内側に意識が向くと、外界に興味なくなる…

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自分の内側の世界に意識が向くと、
外界に興味がなくなってくる…。

例えば、誰かと同じ空間を過ごしていて。
相手がTVを見ていると、
自分が普段、TVを見ていないことに気づく。

「TV見なかったら、何してるの?」と、
聞かれたけど…たしかに、何してるんだろ?

瞑想してるか。
ブログ書いてるか。
本読んでるか。
プロジェクトのことを考えてるか。
新しいものを生み出す何かをしてるか。
ネットサーフィンしてるか。

自ら求めていない情報が、
自動的に流れ込んでくるTVの世界が、
とても苦手になってしまった。。。
自分が得たい情報は、
ネット世界へ自分で取りに行けばいい。

そう、自動的に入り込んでくる、
垂れ流し情報が、アタシにとって
とても苦痛で仕方がないんだ。

内側に意識が向く世界

自分の内側に、
意識が向く世界は楽しい。

自分の心の呟きを聴いてみたり。
自分の“感じる”世界に留まってみたり。
自分のイメージする世界を観察してみたり。
完全に…怪しいよね(笑)

いろいろと思い耽ってみては、
「あ、これはビリーフだ!」とか。
(※ビリーフについては★コチラ★
「あ、これはあの頃に感じた感情だ!」とか。
「身体が何かを訴えてる!」とか。
もうね…自己探求マニアです(笑)
だから、理解されにくいと思う。
このマニア、変態、ヲタクの領域。

この世界観を説明するのがややこしいから、
あまり説明も言及もしない。
そういう意味で、
自分ひとりの時間って必要だな。
でも、共に理解できる相手なら、
なお嬉しいな。
だから学んだ仲間といるのが、
一番楽チンで楽しい。
みんな、自己探求マニアだから(笑)

ベクトルが外に向かず、
内側に向いている同士の付き合いって、
本当に楽チンで有り難い。
人を責めることをしないしね。

以前、職場の上司に、
「なぜ、まついさんは不平・不満を言わないの?」
と聞かれたことがある。
外側にベクトルが向いていると、
人や会社や社会のせいにする。
けれど、内側にベクトルを向けていると、
「アタシがそれを選んでるから。」で完結。
不平・不満があるならば、
自分の選択を変えればいい。
不平・不満があるならば、
自分の意見を述べればいい。
ただ、それだけ。

わたしはわたしの人生を生き、
あなたはあなたの人生を生きる。
わたしはあなたの期待にこたえるために
生きているのではないし、
あなたもわたしの期待にこたえるために
生きているのではない。
私は私。あなたはあなた。
もし縁があって、
私たちが互いに出会えるなら
それは素晴らしいことだ。
しかし出会えないのであれば、
それも仕方のないことだ
「ゲシュタルトの祈り」より

外界は結局、内側の世界の投影

外の世界より、
内側の世界が楽しいというのには、
もう一つ理由がある。

結局、外側に映し出される現実は、
自分の内側で起こっている世界の投影だから。
しかも、潜在意識の世界が、
外界に投影されていたりするから。

だから内側の世界で起こったことを、
外界で引き寄せたりする。
潜在意識の動きが、
外界に現れた時は、めっちゃ楽しい。
潜在意識の書き換えが、
現実に変化をもたらしていくことが、
めっちゃ楽しい。

そういう意味で、
外界を楽しむためには、
目の前で起こっている現実から、
自分の潜在意識を紐解く…という
見方をすると、外の世界も楽しくなる。

…やっぱり、マニアだな。
何を言ってるかナゾだよね、多分(笑)
あまり伝わらないと思う。
ごめん、自己満足的な内容で。

先日アタシの夢に、なんとイチローが出てきた。
イチロー様、アタシの夢に初登場☆

全くTV見ないから、
彼が来日することなど、知らなかった。
夢の中では、イチローとアタシは友達でww
日本に遊びに来たイチローと、
アタシは仲良く話してるという夢だった。
彼はアタシに、
「もうすぐ、日本に帰ってくるよ」と言った。

その翌日、友人のFacebookで、
イチローが東京ドームで試合してることを知った。
そして後日、引退とは…。
一足先に、潜在意識が情報をキャッチしてた。

もっと深めちゃうかも…“魂”世界

心理学の領域を超えて、
魂の領域に楽しさを見出してきた、最近。

なんだか魂の領域で、
シゴトしてきたくなってきたなぁ。
もっともっと感性を磨いて、
(磨いて‥という表現は違う気がするけど)
宇宙との繋がりを強めていきたい☆

…という、怪しい(笑)宣言でした!

Written by まついゆか

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「ナニモシタクナイ」もプロセス

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宇宙元旦だった「春分の日」以降、
どうしよう…ナニモシタクナイ。

やらなきゃいけないこと、
いっぱいあるのに…ナニモシタクナイ。

・レポート書かなきゃ
・仕事の今後を考えなきゃ
・事業計画立てなきゃ
・本読まなきゃ
・カウンセリングの腕磨きしなきゃ
・どうしていく?今後?
・どうやって生きてく?
・どうしたい?
・え…アタシ、どうしたい?

そんなことを考えてたら、
もう3日も過ぎてもうた。

何者にもならなくていい。

「何者にもならなくていい。」という
選択肢をしたくて仕方ない最近。

これまで「何者かにならなければ」と、
ずーっと思って走り続けてきた。
そのたびに、いろんな仮面・役割・看板が増え続けた。

何者かになろうとするから、
「やらなきゃ」と背負うことが多くなる。
無理に背負ってる感じ。
自分以上の者になろうとして、
鎧を背負おうとしている感じ。
これが、今しんどい。

この「何者かにならなければ…」というのは、
アタシにとって、
【無価値な自分】を隠すための手段だった。


何者かにならなければ、
アタシには価値がない。
何者かにならなければ、
愛される価値も、
認められる価値も、
生きている価値もない。
そんな強迫観念に追いかけられて、
必死になって生きてきたんだと思う。

でも、もう疲れていること、
自分ではわかっている。
自分の奥底で、わかっている。
そんな生き方をしたいわけじゃないと。

そして、自分が無価値だなんて、
本当ではないということ。
真実ではないということ。
ようやく、そこに気づき始めてる。

だから「何者にもならない」という実験

今年に入ってから、
すべてを手放し、
「何にもならない自分を体験してみる」
という実験をやってみようと思ってた。

そこには、何が残されるのだろうか。
すべてを手放してみたとき、
自分に残るものはなんだろうか。
それこそが、本当の自分ではないだろうか。

こんなにボーっとしてても。
こんなにぐで〜っとしてても。
何の肩書がなくても。
何の資格がなくても。
何の取り柄がなくても。
お金がなくても。
知恵がなくても。

ただ、“あるがまま”でいても、
愛してくれる人はきっといる。
その体験をすることこそが、
今のアタシにとって大切な気がしてた。

根深い「無価値ビリーフ」

ビリーフというのは、
“信念・思い込み”という意味で、
人生の中で信じ込んでしまった、
自分の中の定義のこと。

自分自身を定義したり、
他人や世界に対して定義したりしながら、
アタシたちは生きている。

その定義が自分にとっての当たり前だから、
自分の世界観から物事を見ていると、
当然、それが自分にとって真実であり、
疑いの余地すら無い。

ビリーフというのは、
子どもの頃にコツコツと築かれていく。
家族との関係、友人との関係、先生との関係、
そして自分自身との関係。
さまざまな体験・経験を、
どうやって解釈して、
生きていくための戦略・定義としていくのか。

アタシにとって、
【無価値ビリーフ】は根深く、
今の実験というのは、
“ビリーフ外しの実験”でもある。

身をもって知る。
「あなたに価値が無いというのは真実か?」
という問いを、自ら実験してみようと思った。
めっちゃ怖いけど。
だって、「価値がないと死んじゃう」って
本気で思ってるんだから。
地味な命懸けの実験中である(笑)

アタシは家族の中で、
「自分が役立ってないと愛されない」と信じ込んだ。
そのままで居るだけでは、
愛してもらえないから、
常に“何かしてないと”いけなかったのだ。

そして、唯一の活路となったのが、
両親の不仲を調和させる役目だったのだ。
アタシにとっては、
ピッタリのお役目であり、場所だった。

そこからは、
「お役目があると生きていけるんだ!」
と思ったから、必死に“お役目探し”をした。

お役目=自分の存在価値

この方程式が自分の中で確立され、
人生を歩んできたのである。

そしていつしか、
「お役目がないと、存在できない」‥という、
ビリーフに乗っ取られた人生になっていた。
だから、何かをしていないと存在できない。
だから、役立ってないと価値がない。
“そのまんま”でいることの恐怖心に
苛まれるのである。

けれど、そのビリーフは、
自分のエゴが作り出した幻想であり、
本当の自分はそこではないということを、
ようやく気づけるようになったのだ。
気づくことが出来たら、
自分の“当たり前”から脱却できているので、
これまでと違う選択をすることができ、
結果的に現実が変化していく。
アタシは今、
“違う選択をして現実を変える”ということに
チャレンジ中なんです。

