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女性にとって、“バスト”の存在って
大きなものだと思う。(人によるけど)

アタシにとっての“バスト”は、
「あってもなくても同じ」みたいな、
そんな感覚だった。
今回の一件があるまでは。

スタイルに対するコンプレックスの強さ

アタシは昔から、
自分の体型にコンプレックスがあった。
胸が小さく、けれども下半身はシッカリしている。
そんなバランスの悪い自分の体を、
とても嫌っていて、恥ずかしく思っていた。
だから大事にもしていなかった。

女性同士でお風呂に入るのも嫌だったし、
胸の大きいグラマーな友人を羨ましく思い、
自分の胸は成長が止まってしまったように感じていた。

こんなスタイルの悪いアタシ。
胸の小さな自分は女性としての魅力なんて、
これっぽっちも無いものだと本気で思ってた。
女性として魅力のない自分は、
当然のことながら男性に愛されるわけがないって
これも本気で思っていた。

そのコンプレックスもあってか、
10〜20代は身体を大事にしていなかったし、
女性としての尊厳も低かった。
今となっては信じられないほど。

30代になってからは、あまり気にしなくなる

20代までは、容姿をとても気にしていたし、
お年頃もそういう年齢だったと思う。

けれども30代に入ると、
さほど胸の大きさは気にならなくなってきた。
それは、自分の身体を“あるがまま”受け容れたからであろう。
ある意味、諦めというか(笑)
「まぁ、もうこの身体だから、仕方ないよね!」
そんな気持ちになってきて、
人と比べることもしなくなったし、
コンプレックスを感じることもなくなってきたし、
個性と思えるようになってきた。

小さいのには変わらない(笑)
成長はもう期待できないしww
しかし“女性の魅力”というのは、
別に胸の大きさやスタイルでは無いってことに、
ようやく気づいてきたのは、
30代に入ってからだった。
それまでは目で見て分かりやすい、
「女性の色気・魅力=バスト」と思っていたけれど、
(中高生の男子か!!)
小さなバストだって、
私という存在に女性としての魅力もあれば、
色気だってあるんだと思えるようになってきた。

そしたら男性との付き合い方も、
徐々に変化してきて安定してきた。
身体ではなく“存在”を大切にしてくれる人と付き合うようになったし、
自分も楽になってきた。

右胸の良性腫瘍

今年の初夏、右胸にシコリがあることに気づいた。
「これくらいのシコリ、きっと誰にでもあるよね!」
という、謎の自己流解釈…けれども、左胸には無い。

「まさか…よね?」と思いながら、
健康診断に随分と行っていなかったから、
そのシコリをきっかけに健康診断へ行った。

そしたら、やはり胸のシコリが、
大学病院での再検査になったのだった。

8月〜9月にかけて検査をした結果、
【葉状腫瘍(良性)】と診断された。

癌細胞とは別の腫瘍で、
しかも良性なんだけれども、
大きく成長してしまうので、
医学界では摘出しなくてはいけないとされているらしい。

これまで恵まれたことに、
大きな病気や怪我もなく、
インフルエンザだってかからない、
花粉症にさえならない超健康優良児の自分に、
突如降り掛かってきた全身麻酔での手術。

最初は受け容れられなくて、
散々泣いて、泣いて、仲間たちに支えてもらい、
不安を出し切ったら、
ようやく落ち着いて現実を受け容れられるようになった。

手術することの肚が決まってからは、
特に不安になることもなく、
いたって普通の穏やかな生活をしている。

けれども、ふと昨晩、
「アタシにとっての“バスト”とは…?」について、
思いを巡らすようになった。

無くてもいい存在なんてない

今回の手術は、
腫瘍+腫瘍の周囲を摘出するので、
胸がなくなるわけではない。
乳ガンで全摘出しなくてはならない方も多くいる中で、
本当アタシは恵まれているのである。
ここでは、人と比べることはさておき…

