バカでよかった。

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自分が“バカ”でよかったと、
先日の研修を経てから、
なんだか…ジワジワと感じてきた。

だって真面目で利口だったら、
アタシはもっと疲弊して、
大きな病気になっていたと思う。

アタシは適度にバカで、
そして、自分の“感性”に従って
生きてきたから、生き延びたのだ。
しかも、幸せに♡

そう、アタシを助けてくれるのは、
いつでも自分の中の“感性”だった。

特に進むべく道が見えないとき。
自分の“感性”がピンっと、
閃き・情報・出会いなどのご縁を、
引っ張ってきてくれる。

そもそもアタシは、
“知”を得意とする人物じゃない。
お勉強することは嫌いな方。
読書も新聞も歴史も数字も嫌いだった。
頭で記憶する系、解く系は特に弱い。
作文・絵・音楽・ダンス・道徳が好きだった。
要するに表現すること、感じること、
情に触れることがそもそも好きなんだ。

で、それでよかったんだ。
理性優位の学生時代を生きるのは、
常に比べられて辛かったけど、
(だって、出来ない子だから)
でも、今ようやく「よかったんだ」って
思えるようになった。

これまで学歴コンプレックスがあったから、
真面目で利口なフリしてたけど、
そんな背伸びや鎧はもういらない。
【感性型人間】の自分を、とことん愛する。

しかし…逆にちょっと、
バカさ加減が足りないなぁ。
もっと思いっきりバカしないと、
〈中途半端バカ〉になっちゃうなぁ。
振り切りたいなぁ。。。

よし!
これからは、
バカ研究をいろいろしてみるか。

Written by まついゆか

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感性とつながる旅。

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昨日までの3日間、
感性とつながるための旅をしてきた。

自分の志や顔を見失い、
自分の奥にあるエネルギーが枯渇し、
鬱々した状態が続いていた、ここ一ヶ月。

そのタイミングでやってきた、
行徳哲男先生の【BE訓練】は、
私にとって大きな転換となるようなきっかけを、
もたらしてくれるのではないかと、
期待をしていた。

言葉ではとてもじゃないけど、
言い表しきれない体験。
この体験や感じたことを言葉にすると、
とても薄っぺらく、平らなものに
なってしまいそうな気がするので、
ブログに書こうとは、
今の時点では思わない。

けれども、人生における…
というより、この“生”における、
【真ん中の最重要な何か】を
自分の中心に取り戻した気がする。

私の命は、まだ燃えていない。
私の生は、まだ動いていない。
私の力は、まだ出ていない。
そして“感性”が、
「私を生ききりたい!」と言っている。
そんな声が、ジワジワと湧き出てくる。
侍魂が目を醒まし始めた。

行徳哲男先生、御年87歳。
現役でこのパワフルな研修をされていることが、
本当に凄い…としか言いようがない。
感性で生きている人は、めちゃ元気だ。
そして、この研修に命を賭けているのが、
ビンビンに伝わってくる。

感性につながることは、
自分の“命の源”とつながること。
命の源から湧き出る、
【自分の中の眠るパワー】を呼び起こしたい方は、
先生が現役でまだやられている今、
ぜひ参加されてみてください。

次回は7月です。
詳細知りたい方・参加希望の方は、
個別に連絡をください。
人生に二度と無い体験をぜひ…

Written by まついゆか

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エネルギー低迷は“誕生”の予兆

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4月半ばまで、
岡部明美さん主宰〈LPL認定セラピスト〉の
試験内容の一項目でもある、
〈逐語記録〉に時間を費やしていた。
これが、なかなかの作業ボリュームで、
予定していた友人との約束や、
ビジネスについて考える時間など、
全てを後回しにして注ぎ込んだ2週間。
途中、徹夜もしたりなんかして…
とにかく、久しぶりに「必死になった!」
という感覚が残った期間だった。
こんなに夢中に必死になったのは、久々だ。

逐語記録を提出し終えると、
ドッと押し寄せてきたのが、
それまで“保留”にしていたことの数々。
それが一気に入ってきた。

その保留にしていたことをやりながら、
徐々に落ち込んでいく自分のエネルギーを
ひしひしと感じていた…。
自分の中の奥底のエネルギーが、
どんどんと沈んでいく感覚。
そして、ついには潜伏領域に入ってしまった。
燃え尽き症候群だろうか…

だからブログ書くことも出来ず、
自分がどのエネルギーから発信すればいいか
まったくわからなくなり…迷走状態。
今もその状態が続いている。

けれど、どこかでわかっている。
この低迷するのは、
大きな変化の前であることを。
過去にも何度か感じたことあった。
大きな方向転換や、何かを生み出す前には、
大きな落ち込み・迷走・やる気が起きない
そんなことが起こることを、
私は自分の体験から知っている。
だから、今はジッとするのだ。
ひたすら瞑想し、
自分の内側にベクトルを向け、
ただ、ただ自分を内観する…

昔は、“プチ鬱状態”のことを、
心理学友人同士で【ウチュ】って呼んでた。
【ウチュ】…かわいいでしょ♡

今、アタシは【ウチュ】状態。
朝は起きれない、自宅に引きこもり、
アイディアも浮かばない、感情が湧かない、
人と会うのも控えたい、メッセージ等に
返信することすら億劫、身体が怠い。
(ごめんなさい‥返信できていない方)
そんな自分を責めない。
ただただ、受け入れていく。

“いのち”とは理屈無く、
このように上がったり下がったりしながら、
成長をしていく。
一見、下がっているように感じたり、
何も成し遂げていないように感じたり、
前に進んでいないように感じたり、
時には、後退しているかのようにも感じる。
けれども、決して後退していることはない。
前には進んでいる。
自分の“いのち”の力を信じて、
今は機が熟すのを待つ。

エネルギーの低迷は、“誕生”の予兆。
明けない夜はない。
上がらない雨はない。
もう間もなく、
大きな出産を遂げる気がする…

Written by まついゆか

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アタシ、傲慢です。

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アタシ、傲慢だ。
その傲慢っぷりを、出してはいけないと抑え、
出てしまった時には、自分を恥じ、罪悪感を抱く。

なんて謙虚さがないんだ…とか。
なんて自分勝手なんだ…とか。
なんて強引で押し付けがましいんだ…とか。

そんなことをいつも恥じ、
反省し、罪悪感を抱いて凹む。

でも…ちょっと待てよ。
“傲慢”なのって、そんなに悪いこと?