ナニモシタクナイ…を信じて焦らない。

そうだった。
意図的に、こうしてるんだった。
だから「ナニモシタクナイ」は、
自分の望んでいる方向に向かっていただけだ。

「ナニモシタクナイ」という感性の声を信じ、
焦って何かをしようとしないこと。
ただ、ジッとして味わうこと。
それを体験するための時間と受け止めること。
そうすることにした。

ブログの冒頭では、
めっちゃ焦ってたのに(笑)
書き終える頃には、
焦りも消え去り、落ち着いてきた。
切り替えのサイクルも早くなってきたもんだ。

ということで、
実験をもう少し楽しみながら、
自分の感性からの“閃き”のタイミングを、
ジックリと待つこととした。

Written by まついゆか

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音楽を〈理性〉と〈感性〉で“きく”違い

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最近、眠れなくて…。
寝不足が続いているから、
早く寝ようとして努力をし、
一旦は眠るんだけど、
また2時間後とかに目が覚めてしまう。

どうしたものかと。
最近、前とは違う何かをしているのかと。

ふと思い返していたら…
音楽の“きき方”に違いがあることが、
要因ではないかと思い始めた。

J-POPをきくようになる

アタシは20代から、
ほぼ洋楽しかきかない。
邦楽できくのは、
友人たちの音楽だけだった。

ところが、ここ2週間ほど。
J-POPをきくようになった。
それはナゼかというと、
今年は【エンカウンターワークショップ】
やろうとしているからだ。

【エンカウンターワークショップ】では、
音楽も活用していく。
音楽は心に届きやすいから、
感性を拓くために優れている。

音と歌詞が結びついて、
参加者の心の扉を開いていく。

そのため、ワークショップで活用できそうな
邦楽を最近は夢中になって選曲しているのだ。

寝るときにリフレインされまくる…

多くの音楽が集まりだした最近。
随分と長い間、邦楽をきいていなかったけれど、
素敵な曲がたくさんあるものだ‥と思ってた。

ところが、寝ようとする時…

頭の中でリフレインされまくり〜〜!

全然眠れない〜〜!!

音楽に頭が支配されてしまい、
何度もリピートされ、
まったく、そこから離れようとしない。
うぅ…なんとも苦しい…

交感神経がグイグイ優位になって、
副交感神経へと切り替わらない感覚。

頭=思考が、ずっとグルグル回っている。
いつまでも稼働し続けている。
目はギラギラ冴えてしまい、
精神は興奮状態。

副交感神経に切り替えようと、
瞑想したり、
ヒーリングミュージックをきいたり。
意図的に努力をするが、
再び引き戻される…その繰り返し。

言葉を理解しながらきく=思考(理性)

アタシにとっての、
邦楽と洋楽の大きな違いというのは、
頭(思考=理性)できくか、
ハート(感性)できくか。
この違いなんだなってことが、
今回の一件で判明した。

洋楽は歌詞も“音”の一部として、
一体化して、きいている。

しかし邦楽は、
音と歌詞、それぞれ別々に情報が入ってくる。
歌詞の“言葉”や“意味”を理解しようと、
〈頭を使って〉きいているのだ。
だから、頭がフル稼働してしまう。
あくまでも、アタシの場合。

10代・20代の頃は当然そうではなかった。
今は、自分が〈理性〉と〈感性〉を
分別することをしているから?
だからこそ、そこにストレスを感じるのかも?

多くの人は、
歌詞と音が組み合わさっていることで、
ジンワリと心に沁みるし、
感じることができるんだけどね。
アタシの身体機能は、
分類されちゃうようになっちゃったのよね。

頭で理解しようとすることは、
理性が働いていること。
何かを実現・実行するときには、
とても役立つけれど、
感じることをしたいときには、
理性はなんとも邪魔に感じてしまう。

感じたことを、
追っかけで理性が腑に落とす…
という流れがベストなんだけれども、
アタシの場合、邦楽のきき方として、
先に言葉をキャッチしてしまう傾向がある。
これは、エニアグラムタイプ7の
思考タイプだから…かもしれないけれど、
キャッチした情報を、
基本的に思考へと流しやすいんだな。

感じながらきく=ハート(感性)

それとは反対に、
音をそのまんま“感じながら”きくのは、
感性できいていることになる。

それこそ、歌詞を理解しようとはせず、
言葉も一つの“音”として、
トータル的に“音楽”としてきくこと。

ただ、あるがままを“きく”。
入ってくる“音”をそのまま感じる。
そこに、理解や意味は求めない。
感覚として“音”を受け入れて捉える。
“心地よさ”を基準にきく。

20代の頃は、よくHip-Hopをきいてた。
別に歌詞がいいと思ったことはないし、
むしろ歌詞としては、あまり魅力はない。

けれども、Hip-Hopの良さは、
韻を踏むリズム感が好きだったのだ。
韻がリズムに乗って、音として一体になり、
そのハマり具合が「気持ちいい〜!!」って、
思う音楽がいっぱいあった。
まさに、感性できいていたんだよね。
今だから、わかることだけど。

【聞く】と【聴く】の違い

ここまで、“きく”をあえて漢字で
表記しなかった。

アタシもよく傾聴の講義をする時、
よくある【聞く】と【聴く】の違いについて、
話しをすることがある。

今回のことを、
“きく”という漢字として考えたとき、
どんな違いがあるんだろう‥って思った。

■聞く
自然と入ってくる音を聞くこと。受動的な聞き方。

■聴く
積極的に耳を傾けて聴くこと。能動的な聴き方。

受動的・能動的という違いでいうと、
音楽は、受動的な“聞く”で
いいんじゃないかって思った。

人の話しに耳を傾けるときは聴くけれど。
音楽を能動的に聴いていると、
思考(脳・頭)が休まらないww
興味・関心をもって“きく”ということでは、
音楽も“聴く”なんだろうけど…
うーん‥漢字って難しい。

思考で聴く音楽 or 感性で聞く音楽

邦楽には言葉が多く詰まってる分、
思考がとても働きやすくなる。
洋楽だって、
英語の歌詞を理解しようとする人にとっては
同じことだね。
あんま邦楽・洋楽、関係ないね。

要するに、
歌詞・言葉を“音”として聞き入れるか。
歌詞・言葉を“意味やメッセージ”として聴き入れるか。
“きき方”のスタンスよって、
音楽のきき方は変わるし、
身体への影響も変わる。

もし思考で音楽を聴いていたら、
脳は休まらないし、
神経も休まらない。
そうなると、自律神経のバランスも崩すし、
心のバランスも崩れて、
鬱になりやすくなったりもする。

リラックスする時間って、
本当大事なんだな‥って、
アタシ自身も自律神経を崩して、
病気になった経験があるからこそ、
その重要性を感じる。
そして、現代人は多くの人が、
思考=左脳に偏りすぎて、
バランスを崩してしまっているんでないかと
本気で心配する。

だからこそ、

右脳の活性化!
感性を拓く!

ってことが、大事なんですよ。

すべてはバランス。
どっちが良くて、どっちが悪いではなく、
右脳と左脳のバランス。
思考と感性のバランス。

右脳を活性させるための、
音楽、アート、瞑想、身体ほぐしetc…
自分なりの方法を見つけてくださいな。

Written by まついゆか

♡感性を育てる子育て方法♡
愛の子育てレッスン

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実感と本音こそがすべて

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3月16日・17日と、
「感性論哲学後継者育成講座」に
参加するため、名古屋へ行ってきました!

★感性論哲学とは…?