自分にとって、
若い頃からコンプレックスとしてきたバストが、
いざ傷がつくとか、変形するとかって考えると、
「貧乳だからあってもなくても一緒」
なんて思っていた存在が一気にフォーカスされ、
急にバストさんに対する申し訳なさと、
愛おしさが湧いてきた。

こんなにもタフな体力と、
五体満足に生んで&育ててもらって、
胸が小さいだの、お尻が大きいだのを理由に、
自分の身体を大切にせずにいて。
なんて身勝手なんだろう。
改めて、自分の身体に対する愛が無かったことに、
今この状況になって反省をする。

先日、ハイヤーセルフリーディングへ行ってきて、
その時「この病気が伝えてくれるメッセージは?」と
聞いてみたところ、【自己犠牲】と言われた。

まさに「あってもなくても一緒」とし、
自分を粗末に追いやって、
自分の大事なことを中心に置いてこなかった、
自分の生き方を指摘されたようだった。

そして、自分がまさかバストに対して、
「あってもなくても一緒」と思っていたことも、
今回の一件ではじめて気づいた。
アタシという肉体に対して、失礼すぎる!

自己犠牲をやめる人生にシフトチェンジ

そんなに大事にしたくないので、
腫瘍&手術のことは、
一部の人にしか話してなかったけど。
今回の一件からの気づきとして、
書き留めたかったのでブログにしました。

もう自己犠牲をやめて、
自己卑下もやめて、
我慢することもやめて、
自分のことを“無くても一緒”という考えもやめて。
自分中心で生きることをしよう!

今年も自己犠牲、いっぱいしちゃってたなー!
癖になってるから、ついついやっちゃうけど。
自己犠牲って、被害者意識でもあるよね。
もぉ〜やだー!
そんなダサい生き方から脱出するのだ!

自分の肉体を愛し、
自分の存在を愛し、
あるがままの自分に感謝し、
自分の中心を生きよう。
女性としての魅力も、
人間としての魅力も、
十分にあるのだから大丈夫。
まずは、自分が自分を信じてあげる。