“ダメ”と思ってるから苦しい。

傲慢なことは“ダメ”と、
自分の中で定義づけている。
そこに、

ちょっと待ったー!!

という声が、自分の中に出てきた。

もし、この傲慢さを殺してしまったら、
傲慢さが持つ〈良い面〉も無くしてしまう。
傲慢さの良い面とは…
自己主張をハッキリすることとか、
人に対して熱心になることとか。
この〈良い面〉をなくしたら…

そんなのアタシらしくないんじゃない?

大事なのは、
傲慢な自分がいるということを、
自分が知った上で、
どうやって活用していくかってこと。
そう。自分がそのことを認識していれば、
コントロールが自由自在になる。

と、同時に。
そこから何を学ぶのか…を、
ちゃんと自分が持っていればいい。
“謙虚さ”を学べばいいのだ。

“ダメ”だと思って抑圧してるから、
突然出てきてしまった傲慢っぷりに、
自分自身で驚き、
隠そうとしていた部分がバレてしまったようで、
恥ずかしいと思ったり、
傲慢さを出してしまった自分に
罪悪感を抱くのよ。

ありのままで生きるとは?

【ありのままで生きる】とは、
こうして自分の中の、
自分が〈よからぬ部分〉と感じている部分を、
自分で認めて、受け容れること。

受け容れられたら、
もう〈よからぬ部分〉から脱出してる。
むしろ、強みになる。

〈よからぬ〉とするから、
影になり、必死に隠そうとし、
目を背けようとし、自分を苦しめる。
そして、ひょんなことから、
それがポンって顔だした時に、
アタフタしながら、

はぁ〜ごめんなさい!
アタシこんなんじゃないのよ〜

(オロオロ)

となるわけだ。

その必死になって隠そうとする労力、
バレまいと、取り繕うエネルギー、
自分の中にある“本当の自分”を覆う仮面。

それ…本当に必要?
まだ…必要ですか?

【ありのままで生きる】とは…

ぜ〜んぶ
認めちゃえばいいんだ〜✨

え? だって、しょうがなくない?

これがアタシだもの♡

と。

ありのままで生きるリスク

【ありのままで生きる】と、
どんなリスクがあるかというと…

こんなアタシを、
嫌う人がいるでしょう。

こんなアタシを、
面倒くさいという人もいるでしょう。

こんなアタシを、
ウザいと思う人もいるでしょう。

こんなアタシを、
怖いと思う人もいるでしょう。

そう、【ありのままで生きる】と、
ぶっちゃけ…

万人からは好かれません!

これだけは宣言しておくわ。
そりゃーそうだよ。

万人に好かれることを優先するなら、
カメレオンのような七変化っぷりで、
顔を入れ替えたらいいよ。

でもね、そうこうしているうちに…
本当の自分がわからなくなるよ?
本当の自分を見失うよ?
そっちの方が、断然苦しいよ。

だから、いいんです。
ありのままでいいんです。
リスクを背負ってでも、
【ありのまま生きる】方が、
自分の心やいのちにとっても健康的!

それに、相手がどう思うかは、
相手の領域だから。
良い人を繕っていたところで、
嫌っていく人は嫌っていくの。

ただね、もう一つのリスクとしては、
ありのままで生きる自分のことを、
もし嫌う人や離れる人が出てきたとき、
その結果に対して“責任”を負うこと。

ここで言う“責任”というのは、
端的に言うと、
〈相手のせいにしない〉ってこと。
人が離れていくことも覚悟して、
その結果を引き受けるってこと。

「アタシが素を見せたら、
 離れていくのねー!!」

なんて、
相手にぶつけちゃいけない。

ご縁が無かったんですね…以上、終了!

もし、そこで相手のせいにするならば、
そこには心の傷がありますので、
ぜひ癒やしましょう♡

解釈をプラスに変え、現実を変える。

リスクはあるけれど、
そのリスクをはるかに超えて、
【ありのままで生きる】というのは、
とても楽になります。

なぜなら…

嫌う人と同じ数だけ、
好いてくれる人はいる。

面倒くさいという人と同じ数だけ、
面白いと言ってくれる人がいる。

ウザいと思う人と同じ数だけ、
興味関心を持ってくれる人がいる。

怖いと思う人と同じ数だけ、
楽しい・頼もしいと思ってくれる人がいる。

そう、この世は二元論。
マイナスの分だけ、プラスがあるの。
だから、リスクを背負った分だけ、
新しい世界が待ってる。
これまではプラスの部分に、
目を向けていなかっただけ。
新しい世界を知ると、
もはやリスクもリスクではなくなる。

自分が傲慢さをマイナスに捉えていたら、
嫌う人・面倒くさいという人
ウザいと思う人・怖がる人が、
集まってくるという現実を創り出す。

けれど、その解釈をプラスに変えることで、
集まってくる人も変わってくる。
…これ、ホントだから。

というわけで、
アタクシ、堂々と〈傲慢さ〉を
生ききることにした〜☆
認めてしまったよ〜(笑)
あぁ、楽ちん。

アタシは、グイグイ女史になる!