感性肌のアタシ

もともと“感性肌”のアタシは、
子どもの頃から、
自分の中の“感性”をとても大切にしていて、
そのセンサーを指針としている。

快か、不快か
楽しいか、つまらないか
好きか、嫌いか
心地いいか、心地悪いか
気持ちいいか、気持ち悪いか

これらを感じる時に、
“なんとなく…”という感覚と共に、
言葉にならない領域にアンテナを立て、
それを基準に物事を判断してきた。

そんな生き方を、
自分は“ダメな子”としてきた。
なぜなら、世の中のモノサシが
【理性社会】だから。

世の中のモノサシが【理性】というのは、
どういうことかというと…

良いか、悪いか
正しいか、間違っているか
優れているか、劣っているか
出来るか、出来ないか
勝ちか、負けか

といったモノサシ。

だから、親にもそうやって
育てられてきたし、
学校でも、社会でも、
その〈理性の価値判断〉で図られ、
成人になるまで過ごしてきた。

これはアタシに限ってじゃないよね。
世の中の水準がそこだもの。
多くの人が、その〈理性の価値判断〉という
枠に入れられて来たと思う、時代的に。

そんな窮屈さと、
生きづらさと、
息苦しさと、
違和感がずーーーっとあって。
どんどん【自分】という人が、
見えなくなってきていた。

アタシは誰で、
アタシは何者で、
アタシは何がしたくて、
アタシは何のために生まれたのか。

拭いきれない問いが、
ずーーーっと頭の片隅にあった。

“感性を拓く場”との出会い

そんな自分が、
まず出会ったのは、
“心理学”だった。
2006年頃から学んできて、
次から次へと知る心の世界が、
楽しくてしかたなかった。

その中でも、
最も好きだったものが、

エンカウンターワークショップ

だった。

その当時の「エンカウンター」についての説明。
こちらの★過去ブログ★からどうぞ。

端的に言うと、
エンカウンターという言葉自体は、
“出会い”を意味するが、
「本音と本音の交流で自分や他者に出会うこと」
を目的とした、グループ心理療法。
この療法のスタートは、
来談者中心療法の創始者である、
カール・ロジャースです。

アタシは、このエンカウンターが大好きで。
自分の本音や感じていることが、
なんなのか分からなくなるほどまで、
抑圧していたアタシだったのが、
今くらいまでオープンになることができた(笑)
きっかけは、このエンカウンターだった。

当時は、自分の本音を話そうとするだけで、
涙が溢れてしまって、
何も言えなかった。
しょっちゅう泣いてた。
言葉に出来なくて苦しかった。

今だって、本音を話そうとするのは、
躊躇することもあれば、
なかなか吐露できないこともある。
けど、約10年前に比べると、
格段と出来るようになったもんだ。

失感情症・失体感症

紆余曲折、人生いろいろあって。
一度は離れた対人援助職だったが、
再び同じステージに戻ろうと決めた時、
出会ったのが“あけみちゃん”こと、
岡部明美さんのワークショップだった。
アタシのブログでも、
何度も紹介させていただいている。

このワークショップの中で、
「現代人の問題は、
失感情症・失体感症にある」

いう話しを聞いたとき、
当時のアタシにとってドンピシャで、
「同じことを感じている人がいた!」
と思って、とても嬉しかった。

また、
「自分が自分らしく生きるためには、
“感性を取り戻すこと”だ」
という
話もあり、深く共感したのだった。

そして、あけみちゃんのワークショップや、
リーダーシップ育成の教えの基盤の考え方には、
【感性論哲学】があることを知り、
そこから【感性論哲学】に興味を持った。

アタシは〈人生はすべて体験にある〉と
10代の頃から思っていたし、
だからこそ、さまざまな体験をすることに
意味と価値を置いて人生を選択してきたのだ。

体験そのものも大事だけれど、
そこで“感じること”が大事なわけで、

体験でしか
“本当に知り得る”ことは出来ない

と、思ってる。
というのも、体験を通じて感じたことが、
理性を使って記憶されることで、
はじめて「知った」になると。
アタシの基準の「知る」はソコ。
脳内だけでの“記憶”は、
あまり重要ではない。

だからこそ、
バーチャル世界に異を唱える。
失感情症・失体感症は、
極論、“生きる実感”を失うことだ。
だから、頭でっかちになるなってこと!

体験から“実感”が湧く

何度もいうよ。
〈体験こそが大事〉
生(なま)で感じることでしか、
生きていることを感じられない。

ワークショップが大事なのは、
体験を通して、
“感じる”世界に直接アクセスするからだ。

座学は、結局のところ“思考”でしかない。
そこでずーっと座って学んでいても、
頭に知識・情報は入ってくるだろうが、
何も動いてない。

アタシの感覚でいう、
「本当に知り得る」ことにはならんのだ。
なのに…知った気になる。
知ったと思うから、
やってみようとするけど、
いざ、やろうとすると…できない。
当たり前じゃ、体験してないんだから。

“実感”の奥に“本音”がある

そして、さらには。
【実感】した後にしか、
【本音】っつーのは出てこない。
頭だけの知識や情報、考えでは、
【本音】まで辿り着けないのである。
残念なことに…。
本音って奥深いのよ。。。

そう思うと、
【本音】で言い合えている人って、
どんだけいるんだろ…?
アタシは日常生活において、
あまり出会わないかな。

“実感”することが〈怖い〉という壁

じゃ、みんなはなぜ、
そんなにも頭だけに偏ろうとするのか。
それは〈怖さ〉がそこにはあるから。
感じることを怖がる人って、
めっちゃ多い。

・コントロール出来なくなりそう
・自分の嫌な部分が見えちゃう
・本当の自分がバレてはいけない
・弱い人間なことを認めてしまう
・自分に価値がないことを認めてしまう
・これまで頑張ってきたことが、
 全部崩れてしまいそう。
・自分じゃなくなってしまいそう。

こういった恐怖に襲われるから。
これは自分の“エゴ”や“マインド(思考)”が
創り出した幻想よ!

この壁を乗り越えた先に、
【真の実感】を体験することができ、
そして【本音】と出会える。

ジャッジメントのない世界

【実感と本音】には、
ジャッジメントの世界はない。
〈理性の価値判断〉は存在しない。

感じたことに、善し悪しもないし。
感じたことに、正誤はないし。
感じたことに、優劣はないし。
感じたことに、勝負はないし。

感じたこと、
それが“すべて”なの。
それ以上でも以下でもない。
そして、その感じたことを、
そのまんま伝えることこそが【本音】なの。
その【本音】こそが、
人の心を動かすの。

まとめ

感性論哲学後継者育成講座で、

感性の〈実感〉と〈本音〉に信頼をおく

という話しがあった。
まさに、その通りだと思う。

頭では、言葉としてはわかるけど、
じゃぁ…どうするの?

まずは【実感】を
この身をもって体験しましょう。
その【実感】を体験すると、
自分の奥底にある【本音】が自然と顔出す。
その繰り返しをしていると、
感性で生きるスタンスとなり、
それが自分を生きることになるから。

今年は、
エンカウンターワークショップの
実践を予定しています!!
ワクワクが止まらない〜♡

感じること、生きること、愛すること、
つながること、自分と出会い、
本当の自分で他者と出会う場を創造していくよ。

自分とつながらなければ、
他者とつながることなんて出来ない。
まずは、自分の感性を拓きましょう。

準備が整ったら、
また告知しますね☆

Written by まついゆか

感性論哲学を基盤とした、
子育て講座のモニター募集中です♪

感性論哲学流 愛の子育てレッスン

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“いい子ちゃん”であることの危険性

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これは、ぜひとも
全国のママさんにお伝えしたい!

お子さん、“いい子ちゃん”に
なっていませんか??

今日は、子どもが“いい子ちゃん”
であることのリスクについて、
お伝えしまーす!

“いい子ちゃん”=従順な子

元々の性格や基質として、
“おとなしい子”というのと、
元々の性格や基質はそうでないのに、
親に合わせて“いい子ちゃん”でいる子
…とでは、全く異なる!

この「親に合わせて“いい子ちゃん”で
いる子ども」は、大人になってから、
とても苦労することが多い。

まさにアタシ自身がそうであるし、
また周囲でも苦労している人が多いからだ。

“いい子ちゃん”は親からすると、
とても好都合であり、
有り難いと思ってしまいがち。
けれども、その子どもの“いい子ちゃん”
に甘んじてしまっていると、
その子が大人になった時に、
いろんな形で障害になることがある。

お子さんが大人になった時、
生きることに苦しさを感じて欲しくないよね?

親の言う通り、親の顔色を伺う子

アタシはまさに、
そんな子どもだった。
反抗期がなかった。

親の言う通りにしようと思っていたし、
常に親の(特に母親)の顔色を常に見て、
立ち居振る舞いをしていたのだ。
無意識のうちにね。


そのココロは…

いかに“怒られないか”

が基準である。

常に、母親に怒られないか否かが、
アタシにとっての行動基準になっていたし、
母親に声かけられる度に、すぐ
「あ、何か悪いことしちゃったかな?」と
いう言葉が思い浮かぶ。
だから、生きていることの基準が常に、
「怒られないように」というところにあった。

そう思うと、
子どもの頃のアタシにとって、
家庭というのはなかなかのサバイバル
だったんだと思う。
休まることはなかったのかもしれない。
安心することはなかったのかもしれない。
おかげさまで、
身体がカチコチに硬くなった(笑)

〈アダルトチルドレン〉による不都合

〈アダルトチルドレン〉という言葉も、
最近では馴染んできたように思える。
以前より耳にすることも多くなってきたし、
その自覚をする人も増えてきたと思う。

元々は、アルコール依存症の親の元で育った
人のことを意味していたけれども、
昨今では「機能不全家族」で育った人全般が、
大人になって生きづらさを感じており、
子どもの頃の家族関係で、

子どもらしく生きられなかった人

も、〈アダルトチルドレン〉としている。

「機能不全家族」というのは、
健全に機能していない家族であり、

* 身体的・性的・精神的虐待の起こっている家族
* 仲が(夫婦間や嫁姑間)悪い家族
* 怒りの爆発する家族
* 愛のない冷たい家族
* 親の期待が大き過ぎる家族
* お金・仕事・学歴だけが重視される家族
* 他人の目を気にする、表面だけがよい家族
* 秘密があまりにも多い家族
* 親と子どもの関係が逆転している家族
* 子どもを過度に甘やかし溺愛する家族
* アディクション(依存症)のある家族
* 他人(兄弟姉妹も含む)と比較される家族
* 親が病気がち、留守がちな家族
* 情緒不安定な親のいる家族             

など(西尾和美)

「こころのこくばん」さんブログより

この、西尾和美さんは、長年
〈アダルトチルドレン〉に特化した
心理療法家で、彼女は多くの著書を
出しており、とても読みやすいよ!

