“お金”の意識をシフトチェンジ

LINEで送る
Pocket

もう気づいている人も多いけど。
今は過渡期だから、様々な価値観や概念が
入り組んでいる時だけれど。

アタシの中でもじんわ〜りと浸透してきて、
実感を伴って感覚が変化してきたので、
そのことを認めておこうと思う!

“お金”に対する意味づけ

“お金”に対して意味づけは、
人によって様々。
最近はキャッシュレスも増えてきて、
やんわりと“お金”に対する価値観、
概念やイメージが世間的にも変わりつつある。

アタシの中で“お金”って、
ずーっと「力(Power)」、
しかも「権力」とか「支配力」とか、
そういう感覚のものだった。
なんだか〈絶対的な強いもの〉っていう感じ。

今でもそうやって捉えている人はいるだろうし、
まだまだ多いとも思う。
だから、「お金があれば何でも出来る」って
思っている人だってまだいるんだ。
だから、お金を欲しがる。
お金で支配やコントロールをしたがる。

“お金”を「力」だと思っていると、
そこには上下関係が発生する。
支配するものと、支配されるもの。
強いものと、弱いもの。
立場の高いものと、低いもの。

かく言うアタシも、
「力」という意味づけをしていたので、
お金に支配されていたし、
「力」を持つこと(大金)への恐れがあった。
逆にお金がなくなることは、
力を奪われてしまう…そんな感覚もずっとあった。
力がなくなる、奪われる、気力がなくなる、
元気がなくなる…とても自分が弱くなっていく感じ。
なので、支払いに対しても負のイメージしかなかった。

こうして人は“お金”に対して、
いろんな見方・イメージ・感覚を持っている。
「力」と捉えたり、「手段」と捉えたり、
「価値との交換」と捉えたり…
その見方次第で、いろんな意味づけをし、
またいろんな感覚を持つのだ。
完全に紙切れと銅の塊に、翻弄されている…

“お金”と仕事と力関係

「商流ってすごく上下関係があるよなぁ…」
そんなことを、ふと思った。
それは「お金=権力」という認識の中で、
上から下に流れていくような感覚があるから…か?

実は前々からずっと不思議に思ってて。
「下請け」って言うだけで、
立場が低いイメージがあるけど、
それって、なんでだろ?って。
立場の低い人は上の人にへいこらする。
立場の高い人はふんぞり返る。

自分たちが出来ない仕事を、
やってくださる人たちであって。
っていうか、仕事って全員仲間じゃん。
上も下もなく、それぞれの能力を発揮して、
築き上げていくものであって。
能力に上も下もない。
お仕事を引き受けてくださる人たちに、
「ありがとう」という感謝が“お金”になっているのに。
「お金払ってるんだからやって当たり前でしょ」
みたいな雰囲気で発注者が偉そうにする。
発注者が絶対的な存在としている。

Why?
それって“お金”が「権力」となっているからよね?
そんな社会における暗黙の上下関係が気持ち悪いのだ。

あと、昔はよく
「お客様は神様だ」って言われてたよね。
(今でも言われてたりするのかな…?)
あれも、ずーっと前から不思議だった。

お客様は神様だ!
…なら、

アンタもアタシも神様だよ!

アタシはあなたのお客様になるし、
あなたはアタシのお客様にもなる。
目の前の人だけがお客様じゃなく、
電車の隣に座ってる人だってお客様だ。

すべては価値の循環でしかない。

“お金”は「力」ではなく、「価値」の対価

アタシは〈値引き〉が嫌い。
値引きするのもされるのも。
相手の能力や価値に対して、引き算をする。
なんじゃそりゃー!!

特に物の売買ではなく、
スキルやクリエイティブなものに対して、
発生しやすい。
無形なだけに、曖昧になりがち。

しかしそこには、
その人が身につけてきた多くの学びや知識、
蓄積された技術、ノウハウ。
そして、その人自身を活かしたセンスなど、
目には見えない多くのものが盛り込まれているのだ。
その価値を、こちらから値引くって、
失礼極まりない。

アタシも何度かそういう交渉を受けたことがある。
「通常◯◯円かもだけど、
 知り合いだからまけてよ!」的なこと。
自ら「◯◯円でいいよ」ということなら、
自分で決めたことからいいんだけど。
相手に言われることほど、苦痛で腹立たしいことはない。
アタシの価値は、アタシが決める。
もし結果的に、
金額にそぐわない仕事だったとしたら、
後に交渉すればいい。

だから端から値引きしてくる人とは、
仕事をしません。
アタシの価値を低く見積もられるから。
自己肯定感が下がる一方。
そんな中でベストパフォーマンスなんて、
出来るわけがない。
相手に値引きを要求してくる人は、
大抵自分のことも低く見積もっていたりする。
そんな負の連鎖に巻き込まれるのはゴメンじゃ。

自分が提供するモノ・スキル・成果物(=価値)に対し、
感謝として返ってくるのが“お金”。
その価格を設定しているということは、
それだけの価値を提供する自信があるってこと。
ただ、相手とのモノサシは違うから、
自分の価値はこのくらいだって思ってても、
相手からすると違う‥というズレが生じることも稀にある。
その場合は、話し合いだよね。。

“お金”は「価値」への感謝として

あなた方の提供する食事で空腹を満たしてくれてありがとう。

髪をカットして、私をキレイにしてくれてありがとう。

たくさん話しを聴いてくれて、寄り添ってくれてありがとう。

楽しい場・空間・時間を提供してくれてありがとう。

自分の商品を素敵に仕上げてくれてありがとう。

高い技術と知識と経験でサポートしてくれてありがとう。

困っていることを解決してくれてありがとう。

急いでいる中、送迎してくれてありがとう。

重たいものを遠くから届けてくれてありがとう。

私たちが出来ない仕事をやってくれてありがとう。

“お金”はぜーーーんぶ「ありがとう」の現れ。
「力」→「感謝」へと意識を変えた。

「力」と捉えていた時は、
“お金”の存在がとても怖くて、汚いもので、
いやらしいもので、敬遠していた。
そりゃー貯まらないわ(笑)
だって、無意識でお金を避けていたもの。
ただ、“お金”って循環させるものだと思ってるから、
いっぱい貯め込む必要はないんだけどね。

これって、
「男性性」→「女性性」への変化の一部なのかも。

“お金”に対する意識のシフトチェンジをして、
相手に対する「ありがとう」の気持ちを乗せて、
これからは相手にお渡ししたいと思う。

アタシを満たしてくれて、
ありがとう♡

Written by まついゆか

LINEで送る
Pocket

自分が一番大切にしてること、そして、伝えたいこと

LINEで送る
Pocket

2020年が始まり、早一週間。
自分自身の状態としては、
今年を“ワクワク”と共にスタートしていますが、
世界情勢は厳しいものですね。

オーストラリアの山火事や、
アメリカ・イランの報復合戦。
まだ人々の中には、
多くの対立・葛藤が起きていることを、
こうした世界事情から感じ取ると、
切ないというか、なんというか…言葉になりません。
報復合戦に関しては、
「まだ、そんなことをやっているのか…」と、
呆れてしまいます。
「戦いに戦いで仕返しを」という考えは、
古い・違うということを、
人類はもう知っているのに。