それがアタシの生き方だから。
それがアタシという人だから。
そういう素質、前から持ってるから。
影で隠していたところに、
お日様を当ててあげることにした。

無理してイイ人やったって、
無理してマジメやったって、
無理して優しい人やったって、
楽しくないもん。

アタシは熱く、面倒くさく、
ドロドロに、そして堂々と生きていきたい。

だから、好むヒトだけ集まれ〜♡

Written by まついゆか

【ありのままで生きる】を推奨してます。

♡個人セッションのお申込♡

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私には、もっと深い“感性”がある

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先週末の3日間、
LPL認定セラピストの試験でした。

LPLとは…★岡部明美さん主宰:LPL養成講座★

レポート4本提出、筆記試験、
実技試験✕2本、実技試験の逐語記録提出。
ここまでが試験内容であります。

今日は、この試験中に起こった、
“私の気づき”をシェアをしたい♡

めっちゃデカイことに気づいちゃった!!

対人援助職に求められること

いくら傾聴のスキルが上手くても。
いくら技法が上手く使えても。
いくら多くの知識を持っていたとしても。

どこまでいっても、
対人援助職に求められるのは、

それしかない。

すべてのスキルは“愛”の基盤の上に、
成り立っているもの。
“愛”が基盤になっていないスキルは、
武器か自己満足でしかない。

そして、援助者がクライアントさんに
“愛”を見せていくためには…
クライアントさんを“愛”で包むためには…
援助者自身が“愛”を体験していなければできない。

今回の試験を通して、
アタシの中で大きな気づきとなったこと。
それは…

まずは自分自身が、
〈愛と繋がりの中で生きる〉

ということの重要性

だった。

“つながり”って…ナニ?

これは一概に言えないけれど、
もしかしたら、
アダルトチルドレンの方の多くに
当てはまるかもしれない‥。

それは、

人との繋がりを感じられない感覚。

アタシは心の奥底の方で、
この感覚がずっとあることを、
何十年も前から知っていた。

なんとなく感じる、
【人との繋がりを感じられない違和感】
を抱えながらも、
「こんなもんなのかなー?」とか、
「でも、皆と仲良くやってるしなー」とか、
思っていた。

実際のところ、コミュニケーション能力高いし。
友達と仲良くやってるし。
昔の彼氏とかとも仲良くしちゃうタイプだし。
家族とも仲いいし。

けれども、物質的には“繋がっている”にも関わらず、
心の奥の方では“繋がっていない感覚”を、
実はずっと抱えていたのだった。
このギャップに違和感があった。
「上辺だけの付き合いをしている…」
「本音を話せていない感じがある…」
そんな感覚が長年拭えなかったのだ。

けれども、その違和感がドコから来るもので、
ナゼそんな感覚を持っているのか…
まったくもって分からない。

これまでのクライアント体験の中でも、
「繋がりが感じられないんです…」と、
相談したこともあった。

けれども、どのセッションでも
払拭されたことはなく、
解消されたことはなかった。

だから、アタシはこれまで“本当の繋がり”を
実は感じていなかったんだと思う。

子どもの頃から賢く生きてきた

この【繋がりを感じられない違和感】の
要因として、ふと思ったのは、

きっとアタシ、
子どもの頃からスマートに
賢く生きてきちゃったんだな…

という実感。
“子どもらしい子供時代”を送っていない、
アダルトチルドレン人生。

※以前に書いたアダルトチルドレン(AC)の
 記事はコチラをご参考ください↓↓↓

★ブログ:“いい子ちゃん”であることの危険性★

そもそも“子どもらしい子供時代”を
送っていないというのはどういうことかというと、

〈子ども〉を思いっきりやっていない。
=〈子ども〉を体験していない。

ということは、どういうことか…?

子ども=感性の塊

ということは、要するに…

あるがままの感性を
フルに出しきったことがない!

ってこと。

そう。
子どもの頃から大人のご機嫌伺いをし、
大人の顔色を見ながら行動し、
空気を読みながら遠慮をし、
大人の代わりに自分が頑張り、
自分が我慢すればどうにかなると、
大人ぶっちゃった。

では、それによって、
なぜ“繋がり”が感じられないのか…?

感性こそが
〈自分の本質〉
だから!

要は〈自分の本質〉と繋がってない!
〈自分の本質〉と繋がってないなら、
当然、人との繋がりなんて感じられるわけない。

子どもなのに背伸びして大人ぶっちゃって、
いっぱい考えながら幼少期・児童期を過ごし、
「マセた子ね…」なんて言われながらも、
自分の感情・要求を飲み込むことで、
家族を守っていた…そんなACたち。

本当は、自分の感情を表現したかった。
本当は、自分のワガママを言いたかった。

本当は、めっちゃ甘えたかった。
本当は、自分の個性を尊重されたかった。
本当は、自分の行動を制限してほしくなかった。

ありのままを表現することや、
行動することを許されなかった器(=家族)で
育ったわけだから、
自分の感性を置き去りにしてしまい、
迷子になっちゃったんだ。

“繋がり”こそが、“愛”のチカラ

このことが腑に落ちた時、
“アタシは一度、とことん子どもを
 体験をする必要がある”
と、直感的に思った。

自分の本質と繋がってなければ、
他者とも当然繋がれない。
今後もこれまでのように、
なんとなく“繋がってない感”を抱えながら、
上辺の付き合いをしていくのか?

っていうか、
そんなんで対人援助職が務まるのか?
・・・務まるワケない!

