アタシにとっての“バスト(胸)”の存在

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女性にとって、“バスト”の存在って
大きなものだと思う。(人によるけど)

アタシにとっての“バスト”は、
「あってもなくても同じ」みたいな、
そんな感覚だった。
今回の一件があるまでは。

スタイルに対するコンプレックスの強さ

アタシは昔から、
自分の体型にコンプレックスがあった。
胸が小さく、けれども下半身はシッカリしている。
そんなバランスの悪い自分の体を、
とても嫌っていて、恥ずかしく思っていた。
だから大事にもしていなかった。

女性同士でお風呂に入るのも嫌だったし、
胸の大きいグラマーな友人を羨ましく思い、
自分の胸は成長が止まってしまったように感じていた。

こんなスタイルの悪いアタシ。
胸の小さな自分は女性としての魅力なんて、
これっぽっちも無いものだと本気で思ってた。
女性として魅力のない自分は、
当然のことながら男性に愛されるわけがないって
これも本気で思っていた。

そのコンプレックスもあってか、
10〜20代は身体を大事にしていなかったし、
女性としての尊厳も低かった。
今となっては信じられないほど。

30代になってからは、あまり気にしなくなる

20代までは、容姿をとても気にしていたし、
お年頃もそういう年齢だったと思う。

けれども30代に入ると、
さほど胸の大きさは気にならなくなってきた。
それは、自分の身体を“あるがまま”受け容れたからであろう。
ある意味、諦めというか(笑)
「まぁ、もうこの身体だから、仕方ないよね!」
そんな気持ちになってきて、
人と比べることもしなくなったし、
コンプレックスを感じることもなくなってきたし、
個性と思えるようになってきた。

小さいのには変わらない(笑)
成長はもう期待できないしww
しかし“女性の魅力”というのは、
別に胸の大きさやスタイルでは無いってことに、
ようやく気づいてきたのは、
30代に入ってからだった。
それまでは目で見て分かりやすい、
「女性の色気・魅力=バスト」と思っていたけれど、
(中高生の男子か!!)
小さなバストだって、
私という存在に女性としての魅力もあれば、
色気だってあるんだと思えるようになってきた。

そしたら男性との付き合い方も、
徐々に変化してきて安定してきた。
身体ではなく“存在”を大切にしてくれる人と付き合うようになったし、
自分も楽になってきた。

右胸の良性腫瘍

今年の初夏、右胸にシコリがあることに気づいた。
「これくらいのシコリ、きっと誰にでもあるよね!」
という、謎の自己流解釈…けれども、左胸には無い。

「まさか…よね?」と思いながら、
健康診断に随分と行っていなかったから、
そのシコリをきっかけに健康診断へ行った。

そしたら、やはり胸のシコリが、
大学病院での再検査になったのだった。

8月〜9月にかけて検査をした結果、
【葉状腫瘍(良性)】と診断された。

癌細胞とは別の腫瘍で、
しかも良性なんだけれども、
大きく成長してしまうので、
医学界では摘出しなくてはいけないとされているらしい。

これまで恵まれたことに、
大きな病気や怪我もなく、
インフルエンザだってかからない、
花粉症にさえならない超健康優良児の自分に、
突如降り掛かってきた全身麻酔での手術。

最初は受け容れられなくて、
散々泣いて、泣いて、仲間たちに支えてもらい、
不安を出し切ったら、
ようやく落ち着いて現実を受け容れられるようになった。

手術することの肚が決まってからは、
特に不安になることもなく、
いたって普通の穏やかな生活をしている。

けれども、ふと昨晩、
「アタシにとっての“バスト”とは…?」について、
思いを巡らすようになった。

無くてもいい存在なんてない

今回の手術は、
腫瘍+腫瘍の周囲を摘出するので、
胸がなくなるわけではない。
乳ガンで全摘出しなくてはならない方も多くいる中で、
本当アタシは恵まれているのである。
ここでは、人と比べることはさておき…

自分にとって、
若い頃からコンプレックスとしてきたバストが、
いざ傷がつくとか、変形するとかって考えると、
「貧乳だからあってもなくても一緒」
なんて思っていた存在が一気にフォーカスされ、
急にバストさんに対する申し訳なさと、
愛おしさが湧いてきた。

こんなにもタフな体力と、
五体満足に生んで&育ててもらって、
胸が小さいだの、お尻が大きいだのを理由に、
自分の身体を大切にせずにいて。
なんて身勝手なんだろう。
改めて、自分の身体に対する愛が無かったことに、
今この状況になって反省をする。

先日、ハイヤーセルフリーディングへ行ってきて、
その時「この病気が伝えてくれるメッセージは?」と
聞いてみたところ、【自己犠牲】と言われた。

まさに「あってもなくても一緒」とし、
自分を粗末に追いやって、
自分の大事なことを中心に置いてこなかった、
自分の生き方を指摘されたようだった。

そして、自分がまさかバストに対して、
「あってもなくても一緒」と思っていたことも、
今回の一件ではじめて気づいた。
アタシという肉体に対して、失礼すぎる!

自己犠牲をやめる人生にシフトチェンジ

そんなに大事にしたくないので、
腫瘍&手術のことは、
一部の人にしか話してなかったけど。
今回の一件からの気づきとして、
書き留めたかったのでブログにしました。

もう自己犠牲をやめて、
自己卑下もやめて、
我慢することもやめて、
自分のことを“無くても一緒”という考えもやめて。
自分中心で生きることをしよう!

今年も自己犠牲、いっぱいしちゃってたなー!
癖になってるから、ついついやっちゃうけど。
自己犠牲って、被害者意識でもあるよね。
もぉ〜やだー!
そんなダサい生き方から脱出するのだ!

自分の肉体を愛し、
自分の存在を愛し、
あるがままの自分に感謝し、
自分の中心を生きよう。
女性としての魅力も、
人間としての魅力も、
十分にあるのだから大丈夫。
まずは、自分が自分を信じてあげる。

学びの多い人生じゃ。

Written by まついゆか

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感性とつながる旅。

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昨日までの3日間、
感性とつながるための旅をしてきた。

自分の志や顔を見失い、
自分の奥にあるエネルギーが枯渇し、
鬱々した状態が続いていた、ここ一ヶ月。

そのタイミングでやってきた、
行徳哲男先生の【BE訓練】は、
私にとって大きな転換となるようなきっかけを、
もたらしてくれるのではないかと、
期待をしていた。

言葉ではとてもじゃないけど、
言い表しきれない体験。
この体験や感じたことを言葉にすると、
とても薄っぺらく、平らなものに
なってしまいそうな気がするので、
ブログに書こうとは、
今の時点では思わない。

けれども、人生における…
というより、この“生”における、
【真ん中の最重要な何か】を
自分の中心に取り戻した気がする。

私の命は、まだ燃えていない。
私の生は、まだ動いていない。
私の力は、まだ出ていない。
そして“感性”が、
「私を生ききりたい!」と言っている。
そんな声が、ジワジワと湧き出てくる。
侍魂が目を醒まし始めた。

行徳哲男先生、御年87歳。
現役でこのパワフルな研修をされていることが、
本当に凄い…としか言いようがない。
感性で生きている人は、めちゃ元気だ。
そして、この研修に命を賭けているのが、
ビンビンに伝わってくる。

感性につながることは、
自分の“命の源”とつながること。
命の源から湧き出る、
【自分の中の眠るパワー】を呼び起こしたい方は、
先生が現役でまだやられている今、
ぜひ参加されてみてください。

次回は7月です。
詳細知りたい方・参加希望の方は、
個別に連絡をください。
人生に二度と無い体験をぜひ…

Written by まついゆか

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人生が変わり始めるきっかけ①

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私はここ数ヶ月で、自分の人生の舵が大きく方向転換をしたように感じています。現実が変わり始める、人生が変わり始める…そんなきっかけになり、大きく影響していると思うのが、【潜在意識の書換】だと思います。

先日、心友と話しているなかで、ここ数ヶ月の自分の変化について心の棚卸しができました。“ゆっくりとさり気なく、善き方向へ”のシフトチェンジが起こる潜在意識の書換。この潜在意識へアプローチをすることによって拡がる可能性やもたらす変化について、言語化できたのでシェアしたいと思います。

※長くなるので、分けて投稿します!