学びの多い人生じゃ。

Written by まついゆか

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まつい ゆか綴|Blog女性にとって、“バスト”の存在って大きなものだと思う。(人によるけど) アタシにとっての“バスト”は、「あってもなくても同じ」みたいな、そんな感覚だった。今回の一件があるまでは。 スタイルに対するコンプレックスの強さ アタシは昔から、自分の体型にコンプレックスがあった。胸が小さく、けれども下半身はシッカリしている。そんなバランスの悪い自分の体を、とても嫌っていて、恥ずかしく思っていた。だから大事にもしていなかった。 女性同士でお風呂に入るのも嫌だったし、胸の大きいグラマーな友人を羨ましく思い、自分の胸は成長が止まってしまったように感じていた。 こんなスタイルの悪いアタシ。胸の小さな自分は女性としての魅力なんて、これっぽっちも無いものだと本気で思ってた。女性として魅力のない自分は、当然のことながら男性に愛されるわけがないってこれも本気で思っていた。 そのコンプレックスもあってか、10〜20代は身体を大事にしていなかったし、女性としての尊厳も低かった。今となっては信じられないほど。 30代になってからは、あまり気にしなくなる 20代までは、容姿をとても気にしていたし、お年頃もそういう年齢だったと思う。 けれども30代に入ると、さほど胸の大きさは気にならなくなってきた。それは、自分の身体を“あるがまま”受け容れたからであろう。ある意味、諦めというか(笑)「まぁ、もうこの身体だから、仕方ないよね!」そんな気持ちになってきて、人と比べることもしなくなったし、コンプレックスを感じることもなくなってきたし、個性と思えるようになってきた。 小さいのには変わらない(笑)成長はもう期待できないしwwしかし“女性の魅力”というのは、別に胸の大きさやスタイルでは無いってことに、ようやく気づいてきたのは、30代に入ってからだった。それまでは目で見て分かりやすい、「女性の色気・魅力=バスト」と思っていたけれど、(中高生の男子か!!)小さなバストだって、私という存在に女性としての魅力もあれば、色気だってあるんだと思えるようになってきた。 そしたら男性との付き合い方も、徐々に変化してきて安定してきた。身体ではなく“存在”を大切にしてくれる人と付き合うようになったし、自分も楽になってきた。 右胸の良性腫瘍 今年の初夏、右胸にシコリがあることに気づいた。「これくらいのシコリ、きっと誰にでもあるよね!」という、謎の自己流解釈…けれども、左胸には無い。 「まさか…よね?」と思いながら、健康診断に随分と行っていなかったから、そのシコリをきっかけに健康診断へ行った。 そしたら、やはり胸のシコリが、大学病院での再検査になったのだった。 8月〜9月にかけて検査をした結果、【葉状腫瘍(良性)】と診断された。 癌細胞とは別の腫瘍で、しかも良性なんだけれども、大きく成長してしまうので、医学界では摘出しなくてはいけないとされているらしい。 これまで恵まれたことに、大きな病気や怪我もなく、インフルエンザだってかからない、花粉症にさえならない超健康優良児の自分に、突如降り掛かってきた全身麻酔での手術。 最初は受け容れられなくて、散々泣いて、泣いて、仲間たちに支えてもらい、不安を出し切ったら、ようやく落ち着いて現実を受け容れられるようになった。 手術することの肚が決まってからは、特に不安になることもなく、いたって普通の穏やかな生活をしている。 けれども、ふと昨晩、「アタシにとっての“バスト”とは…?」について、思いを巡らすようになった。 無くてもいい存在なんてない 今回の手術は、腫瘍+腫瘍の周囲を摘出するので、胸がなくなるわけではない。乳ガンで全摘出しなくてはならない方も多くいる中で、本当アタシは恵まれているのである。ここでは、人と比べることはさておき… 自分にとって、若い頃からコンプレックスとしてきたバストが、いざ傷がつくとか、変形するとかって考えると、「貧乳だからあってもなくても一緒」なんて思っていた存在が一気にフォーカスされ、急にバストさんに対する申し訳なさと、愛おしさが湧いてきた。 こんなにもタフな体力と、五体満足に生んで&育ててもらって、胸が小さいだの、お尻が大きいだのを理由に、自分の身体を大切にせずにいて。なんて身勝手なんだろう。改めて、自分の身体に対する愛が無かったことに、今この状況になって反省をする。 先日、ハイヤーセルフリーディングへ行ってきて、その時「この病気が伝えてくれるメッセージは?」と聞いてみたところ、【自己犠牲】と言われた。 まさに「あってもなくても一緒」とし、自分を粗末に追いやって、自分の大事なことを中心に置いてこなかった、自分の生き方を指摘されたようだった。 そして、自分がまさかバストに対して、「あってもなくても一緒」と思っていたことも、今回の一件ではじめて気づいた。アタシという肉体に対して、失礼すぎる! 自己犠牲をやめる人生にシフトチェンジ そんなに大事にしたくないので、腫瘍&手術のことは、一部の人にしか話してなかったけど。今回の一件からの気づきとして、書き留めたかったのでブログにしました。 もう自己犠牲をやめて、自己卑下もやめて、我慢することもやめて、自分のことを“無くても一緒”という考えもやめて。自分中心で生きることをしよう! 今年も自己犠牲、いっぱいしちゃってたなー!癖になってるから、ついついやっちゃうけど。自己犠牲って、被害者意識でもあるよね。もぉ〜やだー!そんなダサい生き方から脱出するのだ! 自分の肉体を愛し、自分の存在を愛し、あるがままの自分に感謝し、自分の中心を生きよう。女性としての魅力も、人間としての魅力も、十分にあるのだから大丈夫。まずは、自分が自分を信じてあげる。 学びの多い人生じゃ。 Written by まついゆか心の対話ファシリテーター|企業研修講師|実現プロデューサー まついゆか 公式ブログ