今回のツイッターの呼びかけ、
#IranianCulturalSites 」で世界中から集まる
イランの美しい写真の数々。
『イランの美しい写真をシェア』

なんと美しい街なんでしょう。
いつか行ってみたいなぁ〜!
どうかイランの美しさが守られますよう、
ただ祈るしかありません…。

2019年で一区切り

話は変わって…

ここ4〜5年ほど、とても多くのことを
自分が欲張りすぎていたなぁ〜って、
改めて振り返ると思う。
2019年に限ってではなく。
アタシの場合、とても欲張りさんなので、
2015年頃〜アレコレやって、
その最終年が昨年の2019年だったような気がする。

「人生の必要なプロセス」と考えると、
それはそれで、欠かせない4〜5年だったのだろう。
沢山の世界を見て、沢山の分野に触れて、
沢山の学びを得て、沢山の人と出会い、
沢山のことを収集する時期だったのだ。
2019年でその周期が一旦最後となったに違いない。

ここ5年弱の振り返りと共に、
自分の整理整頓が出来て落ち着き、
ようやく、いろんなことへの執着や手放しが起こった。
まさに2019年は断捨離集大成だったのだ。

シンプルにすると見えてくるもの

2019年の出来事から自分自身を振り返り、
様々なものを手放していこうとすると、
自分にとって〈一番大切なこと〉が見えてくる。

自分の行動や言動、活動は“何を”軸にしていたのか。
そんなことを振り返る年末年始だった。

本当にコレをやりたいんだろうか?
本当にアタシはコレを習得したいんだろうか?
本当にアタシはコレに関わりたいんだろうか?
何度も自分に問うた。

そして、最終的に…

本当はアタシ、何がしたいの?

に辿り着いたのだった。

以前の記事にも書いたように、
アタシは外側からやってくる刺激に対して、
とても反応を示しやすい。
その反応がすぐに行動となるものだから、
次々に目新しいことに手を出しては、
どんどん自分を見失ってゆく。

どの方向に進んでいるかも分からなくなり、
人生の迷子になったのは言うまでもない。
しかも人生において、この経験をするのは、
何度目だろうか…?(←懲りない…笑)

削ぎ落とし、削ぎ落とし。
手放して、手放して。
やめて、やめて。
ようやく見えてくる、たった一つのシンプルなこと。

そのシンプルなことこそ、
自分が一番大切にしているものであり、
また、自分が伝えたいものなんだとわかった。

アタシが大切にしているもの

そして、たどり着いたアタシの“大切にしているもの”。
それは…

体験

だった。

アタシ自身、ずーっと10代の頃から
こだわっているのは、“体験”だということを
思い出したのだ。

「人生はすべて体験だ」

ということに気づいたのが、
確か17〜18歳の頃だった気がする。

幸いにも、
頭が悪かった(=お勉強が出来なかった)ので、
知識や情報を頭脳に詰め込むことが苦手で、
身を持って体験することのほうが、
何倍もの学びになったのだった。

100の情報を仕入れるよりも、
1の体験をする方が、
アタシにとって得意であり、有益だった。
頭に100の知識を入れるよりも、
体全体で1を体験する方が、
アタシにとって理解が進んだ。

だから、大学には行きたくなかった。
自分には向いていなかったし、
無意味に思えていたから。
皆が机に向かって知識や情報を頭に詰め込んでいる間に、
外に出ていろんな多くのことを体験をしようと、
10代後半から“体験”を重視して動いてきた。
なので、多くの職業を体験しているし、
多くの人たちと出会っているし、
いろんな業種を見てきているし、
体験から得た知識とスキルで、
これまでのキャリアを切り拓いてきた。

アタシにとって“学ぶ”というのは、
頭に情報や知識を入れることではなく、
全身を使って体験をし、
身体の神経から体感を通じて、
身を持って理解すること。
もはや“学ぶ”だけに限らない。
“体験”すべてが人生経験となり、
その人生経験の積み重ねが、
人生を彩るものだと信じて、
ずーっと10代から
そのスタンスでやってきたのだ。

アタシが伝えたいこと

「人生はすべて体験だ」

が軸になっているもんだから、
当然アタシが伝えたいことは、
“体験の重要性”について。

重要性じゃないな…重要か否かは、
その人が決めることだからね。
“体験の豊かさ”かな。

だから、人を“体験する世界”へと誘いたい。
その豊かさを伝えたいから。

そして“体験”という点で共通しているのが、
イベントであり、ワークショップなのだ。

だから、アタシはもう、
【体験の場づくり】しかやらない!
体験の場をクリエイトし、
身を持って体験することの素晴らしさを、
体感を通じて伝える。
「体験からの気づきを促すプロ」として、
イベントもワークショップもやっていくのだ!

もうよそ見をしないよう。
もう寄り道をしないよう。
もう遠回りをしないよう。
ここに備忘録として記事にしました!

“わくわく”を源に。
『“わくわく”を創造し、感性を拓く仕掛人』として、
2020年からは進んでいきます☆
名刺も作り変えたぞ!

あぁ〜ようやく“アタシ”っぽい(笑)

Written by まついゆか

LINEで送る
Pocket

2020年の心得

LINEで送る
Pocket

毎年恒例行事の書初め。
本日の午前にやりました〜☆
もう15年くらい、お正月の習慣になってます。

10年前、2010年の書初めは…

10年前のお正月、
2010年の書初めは、

【基】…基本・基礎・基盤を固める
【美】…美しく生きる
【開】…心を開く、自分を開放する、
    外界に対してOpenにいく

という3文字にしていました。

2010年のブログより『2010年!!』

2019年の書初めと振り返り

書初めをすると、
その時に書いた文字の通りの年になることが
多いというのが、アタシの実感。

しかし、昨年だけは違かった!
全然、書初め通りの年にはならなかった…

昨年の3文字の想いとしては、

『自分の中の【輝き】と【愛】を
【咲かせ、咲わせ(わらわせ)る】ことで、
自ずと周囲に与えていくことや
放っていくことに繋がり、
さまざまな循環を引き起こす』

ということでした。

しかし、自分自身が【輝】と【愛】で、
あまり満たされなかった気がする…
だから、咲くことも出来なかった…
そんな2019年だったように思います。

ただ…【やってみること2019】では、
その通りになったのかもww

*人生は何でも実験精神で取り組む!
 →取り組んで、いろいろと手を出しすぎた(笑)

