公認心理師試験|奇跡のプロセス①
2022年7月、第5回 公認心理師試験が行われた。
まさか自分がその試験に挑むなんて、少なからずとも去年の今頃は考えてもいなかった。
“ご縁”というのは不思議なもので。この資格試験とは無縁と思っていた自分が、ナゼその道を進むことになったのか。そこには数々の“奇跡”が重なっていた。
その奇跡のプロセスを、ここに記しておこうと思う。
公認心理師制度が出来ることを知ったのは、2016年(平成28年)に【教育カウンセラー 初級】の基礎講座・養成講座を学びに行った時だった。「心理分野ではじめての国家資格が出来るのは、もう間も無くです。」と耳にして、「へぇ〜」って思った記憶がある。
2015年(平成27年)に公認心理師法は成立し、2017年(平成29年)に日本初の心理職の国家資格として制度が推進され始めた。なので、ワタシがその存在を知ったのは、ちょうど成立してから動き出す間の1年だったのだ。
当時「国家資格」と聞いた瞬間、ワタシの中で何を思ったかというと「そんなハードルが高いやつは自分には縁がないだろう」と思っていた。
ワタシは大学に行っていないので、「そもそも国家資格ともなれば、大卒(しかも心理専攻)じゃないと受ける権利さえないだろうな」と、はなから諦めていた節もある。自分の中の「劣等感」に触れると、自分を正当化して自分の人生を肯定するような考えを持つようになっていたし、「ワタシには関係ない」と距離を置くことで、見ないように、触れないようにしてきたんだと思う。
そこから数年が経過し。
なんとなく横目で公認心理師を受験する人たちを見ながら、羨ましいという気持ちがゼロだったかというと、それは嘘になる。気になってはいたし、いいなーと思っていたし、でも自分で努力をするほど(喉から手が出るほど)欲しいという欲求までもなく…なんとなく中途半端な気持ちだった。
第1〜3回までは、あまり自分の身近な人で受験した人はいなく。ちょっと距離の遠い知り合いの臨床心理士さんが受けて合格した的な記事を目にしたりはしてた。その時も「彼女は臨床心理士で第一線で活動してるから、当然だよなぁー」と思いながら、やっぱりここでも【自分には関係ないこと】としていた。
そして、第4回。2021年の時である。
ワタシの身近な心の学びの仲間たちが「今年、受験するんだ!」と続々と言い出した。と言っても、3人くらいか。でも、その3人はワタシにとって大変身近な仲間・友人たちであった。
けれども、そんな時もワタシは「へぇ〜、すごいね!頑張ってね!」と、他人事のように(いや、実際に他人事だった)コメントするだけで、相変わらず【自分には関係ないこと】として位置付けていた。
ワタシからするとその仲間3人は、お勉強が出来る優秀な人たちで。皆さん、第一線で活躍をしていて。公認心理師の資格もフル活用されるであろう人たちで。だからその3人が合格した時も、「すげー!さすが!」と同時に「やっぱりねー優秀だもんね!頭いいもんね!」と思っていた。
頭が良くて優秀というのは、学生の頃から平均点か平均以下しか学力のないワタシからすると、憧れでもあり、羨ましくもあり、眩しい存在なのだ。そんな人たちと自分を比較し、自分の頭の悪さ(というか物覚えの悪さ?)やお勉強嫌いの気質を理由に「自分は出来ない」とレッテルを貼り続けていたのだった。
…続く。
https://yuka8.com/blog/shinrishi01https://yuka8.com/wp-content/uploads/2022/08/1511558_s.jpghttps://yuka8.com/wp-content/uploads/2022/08/1511558_s-150x150.jpg心|Mind綴|Blog2022年7月、第5回 公認心理師試験が行われた。まさか自分がその試験に挑むなんて、少なからずとも去年の今頃は考えてもいなかった。“ご縁”というのは不思議なもので。この資格試験とは無縁と思っていた自分が、ナゼその道を進むことになったのか。そこには数々の“奇跡”が重なっていた。その奇跡のプロセスを、ここに記しておこうと思う。 公認心理師制度が出来ることを知ったのは、2016年(平成28年)に【教育カウンセラー 初級】の基礎講座・養成講座を学びに行った時だった。「心理分野ではじめての国家資格が出来るのは、もう間も無くです。」と耳にして、「へぇ〜」って思った記憶がある。 2015年(平成27年)に公認心理師法は成立し、2017年(平成29年)に日本初の心理職の国家資格として制度が推進され始めた。なので、ワタシがその存在を知ったのは、ちょうど成立してから動き出す間の1年だったのだ。 当時「国家資格」と聞いた瞬間、ワタシの中で何を思ったかというと「そんなハードルが高いやつは自分には縁がないだろう」と思っていた。 ワタシは大学に行っていないので、「そもそも国家資格ともなれば、大卒(しかも心理専攻)じゃないと受ける権利さえないだろうな」と、はなから諦めていた節もある。自分の中の「劣等感」に触れると、自分を正当化して自分の人生を肯定するような考えを持つようになっていたし、「ワタシには関係ない」と距離を置くことで、見ないように、触れないようにしてきたんだと思う。 そこから数年が経過し。 なんとなく横目で公認心理師を受験する人たちを見ながら、羨ましいという気持ちがゼロだったかというと、それは嘘になる。気になってはいたし、いいなーと思っていたし、でも自分で努力をするほど(喉から手が出るほど)欲しいという欲求までもなく…なんとなく中途半端な気持ちだった。 第1〜3回までは、あまり自分の身近な人で受験した人はいなく。ちょっと距離の遠い知り合いの臨床心理士さんが受けて合格した的な記事を目にしたりはしてた。その時も「彼女は臨床心理士で第一線で活動してるから、当然だよなぁー」と思いながら、やっぱりここでも【自分には関係ないこと】としていた。 そして、第4回。2021年の時である。ワタシの身近な心の学びの仲間たちが「今年、受験するんだ!」と続々と言い出した。と言っても、3人くらいか。でも、その3人はワタシにとって大変身近な仲間・友人たちであった。 けれども、そんな時もワタシは「へぇ〜、すごいね!頑張ってね!」と、他人事のように(いや、実際に他人事だった)コメントするだけで、相変わらず【自分には関係ないこと】として位置付けていた。 ワタシからするとその仲間3人は、お勉強が出来る優秀な人たちで。皆さん、第一線で活躍をしていて。公認心理師の資格もフル活用されるであろう人たちで。だからその3人が合格した時も、「すげー!さすが!」と同時に「やっぱりねー優秀だもんね!頭いいもんね!」と思っていた。頭が良くて優秀というのは、学生の頃から平均点か平均以下しか学力のないワタシからすると、憧れでもあり、羨ましくもあり、眩しい存在なのだ。そんな人たちと自分を比較し、自分の頭の悪さ(というか物覚えの悪さ?)やお勉強嫌いの気質を理由に「自分は出来ない」とレッテルを貼り続けていたのだった。 …続く。 まつい ゆかゆか まついinfo@ring-link.jpAdministratorただ、ワタシを生きる
コメントを残す