その西尾さん曰く、
日本人の80%以上が〈アダルトチルドレン〉
(以後、AC)だと言います。
それを言われていたのが、
もう10年以上前の話しなので、
今はもっと増えている気がする。

そして、この先もさらに増え続け、
90%以上になるんではないかというのが、
アタシの予測です!

“いい子ちゃん”による弊害

さて、話しは少し前に戻り。
“いい子ちゃん”による弊害は、
実際にどういうことかっていうと…

とにかく生きづらい!

恋愛も、仕事も、
人間関係も、お金も。
なんだかわからないけれど、

うまくいかない!

…ということが、起こるの。

昨日、心友と話しをしていて、
アタシもそうだし、
彼女もそうなんだけれども、
心友であり、AC仲間でもある。

そして自分たちの人生から、
「なぜこんな風になっちゃったのか?」を、
紐解いてみた。
そしたらね、すごいことがわかった!!

子どもの頃に“オトナ”やってたから

ACは機能不全家族の中で、
子どもながらに頑張って大人になろうと、
無理に背伸びしていた。
だから「アダルトチルドレン」というしね。

親の不仲を仲直りさせるため、
両親の愚痴の聞き役をやったり。
(↑これ、アタシね)

父親の虐待から、
母親を守ろうとして、
自分がわざと悪いことをするとか。

留守がちな親に代わって、
兄弟の面倒を見ようとしたりとか。

家族の中で、安心・安全を得るため、
自分に出来ることはなんだろうって考え、
そして、自分の出来ることを、
子どもながらに精一杯やっていた。
そんなことに意識が向いているもんだから、

“子ども”を思いっきりやっていない
“子ども”を思いっきり生きていない

(↑ここ、超重要!)
という、子ども時代を送っている。

ACは子どもの頃から、
役割・責任の肩代わりをしちゃってるから、
オトナ並みの使命感・責任感・義務を、
無意識に背負っちゃってる。

それが大人になってからも、
ずーっと残り続けているし、
その生き方が当たり前だと思ってる。

だからね…人から見ると、
一目瞭然…

重いわけ!!!

ACが大人になってやるべきこと

ACの人が大人になってやるべきこと。
それはね、たった一つだけよ。

子どもに戻ろう♡

…ってこと。

これまで背負ってきちゃった、
使命感、責任感、義務感を降ろして、
子どもの頃に戻って、
自分の自由を取り戻すこと。

だって、“子ども”やってないんだもん。
“子ども”の修了証、受け取ってないもの。
飛び級しすぎちゃったのよ(笑)

だから…
・心から楽しむ
・自分にワガママになる
・「イヤ」ってちゃんと言う
・「やってちょうだい」と甘える
・「これ、欲しい」とオーダーする
・感じたまんま、表現をする

子ども時代には、“子ども”をやらせるべし!

だから、子育て中の皆さんには、
ぜひともお願いしたい。

お子さんの子ども時代には、
“子ども”を思いっきりやらせてあげてください。

感じるままを受け入れ、
感じるままを許し、
感じるままを愛し、
「あれして、これして」に耳を傾け、
“どんなアナタでも愛してるよ”という
メッセージを送り続けること。

ACの生きづらさは、
大人になってからさまざまなシーンで、
影響が出てくるもの。
犯罪者のほぼ100%はACよ。

アタシはACで、
そして心理学に出会って、
とても助かったことがいっぱいある。
けれど出来れば、
健全で生きていけることほど、
幸せなことはないよね。

今の時代、そしてこれからの時代。
もっと加速していくと思われる、ACの繁殖。
自分がそうだったから、
もちろん、サポート側に回るよ。

けれどもね、
子育て中のママ・パパには、
ぜひとも意識しておいて欲しい。
“いい子ちゃん”のリスク。

Written by まついゆか

我が子をアダルトチルドレンにしない子育て!
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【番外編】パニクった時、自分のパターンが浮き彫りに…

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今、ケンカ・対立に関するシリーズものを
書いておりますが、ちょっと番外編を
はさみたいと思います。
…今日起こった出来事を書きたくて!!

パニックになった時、要するにトラブルが
起こって自分の想定外のことが起きた時、
自分の行動パターンや思考のパターンが
出やすいってこと、実感したのー!
こんな時こそ、自己分析をする
絶好のチャンス☆ 
ピンチを“自分を知る”材料にしてしまおう〜♪♪

そもそも…確認が甘ぁ〜い!!

そもそも論ですが。
アタシって確認が甘いってこと、
改めて実感しちゃったよ(笑)
これね、昔っから。よく言われてきたやつ。
もはや癖だわ。。。

今日は10:00〜免許証更新の講習会があったのだ。
うちから歩いて10分ほどの警察署で行われると
【思い込んで】いたアタシは、9:35に家を出た。

いざ警察署に到着すると…
何の案内も出ていない。
「はて?…フツーさ、講習会会場はコチラ的な
やつあるじゃん!不親切だな!」って思ってた。

けれども、人は少ないし…
落ち着いている雰囲気だし…
なんだか…変。
そこでようやく、手元の案内用紙を見た。
すると会場は、な、な、なんと!!
「区役所」って書かれているではないの!!!
…その時点で時刻は9時50分。

現実と直面してからの動き

ようやく、アタシの頭の中で「場所が違う」って
ことが認識された。
そして、それを疑うかのように(笑)
…警察の人に尋ねる。

「区役所ってどこですか?」

と…ナゾの質問。
何年住んでるんだよ!!って感じですが。
すると警察署のお姉さんが
「◯◯町のところです。もうこの時間だと…
間に合わないですね…」と呟く。
警察署から区役所まで、駅でいうと3駅ある。
「タクシーなら間に合うかも!!!」と告げて、
警察署を飛び出した。

すぐにタクシーを捕まえ、
タクシー運転手にお願いをする。
「区役所まで急いでーーー!!!」って。。
なんて自己中なお客だろうか。

アタシ:「何分で到着しますか???」
運転手:「10分かなぁ…」
アタシ:「10分じゃ間に合わない!!」
運転手:「何分に着けば良いんですか?」
アタシ:「10時前!!」

…と、これまたナゾの会話。
それでもタクシー運転手さんは、
とても頑張ってくれた。
そしてハラハラした気持ちで
タクシーに乗っていた時に、
手元の案内用紙を再度見る。

あら…午後1:30〜の回があるけど…?

でも、タクシーに乗っちゃった。
運転手さんに急げと尻を叩いてしまった。
引き下がるわけに…いかない。

なにかと“ジャマ”される感覚

それでも、なんとか…もしかしたら奇跡的に
間に合うかも!?…という兆しが
見えてきたときである。

ピーポーピーポー

救急車だ。当然止まるよね。
脇に寄って、救急車を優先させる。
人として、ルールとして当たり前よね。

そして救急車が我々タクシーを追い越した後、
引き続き運転手さんは
ふっ飛ばし頑張ってくれた。
そして裏道を使って、救急車を再び追い越した。
けれども、追い越した矢先…
やっぱり追いつかれた。
そして追い抜かれた。
そして…

救急車渋滞が起こった・・・

そんな時、湧き上がってくる
ぶっちゃけた正直な気持ち。

「何かとジャマされる感覚」

ってやつがアタシの心を支配した。
赤信号も救急車も渋滞も、
何もかもがジャマしているように感じた。
なんて勝手なヤツ…

“ジャマ”される感覚 Part2

そして到着したのは9:59! 
ギリギリ滑り込みセーフってことも、
まだ可能性として残っていた。
ところが‥
会場となる「公会堂」ってやつが分からない。
エレベーター横に案内のおばさんがいた。

アタシ:「公会堂ってドコですか!?」
おばさん:「‥公会堂ってホールのことですか?」
アタシ:「(知らんがな!)…公会堂です!」
おばさん:「免許証の講習でしょうか?」
アタシ:「そうです!!!!!!」
おばさん:「こちら隣のエレベーターで3Fです」
アタシ:「ども!」

なんだか回りくどい会話に感じた。

そしてエレベーターのボタンを押す。
・・・
・・・
・・・来ない。

イラつきながら待っていて、
エレベーターボタン下の張り紙に
ふと目がいった。
「免許証講習(公会堂)は3Fです」と。
…ここに書いてあるじゃん。
でも当然のことながら、
まったく目に入ってなかった。