*基本お酒をやめてみる
 →これは無理だったし、やめる必要性がなくなった。
  ダイエットが目的だったが、
  お酒をやめなくてもダイエット出来たから☆

*一旦、お金を手放してみる
 →本当に手放しちゃった…
  「目的はお金に対する〈恐れエンジン〉からの
   脱却」とあるが…確かに、恐れなくなった。

*なんでもアウトプット
 →う〜ん、ここはアウトプットまだ
  足りなかったかもな。。

昨年のブログ→『2019年の心得』

2020年の書初め

昨年のいろいろから、
学んだこと、気づいたことを踏まえ、
今年はというと…

まずはこちら【躍】
“ときめき”とか“ワクワク”とか漢字がないので、
これを一文字で表すとしたら、
何かなーって思っていて、
ピッタリ来るのが【躍】でした。

躍動感、おどりあがる感じ、喜びの現れ。
なんか、そんなようなイメージ。

続いては、こちら【楽】
面白く書きたいと思って、
今年は象形文字で書いてみた☆

こちらも【躍】と似通った感じで、
“ワクワク”の楽しさを大切にしたくて。

「どんぐりをつけた楽器」の
象形から「音楽」を意味する「楽」という漢字が
成り立ち、そこから転じて、「たのしい」
の意味も表すようになった。

「漢字/漢和/語源辞典」より

踊りや音楽、そういった言語以外のことを
活用しながら、身体を動かし、
感性を拓いていく…そんなことをしたいから。
今年は【躍】と【楽】を選びました!

そして、最後の一文字は【自】

◎自ら
◎自然(じねん)→おのずからそうであること。
 ひとりでにそうなること。
◎自由→自らの意思や本性に従っていること
◎自在→意のままであること。

“自分”という軸を中心に、
自らの意志で発信をしていく。
誰に囚われることもなく、
自分の決断で道を切り拓いていく。

“自分”という人間は…

“自分らしさ”は何だろう…と思い返した時、
〈楽しさ、軽やかさ、明るさ、親しみやすさ〉であり、
その“自分”で在る(居る)ことこそが、
貢献をしていくのに最短だと気づいてから、
随分と楽になった。

これまで、何になろうとしてきたのか。
これまで、誰になろうとしてきたのか。

「自分を自分で生きよう」と腑に落ちたら、
これまで何を目指そうとしてたのか、
サッパリ分からなくなった(笑)
単純だから。

なんだか、とってもアタシらしい書初めに
なったような気がする♡
背伸びも無理もしていない等身大のアタシ。

さぁ、今年は踊るように楽しく、
音を楽しむように軽やかに。
アタシらしく明るく親しみを持って。
自分の好きなフィールドで、
自分のしたいように咲こうと思います!

Written by まついゆか

LINEで送る
Pocket

2019年→2020年

LINEで送る
Pocket

新年あけまして
おめでとう

ござりまする〜

来た!2020年!
まったくもって…新年の感覚がありませぬが。
TVも観ないし、出かけないし。
家でコツコツと仕事をしているお正月です。
けれども、いたって心は穏やかでイイ感じ☆

今年はどう生きる!?

昨年から今年にかけて、
自分もそうだし、
世の中(日本)もそうだし、
何かと大きな変化があった。

大きな変革だからこそ、
“大変”だったのね。

今年は、

よっしゃ!
これやったろーー!!

みたいな、感じでもなく。

もう頑張る感じとか、
ちょっとそういうの疲れるから(笑)

自然と自分のまんまで、
自分が“楽しい〜”って
じんわりと思える感覚を大切にしながら、
Myペースに進めたら、
いいんじゃないかって思うんです。

2019年、失ったもの

・お金
・仕事
・恋愛する感覚と性欲
・健康
・所有という概念(物欲)
・5〜6kgのお肉(→これはよかった)

…なんだか、傍から見たら、
超絶不幸な人のように思われるかな(笑)
まぁ、失ったって言っても、
一過性のものだけどね。

2019年、得たもの

・物質やお金が無くても不安に飲まれない精神
・世界に対する信頼
・自己に対する信頼
・失敗を恐れない勇気
・人を怖がらなくなった感覚
・新しい人脈
(特に次世代経営者や透明度の高い人たち)

2020年、やめるもの

・一般社団法人
・個人セッション(カウンセリング)
・いい人、いい子ちゃん
・賢そうなフリ
・人や周囲に合わせること(迎合)
・人のために時間を使うこと

2020年、やるもの

・オリジナルワークショップ
・イベントの仕事
・クリエイティブなこと
※むしろ、これしかやらない

今年はシンプルに生きます。

ということで、
今年はシンプルに生きます。

2019年にいろんなことに手を付けて、
いろんなことを欲張って、
いろんなことを試してみて、
いろいろもがいてみて、
いろんな人も巻き込んで、
それなりに底辺まで行ったけど。

それを沢山やったからこそ行き着いた、
純度の高い、本当にアタシが“やりたいこと”。
それは・・・

クリエイティブな場を創ること
しかなかったんだ〜

自分の“わくわく”に従って生きる

ということで、
自分の“わくわく”センサーに従って、
〈楽しく自分を生きる〉を体現していく…
そんな一年にしていきます!

今年も宜しくお願い致します。

2020年 元日
Written by まついゆか

LINEで送る
Pocket

Myフィールドを耕せ!

LINEで送る
Pocket

前回のブログにもつながる話しだけど。
→前回のブログ
「自分のために生きる」というスタンスでいると、
他人さまのフィールドでは息苦しくなる。

人の軸に合わせること。
人の基準に沿うこと。
人の期待に応えること。
人のフィールドで、
自分が伸び伸びと花を咲かせるなんて出来ない。
自分の花を咲かせるためには、
自分の土壌を自ら耕すことだ。

“自分らしさ”の探求

今年もいろいろあった。
随分と遠回りをして、
“自分”を知るための時間もお金も使った。
使い切った…

もう10年以上も自己探求をしているのに、
見えていなかった【本当のアタシ】。
正しくいうと、見えていたんだろうけど、
自分が受け入れてなかっただけだ。
自分が自分を認めていなかっただけだ。
おもしろいもので、
頭で分かっていても、
それを心底自分自身が受け入れていないと、
自分自身が腹落ちしていないと、
〈本当に理解していること〉にはならないのだ。
だから【本当のアタシ】が、
常にどこか別のところに居るんじゃないかって
ずーっと外に探し求めていたけれど、
それは灯台下暗しだったのだ。

例えていうならば、
アタシは対外的に「明るくて、楽しい」っていう
ポジティブなイメージを持たれやすい。
それが人から見えるアタシの姿であり、
実際に人へ見せている性質なのだ。