【自分と繋がっている感覚】は、
至福感・満足感・自己愛を感じる。
そうすると自然に、
相手を愛おしく思う気持ちが湧いてくる。
相手を慈しむ気持ちが湧いてくる。
相手に対する思いやりが湧いてくる。

この感性の循環こそが“繋がり”を創り、
これこそが“愛”なんだと思う。

愛が枯渇している時代

今、みんなSNSで“繋がり”を
求めているよね。
もしかしたら、【繋がり感の欠乏】が
蔓延しているのかもしれない…
という、この危機感。

子どもが、子供時代を生きなくて。
大人の都合によって自分の感性を押し殺し。
周囲に合わせて生きてきた結果、
〈本当の自分・自分の本質〉を見失い、
どこかに置いてきちゃった…。

自分と繋がってないから、
人と繋がることへの怖さがある。


自分を愛していないから、
人を愛することが分からない。

自分と切れているから、
人を切ることも簡単にする。

これが、どんなに恐ろしいことか。

分断された世界を、
生み出すのはもうやめよう。
排除する世界を、
生み出すのはもうやめよう。

〈子供時代に、子どもを生ききること〉
の重要性を、どうか多くの人に知ってほしい。

自分の感性を取り戻すことは、
自分の本質を取り戻すこと。
自分の感性を取り戻すことは、
本当の自分を生きること。

感性というのは、
自分から湧いてくる“感情”(喜怒哀楽)
自分から湧いてくる“直感”
自分から湧いてくる“欲求・欲望”

ここに気づいて、
感性のままに生きることを自分が許可したら、
本当の自分へと戻っていける。
戻っていくというより、
思い出していくものなんだって。
あけみ姐御が言ってた。

だから、まずはアタシ自身が、
〈愛と繋がりの中で生きる〉ため、
自分の感性の深さへと潜る。

今回の気づきが起こった時、
自分の“感性”は、
とてつもなく深いものだという直感が働いた。
そして、この深い深い感性で自分を生きたとき、
とてつもないエネルギーが
溢れ出てくるであろうという直感も働いた。

アタシという人間の奥深さは、
アタシが発見してあげないといけない。
〈愛と繋がりの中で生きる〉ことで、
アタシはアタシの奥深さを発見しにいくのだ。
その溢れ出るエネルギーが、
自然と人に与えていくことになり、
そしてエネルギー循環へとなっていく。

準備は整った。
自分の人生を思いっきり生きる覚悟もできた。
あとは、とことんコミットしよう♡

Written by まついゆか

子どもの“感性”を大切にする子育て法
【愛の子育てレッスン】

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内側に意識が向くと、外界に興味なくなる…

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自分の内側の世界に意識が向くと、
外界に興味がなくなってくる…。

例えば、誰かと同じ空間を過ごしていて。
相手がTVを見ていると、
自分が普段、TVを見ていないことに気づく。

「TV見なかったら、何してるの?」と、
聞かれたけど…たしかに、何してるんだろ?

瞑想してるか。
ブログ書いてるか。
本読んでるか。
プロジェクトのことを考えてるか。
新しいものを生み出す何かをしてるか。
ネットサーフィンしてるか。

自ら求めていない情報が、
自動的に流れ込んでくるTVの世界が、
とても苦手になってしまった。。。
自分が得たい情報は、
ネット世界へ自分で取りに行けばいい。

そう、自動的に入り込んでくる、
垂れ流し情報が、アタシにとって
とても苦痛で仕方がないんだ。

内側に意識が向く世界

自分の内側に、
意識が向く世界は楽しい。

自分の心の呟きを聴いてみたり。
自分の“感じる”世界に留まってみたり。
自分のイメージする世界を観察してみたり。
完全に…怪しいよね(笑)

いろいろと思い耽ってみては、
「あ、これはビリーフだ!」とか。
(※ビリーフについては★コチラ★
「あ、これはあの頃に感じた感情だ!」とか。
「身体が何かを訴えてる!」とか。
もうね…自己探求マニアです(笑)
だから、理解されにくいと思う。
このマニア、変態、ヲタクの領域。

この世界観を説明するのがややこしいから、
あまり説明も言及もしない。
そういう意味で、
自分ひとりの時間って必要だな。
でも、共に理解できる相手なら、
なお嬉しいな。
だから学んだ仲間といるのが、
一番楽チンで楽しい。
みんな、自己探求マニアだから(笑)

ベクトルが外に向かず、
内側に向いている同士の付き合いって、
本当に楽チンで有り難い。
人を責めることをしないしね。

以前、職場の上司に、
「なぜ、まついさんは不平・不満を言わないの?」
と聞かれたことがある。
外側にベクトルが向いていると、
人や会社や社会のせいにする。
けれど、内側にベクトルを向けていると、
「アタシがそれを選んでるから。」で完結。
不平・不満があるならば、
自分の選択を変えればいい。
不平・不満があるならば、
自分の意見を述べればいい。
ただ、それだけ。

わたしはわたしの人生を生き、
あなたはあなたの人生を生きる。
わたしはあなたの期待にこたえるために
生きているのではないし、
あなたもわたしの期待にこたえるために
生きているのではない。
私は私。あなたはあなた。
もし縁があって、
私たちが互いに出会えるなら
それは素晴らしいことだ。
しかし出会えないのであれば、
それも仕方のないことだ
「ゲシュタルトの祈り」より

外界は結局、内側の世界の投影

外の世界より、
内側の世界が楽しいというのには、
もう一つ理由がある。

結局、外側に映し出される現実は、
自分の内側で起こっている世界の投影だから。
しかも、潜在意識の世界が、
外界に投影されていたりするから。

だから内側の世界で起こったことを、
外界で引き寄せたりする。
潜在意識の動きが、
外界に現れた時は、めっちゃ楽しい。
潜在意識の書き換えが、
現実に変化をもたらしていくことが、
めっちゃ楽しい。

そういう意味で、
外界を楽しむためには、
目の前で起こっている現実から、
自分の潜在意識を紐解く…という
見方をすると、外の世界も楽しくなる。

…やっぱり、マニアだな。
何を言ってるかナゾだよね、多分(笑)
あまり伝わらないと思う。
ごめん、自己満足的な内容で。

先日アタシの夢に、なんとイチローが出てきた。
イチロー様、アタシの夢に初登場☆

全くTV見ないから、
彼が来日することなど、知らなかった。
夢の中では、イチローとアタシは友達でww
日本に遊びに来たイチローと、
アタシは仲良く話してるという夢だった。
彼はアタシに、
「もうすぐ、日本に帰ってくるよ」と言った。

その翌日、友人のFacebookで、
イチローが東京ドームで試合してることを知った。
そして後日、引退とは…。
一足先に、潜在意識が情報をキャッチしてた。

もっと深めちゃうかも…“魂”世界

心理学の領域を超えて、
魂の領域に楽しさを見出してきた、最近。

なんだか魂の領域で、
シゴトしてきたくなってきたなぁ。
もっともっと感性を磨いて、
(磨いて‥という表現は違う気がするけど)
宇宙との繋がりを強めていきたい☆

…という、怪しい(笑)宣言でした!