・・・来ない。
・・・まだ?(怒)
もはや時計を恐ろしくて見ることは出来ない。

チーン…ようやく来た!! そして3Fへ。
到着時間 10:02。
扉は固く閉ざされていた。。。
「どうにかならんもんか」と
外から眺めてみたら、お兄さんが来た。

「もう講習始まってるんで、入れません。
次は午後1:30〜です。
受付は30分前の1:00〜です。」

ですよね。。
おばちゃんとエレベーターに
ジャマされたような感覚に、
またしても陥った。
なんて勝手なヤツ…

トラブルで見えてくる自分のパターン

ということで、アタシのパターンとしては。
・確認が甘い
・一応、なんとかしようと最大限の努力はする
・が、視野が狭くなり、
 周囲は何も見えず、ただひたすら走る
・ブンブンと走りながら、
 起こってくることを人のせいにする

そういえば、トラブルだけじゃなく
普段のときだってそうだ。
・ちょっとしたことを、すぐに信じ込む。
 (=思い込む)
・思い込んだら、そこに一点集中。
・周りが見えなくなり、
 そこだけを信じ切ってしまう。
・そして、そこに対する最大限の努力は
 惜しまない。
・ひたすら思い込みのまま、走り続ける。
 しかも超特急で。
・結果的に人のせいにすることをしたり、
 自分自身も疲れる
全ては自分の【思い込み】が
作り上げたことなのに。。。

自分への教訓としよう

今日の出来事は、自分への教訓としよう。
・すぐに思い込むな
・そう簡単に信じ込むな
・多角的に捉えよ
・努力はするけれど、コツコツと
・異様なスピードで走るのは気をつけよう
こうすれば、きっと人のせいにすることも、
自分が疲れることもなくなるであろう。
そう、これは自動的に反応しちゃう
パターンだったのだから。

そんなことを考えながら、
一旦区役所を後にした。
自分への振り返りを終えると、心はスッキリ。
「自分に起きたことをそのまま受け入れよう」
って思ったら、余裕のできた時間をどう使おうか
…と頭を切り替えられるようになった。
そして、後回しにしていた買い物に行った。

いろんな人をブンブン振り回して学ぶ

今日もいろんな人を、
ブンブン振り回してしまったな…と思いつつ、
学ばせていただいたことに感謝、感謝。
皆さま、
アタシの人生の気づきに貢献してくれて、
ありがとうございました。

一人じゃ学べない。一人じゃ何も見えない。
ひと様を通して自分が映り、ひと様を通して、
気づきが起こる。
ありがたき存在の他者であり世界である。

全て自分に起こることは、
自分の気づきのためでしかないな。
今日も世界と他者と自分に感謝!

Written by まついゆか

自分のパターンを知って、
学びに変えていこう!!

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“ケンカ”(対立)こそが、関係を深めるとき!シリーズ②

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さてさて、シリーズ②は【“ケンカ”の表現方法】についてね!
シリーズ①では、「“ケンカ”が勃発するワケ」について書きました。

前回ブログ:“ケンカ”(対立)こそが、関係を深めるとき!シリーズ①

おさらい兼ねてポイントをまとめると…
● “ケンカ”は〈お互いの正しさを主張し合った対立〉である
● 正しさを主張する理由は、心の安定を図るための隠された願望がある
● ケンカの流れというのは…
 ①コミュニケーションの中で、聞き捨てならない意見・価値観をキャッチ!
 ②自分の奥底で渦巻く“なにか”が騒ぎ出す
 ③相手の異なる意見・価値観を受け容れられないと判断
 ④反発、抵抗、拒否、否定、非難をする=ケンカを吹っかける
 ⑤それに対して相手も反応を示す‥大なり小なり“ケンカ”(対立)が起こる
 ⑥虚無感、疲弊感、空虚感など味わう
 ⑦離別、距離が遠くなる、繋がりが切れる

こんなことを書きました!!
ということで、第2弾「ケンカの表現方法」について、早速いきましょう!!

シリーズ② “ケンカ”の表現方法

同じ“ケンカ”でも無言派と衝突派がいる。これはあくまでも表現の違いであって、どっちが良くて、どっちが悪いっていうことはないからね。

衝突派はアクティブな表現をする傾向があるし、無言派はおとなしく黙ってしまう傾向がある。人によっては両面持っているしね。表現パターンがあるよっていう話し。

で、衝突派はあからさまに〈THE・ケンカ〉っていうのがわかりやすい。主張しすぎるタイプ。

たまに電車でもいるよねー、知らない人にケンカを吹っかける人。「あ〜ぁ、気分悪い!」っていっつもアタシは思ってるよ。肩がぶつかっただの何だのって…「お前が中心で地球は回っとらん!」と思う。まさしく、「オレが正しい」とか、「オレが強い」ということを思い込んでいる人ね。

で、無言派は“ケンカ”が表面的に見えなかったりする。冷戦状態だから空気が凍りついてて「逆に怖いわ!!」というやつ。

こっちは、なかなかの厄介者であり質悪い。なぜなら自分の正しさを主張しないから、理解ができない。主張してこないのに、あきらかに否定している感じや態度は伝わってくる。非主張タイプ。

“ケンカ”が表面的にわかりやすいのは衝突派なんだけれども、日本人はなかなか自己主張ってものが苦手なもんだから、無言派も多くいることでしょう。

場合によっては、片方は衝突派で片方は無言派ということもある。夫婦とかでもね。例えば、奥さんが衝突派だと家で文句を夫に言い続ける。

夫は無言派だから、ひたすらそれを我慢して聞き続ける。そのうち…夫はお家に帰ってこなくなる…みたいなこと、よくあるのよね。

そして、家に帰ってこないことを、また奥さんはガミガミと怒る。

この繰り返しとかね。

そして、無言派の人たちは積もりに積もっていくると、“爆発”っていうことが起こる。“爆発”は衝突派の怒りの数百倍もの威力がある。だって、これまで溜めてきてるんだもの。「堪忍袋の緒が切れる」という言葉があるくらいだから、やっぱり日本人は我慢強いというか、忍耐強いというか…“和”を重んじるがあまりに、自己主張を表現するのは昔から不得意だよね。

そして、そのタイミングでよく起こりやすいのが〈浮気〉ね。無言派の夫は捌け口を別の女性に求めてしまう。女性以外でもパチンコとか麻雀とか、スナック通いとか…いろいろね。ま、この話しをすると脱線するので、これはまた別の機会に。

とにかく、衝突派と無言派がいて…

A)衝突✕衝突
  =いつもケンカが絶えない


B)衝突✕無言
  =衝突派が一方的にケンカを吹っかける、無言派は溜め込む


C)無言✕無言
  =お互いに何を考えているかわからず、
   自然消滅とか表面的にキレイな別れ方をしようとする。
   要するに、本心で交わっていない仮面カップル。

“ケンカ”するほど仲がいいってホント?

よく「ケンカするほど、仲がいい」って言うよね。これ、ホントかって…アタシは本当だと思う。先述のとおり、お互いが無言同士だと、結局は〈本心での交わり〉をしていないってこと。

“ケンカ”をすると、お互いに湧いてくる〈感情〉があるじゃない?この〈感情〉が、とっっっっっても重要な役割を果たしているの。なぜなら…

〈感情〉って嘘つけないから。

それこそが、本心なわけ。

だから、感情的になっているということは、本心をさらけ出していることになっているわけだから、〈衝突✕衝突〉のお二人はケンカが絶えなくて疲弊するかもしれないけれど、〈無言✕無言〉よりかは関わり合いとして深い。
ケンカは相手を信頼していたり、わかってほしいと思っている相手だからこそぶつけるのであって、そんな相手じゃなかったら体力・エネルギー使って、わざわざ“ケンカ”する必要なんて…まるでないもんね!
だから、〈無言✕無言〉カップルより、“ケンカ”するカップルの方が仲がいいっていうのは、ある意味ホントだと思う。

まとめ

ということで、“ケンカ”した時の表現方法としては、“一般的に”大きく2パターンあるっていう話し。衝突派(アクティブ派)と、無言派(非主張派)。
これはあくまでも、“一般的”にね。一般的というか…よく使われている、そして知られている表現としては…ってことかな。

…で、2パターンの表現があったところで、どうやったらそれが解決に向かうのか?ということ。関係が深められるのか?ってこと。そこが肝心だし、そこを知りたいよね。
関係を深めるステップについては、またシリーズの後半でまとめていくからね!今回はここまで。

次回のシリーズ③は【“ケンカ”のキーポイントは〈心の傷〉】についてだよ。お楽しみに♪

Written by まついゆか

ケンカや対立に悩んだら…
個人セッションで〈自分の正しさ〉を発見し、

自分の〈表現パターン〉を振り返ってみよう〜☆

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最強の“ジブンの愛し方”

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以前、「自分を愛すること」を最優先にやらなくてはいけないことだ…ということについて書いた。

★ブログ:一番やらなきゃいけないことがわかった。★

その時に、「どうしたら自分を愛せるようになるのか?」ということについても少しだけ触れた。
昨日、ちょうど旬なネタで、剛力彩芽さんがインスタで…

自分をスキになる。とか、自分を大切にする。ってなんだろう、どういうことだろう。ってずっとかんがえています。

Instagram @ayame_goriki_official

と投稿していたことが、Webニュースに出ていた。
「そうかぁ…剛力さんでも、そんなこと思うんだなー」なんて思った今日このごろ。みんな、悩んでいるのだね。

そこで!
ここ最近感じている“最強のジブンの愛し方”が見えてきたので、それについて今回は書いちゃうよ!