しかし、これは一つの事実なのに、
それを自分自身が受け入れようとしなかった。
なぜかというと「明るくて、楽しい」というのは、
なんだか薄っぺらい人間のように思えて。
浅はかで軽い人間のように思えて。
だから、明るくて楽しいだけじゃない自分になろうと、
人の深さに寄り添えるよう、背伸びしてきた。

「明るくて、楽しい人」の表層的な一面を流しつつ、
「重みのあって、深い人」になろうとしていた。
しかも、それがセラピストとしての“在り方”で、
重要だとも思っていた。
他人の人生に関わる仕事。
明るくて楽しいだけじゃ、務まらないと思ってた。
だから、一生懸命に人の深さに寄り添おうとし、
共感しようとしていたのだ。

しかし、「明るくて楽しい自分」を無視するもんだから、
全然“らしさ”が出てこない。
セッションをしている中で、
「アタシのやりたいセッションはこうじゃない」という
想いが徐々に強くなっていった。
なぜなら、自分が置き去りだからだ。
人からの借り物でセッションしているようなもんだからだ。
全くオリジナリティがセッションで出ないことに、
とても窮屈さとしんどさを抱えていった。
そして、自分を見失っていった。

「しゃーない!」という潔い諦め

そして、これまた気づきは突然やってきた。

明るくて、楽しくて、軽くて、浅い!
これこそが、紛れもないアタシじゃない?

…って。

人の深さや人生の重みに、
頑張って寄り添おうとしていたけど…
それが愛であり、思いやりだと思ってたけど…
そうじゃないとダメだと思っていたけど…

ごめん!
正直、アタシそれ出来ないわ!
しゃーない!!

と、潔く諦めることにした。

そしてアタシには、
明るくて、楽しくて、
軽やかな特徴を活かして出来ることや、
他のやり方やスタイルがある。
アタシが自分のフィールドで、
自分の花を咲かせることが出来るって。

自分の本質を自分で認め、
自分の性質を自分が最大限に発揮できるよう、
自分で自分の土壌を耕せばいいって。
そこに行き着いたのだった。

自分の曼荼羅づくり

3年前から師匠としている、
岡部明美さんに言われた。

「私は私の学びの曼荼羅があり。
 ゆかちゃんには、ゆかちゃんの曼荼羅があるよ。
 私の知らないことを、
 ゆかちゃんが知っていることもあるだろうし。
 だから、ゆかちゃんがこれまでに学んできたことで、
 自分の曼荼羅を作ったらいいんだよ。」

※曼荼羅とは…
宇宙を示したものと言われるように、
多くの要素を持った集合体。
空間・領域・場を表しており、
つながりを持った世界観が示されている。
「心の知恵袋」さんより)

そう、まさにそうなのだ。

自分の性質を知り、
自分の特徴を知り、
自分の“好き・ときめき”を大切にし、
自分の“ワクワク”を求め、
自分の心の底から求める“want”とつながる。

アタシがこれまでに培ってきた、
数々の経験・体験・知識・情報・出会い…
それは、アタシが自分の中にある、
好き・快・ワクワクを追いかけて、
ジブン曼荼羅を創るために収集してきた素材たち。

この素材を使って、
自分を満たすことをする。
自分を満たすことをしなかったら、
何のためにこれまで多くの時間と、
多額のお金を注ぎ込んでいたのだ!

もう自分がやりたくないこと。
無理して何かになろうとすること。
自分の奥底で「何かが違う…」という声を
無視し続けること…

全部やーめた!

本当に本当に自分の純度の高い“やりたいこと”だけを、
ジブン曼荼羅の中心に置いて、
そのことだけに集中することにした。
それこそが、自分を生きるということだ。

そして「やーめた!」を大切にすると、
不思議なことに、自分の本当に大切にしていることが
浮き彫りになってくるのだ。

これはまた長くなるので、
今日はここまで!

もう人のフィールドでは生きない。
もう自分のフィールドを耕し、大事に育てる。
人の軸・基準・期待には応えません!(宣言)

2019年は断捨離の一年だった。
今年はいろんなものを失った&手放したので、
2020年はゼロからスタートします。

Written by まついゆか

LINEで送る
Pocket

「人のため」をやめます!

LINEで送る
Pocket

アタシはこれまで、
よく「世のため、人のため」と言いながら、
それが自分のミッションだと信じて、
フガフガ鼻息を荒くして、走り続けていた。

あまりにも「世のため、人のため」と思いながら
走り続けていた時期が長すぎて、
その考えこそ自分だと思っていたし、
何の疑いもなくここまできた。

「世のため、人のため」って、
とても正義感があるようだし。
ナゼやるのか…ということも説明もしやすい。
聞こえもいいし、なんだかカッコいい。

しかし、そういうことではなく。
本気で自分の中から湧き上がる社会に対する
疑問や憤り…いろんな想いはあり、
「なんとかしたい!」という気持ちも強く、
その原動力を軸にして、これまで動いてきたのだ。

これまでの「人のため」ストーリー

未来の日本を背負う子供たちの
心を豊かにしたいと思い、
そのためには子供の一番近くにいる“母”という存在を
ケアすることからじゃないのか…と、
心理学を学ぶ一つの理由がそこにあった。
世の中のお母さんの心のケアをしたかった。
そこをスタートにして…

日本の学校教育がおかしいと、
オランダに小学校教育の研修に行ったり。

オランダの教育は教員が教えるのではなく、
ファシリテーター的関わりをしながら、
子どもたちの気づきを促す役割なんだと気づき、
ファシリテーター基礎講座に通ったり。

子どもたちの心を育むため、
また命や人権の尊重を伝えるため、
道徳を民間事業に出来ないだろうか・・という想いで、
イジメをなくすことや、
徳育を軸としたプログラムを考案したり。

現代の子どもたちの“生の声”に触れるため、
チャイルドラインで電話相談のボランティアや、
情報モラル講座を小学校・中学校に出張授業しに行ったり。

その時の繋がりで、
Restorative Justice(RJ=修復的司法)と出会い、
司法分野や福祉分野の方と繋がりが出来たり。

そのRJにとても感銘を受け、
RJをベースにした「関係の仲直り屋さん」となる
メディエーションを事業化したり…。

これまでに「世のため、人のため」を軸に、
いろんなことをやろうとして動いてきた。
世の中を良くするため。
人々に安心と平和な社会をと、
本気で、本気で思い続けて走ってきたのだ。
これが、アタシのミッションだと、
信じ続けていたのだった。

今度こそは!!