Written by まついゆか

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「ナニモシタクナイ」もプロセス

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宇宙元旦だった「春分の日」以降、
どうしよう…ナニモシタクナイ。

やらなきゃいけないこと、
いっぱいあるのに…ナニモシタクナイ。

・レポート書かなきゃ
・仕事の今後を考えなきゃ
・事業計画立てなきゃ
・本読まなきゃ
・カウンセリングの腕磨きしなきゃ
・どうしていく?今後?
・どうやって生きてく?
・どうしたい?
・え…アタシ、どうしたい?

そんなことを考えてたら、
もう3日も過ぎてもうた。

何者にもならなくていい。

「何者にもならなくていい。」という
選択肢をしたくて仕方ない最近。

これまで「何者かにならなければ」と、
ずーっと思って走り続けてきた。
そのたびに、いろんな仮面・役割・看板が増え続けた。

何者かになろうとするから、
「やらなきゃ」と背負うことが多くなる。
無理に背負ってる感じ。
自分以上の者になろうとして、
鎧を背負おうとしている感じ。
これが、今しんどい。

この「何者かにならなければ…」というのは、
アタシにとって、
【無価値な自分】を隠すための手段だった。


何者かにならなければ、
アタシには価値がない。
何者かにならなければ、
愛される価値も、
認められる価値も、
生きている価値もない。
そんな強迫観念に追いかけられて、
必死になって生きてきたんだと思う。

でも、もう疲れていること、
自分ではわかっている。
自分の奥底で、わかっている。
そんな生き方をしたいわけじゃないと。

そして、自分が無価値だなんて、
本当ではないということ。
真実ではないということ。
ようやく、そこに気づき始めてる。

だから「何者にもならない」という実験

今年に入ってから、
すべてを手放し、
「何にもならない自分を体験してみる」
という実験をやってみようと思ってた。

そこには、何が残されるのだろうか。
すべてを手放してみたとき、
自分に残るものはなんだろうか。
それこそが、本当の自分ではないだろうか。

こんなにボーっとしてても。
こんなにぐで〜っとしてても。
何の肩書がなくても。
何の資格がなくても。
何の取り柄がなくても。
お金がなくても。
知恵がなくても。

ただ、“あるがまま”でいても、
愛してくれる人はきっといる。
その体験をすることこそが、
今のアタシにとって大切な気がしてた。

根深い「無価値ビリーフ」

ビリーフというのは、
“信念・思い込み”という意味で、
人生の中で信じ込んでしまった、
自分の中の定義のこと。

自分自身を定義したり、
他人や世界に対して定義したりしながら、
アタシたちは生きている。

その定義が自分にとっての当たり前だから、
自分の世界観から物事を見ていると、
当然、それが自分にとって真実であり、
疑いの余地すら無い。

ビリーフというのは、
子どもの頃にコツコツと築かれていく。
家族との関係、友人との関係、先生との関係、
そして自分自身との関係。
さまざまな体験・経験を、
どうやって解釈して、
生きていくための戦略・定義としていくのか。

アタシにとって、
【無価値ビリーフ】は根深く、
今の実験というのは、
“ビリーフ外しの実験”でもある。

身をもって知る。
「あなたに価値が無いというのは真実か?」
という問いを、自ら実験してみようと思った。
めっちゃ怖いけど。
だって、「価値がないと死んじゃう」って
本気で思ってるんだから。
地味な命懸けの実験中である(笑)

アタシは家族の中で、
「自分が役立ってないと愛されない」と信じ込んだ。
そのままで居るだけでは、
愛してもらえないから、
常に“何かしてないと”いけなかったのだ。

そして、唯一の活路となったのが、
両親の不仲を調和させる役目だったのだ。
アタシにとっては、
ピッタリのお役目であり、場所だった。

そこからは、
「お役目があると生きていけるんだ!」
と思ったから、必死に“お役目探し”をした。

お役目=自分の存在価値

この方程式が自分の中で確立され、
人生を歩んできたのである。

そしていつしか、
「お役目がないと、存在できない」‥という、
ビリーフに乗っ取られた人生になっていた。
だから、何かをしていないと存在できない。
だから、役立ってないと価値がない。
“そのまんま”でいることの恐怖心に
苛まれるのである。

けれど、そのビリーフは、
自分のエゴが作り出した幻想であり、
本当の自分はそこではないということを、
ようやく気づけるようになったのだ。
気づくことが出来たら、
自分の“当たり前”から脱却できているので、
これまでと違う選択をすることができ、
結果的に現実が変化していく。
アタシは今、
“違う選択をして現実を変える”ということに
チャレンジ中なんです。

ナニモシタクナイ…を信じて焦らない。

そうだった。
意図的に、こうしてるんだった。
だから「ナニモシタクナイ」は、
自分の望んでいる方向に向かっていただけだ。

「ナニモシタクナイ」という感性の声を信じ、
焦って何かをしようとしないこと。
ただ、ジッとして味わうこと。
それを体験するための時間と受け止めること。
そうすることにした。