LPL(ラビング・プレゼンス・リーダーシップ)養成講座との出会い

人生が大きく変わり始めたきっかけに、このLPL(ラビング・プレゼンス・リーダーシップ)養成講座との関わりは欠かせません。
これまでのブログでも、LPLについては何度か記述していますが、きちんと書いたことがないので、この機会にご紹介も兼ねて書こうと思います。

『ラビング・プレゼンス・リーダーシップ養成講座(通称:LPL養成講座)』を主宰しているのは、岡部明美さんです。岡部明美さんのことは、講座中全員が「あけみちゃん」と呼びます。
★岡部明美さん:アナテースHP★

あけみちゃんは、バリバリのキャリアウーマンの時期を経て、36歳で出産した際に脳腫瘍と水頭症を発症し、死に直面した経験をお持ちの方です。
大病をきっかけに、自然治癒・自己探求をする中で、さまざまなワーク・セラピー・ボディワーク・ヒーリング・瞑想等々と出会い、体験し、学び続け、ご自身のセラピーやワークを確立されました。

★あけみちゃんプロフィール★

そんなあけみちゃんと私が出会ったのは、2016年7月に湯河原で行なわれたワークショップでした。2007年からカウンセリングを通して学びを共にしてきていた、心友の長浜直子さんのご紹介がきっかけです。
当初の私はLPLの存在は知らず、ただただ自分が求めていた“グループセラピー・ワークショップ”を体験&学びたく、ワークショップに参加しました。

私は過去に個人カウンセリングの経験は持っていましたが、ここ数年で“人との関わり合いがもたらす影響”というところに深く興味を持ち、エンカウンターグループワークショップを中心とした、グループセッション・ワークショップが学べる場所を必死に探しまくっていました。そしてたどり着いたのが、あけみちゃんのワークショップだったのです。

LPL養成講座は、あけみちゃんワークショップに参加していないと、受講することが出来ません。ワークショップを体験した私は、すぐにLPL養成講座へ申込をしました。
私はグループセラピーのノウハウを学ぶつもりで、LPL養成講座を申し込んだのですが、それがまさか自己探求の入口だったということは、知る由もなく。。。この2年間を振り返った今だからこそわかったことです。当時は全くそんなつもりはなく、LPLの門を叩きました(笑)

LPL養成講座とは…

そもそも、LPLの頭の“LP=ラビング・プレゼンス”という言葉。聞き慣れないと思います。私も初めて出会った言葉でした。
これは“ハコミセラピー”という心理療法で生まれた言葉で、相手に何かを与えようという姿勢ではなく、自分自身の糧として相手から積極的に感じ取ることによって自らを深く満たそうとする姿勢や在り方のことを、『ラビング・プレゼンス』と言います。その姿勢や在り方でいると、相手の存在を尊重し、受け入れようとする姿勢が自ずと生まれ、深い共感や信頼感が無理なく創られていくという逆転の発想です。(日本ハコミ・エデュケーション・ネットワークより)

その“ラビング・プレゼンス”という言葉を引用した、あけみちゃんの養成講座に対する想いは、【「自分を愛し、人を愛し、人生を愛し、仕事を愛し、会社を愛し、世界を愛し、自分のいのちを輝かせて生きたいと心から思っている人たち」をサポートできるようになること】であり、そういったリーダーシップ性を育むことを目的としたのが、このLPL養成講座であります。

そのため、カウンセラー・セラピスト・ボディーワーカー等の職種の人のみならず、会社経営者、会社員、個人事業主、主婦、先生業、士業など…業種や職種関係ない人たちが多く集まります。社会に対する役割・役職という意味のリーダーシップではなく、「自分の人生を、自分で舵取りをしたい!」と、心の底から想う有志たち=自分の人生のリーダーたちが集っている講座です。
そのため、社会でどんなお仕事や役割をしているのか、あまり知らなかったり(笑)実は大きな会社の偉い人だった!とか、ベストセラー作家だった!!とか‥後々、素性を知って驚くこともあります….
日常生活だったら、絶対的に知り合えないような出会いやコミュニティーができるのも、この講座のご縁の凄さです。

潜在意識が人生の“肝”である。なぜなら…

私は過去、対人援助職をやっていたときは「王道なカウンセリング」を学び、実践していました。
その頃から、“潜在意識”に対する知識も学んでいたし、カウンセリングの中で扱うこともあったのですが、さほど多くは扱っていませんでした。
なので、顕在意識への気づき・アプローチが基本的に多かったため、人生を変えるほどの事はクライアントに起きませんでした。
けれど当時の私の中では、それが学んできたことだったし、それが正解だと思っていたし。カウンセリングってそういうものでしょうって思っていたし。

以前の王道カウンセリングと大きくLPLが違うところは、潜在意識の領域の取扱度合いがとても多いところです。潜在意識=無意識の領域を、とても深く丁寧に触れていきます。ここがカウンセリングとセラピーの大きな違いであるということも、私はLPLに来て学びました。そう、LPLはセラピーの領域なんですよね。
【顕在意識はわずか5%、95%は潜在意識である】と言われております。だから、95%の潜在意識(=無意識)に眠っている願いや思い込みが実現されちゃうので、「なぜこんなことが私の人生に起こるの??」という、顕在意識では理解不可能な現実を作り出します。おもしろいくらい、人生は潜在意識(無意識)の思い通りになるということを、このLPL養成講座で目の当たりにしました。
セラピーの領域は、まさしくこの【95%の潜在意識】の中を探求することで、わずか5%の顕在意識でいくら考えてもわからなかった答えを見つけに行くことをするのです。

この理屈は頭でわかっていたけれど、実際に潜在意識へアプローチするセラピーでもたらされる変容を、このLPLで私も体験しました。これが人生や現実を変えていくことなんだ‥というのを、自分の身をもって体験することができたのです。

劇的な変化は起きない。ジンワリ‥と変化する現実

なにか悩んでいたり、困っていたりすると、すぐに解決方法を知りたくなりますよね。「ここから脱出する方法を、今すぐ教えてくれ!!」‥みたいな思いになりますよね。わかります、わかります。
だって、苦しいんだもの。
だって、不安で押しつぶされそうなんだもの。
とにかく、今の苦しさや辛さから、いち早く脱出したいんだもの。

けれど、残念なことに劇的な変化は起こらないんですよね。しかも、そんな早いスピードでは。。その苦しさ、辛さは一度引き受けるしかないんです。
例えばそこで、一時的な苦しさや辛さを緩和する方法をお伝えしたとしましょう。しかしそれでは、人生では同じことが繰り返されるんですよね。
なぜなら、潜在意識の本当の願い・目的がそこにはあるからです。一時対処法では、人生はたやすく変わりません。

私たちの悩みの根源となる部分は、大抵のことが繋がっています。全く別の問題だと思っていたものも、実は根っこ部分は同じ。その根っこ部分にアプローチすることで、翌日に大きく変わった!!!…ということは無いけれど、じんわり〜じんわり〜と現実が少しずつ変化していくのです。
まさに、船の舵取りに似ていると私は思います。船の方向を変えたいとき、舵を切るハンドル(舵輪というらしい)を回しますが、すぐに方向を変えられるかというと、そんなことないですよね。大きくゆっくりと方向が変わっていく。そんなイメージ。

例えば、2台の机がきれいに並んでいたとします。毎日5mmずつ、ずらしていきました。はじめのうちは全く気づかない…けれども、100日経ったら50cm動いているわけだから「あれ?こんなにズレてたっけ??」と、ようやく気づくみたいなイメージ。

