式ブログより

心のしこりがとれて、
わだかまりがないこと。

「しろくまが好き」さんのブログより

心から楽しむこと。
自分自身の気持ちや想いから
自然と生まれる楽しみを
素直に感じる状態。
喜怒哀楽の基本感情の枠を超えて、
全力で楽しみを味わう状態。
どちらかというと、
積極的に自ら働きかける
「能動的」なイメージです。

「i-PLAT」さんのブログより

■悦び
「悦」の語源的な意味は、
神がかりして恍惚とすることだそうだ。
「悦に入る」という言葉があるが
「悦」は心の中におけるよろこびの感情である。
従って「悦び」は、何の前提も無く、
自分の中から湧き上がるよろこびを
表現するときに使う。
子どもの時の理由なく
楽しい感覚を思い出せば分かり易い。

bun blogさんより

そう、アタシの名前の中には、
「ゆ」と「か」と「い」が
入っているんだった!!!

愉快…楽しく気分をよくすること。
喜ばしくて気持がよいこと。
また、そのさま。

ということで、アタシの使命は。

あらゆる人に平等に注がれる
最高の友情・友愛精神を持ち、
自分の意識や気持ち・考え方次第で
どうにでも変化できる自由な愉しさや、
自然と生まれる楽しみを
素直に感じる状態で、
自分の中から湧き上がるよろこびを
表現することによって、
人々の心の泉になるような存在になる。
また、そういう場を創る。

…という解釈を自分でしましたー!

どうぞ、皆さんもご自分の氏名から、
“使命”を思い出してみてください☆

Written by まついゆか

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なんだか…“正しさ”ってつまんない。

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最近、“正しさ”ってつまんないって、
とても思ってしまう。

ブログを書く時も、
“正しさ”を書こうとするのは、
なんか違うと思って…
ここ数日、手が止まっている。

正しい知識というものは、
あちこちに出回っているわけで。
だから、アタシが言わなくても、
正しい知識なんて、
どこからでも引っ張ってこれる。

アタシしか知らないこと。
アタシしか言えないこと。
アタシしか伝えられないこと。
アタシしか語れないこと。
そこに価値がある。

さらにもっと言うと、
アタシが【感じたこと】が、
とても大切であり、
また、それがとても有益な情報に
なるんじゃないかって思うの。

だから、心からの言葉を紡ぐような、
そんなブログにしたいー!
ってか、するー!!
頭(思考)から書くことを
減らしていこう。

…という予告でした。
以上!!

Written by まついゆか

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受け身で“志”を生きていく。

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今日、ふと降りてきた気づき。
以前に「一番やらなきゃいけないこと」
という記事を書いたけれど、
そこにも繋がると思う。
というか、
その次のステップなんだと思う。

****************

生きるということは、
自分を愛し、
ありのまま受け容れ、
そして、志(決意)を立てるだけ。

あとは放置して、
受け身で生きていく。
ただ、それだけ。

それで、いいんだって思えた。

「私はここで咲きます」と、
咲いている道端の花のように。

「私はここで生きます」と、
力強い目をした野良猫のように。

足元をしっかり根付かせ、
そして【凛】と立つ。
それは、地球に根を張り、
世界(宇宙)に対して自分を開き、
そして自分を明け渡していること。

それを見た宇宙が、
「君はそこにいるんだね」
「君の運命はそこなんだね」と微笑み、
必要なことだけを与えてくれる。

こちらの志が宇宙から認識されると、
生きていくために必要な愛と情報が
宇宙から与えられる。

だから〈自分の運命〉に抗うことなく。
〈ありのままの自分〉を世界に開き、
〈自分の志〉を立てるだけ。

自分を生きるって、
多分そういうことなんだと思う。

そして、そんな生き方が、
自ずと然るべきところに行く。
ただ、それだけ。

でも、それだけで十分。
生きている意味も価値もある。

だから…
自分を愛し、
ありのまま受け容れ、
志(決意)を立てたら、
あとは起こってくることを信じて、
ただ現実を受け入れていこう。

自分から追い求めることもなく。
自分から追い掛けることもなく。
自分が頑張りすぎることもなく。
力を抜いて。

それで、良し☆

****************

Written by まついゆか

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