ブログの冒頭では、
めっちゃ焦ってたのに(笑)
書き終える頃には、
焦りも消え去り、落ち着いてきた。
切り替えのサイクルも早くなってきたもんだ。

ということで、
実験をもう少し楽しみながら、
自分の感性からの“閃き”のタイミングを、
ジックリと待つこととした。

Written by まついゆか

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音楽を〈理性〉と〈感性〉で“きく”違い

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最近、眠れなくて…。
寝不足が続いているから、
早く寝ようとして努力をし、
一旦は眠るんだけど、
また2時間後とかに目が覚めてしまう。

どうしたものかと。
最近、前とは違う何かをしているのかと。

ふと思い返していたら…
音楽の“きき方”に違いがあることが、
要因ではないかと思い始めた。

J-POPをきくようになる

アタシは20代から、
ほぼ洋楽しかきかない。
邦楽できくのは、
友人たちの音楽だけだった。

ところが、ここ2週間ほど。
J-POPをきくようになった。
それはナゼかというと、
今年は【エンカウンターワークショップ】
やろうとしているからだ。

【エンカウンターワークショップ】では、
音楽も活用していく。
音楽は心に届きやすいから、
感性を拓くために優れている。

音と歌詞が結びついて、
参加者の心の扉を開いていく。

そのため、ワークショップで活用できそうな
邦楽を最近は夢中になって選曲しているのだ。

寝るときにリフレインされまくる…

多くの音楽が集まりだした最近。
随分と長い間、邦楽をきいていなかったけれど、
素敵な曲がたくさんあるものだ‥と思ってた。

ところが、寝ようとする時…

頭の中でリフレインされまくり〜〜!

全然眠れない〜〜!!

音楽に頭が支配されてしまい、
何度もリピートされ、
まったく、そこから離れようとしない。
うぅ…なんとも苦しい…

交感神経がグイグイ優位になって、
副交感神経へと切り替わらない感覚。

頭=思考が、ずっとグルグル回っている。
いつまでも稼働し続けている。
目はギラギラ冴えてしまい、
精神は興奮状態。

副交感神経に切り替えようと、
瞑想したり、
ヒーリングミュージックをきいたり。
意図的に努力をするが、
再び引き戻される…その繰り返し。

言葉を理解しながらきく=思考(理性)

アタシにとっての、
邦楽と洋楽の大きな違いというのは、
頭(思考=理性)できくか、
ハート(感性)できくか。
この違いなんだなってことが、
今回の一件で判明した。

洋楽は歌詞も“音”の一部として、
一体化して、きいている。

しかし邦楽は、
音と歌詞、それぞれ別々に情報が入ってくる。
歌詞の“言葉”や“意味”を理解しようと、
〈頭を使って〉きいているのだ。
だから、頭がフル稼働してしまう。
あくまでも、アタシの場合。

10代・20代の頃は当然そうではなかった。
今は、自分が〈理性〉と〈感性〉を
分別することをしているから?
だからこそ、そこにストレスを感じるのかも?

多くの人は、
歌詞と音が組み合わさっていることで、
ジンワリと心に沁みるし、
感じることができるんだけどね。
アタシの身体機能は、
分類されちゃうようになっちゃったのよね。

頭で理解しようとすることは、
理性が働いていること。
何かを実現・実行するときには、
とても役立つけれど、
感じることをしたいときには、
理性はなんとも邪魔に感じてしまう。

感じたことを、
追っかけで理性が腑に落とす…
という流れがベストなんだけれども、
アタシの場合、邦楽のきき方として、
先に言葉をキャッチしてしまう傾向がある。
これは、エニアグラムタイプ7の
思考タイプだから…かもしれないけれど、
キャッチした情報を、
基本的に思考へと流しやすいんだな。

感じながらきく=ハート(感性)

それとは反対に、
音をそのまんま“感じながら”きくのは、
感性できいていることになる。

それこそ、歌詞を理解しようとはせず、
言葉も一つの“音”として、
トータル的に“音楽”としてきくこと。

ただ、あるがままを“きく”。
入ってくる“音”をそのまま感じる。
そこに、理解や意味は求めない。
感覚として“音”を受け入れて捉える。
“心地よさ”を基準にきく。

20代の頃は、よくHip-Hopをきいてた。
別に歌詞がいいと思ったことはないし、
むしろ歌詞としては、あまり魅力はない。

けれども、Hip-Hopの良さは、
韻を踏むリズム感が好きだったのだ。
韻がリズムに乗って、音として一体になり、
そのハマり具合が「気持ちいい〜!!」って、
思う音楽がいっぱいあった。
まさに、感性できいていたんだよね。
今だから、わかることだけど。

【聞く】と【聴く】の違い

ここまで、“きく”をあえて漢字で
表記しなかった。

アタシもよく傾聴の講義をする時、
よくある【聞く】と【聴く】の違いについて、
話しをすることがある。

今回のことを、
“きく”という漢字として考えたとき、
どんな違いがあるんだろう‥って思った。

■聞く
自然と入ってくる音を聞くこと。受動的な聞き方。

■聴く
積極的に耳を傾けて聴くこと。能動的な聴き方。

受動的・能動的という違いでいうと、
音楽は、受動的な“聞く”で
いいんじゃないかって思った。

人の話しに耳を傾けるときは聴くけれど。
音楽を能動的に聴いていると、
思考(脳・頭)が休まらないww
興味・関心をもって“きく”ということでは、
音楽も“聴く”なんだろうけど…
うーん‥漢字って難しい。

思考で聴く音楽 or 感性で聞く音楽

邦楽には言葉が多く詰まってる分、
思考がとても働きやすくなる。
洋楽だって、
英語の歌詞を理解しようとする人にとっては
同じことだね。
あんま邦楽・洋楽、関係ないね。

要するに、
歌詞・言葉を“音”として聞き入れるか。
歌詞・言葉を“意味やメッセージ”として聴き入れるか。
“きき方”のスタンスよって、
音楽のきき方は変わるし、
身体への影響も変わる。

もし思考で音楽を聴いていたら、
脳は休まらないし、
神経も休まらない。
そうなると、自律神経のバランスも崩すし、
心のバランスも崩れて、
鬱になりやすくなったりもする。

リラックスする時間って、
本当大事なんだな‥って、
アタシ自身も自律神経を崩して、
病気になった経験があるからこそ、
その重要性を感じる。
そして、現代人は多くの人が、
思考=左脳に偏りすぎて、
バランスを崩してしまっているんでないかと
本気で心配する。

だからこそ、

右脳の活性化!
感性を拓く!