行動(Doing)を変えても、現実は変わらない

私もこれまで、さまざまな学びをしてきました。
たとえば…ファシリテーションの〈やり方〉、事業計画書の〈作り方〉、プレゼンテーションの〈スキル〉、アウトプットの〈方法〉、さまざまな心理療法の〈メソッド〉、ウェブマーケティングの〈戦略〉などなど。
どれだけ多くの【方法・やり方】に、時間とお金を費やしてきたことか。いくらやっても、いくら吸収しても、継続しない&行動しない&現実が変わらないということが幾度もありました。その度、「なんで継続できないんだろー?」とか、「なんで行動を起こさないんだろー?」とか、「いつまで経っても、何も変わらないーー!」と思い、またそんな自分がダメ人間であるとレッテル貼って生きてきました。似たような経験のある人も多いのではないかと思います。

この行動出来ない、継続できない、変わらないっていうことが、まさに【無意識が作り出した現実】というところなんですね。行動できないってことは、ストッパーになっている無意識の働きが何かしらあるわけです。
また、やり方や方法をたくさん学んで、そのとおりに行動したのにも関わらず、何も変わらないというところにも、無意識の働きが何かしらあると疑っていいでしょう。

行動は、〈内界が映し出された結果〉ということ、忘れちゃいけません。結果を振り返って、うまくいっていないなら、そこにはなんらかの理由があり、理由の中にやり方や方法というところだけではなく、潜在意識の思い込みということも一理あるということです。
そこを見極めるヒントとしては、「いっつもこうなる〜」とか、「前にもこんなことあったなぁ〜」というような“繰り返されている”というところは怪しい!

Doingをめっちゃ頑張っても変えても、もし現実が変わらないことがあるならば、Being(在り方)を見直す時期が来たということです。

ズバリ!潜在意識の書き換え方とは…

残念!これは、一言ではなかなか言えないもの。それこそ前述の通り、セラピーの領域なので、人それぞれ違うアプローチが必要だし、潜在意識が握りしめているものによっても異なります。まさしく〈やり方・方法〉ということだけでは、伝えられないし、〈やり方・方法〉だけで書き換えすることは不可能です。

ズバリ!潜在意識の書き換えには…
●子どもの頃に未完了となっている感情を癒やすこと
●子どもの頃に思い込んだ&信じ込んだ自分の定義を見直し手放すこと
●子どもの頃に置き去りにした自分を取り戻すこと
このあたりをセラピーでじっくりやっていくことです。

そう、肝となるのは【子どもの頃の体験】なわけです。

子どもの頃に体験したことを、どう解釈して信じ込んでいるのか…ここに潜在意識を書き換えるヒントがたんまりと入っています。
ここを少しずつ解していくこと、少しずつ癒やしていくこと、少しずつ手放していくこと、少しずつ本来の自分に戻っていくこと…を、セッションではやっていくわけです。

子どもの頃の“思い込み”が、人生の基盤になる

子どもの頃に築いてきた“思い込み”こそが、人生の基盤になっていくことを伝えたいからこそ、私はママさん向けのコンテンツをやっていきたいと強く思っています。
自分自身も母親との関係、父親との関係で、人生の基盤を固めてきました。それが大人の私にサイズ感や考え方が合わなくなってきて苦しくなった結果、心理学の世界へと飛び込んだわけです。

人生が変わり始めるきっかけ…それは、潜在意識の中に眠っている、本当の自分との出会い。本来の自分の姿。自分の本質の発見。幼い頃の思い込みからの解放。そこの根本部分を探求し書き換えをすることが、人生の舵を切ることとなり、“ゆっくりとさり気なく、善き方向へ”と向かうきっかけとなります。

潜在意識への自己探求サポートセッションをさせていただいています↓

♡個人セッションのお申込み♡

次回の記事では、自分の体験について書こうと思います。

Written by まついゆか

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未来への道が明確になった記念日

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週末は、芳村思風先生の【感性論哲学 後継者養成講座】に参加するため、新大阪まで足を運びました。これまで仕事の出張で大阪へ行くことは多々ありましたが、学びのために出向くことって実は初めてです。

感性論哲学

以前にも「感性論哲学」について書いたことがあります。

★以前の記事はコチラ★

感性論哲学は芳村思風先生が創始者でありまして、「感性こそが人間の本質である」ということを軸に提唱している哲学です(もっともっと深いよ…語り尽くせないほど)。
私がこの考えに出会ったのは、2016年の岡部明美さんのワークショップに参加したときでした。そのワークショップの中で、「失体感症」「失感情症」という言葉に出会い、まさに同じことを感じ取っていた自分にとって、とても強い衝撃を受けました。体感や感情を失っている子供たちが多いことに違和感を感じていた自分の感覚がとてもマッチして、自分の中にズッシリと「探していたものはこれだ!」と実感したことを今でも覚えています。

そのため感性論哲学は私自身がこれまでの人生の中で感じ取ってきたものが表現されており、またそれを原理原則として体系化されていることに、大変感銘を受けました。感銘を受けたという表現より…「あぁ、やっと見つけた」という感覚です。そんな感性論哲学に魅了されて、ドップリとハマっている2018年。いよいよ後継者養成講座までたどり着きました!

感性論哲学 後継者養成講座とは

感性論哲学を学ぶため、全国各地で行われている思風塾に通う経営者はとても多くいます。私もそのうちの一人で、2ヶ月に1回開催される東京思風塾に通っている塾生です。そこでは思風先生が約6時間、感性論哲学について講義を行います。しかし、この後継者養成講座は先生の講義を拝聴するスタイルとは全く異なり、自分の人生・仕事において「感性論哲学」をどうやって活かし、どうやって伝承していくかを先生にプレゼンする講座です。
そのため、自分の事業やビジョンにどうやって感性論哲学を絡めていくのか…ということを30分間のプレゼンをし、それに対して先生からのコメントやアドバイス、質問などをいただける講座内容になっております。とても能動的な講座であります。

今回初めての参加で、来年から通うための見学として参加したのですが、幸いにも私も発言権をいただきまして、自分の中の「感性論哲学」の活かし方、今後の未来構想について思風先生へ直接お伝えすることが出来ました。自分で発表することによって、より具体的なイメージが出来たり、自分が本当にやりたいことを伝えることの意味と価値を実感することができました。

また思風先生からも私が取り組もうとしていることに大変深い共感をいただき、とても嬉しかったです。私が思っている「社会課題」への取り組みに関して、これまでは他人事のように思われがちだったものが「初めて共感してもらえた」という感覚を感じることが出来ました。自分が見ている世界観、視座、社会課題を同じ目線で感じてくれる方がいたという実感は、今回初めてで嬉しくて仕方ありませんでした。

帰り際に先生からも激励のお言葉をいただきました。先生に私という存在が認識されたこと自体も大変嬉しかったのですが、それ以上に自分のビジョンに対して心底応援してくださる先生のお気持ちが嬉しかったです。今後も相談をしながら、実現させるための活動をしていこうと自分の中でも腹が決まりました。

学び取るチカラ

私はいつも思います。学力というのは、「学び取るチカラ」であるということを。この講座の中では、自分も30分プレゼンするということは、他の方も30分プレゼンをするということ。他の方のプレゼンは、同じ業界でなければ飽き飽きしてしまいそうな雰囲気ですが、私にとってはお宝でした。

業種は違えど、取り組んでいることは違えど、視点・価値観が違えど、他の方の活動やプレゼン内容から自分に必要な情報が入ってきたり、閃きがガンガン降りてきます。「業種が違うから」とか「自分には関係ないことだから」ということで、プレゼンターの話しを聞いていたら何も得られません。けれども、興味関心を持って聴いていると、自分にとって必要なキーワードが響いてきたり、その方から出てきた言葉の中からシナプスがつながって閃きが起こったりするものです。

今日は他の方の話しを聴いていても、自分の中でドンドン閃きが起こっていることに興奮してしまいました。学力というのは知識を得ることや、暗記をすることではありません。学び取るチカラこそが、学力なんだと思います。そういう意味では、私は学力がある方ではないかと自分自身のことを受け止めることが出来ました。

来年からの活動について

今回参加した後継者養成講座をきっかけに、自分の中のやりたいことが更に明確になりました。そのため、来年からの活動についても、より明確なビジョンが見えてきたところです。今年いっぱいは準備期間とし、来年から目一杯動けるような体制を整えようと思います。

あれもこれも、いろいろとやることが多すぎて大変ではありますが(笑)やることが多すぎるくらいが、私にとってはちょうどいいのかもしれません。

感性論哲学についても、噛み砕いて講座のスタイルにしていくことにしました。“噛み砕く”というところに、少し準備が必要となりそうですが、より多くの方に届いて欲しい哲学なので努力したいと思います。
また具体的になりましたら、ご案内をしていこうと思います。

尚、今回の講座の中で閃きが起こり、名刺を新しいデザインにすることにしました。こちらもデザイン作成中なので、また仕上がり次第、UPしようと思います!!