いろんな事を、次から次へと生み出し、
「世のため、人のため」を実現させようと、
手探りでやってきた。

けれど、いつまで経っても、
何をやっても、うまく事が運ばない。。。
続ければ、いつしか上昇していくんだろうけど、
モチベーションが継続できない。
その理由も分からずに、
次から次へと手を替え品を替え、
自分のアンテナに引っかかるものを、
手に取っては行動をしてみて…と、
様々なことにチャレンジしてきた。

基本的に行動が早い方なので、
「これだ!」と思ったら、すぐに手を出す!
それが周囲から見ていて、
とても早く展開しているように見えていたようだし、
そんなアタシを「すごい!」と言ってくれる人も多く、
また、「成功しているように見える」とも言われた。
けれども、アタシの中ではいつまで経っても、
シックリ・ピッタリ来る手応えがなかった。

器用貧乏だから、
ぶっちゃけ何でも出来ちゃう。
“それなりに”やり遂げちゃうのだ。

カウンセラーやセラピストにもなれるし。
オリジナル講座を作って回せるし。
新事業も作れるし。
イベントも作れるし。
立派な資料作れちゃうし。
文章も書けるし。
下手じゃないレベルで歌えるし。
MCだって出来るし。
自分でデザインして、チラシも名刺も制作するし。
運転上手だし。
それ相応にプレゼンできるし。
喋れるし、聴けるし。
動画編集だってしちゃうし。

しかし実際のところ、
いろいろとやってみるけれど、
常に「何かが違う…」という心の呟きと、
奥底でくすぶっている違和感を抱えていた。
そして、心のつぶやきや違和感を無視して、
「今度こそは!」と思いながら進んでいた。
自分の中にある想いが、正解だと信じて。

ところがある日、突然気づいちゃった。。

けれど突然、その気づきはやってきた。
なんの予告もなく、突然やってきた。
やってきたというか…降ってきた。

その気づきとは、

「世のため、人のため」って…
肝心のアタシはどこにいるのよ?

自分という存在は横において、
「世のため、人のため」に夢中だった。
世の中をより良くすること、
人の喜ぶことこそが、自分の喜びなんだと、
当たり前のように思ってきた。

しかし、それは自分という存在が、
不在になっていては、
成し遂げられないんじゃないかって。
人が喜ぶことや、世の中が良くなることは、
結果でしかないんじゃないかって。

急に降ってきたかのように悟った。。
そして、自分という存在を横においていることに、
自分でようやく気づいたのだった。

外側から来る情報をキャッチして、
それによって自分の内側が反応して行動する。
そう、これがアタシの生き方のパターンなんだ。
外界からの刺激や情報に影響を受けては、
「これだー!」と思って動く。
だから、行動が早い。
けれど、長続きしない。
人のために頑張ることが、
美徳だと思っていた。

自分の存在価値は、自分で高めよ!

自分が不在で「世のため、人のため」だと、
そりゃーいつまで経っても満たされないよね。
アタシの奥底でくすぶっていた違和感は、
ココだったということが、ようやく腑に落ちた。

「世のため、人のため」と謳って、
いろいろとやってみて、
人が喜んでくれる姿を見たり、
「おかげさまで元気になりました」とかっていう
感想もらったりしたら、一瞬は満たされる。

でも、それって…

自分の存在価値を証明したいだけ

なんだな。。
超絶、ダサいじゃないか!

自分が自分の存在をきちんと承認してあげれば、
「世のため、人のため」なんて頑張らなくても、
「自分のため」に頑張って、
自分を満たすことができる。

そして、自分を満たさないと、
人や世の中に対して影響なんて与えられるわけがない。
そう、ここに長年アタシがハマってきた
罠があったのだったぁー!!

だから、これまでの行動や活動は、
一見良さそうに映っていたけれど、
結局は自分が満たされていないもんだから、
実際のところ、人に伝わらない。
自分が満たされた状態が存在価値を高め、
その存在価値が高まると、
周囲に影響を与えるようになったり、
その結果で、人が付いてきたり、
お金が入ってきたりするのだ。
だから、自分の存在価値を高めるのは、
自分しかいないってこと。

“自分”という芯がなかったら、
そりゃー樹も倒れるよ。

「自分のため」に生きていこう

こんなこと、心底から思ったことなかった。
「自分のため」に生きていこう…なんて。

「自分のため」となると、
どうしても自己中心的なイメージや、
ワガママなイメージがあるけれど。
自己中心やワガママというのは、
自分の欲求を満たすために、
周囲をコントロールすること。

そうではなくて。
自分の欲求を自分が満たしてあげるため、
自分を自由にすること。
それが「自分のため」に生きていくことなんだと思う。

「自分のため」に生きていくことで、
自分が満たされ、
その状態で与える影響が周波数として強く出て、
結果的に人が寄ってくる。
そっちへのシフトチェンジすることを決めた。

2019年、本当いろいろとあった。
相変わらずの外界に反応する自分。
そんな自分に自身が振り回された一年。
公私ともにボロボロだった。

でも今年最後に、この気づきを得られて、
ある意味、とても良かった。
それは今年、ボロボロになったからかもしれない。

次の扉が見えつつある。

Written by まついゆか

LINEで送る
Pocket

ギリギリ戦士

LINEで送る
Pocket

アタシは通称〈ギリギリ戦士〉!
何かをやる時に、ギリギリじゃないとやんない!
・・・って、自慢にならないけど(笑)
でも今日はあえて、
堂々と〈ギリギリ戦士〉を宣言しようと思って!

ギリギリで出来ることを知ってるから?

どうしてこうも、
ギリギリになるのかって…
多分、ギリギリで自分が出来ることを、
これまでの体験から知っているからだよね。

一応これでも、
「今回は時間に余裕を持って…」と取り組み始めるの。
けど、早くから取り組んでも、
結局ダラダラ身の入らない感じの仕事の仕方をして、
直前のギリギリになって、
ギュギュギューって詰める。

時間に余裕があると、
無駄にネットサーフィンしたり。
SNSを見る時間が長くなったり。
とにかく集中力が持続しない。

ギリギリで「ひー!!」って言いながら、
それでもやりきってしまう自分でこれまでも生きてきて。
それが基盤になっているから、
どうしても、そっちの選択しちゃう。

そう思うと、短期間でギュギュギューってやれることこそ、
一つの才能だと思うのよ。

長距離走者じゃなく、短距離走者だな・・アタシ。

“出来ない自分”にフォーカスしない

で、お決まりのパターンとしては、
「ひー!!」と言いながらやってて。
いつも頭をよぎる言葉としては、
「ちゃんと前もってやっておけば、
こんなことにならないのに…」って、
後悔の念が出てくる。。。

そして、その後に決まって呟かれるのが、
「やっぱりアタシってダメだわ」

でもさ、でもさ。
ふと思ったのよ。

それって、“出来ない自分”を強化するための
考えでしかないよねって!

一応〈前もって取り組むチャレンジ〉は、
何度かトライしてみたわけ。
で、結果的に、それだと集中力が散漫して、

アタシのスタイルには合ってなかっただけ。

それを“出来ない自分”にフォーカスして、
「あぁ、アタシってダメだわぁ〜」なんてやってて…

You!何の得があるのさ!?