“ジブンを愛すること”に対する勘違い

そんな簡単に「自分を愛するんだよ」なんて言うなよ!!…って思ったりしません? 知っとるわ!自分を愛することが大事なんてこと、薄々気づいとるわ!
けれど…実際、どうやんのよ? 教えてくれよぉ〜…ってことですよね。

ここで、よく耳にする“ジブンを愛すること”に対する勘違いを並べてみましょ!
* 自分を愛すると、自分勝手でワガママな人間になりそう
* 自分を愛すると、他人を押しのけ、意地悪な人間になりそう
* 自分を愛すると、自分が怠けてしまいそう
* 自分を愛すると、何もしなくなってダメ人間になりそう
こんなことが頭に浮かぶ人も多くいるかと。

でもね、これってなかなかの勘違いっす。勘違いっていうかね…表現が難しいんだけどね…ズバリ言うと。

次元が違う話しなんだよね!

じゃ、“ジブンを愛する”っていう状態は?

次元が違うって言われても、まぁ困るよね。じゃ、“ジブンを愛する”ってどういう状態で、どういう次元かっつーと…

【あるがままの私を、そのまんま自分で受容する】

ってことなんよ。
「自分を愛すると◯◯になりそう」っていう考えを持ってるってことはね、実は他人の目をめっちゃ気にしてるってことなんよ。他人の目を気にして、自分の在り方(態度・姿勢・言動・振る舞い等)を決めてるってことは、あるがままの私をそのまんま受容していることにはならないわけ。

他人の目をめっちゃ気にしてることを【他人軸の生き方】なんて言うけれど、その次元と、他人の目なんか気にせず、あるがままの自分で堂々と生きている【自分軸の生き方】という次元だと全く世界が違う。見え方も違う。当然のことながら、それが自分の態度・姿勢・言動・振る舞いなどに現れてくる。

で、【他人軸の生き方】をしている限り、本当の自分の生き方なんて出来るわけがない。
* 自分勝手でワガママになると、人が離れてしまいそう
* 他人を押しのけ意地悪になると、人に嫌われてしまいそう
* 怠けていると、誰かに責められそう
* 何もしてないと、誰からも信頼されなそう
こうやって他人の目を気にしてるもんだから、いつまでも〈自分にOK〉が出せない。ってことは、自分で自分をNGとしている。

【自分軸の生き方】をしている人というのは、どんな状態の自分であっても、他人になんと言われようとも〈自分にOK〉が出せているのだ。

↑これ、めっちゃ大事なこと言ったよ!!メモして、メモ!

【自分軸の生き方】のポイント

では、この【自分軸の生き方】で最大のポイントになるのはどこかっつーと、“ジブンの本音”なんよ。みなさま、自分の本音に気づいているかしらん?
本音っていうのは、心の中で呟いていることだったり、心の中に湧き上がってくる感情だったり、身体が感じている感覚だったりに現れている。この呟きや感じていることに、〈善い・悪い〉ってことは何一つない。

だって、アタシが感じてるんだもーん!

という世界である。
けれど、本音をそのままアウトプットしちゃうと、他人からどう思われるか…?というところを気にしちゃうがために、言うことや表現することを押さえたり、やめたり。時と場合によって嘘をついたり。自分の本音なんてなかったかのように無視をしたり…そんなことをする。
どう? してるっしょ?? しかも…ごく当たり前のように。

このように、自分の本音を自分の内側に溜め込んでいるうちに、そして誤魔化しているうちに、本当の自分がわからなくなって迷子になるのじゃ。

〈あるがままのアタシ〉で生きていけるの?

「あるがままのアタシ」っていうのが、〈感じたまんま・心の呟きのまんま〉なわけだけれども、そりゃー社会生活を送るにあたって、人から嫌われたくない、信頼を失いたくない、責められたくない…ってあるよね。
うん、うん、アタシにだってあるわ!

じゃ、どうやって社会を生きていくのさ?ってことですよ。
一番シンプルなのが、

別に万人に好かれなくてもよくね?

…ってことね。この世の全員に好かれるなんてこと、まずもって不可能だからね!人はいろんなことを勝手に投影している。自分が相手の投影される対象になることだって当然あるわけで、それはこっちがコントロールすることは出来ない。これを【他人の領域】っていう。

例えばね。アタシが相手に対して連絡を怠っていて、それに激怒してくる人がいたとするじゃん。そんな人が、たいてい言ってくる言葉が、「連絡を無視するなんて、信じられない!人でなし!!酷い人間だわ!!」なんてことを言ってくるわけですよ。裏を返せば、「私をもっと大事に扱いなさいよ」っていうことだったりする。ということは、その人が自分自身のことを大事に扱ってないから、「連絡を無視される=大事に扱われない」という変換を勝手にしちゃって激怒するわけ。

こうやって、人は勝手に誰か(物とかの場合ももちろんある)に投影をして、それを否定・批判をすることで、自分の心の平穏を保とうとする。これはれっきとした心の防衛反応。もうね、人の心理としてしょーがないの!

だからね、アタシやあなたが〈あるがまま〉で生きようと、生きなかろうと、変わんないわけ。それだったら、自由に〈あるがまま〉生きるほうが楽じゃない?

誰かのために生きてるんじゃない。アタシは自分のために生きている。だから〈あるがままのアタシ〉で生きていけばいいよ。フツーに。
しかも〈あるがままのアタシ〉を自分が認識できていないと、この後にある〈そのまんま自分で受容する〉ってことが出来ない。〈あるがままのアタシ〉を否定していたら、受容もクソもないわけ。

だから、はじめの一歩ね。
万人に好かれなくていいから。人が嫌うかどうかは相手の領域だから。
〈あるがままのアタシ=本音〉をまずは知ること。

か〜ら〜の〜〈そのまんま自分で受容する〉

第2ステップね。それが“受容”ってこと。ここも大事だよ。自分の本音を知ったところで、それを受容できなきゃ自分を愛していることにならん。
“受容”って難しい言葉のように感じるかもだけど、簡単に言うと、ただ【認めてあげる】ってことでいいのよ。認めてあげることは、結果的に受け容れること。本音の存在を自分で認めてあげる。

たまにさ…「お前なんてクソだ!地獄に落ちろーー!!死んでしまえー!」…って思うことだってあるじゃん。そりゃ、何十年も生きていれば、そう思う人に巡り合うことだって当然あるわよね。

それが本音だけど「表現しちゃいかん…」とか、「人を嫌ってはいかん…」なんて思ってると、それを包み隠して表現しないまま、自分の奥底に怒りと共に本音を押し殺す。それが時間が経過してくると、〈恨みつらみ〉になるわけ。

まずは、自分の本音として【地獄に落ちて欲しいと切に願うほど、相手に対してムカついている】ってことを自分で知らないと先に進めない。そして、そこを知ることが出来たら、次のステップとして「私は相手のことを地獄に落ちて欲しいと思うほどの怒りを持っているんだね」と、自分で自分の本音を認めてあげるのよ。すると、不思議なことにスーッと怒り(感情)が落ち着いてくる。

感情というのは“認められたい”わけ。認めてもらえないから暴れるんだよ。誰に認められたいって、子供の頃はそれこそ親だったりするわけだけど、本当は自分で自分を認めてあげたいよね。自分の本音を知って、自分で認めてあげることができたら、それは〈アタシOK〉ってこと。自分で自分にOKが出せたとき、まるっと自分のことを受け容れられる、許してあげられる。

許しは愛だからね。だから、自分を愛することというのは、自分を許すことでもあるのだ。

ワガママと愛することの違い

ちなみに“ワガママ”との違いは何かっつーと。“ワガママ”はね、他人をコントロールしようとする力が無意識レベルで働いているの。要するに、自分が“ワガママ”を言うことによって、相手が言うことをきいてくれるとか。相手の行動を変えようとするとか。これはね、とても幼稚な愛。そもそも愛の質が全く違うのよねー。

【真実の愛】とは、一切コントロールが入らない。なぜなら先述の通り〈受容〉だからね。
ただ、ただ…受け容れるだけ。
ただ、ただ…認めていくだけ。
ただ、ただ…愛するだけ。

“ワガママ”は、前回の記事でも書いたように頭(思考)から発信される。先程の連絡を怠った例でいうと、「あなたは私からの連絡を無視してはならない」っていうのはワガママ。相手からの愛が欲しくて、コントロールしたいから「連絡しなさいよ!」とか、「なぜ連絡よこさないのよ!」とかギャーギャー言って、相手の行動を変えようとさせる。

これは“愛されないこと”への怖れがあり、その感情を自分で受け容れること(認めること)が怖いから、思考で「あなたは私からの連絡を無視するべきではない!」と思い込み、無視されると爆発する…そんな構造。こんなカップルも多いんじゃなかろうか。。
そして結果的にね、“愛されないこと”が実現しちゃうわけ。とても残念なお知らせですが…。自分が一番怖れいていたことが現実化しちゃう。そして「なぜ、私は愛されないのだろうか…?」とげんなりしちゃう…。


最強の“ジブンの愛し方”

ということで、最強の“ジブンの愛し方”というのは、

アタシ、OK!