Written by まついゆか

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感性論哲学に出会って

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「感性論哲学」という哲学に出会ってから、まだ私は日が浅い。2016年の岡部明美さん(通称:あけみちゃん)のワークショップに参加したとき、はじめて「感性論哲学」という言葉を耳にしました。
※あけみちゃんワークショップのご案内はこちらから

初めて聞いた時には、言葉の響きとして心地よい感じがあったし、説明していただくことや、伝わってくることはとても心に響いてくるんだけど、どこか掴みどころがない感じが自分の中にあり。
さらには、あけみちゃんワークショップを経て、今年で2年連続受講をしているLPL養成講座においても「感性論哲学」については取り扱っていきます。そこで2018年の今年より、直々に感性論哲学の創始者である芳村思風先生の「東京思風塾」へと通うことにしました。
★芳村思風先生ホームページ★

 

感性論哲学とは

とても深すぎて、正直一言で簡単には言い表せない。大きく表すと「感性を原理とした哲学」であるのですが、これが深い!深すぎる!!
これまでの時代は、理性を中心とした時代でした。近代というのは、理性を使って物質的・経済的に発展をしてきました。それはそれで、必要だった時代。しかし、理性で失われた代償がありました。自然破壊・環境破壊・人間破壊。もはや〈人間性の破壊〉は〈理性からの解放〉が必要とされるのです。
そして、人類史上第3の過渡期が来ていると言われている今。大きく変革しようという時が来ています。その変革する先、それがまさに「感性の時代」なわけです。理性の時代から感性の時代へのシフトチェンジ。感性が本質で理性は手段。理性に支配されていたこれまでの時代から、感性が理性を超える力へとするときです。
「人間の本質は感性である」ということを、思風先生は40年近く説いてきています。感性なくしては人間ではない。私たちは呼吸を自分の力でしているわけではなく、心臓を自分の力で動かしているわけでもなく。生命によって生かされている。その生命とは、感性そのものである。感性による力であると思風先生は仰っています。

感性論哲学について、偶数月に1回。思風先生の6時間に亘る講義があります。先生はずーーーっと話しっぱなし。それでも語り尽くせない程の情報量。とても私のブログで書ける量ではありません。。

 

感性論哲学は私の味方

感性論哲学自体を私が語ることは出来ないので、なぜこんなにも感性論哲学が私にとって魅力的なのかについて書こうと思います。
私は感性論哲学に出会う前から、自分の体験・経験で「いつか理性優位ではない時代がくる。感性が重要視される時代がくる。」と直感で感じていました。それはおそらく、私自身が感性優位タイプの人間だからです。
正直言うと私は理性が弱く(?)、あまり頭を使って考えることが得意ではありません。頭で考えようとすると頭痛が起きます(笑)どちらかというと、自分の感性を信じて自分の人生を選択してきましたし、常に自分の心・感性・感情・感覚に触れる方向へと自分が進む。自分の感性を人生の指針として歩んできました。
●自分の中から湧き上がる欲求
●理屈抜きに惹かれてしまうモノ・人・出来事
●なんとなく心地よい感じ
●気づいたら行動してしまうほど夢中になること
●やらずにはいられない!!と思うほどのワクワク感
私はこういった自分の中の感性・感情・感覚・直感を絶対的に信じていて、且つその声に対してとても正直に従います。誰になんと言われようとも関係なく、感性・感情・感覚・直感の声を軸にします。この感性・感情・感覚・直感こそが、自分の細胞を生き生きさせ、生命が喜んでいるという感覚があるからです。また、自分の感性で動き出した時には、自分の思考(理性)が追いつかないスピードで行動をしていることもあります。

そんなふうに生きてきた私からすると、感性論哲学はその生き方が真実であると肯定してくれている理論。私の味方です。感性論哲学に出会った時は答え合わせをしたような、「あぁ、やっぱりこの生き方でよかったんだ」と心底思え、とても自分の生き方に自信が持てた瞬間でした。これまで理性優位だった社会的風潮があり、感性に主軸を置いている私からすると、とても息苦しかったのです。仕事ではバカにされたこともあります。
●ちゃんと考えろ
●考えが浅い
●そこに理屈はあるのか?
●思いつきで物を言うんじゃないよ!
●お前はバカ(頭が悪い)だなぁ。
という言葉を言われたこともあります。

理性は当然のことながらとても大切です。昨日の思風先生の講義でもありました、「理性は人が幸せな人生を生きるために備えられた能力」と。ここでいう「幸せ」というのは、「自分のしたいことが実現できる時」を幸せといいます。そして自分のしたいことは、理性から出てくるのではなく、感性から湧き上がってくるものです。感性から湧き上がってきた「自分のしたいこと=幸せ」を、理性を使って実現させていく。理性は動物界では唯一人間だけが持っている能力です。理性を発達させてきたからこそ、これまでの歴史の中で様々なことを人は成し遂げて発展させることが出来ました。けれども、理性での自己実現には限界があります。そのことを、今、人類が気づき始めた時代に来ました。理性の支配からの脱却。それが今生きている私たちに求められていることであり、課題なのです。

 

「細胞」という言葉が好き(笑)

私は昔からよく、この「細胞」という言葉を使って表現することが多く、過去のブログでもチラホラ登場します。私は感性に触れることがあったとき、「細胞」という比喩を使って表現するのです。

〈2010年5月〉
3日間で多くの美術品に触れ、右脳に刺激を受け、細胞を呼び起こし、とても充実した濃厚な3日間。

〈2010年5月〉
最近、ちょっと生活が偏り、恋ボケしてたけど、昨日アドレナリンが放出し細胞が目覚めました。仕事スイッチONです。そう、私にはやるべき仕事がある。そう、私には成し遂げるべき仕事がある。

〈2010年7月〉
なんだか最近、エネルギーが漲っているのか。はたまた細胞が目覚めたのか。それともHighが続いていて躁状態なのか。単に気が大きくなっているだけなのか。私の細胞たちが活性化している。
で、ふと思う。人の可能性ってのは、やっぱり無限なのではないか。実はすっっごい力をワタシは持っているのではないか?・・・な~んて。
この世の中にポーンと生まれてきて右も左も分からないまま、それでもなんとか選択を重ねつつ前に進んで。気づけば自分の経験という足あとに縛られて。いつしか自分の経験を軸に選択することをしていて。すると、冒険することや新しい可能性に目を向けることを恐れて。だからとて、決して今までの自分の経験や価値観を否定するものではなく。
ただ、無限の可能性を、自分の経験や価値観というもので、自分にとって都合のいいように制限しているだけなんだな…ということに気づいてみたり。

まぁ、無防備だと危険だからねぇ。制限もしないとパンクするからねぇ。守ることを覚えてしまうよね、誰しもが。
しかし守ることだけに固執してしまうと、新しい扉は全く開かず。てか、むしろ守ることは必要なのか?それすら分からなくなってきた。なんだか自分で制限をしてるって、もったいなくねぇ?と思えてさ。

周囲の大人からの教えや、自分の経験に基づいた価値観があり、自分の道筋を自分で創ってきた。けれど、その教えが正しいことだなんて、誰も証明はできない。経験だって、どう認識したかで価値観は如何様にも変わる。
今まで創ってきた道があって、その道がこの先もずーっと、ずーっと続いているかのように錯覚してしまうけれど、本当は今この瞬間から先、全てが新しい道。本当は誰も踏み入れていない草むらなのだ。知ってた??