そんな自分下げみたいな考えをしていることが、
時間の無駄だわ!!

自分は「そのタイプ!」と腹を括る

自分はそのタイプなんだと腹を括ってしまえば、
こっちのもの!

これまでは「やらなきゃ、やらなきゃ・・」と、
常に頭の片隅にやることを置いて、
追われているようで気も休まらない。
ダラダラしている自分にダメ出しをしながら、
中途半端な時間の過ごし方をしていた。

それなら「アタシはギリギリ戦士だから、
2日前から取り組むのだ!」と、
もうスケジュールをブロックしちゃえばいい。

あと2日しかないと思ったら、
ダラダラすることもなく、
むしろ、ものすごい集中力で頑張るであろう。
そんな自分を知ってるから。
そんな自分を信じられているから。

残されたTo Doが気になって
楽しめない休みを過ごすこともなくなり、
“今ここ”を心置きなく楽しむことができるだろう。

“ダメな自分”の影にある、もう一面

ギリギリだろうとも、
やることやってるもん!
それでいーじゃん!

むしろ…

「ギリギリ戦士なので、
 短期間で仕事を仕上げる能力を持ってます!」

こっちの方が真実であり、
逆に長所だわ!!

だったら、ギリギリ戦士というネーミングも
やめたほうがいっか!

スピーディー戦士?
スピーディー仕上げ?
(クリーニングか!写真屋か!)

まぁ、なんでもいい。
とにかく、なかなかお尻に火がつかない
ギリギリ着手型にフォーカスするのではなく、
短時間でスピーディーに仕上げる自分に
フォーカスをすること!

出来ない部分の自分を責めて、
“ダメ”レッテルを貼ってる場合じゃないよ!

ということで、これからも
ギリギリ戦士でやっていきます。
なので、あんまり前もっての依頼をしないでね(笑)

Written by まついゆか

LINEで送る
Pocket

“所有”の概念を手放す

LINEで送る
Pocket

ここ1〜2ヶ月ほどだったか。
“所有する”ということに対して、
疑問を抱くようになり、
最近、“所有”に対する自分の考えを、
人に話すようになった。
ずっと記事に書こうと思っていたけれど、
これを書いてしまうと…

この人…変。

と、理解されないことも多いと思ったし、
誤解されてしまうこともあるかと思ったので
躊躇をしていたんだけれども…

ちょうど、アタシの師匠である明美ちゃんも、
偶然にも同じことを話していたので、
おそらく集合意識であり、
同じような感覚を持っている人がいるような気がして。

だから書いておきたくて仕方がなかったので、
ドキドキしながらも、
アウトプットしてみようと思う!

物質はシェアの時代

もう気づいている人も多いでしょう。
物質がどんどんと“シェア”されている時代に
突入したということを。

カーシェアリング、シェアサイクリング
シェアオフィス、シェアハウス…
最近見たものだとシェア傘とかもね。
洋服だってスタイリストが選んでくれた
服が送られてきて、貸してもらえるし。
結婚式のドレスなんかも、
私ももう5年くらいは専門店で借りている。

物を所有することに対する概念が、
大きく変わりつつあるのが、ここ数年のこと。
“共有する”という概念が、
物質界に入ってきているわけだ。

人間関係で起こる“所有”の感覚

ここからは賛否両論ある話しで。
人によっては、批判をしたくなる人もいると思う。
…ということを前置きした上で。
私の個人的意見として、あえて書きます!

離婚率が増加傾向にあり、
不倫も、もはや特別なものでなくなってきた今。
ここで浮上する疑問が、

んじゃー“婚姻制度”って…ナニよ?

という素朴な「?」が、
私の中に湧いてきた。

家族を形成するためには、
一つのコミュニティーとしてとても大事。
それは分かっている。
人格形成に家族の中での関わり方が、
将来的に大きく影響することは、
知識的にも自分の体験からも知っている。

だから、家族を作りたい!
子供がほしい!
子供を育てたい!
という方には、ぜひ結婚をしてもらいたいし、
家族を作ってもらいたいし、
“家族”というチームを築くことで、
子供たちを守って欲しいとは思う。

そして今回は、
そことは別軸の話しで・・・

人は役割にハマってしまうと、
所有したような気分、
所有されているような気分に
なったりする…人もいる。

例えば、妻であったら、
夫を自分の所有物として扱う人って…いない?
「うちの夫なんてさぁ〜使い物になんないのよー」とか。

例えば、彼女ができたら、
その彼女を自分の所有物として接する人って…いない?
「俺のアイツがさー…」と、“俺のアイツ”呼ばわり。

これね、結構いると思うのよ。
てか、はるか昔、アタシだってそうだった。

この〈関係性=所有〉になっていることについて、
今回は語りたいのであーる。

所有関係は分離と支配を生む

この〈関係性=所有〉という感覚を持っちゃってる人。
自分では、なかなか気づかないんだけど、
要注意ね!

相手を自分のものだと思っちゃうから、
イライラしたり、悲しくなったり、
寂しくなったり、落ち込んだりするわけ。

例えばよ…?
彼氏が出来ました♪
いつでも一緒よ〜私たち♡
アナタは私のものよ〜♡
私もアナタのものよ〜♡
だから、今日の予定教えてね〜♡
誰と会っているか、知って当然だわ〜♡
だって、私はアナタの彼女だから♪

で、彼氏が今日の予定を教えてくれなかったり、
他の女性と会っていたりしたりすると、
めっちゃ怒ったり、悲しんだり、
落ち込んだり、発狂したりするわけ。

いやいやいやいや…
彼は別にアンタのもんじゃねーし!

そこに「彼は私のもの」という
所有したい考えがあるから、
思い通りにならなかった時に、
激しく感情が揺さぶられる。

彼には彼の時間があって。
彼には彼の大切な繋がりやご縁があって。
彼には彼の夢や将来があって。
彼には彼の幸せや喜びがあって。
彼には彼の選択があるから。

相手を所有しようとすることが、
支配しようとするエネルギーとなり、
結果的に分離を生んでしまう。
そして、相手を所有・支配しようとすることで、
自分自身の可能性からも、
自分を分離してしまうことになりかねないのだ。

彼氏がいるから、
他の人との繋がりは切るわ〜♪

なんて、今の時代にいるかわからないけど、
それが“一途”だと思っていたら…
ソレ、間違ってるからね!

“所有”の概念がないと…?