…と心の底から、腹の底から、スッキリと言い切れること。これが言い切れるようになったとき、〈まるっとジブン受容〉となって、結果的にあるがままのジブンを愛することになる。

そうすると、他者に対しても「アナタがどんな状態であれ、あるがままのアナタを愛しています」となるわけ。どんなに醜いところがあろうとも。どんなに汚いところがあろうとも。どんなに憎いところがあろうとも。自分を受容している量の分だけ、相手を受容することができる。それこそが、真実の愛♡

前回の記事に【自分愛するプロジェクト】として、アタシはヨガに通うってことを書いたけれど、それも単純に「ヨガに通う」という行動面だけで決めたのではなく、自分が大切にされていないって感じた出来事があった時、自分が自分を大切にしていなかった、粗末に扱っていた…という気づきがあったからなの。

自分の“本音”にちゃんと耳を傾けたら、自分が本当は何を求めているのか。自分が自分に何を認めて欲しいと思っているのかが、わかるようになってくる。だからステップとしては、
①本音(心の呟き、感情、身体感覚)に耳を傾ける
②本音を受容する・認めてあげる
③自分のニーズ(本当の願い)に応えてあげる
ということをしていくこと。

そのステップで言うと、アタシの場合は、
①本音で「大切にされてない」と心の呟きがあり
②「大切にされてないって感じたんだね。」と自分で受容をし、そして自分で自分のことを抱きしめた。
③「自分の心も身体も大切にしたい」という自分のニーズがあったので、自分の心も身体も大切にする行動として、時間とお金をかけて自分自身の心と身体を労っていく&磨いてことを選択した。その一歩としてヨガ!
・・・ということになったわけ。

ぜひとも地道に続けてほしい。本音に気づき、本音を受容し、そして本音からの願いを聴いてあげることを。その積み重ねが、【アタシOK】につながっていくから。剛力さんにも届けー(笑)

Written by まついゆか

ジブンを愛するステップ①〜③をサポートいたします♡

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頭デッカっち星人たちよ!

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2019年も引き続き、学びをし続けて忙しい日々を送っております。あちこちに学びに行っていて、とても大きなことに気づいた!!!

それは、日本人たちよ…

頭デッカっち星人だぞ!!

…ってこと。

学びどころじゃない。そっちの方が気になって、気になって仕方ないアタシ。。そんな気づきについて、シェアしたいと思います!
(もっと学んだことをアウトプットしろよって??…まあまあ。)

心や感性を学んでいるのに…

アタシが顔出す勉強会や講座って、主には心・感情・人間関係・感性に関することばかり。

当然のことながら、それを仕事としているわけだから、心の構造やら感性の構造やら…いろいろ知識として学ぶんだけれども、知識と並行してアタシがやっていることって、自分の心を探求すること。そして、クライアントさんのセラピーを通して、“感じること”に一緒にお付き合いをすること。それが仕事だから、基本姿勢として自分の感情や心、感性にとても敏感であるし、とても繊細であるし、とても意識が向いている。

普段からそのように自分や他人の“感じること”に敏感なだけに、感じることがどういうことなのか。言葉にならない曖昧なことも含めて、感情・感性・心というものが、どんなものなのか。それを体感レベルで知っているわけだ。

けれども、最近の現代人は“理性教育”を受けてきた人たちばかり(アタシも一応そうだけど…笑)。そうすると、そもそも“感じること”自体が分からない人が多いこと、多いこと。感じて生きていたら、乗り越えられなかった“理性教育”がベースだった時代。だからこそ、みんな自分の“感じること”を押し殺して生きてきた。そのため、心や感性のことを学んでいても、実際それがどういうことなのか、どうやったら出来ることなのか…が結びつかないんだと思う。

頭で理解しようとする“心”や“感性”

だから、みんなは先生たちに質問をするの。
「それを実現(実行)するためには、どうすればいいんでしょうか?」
「先生の仰っていることを社内に取り入れようとするならば、何から始めればいいんでしょうか?」
「具体的に…部下たちに何と言えばいいんでしょうか?」などなど。

要するに、心や感性というものを、頭で理解しようとしている。そしてやり方や方法論だけを聞こうとする。
受講生たちの「???」っていうのと、実際に職業としてやっている講師陣たちとの間に、とても大きな溝を感じる。講師陣たちは、当然のことながら心や感性を教えている人たちなので、その視点や立場から回答をする。けれども、講師からの回答をもらっても、どことなく拭いきれない感じの「???」が見えてしまうのは、アタシだけだろうか。

心や感性を実感するには、自分が体験する他、方法はないんだよ〜!! だから、心や感性の講座をするときは、ワークショップ的なことを一緒にやって、実際にその場で体感してもらわないと、本質が伝わらないんじゃないかと思った。もったいない!

頭で理解した知識でカウンセラーになろうとするから

こうして頭で理解した知識だけではとても偏りがあり、また危険を伴うことも多い心理セラピー業界。人の人生に踏み込んでいくこと、セラピストという立場を利用して相手のマインドをコントロールできちゃうところ。セラピスト自身がさまざまな感情を味わい尽くしていないと、相手の感情に付き合うことは出来ない。それだけ、大変な感情労働なんである。

頭デッカっちセラピスト・カウンセラーが充満しているとさえ感じている今日このごろ。当然、知識も大事なんだよ。でも結局のところ、いくら理性に知識ばっかりを詰め込んだところで、感じることをしていなかったらこの仕事は務まらないし、なによりもクライアントへの理解が深まらない。コントロール的なセッションになって、最終的には変な方向へと向かっていく。そんなカウンセリング・セラピーもいっぱいあるのが現状だ。

心・感性は感じるものだから、理解は不要

心や感性は【感じるもの】だから、ぶっちゃけ理性での理解・理屈は不要。“なんだかよくわからない感じ”こそが、【感じているそのもの】なんである。感じることを先にやって、後から理解・知識が入ってくるととても腑に落ちる。体感を伴わないと、心・感性は本当には学べないのだ。

けれども人は、形が見えないものに対して、とても大きな不安を抱く。“なんだかよくわからない感じ”というのを、そのままにしておくことが怖いのだ。だから無理に言葉にしたり、知識にしたり、数値化したり…さまざまな形に当てはめようってする。

アタシは、

心・感性はハッキリと理解しないことや不明確なことに、
意味と価値がある

…って思う。そして、そこがとても大切なのだ。だって、それぞれの人が感じている、とても繊細で軟な部分だからね。その人だけが感じている、とても大切な部分。そう簡単に人に分かってたまるもんか!

…だよね。

インプットがお腹いっぱいと思った理由

なんだかインプットがお腹いっぱいと思った理由は、ここにあると思った。アタシはもう知識を入れたり、頭での理解をしたいんではない。感じることや心を育てていきたいし、また自分自身もそういう場所を提供したいのだ。
自分の中の感じている繊細で軟な部分、自分の感性や直感、そして感情や心を実感できる場所。頭だけの講座は、もう満杯だ。しかも、そういう心や感情・感性を実感できる場所、育める場所ってそんなに多くない。理論を教える講座は山ほどあるのに。

目指せ、心デッカっち星人☆

もうこれ以上、頭デッカっちになるのはやめよう。そして、心デッカっちになろう…って思った。日本人は賢明で真面目だから、勉強熱心だし、努力家だよね。その分、自分を守りたがる性質もあるし、不明確なものに対する不安が強い。
その性質は理解しているけれども・・・

もっと心の冒険しようよ!
頭を大きくすることは休んで、心を耕すことをしようよ!

心デッカっちになるメリットを紹介しちゃうよ!