今まで私は過去の自分を、『できない自分』にフォーカスしていた。これは、私が自分自身を「私はできない子」と捉えていたから。けれど、よくよく思い返してみると、自分で認めてあげてなかった小さな成功体験は数多く、これから武器になるようなことばかり。しかも、それを成功と捉えるか、失敗と捉えるかも自分次第。

例えば途中で投げ出してしまったことも、やり遂げない自分にフォーカスしたら、結果は失敗へ帰結するし。新しいステージにチャレンジする自分にフォーカスしたら、結果は成功へ帰結する。ほらね、如何様にもなるでしょ。

そんな成功体験を色々思い出していたらさ、だんだん「ワタシってもしかして、すげー奴なんじゃね?」とか、「実はやればデキる子なんじゃね?」とか、「もっと出来るんじゃね?」とか、「まだ力出し切ってないんじゃね?」とか、「眠ってる可能性があるんじゃね?」とか、「余力ありすぎるんじゃね?」など思えてきて、そしたら細胞が元気になってきたってワケ。

軽い勘違いもあるかもしれないけど、勘違いだって活力の源になるんであれば、いくらでも使えばいい。人生は思い込んだもの勝ちだぁ!思ったことが現実に跳ね返ってきているだけ。だから自分の制限を取っ払ったもの勝ちなのさ。

〈2010年8月〉
次に会う新しい「コンニチハ」のため、今日の「サヨナラ feat. 涙」があったんだと思えば、また上を向いて歩ける。
皮膚と一緒。古い細胞が剥がれ落ち、新しい細胞が生まれてくる。何かを失くして、何かを手にする。こうして人生も世の中も循環することが、自然の摂理であり、健康なのだ。
今日は私の細胞生まれ変わり日。今日の「サヨナラ」を無駄にしないため、自分の経験を糧に、次なる「コンニチハ」を探して、また旅をする。

〈2010年8月〉※サマーソニックへ行って…
また音もこの上なくカッコイイ!超一流は、やっぱり格が違う。当たり前っちゃー当たり前なんだけど、身体の細胞一つ一つが痺れるのよ。細胞一つ一つに音が沁みてくる。とにかく、やばかったです!!!
超一流を体感する。ホンモノに触れる。最近は、とても感性を磨くことに重点を置いてる私。それは人の感性に働きかける仕事を、やっぱりしていきたいから。一つの勉強として、感性磨きとして、とても素敵な刺激を受けてきました。

 

なんか…2010年は、やたらと感性(細胞)に触れることが多かったみたいね…(笑) 

 

思風先生と行徳先生

思風先生を語るのに、行徳哲男先生の存在を無くしては語れない。思風先生と行徳先生は出会って41年。お二人は「感性こそが人間の本質だ」ということを、ずっと提唱し、研究し、伝え、世に広めてこられた第一人者たち。
思風先生と行徳先生の出会いについて、思風先生のホームページに記載されています。

★行徳哲男先生と芳村思風先生の出会い★

私は行徳先生とは未だお会いしたことがなく、ずーっと会いたい人物の一人でした。10月27日に開催される「思風会 全国大会」で今回はスペシャルゲストとして行徳先生が登壇されます。そこでお会い出来ると思って楽しみにしていたのですが、な、な、な、なんと!!! 昨日行われた東京思風塾に、行徳先生がいらっしゃいましたー♡

そして東京思風塾の中で50分間、お話をしてくださいました。とても話し方に特徴のある方で、モノマネをする人も多くいるくらい(笑)これまで、さんざんいろんな方の行徳先生モノマネを見てきましたが、やっと本物の行徳先生にお目にかかれました 😀 

ダブル巨匠

このダブル巨匠を囲った懇親会に参加しました。そこで、行徳先生の書が全員にプレゼントされましたー♡私がいただいたのは、「唯我独尊」を意味した書。とても光栄すぎるお言葉です。


「唯我独尊」という意味はググると「自分だけがすぐれていると自負すること」とあって、あまり良いイメージではなかったのですが…さすがにお釈迦様が誕生した時に言った言葉なので、もっと深い意味を含んでいるはず。。ということで、さらにリサーチしてみると「私たち人間に生まれなければ果たすことのできないたった一つの究極の目的がある」と。(仏教ウェブ入門講座より)おぉー!!納得!

そして、思風先生には著書にサイン&お言葉をいただきました♡

「人間における真実の愛とは考え方のちがう人とも共に生きようとする“矛盾”を生きる力である」といただきました♡先生はいつもサインの時にインスピレーションで降りてきた言葉を書いてくださいます。真実の愛を学ぶ時ですね(^^;

昨晩は感性ダブル巨匠に囲まれて、とても有意義なひとときを過ごしました。

10月27日(土) 思風会 全国大会 in TOKYO

一年に一度行われる「思風先生の全国大会」が、今年は東京で行われます!場所は新宿の京王プラザホテル。第一部は13:15〜17:25/第二部は17:45〜19:45です。

第一部では、思風先生の基調講演はもちろんのこと、行徳先生とのスペシャル対談。さらには、思風塾には数々の経営者さんや組織トップの方々が塾生としていらっしゃいますが、そういった活躍されている方々による、各分野における“覚醒”についてのプレゼンテーションなど、内容盛りだくさんのとても貴重な大会です。

第二部は懇親会となっており、お食事をたのしみながら先生方との交流をしていただけます。思風先生と行徳先生のダブル巨匠が集まる場というのは、大変めずらしいです。ぜひ一度は先生方の講演を直接聴いてみてください!大変価値のある、一生に一度の大イベントです。

▶お申込・詳細はコチラから

https://www.facebook.com/events/310875013041449/

私も副幹事としてお手伝いさせていただいております。少しでも「感性論哲学」にご興味持った方、ぜひこの機会に直接先生のお話を聴いてください!ご来場お待ちしております 🙂 

Written by まついゆか

 

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手放す勇気

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エニアグラムタイプ7の傾向として、アレもコレも…手をいろいろ出しがちな面があります。出しがちというより、出し過ぎてしまうくらいの勢いがあり、結果自分の首を絞める始末…今週は特に、それが顕著に現れました。

 

明日のことだけで生き延びる

時間もお金も目先のことしか、今は考えられていません。計画的な行動はまるで出来ておらず、「明日何だっけ?」と都度明日のスケジュールを確認し、そこから準備に動き出す…それが繰り返されている、なんともひどい状態…。

常に追われている感覚で、「ひぃ〜」となっており、しかも追いつくのに大変だから、自転車操業が高速に回っている感じ。自転車どころではなく、まるでハムスターの回し車のよう…

たまに、ふとした時間があくと、ものすごい疲労感があって、やる気が出ない。しかもせっかく空いた時間も、溜まっていたものの処理に費やすから、結局時間はあかない。

良し悪しは別にして、この生活サイクルをこなしてしまうという、変な器用さやスピード感を持っているが故に、やってしまうんですよね。人からは「仕事出来るよね。」とよく言われますが、処理能力は高いかもしれないけれど、これを【仕事が出来る】と定義してしまうと、計画性をもって仕事をこなしているスマートな仕事できる人たちに失礼すぎる…

実はこんな生活サイクルを3ヶ月以上している気がします。

 

抱えているものを整理

ひとまず、今自分が携わっているものを整理してみます。

【仕事関係】

  • 商業イベントの制作ディレクション
  • ソーシャルビジネス勉強会(もうすぐ終わる)
  • 情報モラル教育講師
  • 中小企業 メンター制度導入講師
  • グラフィックデザイン
  • 自分の事業(にんげん関係修復屋さん)

【NPO法人・ボランティア・お勉強関連】

  • 心理学関連 LPL養成講座
  • 子供の電話受け手ボランティア
  • NPO法人対話の会(修復的司法の勉強)
  • NPO法人 えんぱ和メント 理事
  • NPO法人アドラーよこはま
  • 思風会 全国大会お手伝い

…と、こんなもんでしょうか。というか、こんなにあるのか!という感じですが(笑)
完全に自分で自分の首を絞めてます…

 

手放す勇気

さすがに、自分の目的が明確になってきたので、目的以外を手放そうという気がようやく起きてきました。
けれど、何でしょうね?この手放す時の不安感。「必要とされたい」という承認欲求が、減る感覚でしょうか。

自分が何者かでなければ、必要とされない・認めてもらえない・愛されない…と思っている傾向があるみたいです。条件付きの愛され方が身につき過ぎて、ありのまま・無条件で愛されることや認められることが想像できないし、そもそも自分の辞書にない!