この“所有”の概念がなくなったら、
人間関係はどうなるか。
まさに…

自由

でしかない。

私が誰と一緒にいようと。
私が誰と一緒の時間を過ごそうと。
私が誰と一緒の空間にいようと。
その都度、心地のいいと思える人と、
一緒にいることを選択すればいい。

誰に支配されるわけでもなく。
誰に断りをいれるわけでもなく。
誰に管理・監視されるわけでもなく。
その瞬時に、一緒にいたい人を選べばいい。

自分に自由を許していると、
相手の自由も許せるようになる。
自由を許し合う関係というのは、
とーっても心地のよいもの。

だからね、彼氏・彼女という枠もいらない。
夫・妻という枠もいらない。
枠組み・役割なんて、どうでもいい。
だって、その瞬間にその人と居たいんだもん。
そして、相手は自分のものじゃないもん。
お互いの時間が合った時、
お互いが惹かれ合った時、
関係性という枠を取っ払って、
ただ一緒にいる…それでいいんじゃないかってこと。
そんな〈自由関係〉を築いていこうと思う。

“所有”を手放せるようになるには?

“所有”を手放せるようになるには、
〈信頼〉しかないのだ。

自分への信頼。
そして相手や世界に対する信頼。

人は不安になるから、所有したくなる。
不安がなくなる=信頼できれば、
安心できるし、失うことへの恐れも減っていく。
失うことに恐れがあるから、
相手を離さないように「彼氏・彼女」という
役割を持つことで、お互いを囲ってしまおうとする。
役割が枠組みであり、そこに不自由さが生じる。

失うことを怖れている人、怯えている人ほど、
物を所有したり、お金を所有したり、
人にしがみついたり、
人を支配しようとしたりする。

けどね・・・
失うもナニも、
そもそも自分のもんじゃないから!

そして、分離が生まれるということは、
そこには対立も生まれやすいってことだ。
もう、そういう時代が終わっていくということを、
物質界からは見て取れる。

より人は所有を手放して自由になり、
身軽になり、
多様性を受け容れてシェアして、
個を生きる時代へとシフトチェンジする。

アタシもその時代を謳歌するため、
所有の関係を手放し、
自由を生きることにした。
ここまで来るのに、時間かかったー!

この考えを理解した上で繋がれる人というのは、
今はまだごく一部だけど、通じる人には通じる。
そんな中で〈自由関係〉を、
理解ある人と楽しんでいければと思う、
今日この頃。

Written by まついゆか

LINEで送る
Pocket

アタシにとっての“バスト(胸)”の存在

LINEで送る
Pocket

女性にとって、“バスト”の存在って
大きなものだと思う。(人によるけど)

アタシにとっての“バスト”は、
「あってもなくても同じ」みたいな、
そんな感覚だった。
今回の一件があるまでは。

スタイルに対するコンプレックスの強さ

アタシは昔から、
自分の体型にコンプレックスがあった。
胸が小さく、けれども下半身はシッカリしている。
そんなバランスの悪い自分の体を、
とても嫌っていて、恥ずかしく思っていた。
だから大事にもしていなかった。

女性同士でお風呂に入るのも嫌だったし、
胸の大きいグラマーな友人を羨ましく思い、
自分の胸は成長が止まってしまったように感じていた。

こんなスタイルの悪いアタシ。
胸の小さな自分は女性としての魅力なんて、
これっぽっちも無いものだと本気で思ってた。
女性として魅力のない自分は、
当然のことながら男性に愛されるわけがないって
これも本気で思っていた。

そのコンプレックスもあってか、
10〜20代は身体を大事にしていなかったし、
女性としての尊厳も低かった。
今となっては信じられないほど。

30代になってからは、あまり気にしなくなる

20代までは、容姿をとても気にしていたし、
お年頃もそういう年齢だったと思う。

けれども30代に入ると、
さほど胸の大きさは気にならなくなってきた。
それは、自分の身体を“あるがまま”受け容れたからであろう。
ある意味、諦めというか(笑)
「まぁ、もうこの身体だから、仕方ないよね!」
そんな気持ちになってきて、
人と比べることもしなくなったし、
コンプレックスを感じることもなくなってきたし、
個性と思えるようになってきた。

小さいのには変わらない(笑)
成長はもう期待できないしww
しかし“女性の魅力”というのは、
別に胸の大きさやスタイルでは無いってことに、
ようやく気づいてきたのは、
30代に入ってからだった。
それまでは目で見て分かりやすい、
「女性の色気・魅力=バスト」と思っていたけれど、
(中高生の男子か!!)
小さなバストだって、
私という存在に女性としての魅力もあれば、
色気だってあるんだと思えるようになってきた。

そしたら男性との付き合い方も、
徐々に変化してきて安定してきた。
身体ではなく“存在”を大切にしてくれる人と付き合うようになったし、
自分も楽になってきた。

右胸の良性腫瘍

今年の初夏、右胸にシコリがあることに気づいた。
「これくらいのシコリ、きっと誰にでもあるよね!」
という、謎の自己流解釈…けれども、左胸には無い。

「まさか…よね?」と思いながら、
健康診断に随分と行っていなかったから、
そのシコリをきっかけに健康診断へ行った。

そしたら、やはり胸のシコリが、
大学病院での再検査になったのだった。

8月〜9月にかけて検査をした結果、
【葉状腫瘍(良性)】と診断された。

癌細胞とは別の腫瘍で、
しかも良性なんだけれども、
大きく成長してしまうので、
医学界では摘出しなくてはいけないとされているらしい。

これまで恵まれたことに、
大きな病気や怪我もなく、
インフルエンザだってかからない、
花粉症にさえならない超健康優良児の自分に、
突如降り掛かってきた全身麻酔での手術。

最初は受け容れられなくて、
散々泣いて、泣いて、仲間たちに支えてもらい、
不安を出し切ったら、
ようやく落ち着いて現実を受け容れられるようになった。

手術することの肚が決まってからは、
特に不安になることもなく、
いたって普通の穏やかな生活をしている。

けれども、ふと昨晩、
「アタシにとっての“バスト”とは…?」について、
思いを巡らすようになった。

無くてもいい存在なんてない

今回の手術は、
腫瘍+腫瘍の周囲を摘出するので、
胸がなくなるわけではない。
乳ガンで全摘出しなくてはならない方も多くいる中で、
本当アタシは恵まれているのである。
ここでは、人と比べることはさておき…

自分にとって、
若い頃からコンプレックスとしてきたバストが、
いざ傷がつくとか、変形するとかって考えると、
「貧乳だからあってもなくても一緒」
なんて思っていた存在が一気にフォーカスされ、
急にバストさんに対する申し訳なさと、
愛おしさが湧いてきた。

こんなにもタフな体力と、
五体満足に生んで&育ててもらって、
胸が小さいだの、お尻が大きいだのを理由に、
自分の身体を大切にせずにいて。
なんて身勝手なんだろう。
改めて、自分の身体に対する愛が無かったことに、
今この状況になって反省をする。

先日、ハイヤーセルフリーディングへ行ってきて、
その時「この病気が伝えてくれるメッセージは?」と
聞いてみたところ、【自己犠牲】と言われた。

まさに「あってもなくても一緒」とし、
自分を粗末に追いやって、
自分の大事なことを中心に置いてこなかった、
自分の生き方を指摘されたようだった。

そして、自分がまさかバストに対して、
「あってもなくても一緒」と思っていたことも、
今回の一件ではじめて気づいた。
アタシという肉体に対して、失礼すぎる!