♡ 幸福感をたくさん感じられるようになる
♡ 人生が楽しくて仕方ない(その代わり、浮き沈みも激しいよ)
♡ 充足感にあふれている
♡ めっちゃ“生きている感”がある
♡ 自分のことを知り、自分を愛おしく思える

これからは感性の時代が到来。もう理性時代は終わっていくのみ。
先日、とある会議でママさんたちが子供の教育について考えていらっしゃいました。なぜ中学受験をさせるのか?何のためにさせるのか?これから求められるのは何なのか?…ママさんたちも試行錯誤されているようです。

もはや理性教育が終わっていく時代へ突入するわけだから、個性を伸ばして、どれだけ尖って生きていけるか‥が今後必要になる生き方。そのためには、子どもたちの奥底に眠っている【◯◯したい】をいかに引き出せるか…そこがポイント。子どもたちの中のニーズを、個性として捉え、そこを伸ばすためのサポートをしてあげるのが大人の役割。

理性は全員が同じ答えにたどり着く教育。そして正しいか間違っているか…の二元で人を判断し価値を図る教育だった。これは経済を発展させるために必要だったの。けれど、もはやその教育は時代遅れになりつつあり、だから不登校の子どもたちが続出する。いいんです、不登校になって。いいんです、自分の中の“違和感”を信じて。国の対応が遅れているだけです。国を作ってる大元が、理性教育を生きてきた人たちだからね。ギャップがあるのよ。

これからは全員が違う答えにたどり着く時代。違う答えを持っているもの同士が、それぞれの長所を活かし合って、新しいものを生み出すクリエイティブな生き方こそが、これからの時代にあった生き方。そのために、一人ひとりが違う心・感性を豊かにし、大切にし、尊重し、活かし合うこと。(By 感世論哲学)

だから時代を先読みして、もう頭デッカっち星人を卒業して、心デッカっち星人へとシフトチェンジせよ!

Written by まついゆか

絶賛心デッカっち星人、育成中です(笑)
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デブ・ケチ体質からの脱出!仮面シリーズ③“完璧なオンナ”

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圧倒的に、アウトプットする時間が足りん!!! インプットが多すぎるという話しもあるが…とにかくバランスを崩していることは明らか。インプットとアウトプットの黄金比率は〈3:7〉である。今の肌感覚だと〈6:4〉くらいだな。
インプットばかりでアウトプットが少ないと何が起こるのか? 
それは、【情報肥満体質】になるってこと。そして【ケチ】ってこと。だって抱え込むことになるからね!要するに・・・

デブでケチってこと!

そんな体質から脱出するため、何が必要なんだろうか‥?ということを考えた。

インプットは不安や怖れからきてる??

インプットすることは大事だよ。学び続けること、情報をアップデートすること、知識を蓄えておくこと。みんな大事。でもそれは、アウトプットすることが前提だってことだね。アウトプットするために、インプットが必要。それ以外のインプットは【不安・怖れ】でしかないんじゃないかって思った。

とてもシンプルな質問を自分に投げかける。
「それ、なんのためにインプット(習得)するの?」ってこと。
インプットした情報を、自分という変換器を通して発信(アウトプット)しないと、その情報や知識は使われないでいる。自分という貯蔵庫に仕舞われるだけで、活かすことは永久にできない。

ただ、アウトプットする時期というものはある。自分の貯蔵庫で熟成させて、頃合いを見計らって美味しくなってからご提供♡ その時期は自分でコントロールすればいいね。それに、インプットした情報・知識を、他のものと組み合わせてアウトプットするってこともあると思う。そのあたりは、インプットの目的が自分の中で明確であればいいんだと思う。

だから、「それ、なんのためにインプットするの?」というところ、抑えておく必要がある。情報ってのは、仕入れた時が一番ホカホカ。「鉄は熱いうちに打て!」…というように、熱いホカホカのうちにアウトプットして循環させるのがベストなんだと思う。

で。
たまーに、インプットを【不安・怖れ】からすることがある。自分の知識不足なんじゃないかとか、自分は足りないんじゃないかっていうもの。あまりにもインプットが多すぎて、情報過多になっているようであれば、そういう方面も見直した方がいいよね。だって、【不安・怖れ】から来ていると「得よう、得よう」とか「ちょうだい、ちょうだい」が続いて、自分の【不安・怖れ】を埋めるためのインプットでしかないから。

アウトプットされない=世の中に提供されない=役立たず

自己満足のためなら、それを“趣味”という。別に趣味ならいいんだけどね。趣味を超えてビジネスや自分の生き様にしたいなら、アウトプットするしかない。

アウトプットのスピードをあげるには?

アウトプットのスピードアップを図るには?? …ということを、考えてみた。どう考えても、とにかく行動するしかないのだ。表現するしかないのだ。どんな形であれ、自分の中から咀嚼→排出するしかないのだ。便秘を解消するしかない!

そこでスピードをアップさせるための一つの方法として思いついたこと。それが、今回もきたよ…【仮面外し作戦】である!!

どんな仮面があるかというと。これも人それぞれかもしれないが、アタシの場合は。。。

完璧であらねば仮面!

これまでも、いくつか仮面シリーズを書いてきた。
仮面シリーズ①:デキるオンナ仮面
仮面シリーズ②:優しいオンナ仮面

それに続く、第3弾は【完璧なオンナ仮面】の取り外し。

“完璧”って何やねん。

そもそも、“完璧”って何? 完璧って言葉、辞書的には〈欠点や足りないところがなく立派なこと〉ですって。
…立派?? リッパ?? 
…欠点や足りないところがない?

はて…? 人ってそんな風になれんじゃろか?

なれるわけないじゃんかー!!

神や仏じゃあるまいし。欠点や足りないところがないってことなんて、そんな人どこにいるんじゃー!
あれ…?以前にも書いたぞ? “完璧”ネタ。

ブログ:生きづれぇ〜アタシ!!

そうそう、このときにも書いていたワ♡
ってことは?

同じこと繰り返してるんかい!!

不完全でアウトプットしてみる?

「“完璧”にしなきゃー!!」なんていう思いが強すぎて、アウトプットが遅れるっていうことは、アタシによく起こること。このブログだってそう。記事として“完璧さ”を自分が求めてるのよねぇ。自分が表現することって、云わば一つの作品みたいな感じがあってさぁ。だから、“完璧さ”を追求してしまう。…そう思うと、意外とアタシ、職人肌??

で、何をもって“完璧”というのかって。美しさとか、わかりやすさとか、流れる感じとか…なによりも〈自分が納得できているか〉ってとこ。やっぱりアタシ…職人肌??

結局のところ、自分の中の〈基準〉があって、そこに達しているかどうかを自分で判断している。そこに達していないものは、世に出してはならぬ‥っていう思い込み。他の人が決める基準は何もなく、自分が勝手にそのラインを引いているだけなんだな。

そこにこだわりすぎちゃうと前に進めないし、めっちゃ時間がかかる。無駄とまでは思わないけど…もうちょっと、短縮できるんじゃないか?って思う。

では、不完全でアウトプットすると…何が起こるかしら?

*未熟って思われそう
*おもしろくない、つまんないって思われそう
*アホって思われそう
…ふと考えてみたけど、このくらい?

そう思われると、自分にとって何が脅かされるのだろう?

*人が離れてしまいそう
*人に嫌われてしまいそう
*人がアタシに興味を持ってくれなそう

…はたして、これは本当ですか?

別にアタシは先生や教授になりたいわけでも、お笑い芸人になりたいわけでもない。どちらかっつーと、職業とか役割が云々ではなく“人間らしく”ありたい。
セラピストってエライわけでもなんでもなく、クライアントとお互いにホンネで関わって、人間らしさを見せ合うってことが一番の寄り添い方なような気がするのよね。こちらが〈一人の人間〉としてホンネで関わる姿勢が、相手の心を開き、信頼を築いていけると。

だから不完全さこそが、“人間らしさ”だったりするわけで。
人の不完全さを見ると、とても愛おしく感じる。
人の不完全さを見ると、とても親しみを感じる。
人の不完全さを見ると、とても安心感を感じる。
これが真実ではないんだろうか?

デブ・ケチの解消方法

というわけで、デブ・ケチの解消方法としては、溜めていたものを流していく!これに尽きるわけです。溜めていたものを流していく=アウトプットすることで循環が起こるわけで、その循環が良いバランスで流れ始めたときに、「フローに乗る」とかっていう言い方が世間ではされているけれど、軌道にのってくるんだね。

で、循環を起こすためには、重い〈完璧なオンナ仮面〉を外して、フットワークを軽めにする。完璧でなくたって、不完全でも愛される自分を信じて。むしろ、その方が愛されるってば。人間くさく生きていこう。

また、自分の不完全さは誰かがフォローしてくれる。サポートしてくれる。ケアしてくれる。だから人は一人じゃない。パートナーがいたり、家族がいたり、仲間がいてくれたりする。一人で生きていく必要はまるでないし、むしろ一人で生きていくなんて、それこそ“つまらない人間”である。

〈完璧なオンナ仮面〉を外し、不完全な自分を許し、不完全な自分をさらけ出し、アウトプットの時間を短縮しながら、全部のエネルギーを回していく。エネルギーっていうのは、自分自身(肉体・精神)愛・お金・知識・情報…いろんなものがあるよ。すべてはエネルギー。これをガシガシ回していくために、自分が抱えている多くの仮面(=囚われや思い込み)を外して身軽にしていく!

今後、不完全なアウトプットがあっても、ご容赦くださいませね♡

Written by まついゆか

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