これは手放すのに、勇気がいりそうです。けれども、この生活サイクルは私を幸せにしないことも知っています。このままだと病気になりそう…。だからこそ、今手放すことを踏ん張る時期なんでしょうね。

 

そのままでいいよ…という練習

たくさんのものを抱えていると、周りから見ていて窮屈そうに感じるんだろうな… そして、手を貸してあげたいと思ってくれる人がいても、何をしてあげたらいいのか、分からないんだろうな…。自分を客観的に見ると、そう映るような気がします。

・そんなに頑張らなくても大丈夫
・そんなに抱えなくても十分
・何かなろうとしなくて大丈夫
・もっと力を抜いて大丈夫
・ありのままの自分でも十分

と、自分に言い聞かせる練習が、私には必要そうです。

手放す勇気、何も持たない勇気、緩む勇気の練習が私には必要。幸いにも、もうすぐ明美ちゃんの個人セッションがあるので、そこで開放するテーマかもしれない。

まずは断る勇気を持つことから。そして断ったり手放していくうちに、何も持たないことを体験してみる。何が起こるのか実験。そうこうしているうちに、自分の中にスペースが出来て、徐々に緩んでくるのかも。

その時に、周りの人が入ってこれるスペースも出来て、循環へと繋がる気がする。肩こりとかと同じ症状かも?血の巡りが悪くて循環が悪いと凝ったりする。そうか…凝ってるんだな、ワタシ。
体もお金も感情も人脈・繋がりも、循環させることが大切。そのためには、キツキツになっているところにスペースを作ることからだね。

うん、腑に落ちた。よし、頑張ろう!

Written by まついゆか

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手段を目的とすり替えない

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「手段を目的だと思ってしまうと迷う」ということを最近改めて思った。
何を手段として、その手段を使って何をしたいのか。この「何をしたいのか?」が目的であって、そこを見誤ってしまうと、人生の迷子の子羊になるのだと。もしくは、ゴールがいつまで経っても見えてこないということを。だから常に「なんのために?」を問うことが大事なんだと思う。

カウンセラーになるのは手段でしかない

私が最初に「カウンセラーになりたい」と思ったのは、27歳のときだった。今から10年以上前。当時は派遣社員で事務職をやりながら、これからの仕事について‥というよりも、自分の人生をこの先どうしていきたいのか?について、よく考えていた時期だったように思う。
この時、カウンセラーになろうと思ったのは以下の理由からだった。
①これからの時代は、“心・精神的”な問題が大きくなってくるであろうという先見の明を持っていた。
②周囲から自分に相談が寄せられることが多く、人の話しを聞くことが得意だった。
③手に職をつけ、一生使える専門職が欲しかった。
最初はこんな理由だった。ここには【目的】が抜け落ちていることは、今だからこそわかる。そう、手段ばかりを得ようとしてカウンセラーになったところで、「何をしたいのか?」については考えられていなかったのだ。

心理学を学び、カウンセラーとして活動をし始めたころ、徐々に自分の中でクライアントのターゲットを絞りたいな‥と思うようにはなってきた。最初は手段から入ったが、そのスキルが身についてきて、はじめて「じゃあ、これを使ってどうするんだっけ?」ということを考えるようになった。
そして“この世のお母さん”向けのカウンセリングをしたいというところへ行き着いた。なぜなら、自分自身が母親とのことに問題を抱えていたこと。そして周囲でも母親との関係で悩んでいる人が多かったこと。また心理学を学んだことによって、人生の大半は親との関係性で決まってくることなど、インナーチャイルドのことや、認知の歪み(ビリーフ)について、価値観が出来る過程など学んでいる中で、生まれてから10歳までの親との関わり方の重要性を感じたからである。お母さんたちが集まるようなコミュニティーを作り、そこで悩み相談を受けるということをやりたいと、いつしか考えるようになった。

しかしながら、まだまだ“カウンセリング”に対しての敷居は高く、当時の需要が少なかった。カウンセリングは、精神的に病気になった人が行くところという概念が日本ではまだ強く、あまり身近なものではなかった。だからターゲットを絞るどころか、絞るほど多くの人がそもそも来ない…。しかもカウンセラーとしてヨチヨチ歩きしている自分が、クライアントを選ぶなんていう贅沢なことをしてはいけないようにも思っていた。
そして、頭の片隅には「アメリカのように、誰もが1〜2名の専任セラピストを持つような時代がくればいいのに…」と思うようになり、カウンセリングの普及をしたいとも考えるようになってきた。が…結局、それをどうやるのかが分からなかった。
当時、所属していた団体の中で仕事を創り出し、電話カウンセリングを中心とした活動を続けていたが、経済的に生活が苦しくなってしまったり、また所属団体の方向性の転換から、違和感を感じるようになって脱退をすることにした。それと同時に、カウンセリング・対人援助職の仕事から退いた。

 

今度はファシリテーターになりたい

2014年になって、今度は「ファシリテーターになりたい!」と強く思うようになり、今に至るまでがむしゃらに勉強してきた。ファシリテーターになろうと思ったのは以下の理由からだった。
①個人セッションよりグループセッションの方が、私はエネルギーが強いので向いている
②個人の枠には限界がある。人は人(他者)の中で学び、成長することが欠かせない
③“場”を創ることがとても得意であり、好きである
④個人ではなく“関係性”に着目したカウンセリングが、多くの可能性を秘めているに違いないという確信
そんな理由からだった。ここでも再び【目的】が抜け落ちている。またもや“手段”を追い求めていたのだ。

その結果、当然のことながら迷子になる。

結局、カウンセラーになっても、ファシリテーターになっても、それで具体的に「何をしたいのか?」がいつまで経っても明確にならない。昨年に比べ今年はとても有り難いことに、ファシリテーションや講師業が増えてきている。カウンセラーもファシリテーターも職業であって、実績があれば活動の一部として公言していいと思う。・・・けれども、その職業・手段を使って、何をしたいのかが不明確なままだったのだ。

 

手段に踊らされちゃうワタシ

いつもいつも手段に踊らされ、手段を目的だと思い込んじゃって、結局その手段となるスキルが身についた時に、先が見えなくなっていたり、次にどこへ行けばいいのか分からないことが起きた。手段・スキルを身につけようという時は必死だから、そのことには気づかない。ゴール設定を間違っていることに気づかないで走り続けるのだ。そして、ゴールに行き着いた時に、「はて?何がしたかったんだろうか?」ということになる。そしてまた、次なるゴールだと思いこんでいる手段を探そうとする。
こんなことが、ずーーーーっと自分の人生に起きていたのだということにようやく気づき…ちょっとゲンナリし、そして落ち込んだ。。。

けど、ふと思う。
同じような人、実は沢山いるのではなかろうか? だから今回、記事にしようと思った。

 

目的が先、手段は後

「何がしたいか」が先。それを達成するための手段は後。この順番を間違えたり、そもそも目的を設定しないで(もしくは、設定したと勘違いをして)走り出すと、迷走ループにハマる。私のように目的を設定していないことすら、気づいていないということもあるわけだ。

美容師になりたい!→なんのために?
弁護士になりたい!→なんのために?
ダンサーになりたい!→なんのために?
看護師になりたい!→なんのために?
カウンセラーになりたい!→なんのために?
コーチングしたい!→なんのために?
社長になりたい!→なんのために?
会社を立ち上げたい!→なんのために?
先生になりたい!→なんのために?
結婚したい!→なんのために?
お母さんになりたい!→なんのために?