ってことが、大事なんですよ。

すべてはバランス。
どっちが良くて、どっちが悪いではなく、
右脳と左脳のバランス。
思考と感性のバランス。

右脳を活性させるための、
音楽、アート、瞑想、身体ほぐしetc…
自分なりの方法を見つけてくださいな。

Written by まついゆか

♡感性を育てる子育て方法♡
愛の子育てレッスン

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生み出す人・組み合わせる人

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何かクリエイトする時には、
生み出す人と、組み合わせる人がいる。
でも、生み出す人というのも、
結局のところ、
いろーんな組み合わせをした結果、
生み出されていることがほとんど。

全くの新しいことを生み出すって、
然う然うないもので、
ほとんどがMIXされたもので、
新しいものが生まれている。

で、それは別にどっちでもいいんだと思う。

MIXされたものでも、
アレンジされたものでも、
組み合わせて新しいものが生まれるなら、
それでいいんだと思う。

命だってそうだしね。
遺伝子がMIXされて、
新しい命・遺伝子が誕生するのだから。

創造主は自由であれ

ただ、創造主というのは、
自由であらなくてはいけない。

何かに固執してしまうと、
そこからは何も生まれない。

だから自由に、
フレキシブルに。
そして表現をしていくことで、
新しいものが生まれる。

インプットすることは大事。
だけど、インプットしたことを、
どう使うかの方が、もっと大事。

インプットするだけで満足していては、
何も意味がない。
それを自分でどう消化し、
どう組み合わせて、
どう新しいものを生み出すか。
そこに、【人間の力=創造力】がある。

AIには出来ないことね。

インプットした点がつながった時…

おそらく、インプットした点がつながり、
自分の中で線となって、
面となった時に、
Aha体験が起きて、
新しいものが生まれるような気がする。

だから、インプットは単なる情報収集。
自分が必要としている情報を吸い上げたら、
手放していいんだと思う。

その蓄積がいつしか線となり、
自分の“寄り道”してきた点がすべてつながり、
その時に道が開けるんだね。
シナプスがつながっていく感じ。

それは期が熟せば、
自然とやってくるような気がするのだ。
それほどに、宇宙はうまいこと出来てるから、
安心して好きなだけ“寄り道”したらいい。
これがアタシの考え。

嗚呼、学びが毎日多いなぁ。
幸せだなぁ。

オリジナルを創ることを楽しもう

家族に教わったことも、
学校で教わったことも、
社会で教わったことも、
友達に教わったことも、
恋人に教わったことも、
パートナーに教わったことも、
子どもに教わったことも、
すべては自分だけの宝物。

同じ体験をしている人なんて、
この世に一人もいない。
過去にも未来にも一人もいない。

だから、インプットしたことを、
どうMIXして、
オリジナルを創り上げるのかは、
自分が通ってきた道でしか、
創り出せないように、
自然の摂理としてなっているんだ。

でもそこでね、
自分自身が「生み出そう」という気持ちでいないと、
力だって使えないわけ。

「“自分”を使って、
新しいことを生み出す人になる!」

ということを、
自分自身で決めるのだ。
それが主体性で生きるってこと。

人に従っている場合ではない。
人に倣っている場合ではない。
人に合わせている場合ではない。

自分の中から湧き上がってくる、
創造力を思いっきり楽しもう。

Written by まついゆか

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実感と本音こそがすべて

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3月16日・17日と、
「感性論哲学後継者育成講座」に
参加するため、名古屋へ行ってきました!

★感性論哲学とは…?

感性肌のアタシ

もともと“感性肌”のアタシは、
子どもの頃から、
自分の中の“感性”をとても大切にしていて、
そのセンサーを指針としている。

快か、不快か
楽しいか、つまらないか
好きか、嫌いか
心地いいか、心地悪いか
気持ちいいか、気持ち悪いか

これらを感じる時に、
“なんとなく…”という感覚と共に、
言葉にならない領域にアンテナを立て、
それを基準に物事を判断してきた。

そんな生き方を、
自分は“ダメな子”としてきた。
なぜなら、世の中のモノサシが
【理性社会】だから。

世の中のモノサシが【理性】というのは、
どういうことかというと…

良いか、悪いか
正しいか、間違っているか
優れているか、劣っているか
出来るか、出来ないか
勝ちか、負けか

といったモノサシ。

だから、親にもそうやって
育てられてきたし、
学校でも、社会でも、
その〈理性の価値判断〉で図られ、
成人になるまで過ごしてきた。

これはアタシに限ってじゃないよね。
世の中の水準がそこだもの。
多くの人が、その〈理性の価値判断〉という
枠に入れられて来たと思う、時代的に。

そんな窮屈さと、
生きづらさと、
息苦しさと、
違和感がずーーーっとあって。
どんどん【自分】という人が、
見えなくなってきていた。

アタシは誰で、
アタシは何者で、
アタシは何がしたくて、
アタシは何のために生まれたのか。

拭いきれない問いが、
ずーーーっと頭の片隅にあった。

“感性を拓く場”との出会い

そんな自分が、
まず出会ったのは、
“心理学”だった。
2006年頃から学んできて、
次から次へと知る心の世界が、
楽しくてしかたなかった。

その中でも、
最も好きだったものが、

エンカウンターワークショップ

だった。

その当時の「エンカウンター」についての説明。
こちらの★過去ブログ★からどうぞ。

端的に言うと、
エンカウンターという言葉自体は、
“出会い”を意味するが、
「本音と本音の交流で自分や他者に出会うこと」
を目的とした、グループ心理療法。
この療法のスタートは、
来談者中心療法の創始者である、
カール・ロジャースです。