自己犠牲をやめる人生にシフトチェンジ

そんなに大事にしたくないので、
腫瘍&手術のことは、
一部の人にしか話してなかったけど。
今回の一件からの気づきとして、
書き留めたかったのでブログにしました。

もう自己犠牲をやめて、
自己卑下もやめて、
我慢することもやめて、
自分のことを“無くても一緒”という考えもやめて。
自分中心で生きることをしよう!

今年も自己犠牲、いっぱいしちゃってたなー!
癖になってるから、ついついやっちゃうけど。
自己犠牲って、被害者意識でもあるよね。
もぉ〜やだー!
そんなダサい生き方から脱出するのだ!

自分の肉体を愛し、
自分の存在を愛し、
あるがままの自分に感謝し、
自分の中心を生きよう。
女性としての魅力も、
人間としての魅力も、
十分にあるのだから大丈夫。
まずは、自分が自分を信じてあげる。

学びの多い人生じゃ。

Written by まついゆか

LINEで送る
Pocket

ライス→ライク→ライフ→ライト

LINEで送る
Pocket

私もスタッフの一員として参加させてもらっている
岡部明美さんのLPL養成講座
5月からスタートして11月までの約半年間、
全7回構成のうち、10月で第6講まで終わった。

LPL養成講座は、
心理学を超えて魂学というか、
命の授業というか、人生の授業というか…
講座の前半では自分の感情や思考の
クリーニング・クリアリングをし、
後半からは未来に向かって、
自分の人生のビジョンを描いていくという
構成になっているのだが、
10月の講義で出てきた話しが、
“仕事”についてだった。

適職と天職

ここ最近、仕事についていろいろと思うところあり。
私にとっても旬な話しだった。

適職と天職。
字の如く、適職は自分に適している。
そして天職とは、天から与えられた命の仕事。

「アタシは“天職”をやるんだ!!」と、
今年に入って燃えていたが…
一度“適職”を離れたことによって、
“適職”の重要性に気づかされた。

私はこれまでイベント制作ディレクターとして、
10年近く仕事をしていたが、
天職に集中したくて今年はお休みをしていた。

けれども実際はというと、
“天職”を続けるために“適職”は必要で、
長く“天職”をやり続けるために、
自分に適した仕事が大きな柱となってくれるという話しが、
今回のLPL養成講座であったのだった。

その話しを聞いた時、ハッとした。
まさに今の自分は、
天職を続けたいけれども、
行き詰まっていたからだった。
私にとっての“適職”は、
まさにイベント業界であり、
向いていたから唯一長く続けられた
仕事だったんだと思う。

Rice work と Like work

どこで〈自分に向いている職業〉という
判断をするのかというと、
この仕事でご飯が食べていけていたから。

それがまさしく【ライスワーク(Rice work)】。
と、同時にイベントは私にとって好きな世界。
だから、【ライクワーク(Like work)】でもある。

RiceとLikeが出来ているって、
とっても幸せなこと。
だって、Rice workだけの人って、
いっぱいいるんだもの。

私のこれまでの人生は、
〈イベント〉という世界と、
〈心&感じる世界〉という2つの世界が、
大半を占めている。

20代の前半では音楽イベントのオーガナイザーをしていたし。
20代後半からは心理の世界に飛び込んだし。
心理の世界に飛び込んでも、
結局ワークショップしたり、セミナーしたりと、
イベント事が多くって。
会場探したり、主催したりってことも多く。
私にとってイベントは切っても切り離せなかった。

そんな事に気づき、
カウンセラーでRiceが食べれなくなった時、
出会ったのがイベント制作の仕事だったのだ。

私にとって〈イベント制作〉というのは、

一期一会を生み出す
リアル体験の場を創造する職業

だった。
そんな場を自分がプロデュース出来ることが、
とても楽しくて夢中になった。
私は“場づくり”が大好きなのだ♡

イベントというのは、
人と人が出会ったり。
人と物が出会ったり。
人と出来事が出会ったり。
人と体験が出会ったり。
多くの出会いがそこに存在していて、
その出会いから人生が変わっていく人も多くいる。
その奇跡のような場を自分が創れるだなんて、
これほどに楽しく幸せなことはない。
さらには、バーチャル世界ではなく、
リアル世界で起こすことなのも堪らない…♡

そんなことをやりたくって、
入った業界だったけれども、いつしか

人(クライアント他)が言うことを、
そのまま実現する作業的な仕事

になってきてしまい、
楽しさも幸せも見出すことが出来ず、
苦痛を感じるようになってきていたのだった。

そして、Life work

そんなRice & Like workを経て、
LPLを2年連続受講をし、
さらに今年はLPL養成講座でグループリーダーという、
受講生とは違う立場で参加をさせてもらっている中で、
次なるステップのLife workと出会った。

それが“メディエーター”という職業であり、
メディエーション・プログラム】という、
仲直りサポート事業であった。

さらには、この新事業ともう一つのLife work。
それは…

傷つける者が負った傷に寄り添うこと

なのだ。

このLife workを継続するために、
Rice & Like workが重要となってくる。

アタシがやらなくて、誰がやる!
といった具合に、
Life workを継続させていくためには、
長く走れる状況を作らないといけない。

「お金が続かないからやめる」なんて、
馬鹿げた言い訳で。
お金が続かないからやめるんじゃない。
続けるためのお金を作ればいい。
そして、継続・存続させていくことが、
何よりも最重要なんである。

そのために、Rice & Like workを使う。
これまでの自分が培ってきた能力と経験を活用し、
お金を生み出して、Life workへと注いでいくのだ!

Light work にするには…

そして、Light work にするには、
Life work を継続させ、
それが世に定着し、意識の変革を起こす。
新しい概念・価値を世界に生み出し、支持される。

生きている間に、
ここまで行けるかわからないけれど、
せっかく地球に生まれてきたから、
Light workまで辿り着きたい!(笑)

謎の発言だけど…本気でそんな感覚。

いつしか自分の人生の全ての体験が、
線で繋がっていくタイミングが絶対来る!
ライスワークでやっていたことも、
ライクワークでやっていたことも、
ライフワークでやっていたことも、
全てが繋がって線となったとき、
なんとなくライトワークになっていく気もする。

なので、着々と地道に頑張っていこう。
お仕事でお世話になる皆様、
今後とも宜しくお願い致します!

Written by まついゆか

LINEで送る
Pocket