なんだか、当たり前のことなんだけど…この見失っちゃう&間違っちゃうことは、よくあるような気がする。
子供に将来の夢は?と聞いて、「漫画家!」と答えたら、「それはいい夢だね!頑張ってね!」で終わらせちゃーいけないんだ。「漫画家になって、君は何を実現したいの?」とか、「なんのために漫画家という手段をとるの?」と聞いてあげないといけないんだ。じゃないと、いつまで経っても手段を目的だと思って走り続け、満たされず、ゴールが見えてこないんじゃないだろうか。

 

職業は公言しなくてもいいのかも

ようやく…そんな答えにたどり着いたら、私はカウンセラーであることやファシリテーターであること、変な話、どうでもよくなってきた。なぜなら、私が設定している今回の人生の目的は、そこではないからだ。スラッシャーとしていろんなこと(仕事)をやっているけれど、それは自分の人生の目的を達成するために必要なスキルの集大成でしかない。もしかすると、職業は公言しなくてもいいのかもしれない。

あなたは何者ですか?とか、何をしている人ですか?と尋ねられたら、「私は、この世から人間関係のもつれによる犯罪やトラブルを軽減させ、思いやりのある共存社会を創り出すために活動している人です」と答えられたら、それでいい。それだけで、十分自分を表現できているし、相手にも伝わるんじゃないだろうか。。

目的は一つで、手段はたくさん。私は【人間関係のもつれによる犯罪やトラブルを軽減させるため】であれば、カウンセリングもするし、ファシリテーターもするし、講師もするし、イベントもするし、会社の代表もするし、自分でチラシも作るし、その分野や少しでも関わることがあれば勉強をし続けるのだ。逆に、この目的を達成するために、多くの学びとスキル磨きを続けてきた。

今、自分の目的がとても明確になったことによって、手段に振り回されなくなってきた。目的がクリアになったからこそ、このことに気づけたのかもしれない。これはとても楽な感じ。今までは手段に振り回され、次から次へとゴールを探し続け、迷走をしてきたから。 これからも目的を達成するために、必要だと思うことには時間もお金も労力も投資していくんだと思う。けれど、自分が「これをしたい!」と強く思えることがあるのは、とても幸せなことなんだと思う。

手段の落とし穴、どうか皆さんもお気をつけくだされ。

Written by まついゆか

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インプットしたものを繋げ、全体を俯瞰し、真の目的を探す

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昨日の記事で、ここ5年間のインプットをダイジェストにまとめた。
改めて羅列してみると…
■2014年
オランダ イエナプラン教育

■2015年
ファシリテーター基礎講座

■2016年
非構成的エンカウンター
構成的エンカウンター
教育カウンセラー基礎講座&養成講座(初級)
子供支援者養成講座

■2017年
アドラー心理学:育児学習パッセージ
メンター制度講師トレーニング
LPL養成講座11期
しあわせ講座
コンステレーション

■2018年
胎内記憶教育基礎講座
思風塾(感性論哲学)
修復的対話の進行役養成セミナー
プロセス指向心理学:アーノルド・ミンデル氏来日講座
LPL養成講座12期

…と、まぁザッと見ただけでも、なかなか吐き気がしてくるほどの情報量。よほどお腹がすいていたのか?食べ過ぎだわ。これでは、消化しきれなくて当然だし、糸が絡まってしまうのも客観的に見るとよく分かる。

すべての行動には目的がある

「すべての行動には目的がある」と言ったのはアドラー。人が起こす行動には、必ずや“目的”があります。その目的がたとえ自分の意識に登ってないとしても、潜在意識(無意識)の中には目的があります。
当然、私がこれだけのことを習得しようと、次から次へと学びの欲求を満たしていたことにも目的があります。しかし目先のことばかりに夢中になっていると、真の目的を見失ってしまう。
私はビビっと来たものに飛びつくように学習を続け、走り続けてきましたが、ではその「ビビッ」とは、どこの何に触れて反応するのか。これこそが、真の目的を探求する糸口。

これを整理しようと思ったきっかけは、一般社団法人の案内資料作成をしている時のこと。自分のメッセージとしていること、そしてやろうとしていることに微妙なズレが生じてきていました。メッセージしたいことや成し得たいことと、実際に具現化してやろうとしていることの違い。ここに違いが生じると、伝わるメッセージが異なってしまう。また自分の軸としてもブレてしまう。今、立ち上げたばかりだからこそ、ブレない軸を明確にしておかないと、後々が大変なことになると気づいたのです。

アレもやりたい、コレもやりたい…その糸を辿った元はどこに繋がっているのか。どんな想いがあるのか。「やりたい」と思うということは、私の目的を達成してくれる価値が、その学びにはあるから学習してきたわけです。しかし、やりたい「こと」ばかりに目が向いてしまって、根源の目的が見えなくなっていました。このまま続けると、そのままインプットばかりを続けて、セミナージプシーになります。すべては【なんのために?】を問うことが重要。

昨日の記事の中では、「ファシリテーターになりたかったんだ!」というところにビビッと来て、そこから次々に学習の間口を拡げていきました。「ファシリテーターになる」というのは、単に職業でしかない。【なんのためにファシリテーターになりたいのか?】こそが大事なわけであります。

整理整頓には【マインドマップ】がGood

頭の中でグチャグチャしているものを、書き出すにはいろんな方法がありますが、私はマインドマップが一番シックリきます。マインドマップは頭の中で起こっていること(思考・発想など)を目に見えるようにした思考ツールのこと。私自身あまり文章が得意ではなく(ブログ長いくせに)、ビジュアル化することが得意なので、マインドマップで書くと整理もされるし、全体像として俯瞰して見れるので適しています。

次の扉が開かれた

これまでの学びを集約し、マインドマップを使って整理をしてみたところ、自分の目的を達成するために一人では不可能ということに気づきました。なぜなら、あまりにも目的が大きすぎる…。このマインドマップの枝の先端にあるのが「やりたいこと」なんですが、やっぱり何度見ても多すぎる…。全部を習得して、それを自分が伝えていこうと思っていたのですが、いつまで経ってもこれじゃたどり着かないことを、まじまじと感じました。
ともなれば、どうするかって?
それは【仲間を集う】です。その分野の専門家にお願いできるところはお願いすること。人の力を借りる部分です。人のお力を借りられれば、達成し得ると考えました。
その発想へと転換をしたとき、「あ、そうか!いろんな専門家に出逢うために、あちこちに顔を出していたのだ。」と、これまでの自分の行動と目的が繋がったのです。合点、納得。

自分の得意技と気質を活かす

私は前々から仕事のスタイルについて悩んでいました。《専門家》にとても憧れるけど、《専門家》にはなれない気質。私の得意技は《専門家を集めて、コーディネートする》こと。だからイベントディレクターという職業が向いていた。照明さんとか音響さんにはなれなかった。なぜなら、専門性を追求することが苦手だから(笑)プロジェクトを遂行するにあたって専門家を集めて、全体を目的(プロジェクト成功)に向かって引っ張っていくということがとても得意。だからファシリテーターにもなりたいんだな。集団を目的へ導くということが性に合っている。
飽きやすく、集中力がなく、気が散りやすく、すぐ他へ興味が移ってしまう私の性格。どこかそんな自分を「ダメな人」とし、専門家になれる人に憧れを抱いていた。だから、専門家になれるかも‥と勉強もそれなりにするの。でも結局、深掘りして専門性を追求するところまで出来ないの‥飽きちゃうから(笑)
どっちが良くて、どっちが悪いんじゃない。これは特性であり、気質であり、向き・不向きであるから。それが個性なわけで、自分の個性を受け入れれば、自分の役割が自ずと見えてくる。ずっと「専門家にならなきゃ」と思っていたから、自分の役割が見えてこなかったようだ。私は《専門家を集めて、コーディネートする》ことが得意技で、そのための能力として「コミュニケーション力が高い」という力が備わっている。私の個性の活かしどころは、コミュニケーションで繋いで、大きな目的を達成することなんだな‥と考えるようになった。