アタシは、このエンカウンターが大好きで。
自分の本音や感じていることが、
なんなのか分からなくなるほどまで、
抑圧していたアタシだったのが、
今くらいまでオープンになることができた(笑)
きっかけは、このエンカウンターだった。

当時は、自分の本音を話そうとするだけで、
涙が溢れてしまって、
何も言えなかった。
しょっちゅう泣いてた。
言葉に出来なくて苦しかった。

今だって、本音を話そうとするのは、
躊躇することもあれば、
なかなか吐露できないこともある。
けど、約10年前に比べると、
格段と出来るようになったもんだ。

失感情症・失体感症

紆余曲折、人生いろいろあって。
一度は離れた対人援助職だったが、
再び同じステージに戻ろうと決めた時、
出会ったのが“あけみちゃん”こと、
岡部明美さんのワークショップだった。
アタシのブログでも、
何度も紹介させていただいている。

このワークショップの中で、
「現代人の問題は、
失感情症・失体感症にある」

いう話しを聞いたとき、
当時のアタシにとってドンピシャで、
「同じことを感じている人がいた!」
と思って、とても嬉しかった。

また、
「自分が自分らしく生きるためには、
“感性を取り戻すこと”だ」
という
話もあり、深く共感したのだった。

そして、あけみちゃんのワークショップや、
リーダーシップ育成の教えの基盤の考え方には、
【感性論哲学】があることを知り、
そこから【感性論哲学】に興味を持った。

アタシは〈人生はすべて体験にある〉と
10代の頃から思っていたし、
だからこそ、さまざまな体験をすることに
意味と価値を置いて人生を選択してきたのだ。

体験そのものも大事だけれど、
そこで“感じること”が大事なわけで、

体験でしか
“本当に知り得る”ことは出来ない

と、思ってる。
というのも、体験を通じて感じたことが、
理性を使って記憶されることで、
はじめて「知った」になると。
アタシの基準の「知る」はソコ。
脳内だけでの“記憶”は、
あまり重要ではない。

だからこそ、
バーチャル世界に異を唱える。
失感情症・失体感症は、
極論、“生きる実感”を失うことだ。
だから、頭でっかちになるなってこと!

体験から“実感”が湧く

何度もいうよ。
〈体験こそが大事〉
生(なま)で感じることでしか、
生きていることを感じられない。

ワークショップが大事なのは、
体験を通して、
“感じる”世界に直接アクセスするからだ。

座学は、結局のところ“思考”でしかない。
そこでずーっと座って学んでいても、
頭に知識・情報は入ってくるだろうが、
何も動いてない。

アタシの感覚でいう、
「本当に知り得る」ことにはならんのだ。
なのに…知った気になる。
知ったと思うから、
やってみようとするけど、
いざ、やろうとすると…できない。
当たり前じゃ、体験してないんだから。

“実感”の奥に“本音”がある

そして、さらには。
【実感】した後にしか、
【本音】っつーのは出てこない。
頭だけの知識や情報、考えでは、
【本音】まで辿り着けないのである。
残念なことに…。
本音って奥深いのよ。。。

そう思うと、
【本音】で言い合えている人って、
どんだけいるんだろ…?
アタシは日常生活において、
あまり出会わないかな。

“実感”することが〈怖い〉という壁

じゃ、みんなはなぜ、
そんなにも頭だけに偏ろうとするのか。
それは〈怖さ〉がそこにはあるから。
感じることを怖がる人って、
めっちゃ多い。

・コントロール出来なくなりそう
・自分の嫌な部分が見えちゃう
・本当の自分がバレてはいけない
・弱い人間なことを認めてしまう
・自分に価値がないことを認めてしまう
・これまで頑張ってきたことが、
 全部崩れてしまいそう。
・自分じゃなくなってしまいそう。

こういった恐怖に襲われるから。
これは自分の“エゴ”や“マインド(思考)”が
創り出した幻想よ!

この壁を乗り越えた先に、
【真の実感】を体験することができ、
そして【本音】と出会える。

ジャッジメントのない世界

【実感と本音】には、
ジャッジメントの世界はない。
〈理性の価値判断〉は存在しない。

感じたことに、善し悪しもないし。
感じたことに、正誤はないし。
感じたことに、優劣はないし。
感じたことに、勝負はないし。

感じたこと、
それが“すべて”なの。
それ以上でも以下でもない。
そして、その感じたことを、
そのまんま伝えることこそが【本音】なの。
その【本音】こそが、
人の心を動かすの。

まとめ

感性論哲学後継者育成講座で、

感性の〈実感〉と〈本音〉に信頼をおく

という話しがあった。
まさに、その通りだと思う。

頭では、言葉としてはわかるけど、
じゃぁ…どうするの?

まずは【実感】を
この身をもって体験しましょう。
その【実感】を体験すると、
自分の奥底にある【本音】が自然と顔出す。
その繰り返しをしていると、
感性で生きるスタンスとなり、
それが自分を生きることになるから。

今年は、
エンカウンターワークショップの
実践を予定しています!!
ワクワクが止まらない〜♡

感じること、生きること、愛すること、
つながること、自分と出会い、
本当の自分で他者と出会う場を創造していくよ。

自分とつながらなければ、
他者とつながることなんて出来ない。
まずは、自分の感性を拓きましょう。

準備が整ったら、
また告知しますね☆

Written by まついゆか

感性論哲学を基盤とした、
子育て講座のモニター募集中です♪

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