ここ数ヶ月のグチャグチャが、なんとまぁスッキリしたことか。まだ細かいところまで整理しきれていないけれど、軸は決まったし、向かう方向が明確になったので、コツコツとあとは続けるだけ。
繋げていくことを楽しみながら、私コーディネートの世界を創り出そうと思う。ようやく前に進めそう。

Written by まついゆか

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お願いすることが苦手な人へ

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お願いすること(=頼みごと)や、助けてと言えない人、いますよね。実は私もその一人です。もっと周りに「お願い!」とか「助けて!」と言えたらいいのに…と、よく思います。そんな自分に向けての備忘録という意味でも、書き留めておこうかと思います。

お願いは、相手を信じること

お願いをするというのは、相手に依頼して(任せて)大丈夫とか、この人にお願いすれば安心できるなど、相手を信じているからこそ生まれる行為。それが出来ないというのは、無意識に相手や他人を信じていないところがあるのかも?相手の力を信じきらないと出来ない行為なんですね。

仕事においては、責任とかいろいろくっついてくるものもあるので、ある程度のスキルを含め、相手に任せられるかどうかを判断する場面も多いのですが、何でもかんでも自分でやってしまい、また自分だけが抱えてしまう人がいます。そういう方は、無意識に【人は信じられない】とか、【人は信用してはいけない】といった、思い込みが作られているケースがあるかも。お心当たりのある方は、一度自分の内面を見直してみてもいいかもね。

お願いは、相手を活かすこと

もう一つの大事なことは、相手に任せる・依頼するというのは、相手の力を活かすこと。よく考えがちなことは、「お願いしたら、申し訳ない」とか、「任せちゃったら、相手への負担が…」など、【お願いをすると相手に迷惑を掛けてるんじゃないか説】を唱える人。それはとんだ勘違い。

人から求められる、頼られらるのは、喜びであり、幸せなのです。自分自身に置き換えて考えてみてもそうじゃないですか? 人から求められたり、頼られることって、とても嬉しいことですよね。

日本理化学工業の大山会長は『人の究極の幸せは4つある』とおっしゃいます。

①人に愛されること

②人に褒められること

③人の役に立つこと

④人から必要とされること

お願いをする、任せるというのは、相手を必要とすること。だから、相手への迷惑になるどころか、幸せにすることなんだと思います。

一人で頑張る必要はない

だから、一人で頑張る必要はない。一人で頑張ったって、おもしろいことも、楽しいことも、広がることもない。また、お願いすることや助けを求めることは恥ずかしいことでも、弱いことでもない。だから、どんどん周りにお願いをして、どんどん周りを頼って行こう。共生・共存するとは、そういうこと。

以上、自分への備忘録も踏まえた記事でした(笑)

Written by まついゆか

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【ジャズとファシリテーションとセッション】というイベント

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先日、知り合いのファシリテーター長尾彰さんが主催した【ジャズとファシリテーションとセッション】という、大変魅力的なタイトルのイベントへ行ってきました♪

★長尾彰さんについて★

私は一般社団法人の名前に「セッション」という言葉を用いていますが、まさにこれは「単独の異なる音が自然と集まって音楽として奏でる」ことをイメージし、意識的に使っています。そしてファシリテーターは指揮者のような役割だと私は思っていて、【一人ひとりの個性や命や異なる価値観(=音・音質)が集まり、響鳴し合って“場”が創られ(=奏でられ)、目的(=音楽)を創り上げる】と、まさに音楽のセッションと通ずるものがあると思っていたので、法人名も『Life Session(=命・人生の演奏)』としています。
また、はるか昔に実はヴォーカルをしていた頃もあります(笑)。4歳〜エレクトーンを習っていたこともあります。そのため、私にとって「音楽」は親しみがあるものなんです。そして最近は、カウンセリングやセラピーのことを「セッション」と表現することも多くありますね。

ということで、この【ジャズとファシリテーションとセション】というタイトルを見ただけで直感が働き、「行きたい!」と即決。長尾彰さんの妹さんであり、私の親友Yと一緒にイベントへ行ってきました。

 

ジャズセッション

ジャズセッションはこれまでにも数回、観に行ったことがあります。今回はピアノ・ベース・ドラムの3名で演奏が行われました。演奏者の3名だけの曲目もあれば、参加者が即興で歌うシーンもあり、自由な音の中で自由な表現をする空間と時間。それはとても居心地がよいものでした。
この企画は、最初は大阪で行われたそうです。東京では初の開催。ピアニストのToshiさん、ベースのコバケンさん、ドラムのYujiさん、息の合ったとても素敵なセッションでした☆

jazz session

 

ファシリテーションはどう絡む??

さて、ここで気になるのがファシリテーションの絡み方。ファシリテーターはもちろん長尾彰さんです。私は彼の活動をFacebookでよく拝見しておりますが、自分自身は長尾さんのファシリテーションを実は体験したことがありません。けれど、なんとなく…「敏腕なファシリテーター」だと直感で感じていました。彼の専門は組織における体験学習を中心としたチームビルディング。その長尾さんがこの場で実践したファシリテーションは、『素人目線で、その場で起こっていることを、素朴に場へ投げかけて問題提起をする』でした。
・演奏しているとき、何を考えているの?
・ソロパートがどうやって始まって、どうやって戻ってくるの?合図してる??
・なんでそんなにピッタリと合うの?
・わざと事故って(間違って)みて!
・これが会社だとしたら、社長は誰?じゃあ、あなたは部長?中間管理職?それは誰が決めるの?
・大きな舟で旅に出て(3人の演奏)➔それぞれが小舟で離れ離れになって(ソロパート)➔また戻ってきて
・3人にとって「プロ」とは何ですか?
などなど、まぁ質問をするわ、無茶振りオーダーはするわ‥とてもおもしろい絡みでした。次から次へと投げかけられる質問に、演奏者の3名なりの答えがあり、場を巻き込み、盛り上げて、来場者に「ジャズセッション」というものを対話を介して伝える。場が活性化して盛り上がり、飽きることのない時間でした。

 

ファシリテーションとして吸収したこと

今回のイベントで体感し、学んだことは…
◎自分の価値観や枠組みを外し、素朴な疑問や視点を持つこと
◎今ここで、この場で起こっていることを取り上げること
◎質問を通じて、それぞれの考えや価値観を引き出す質問力の重要性
◎見ている人たちを飽きさせない場の巻き込み方
◎答えはなく、その場で起こることが全てであるという姿勢
やっぱりファシリテーターっていう職業は楽しいなぁ。私も一生やっていきたい。

“ファシリテーター”は、なかなか表現しづらかったり、理解されづらい職業ではありますが、最近は耳にする方も多くなってきたと思います。端的に言うと「会議などの人が集まる場において公平な立場で、発言や参加を促したり、話の流れを整理したりしながら、参加者たちが同じ目的に向かうようにすること」です。
しかし、最近気づいたんですが、ファシリテーターにはいろいろ種類があって、単に会議やミーティングの進行を兼ねて、場を調整する人というのもありますし、チームビルディングなどを目的としてファシリテートをする長尾さんのようなスタイルもありますし、心理学においてはエンカウンターグループの実施者をファシリテーターと呼びます。私が最初に「ファシリテーター」という言葉を知ったのは、エンカウンターグループのファシリテーターでした。そして私がやりたいと思ったのも、エンカウンターグループでのファシリテーターでした。エンカウンターグループについては、また別の機会に記事にしようと思いますが、いずれにおいても
①集団・グループが対象
②その場で起こることを扱う
③目的には向かうけど答えは未知数
この3つのポイントが私は堪らなく大好きです。そして、その場で起こっているLIVE感とグループ感と達成感と広がる可能性。ヤバイ…楽しい(*^^*)

今回のイベントを通じて、ファシリテーションの魅力を再認識し、そして目標として掲げている「ファシリテーターの達人になる!」ことをコツコツとやっていこうと思った一夜でした。

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