手段を目的とすり替えない

LINEで送る
Pocket

「手段を目的だと思ってしまうと迷う」ということを最近改めて思った。
何を手段として、その手段を使って何をしたいのか。この「何をしたいのか?」が目的であって、そこを見誤ってしまうと、人生の迷子の子羊になるのだと。もしくは、ゴールがいつまで経っても見えてこないということを。だから常に「なんのために?」を問うことが大事なんだと思う。

カウンセラーになるのは手段でしかない

私が最初に「カウンセラーになりたい」と思ったのは、27歳のときだった。今から10年以上前。当時は派遣社員で事務職をやりながら、これからの仕事について‥というよりも、自分の人生をこの先どうしていきたいのか?について、よく考えていた時期だったように思う。
この時、カウンセラーになろうと思ったのは以下の理由からだった。
①これからの時代は、“心・精神的”な問題が大きくなってくるであろうという先見の明を持っていた。
②周囲から自分に相談が寄せられることが多く、人の話しを聞くことが得意だった。
③手に職をつけ、一生使える専門職が欲しかった。
最初はこんな理由だった。ここには【目的】が抜け落ちていることは、今だからこそわかる。そう、手段ばかりを得ようとしてカウンセラーになったところで、「何をしたいのか?」については考えられていなかったのだ。

心理学を学び、カウンセラーとして活動をし始めたころ、徐々に自分の中でクライアントのターゲットを絞りたいな‥と思うようにはなってきた。最初は手段から入ったが、そのスキルが身についてきて、はじめて「じゃあ、これを使ってどうするんだっけ?」ということを考えるようになった。
そして“この世のお母さん”向けのカウンセリングをしたいというところへ行き着いた。なぜなら、自分自身が母親とのことに問題を抱えていたこと。そして周囲でも母親との関係で悩んでいる人が多かったこと。また心理学を学んだことによって、人生の大半は親との関係性で決まってくることなど、インナーチャイルドのことや、認知の歪み(ビリーフ)について、価値観が出来る過程など学んでいる中で、生まれてから10歳までの親との関わり方の重要性を感じたからである。お母さんたちが集まるようなコミュニティーを作り、そこで悩み相談を受けるということをやりたいと、いつしか考えるようになった。

しかしながら、まだまだ“カウンセリング”に対しての敷居は高く、当時の需要が少なかった。カウンセリングは、精神的に病気になった人が行くところという概念が日本ではまだ強く、あまり身近なものではなかった。だからターゲットを絞るどころか、絞るほど多くの人がそもそも来ない…。しかもカウンセラーとしてヨチヨチ歩きしている自分が、クライアントを選ぶなんていう贅沢なことをしてはいけないようにも思っていた。
そして、頭の片隅には「アメリカのように、誰もが1〜2名の専任セラピストを持つような時代がくればいいのに…」と思うようになり、カウンセリングの普及をしたいとも考えるようになってきた。が…結局、それをどうやるのかが分からなかった。
当時、所属していた団体の中で仕事を創り出し、電話カウンセリングを中心とした活動を続けていたが、経済的に生活が苦しくなってしまったり、また所属団体の方向性の転換から、違和感を感じるようになって脱退をすることにした。それと同時に、カウンセリング・対人援助職の仕事から退いた。

 

今度はファシリテーターになりたい

2014年になって、今度は「ファシリテーターになりたい!」と強く思うようになり、今に至るまでがむしゃらに勉強してきた。ファシリテーターになろうと思ったのは以下の理由からだった。
①個人セッションよりグループセッションの方が、私はエネルギーが強いので向いている
②個人の枠には限界がある。人は人(他者)の中で学び、成長することが欠かせない
③“場”を創ることがとても得意であり、好きである
④個人ではなく“関係性”に着目したカウンセリングが、多くの可能性を秘めているに違いないという確信
そんな理由からだった。ここでも再び【目的】が抜け落ちている。またもや“手段”を追い求めていたのだ。

その結果、当然のことながら迷子になる。

結局、カウンセラーになっても、ファシリテーターになっても、それで具体的に「何をしたいのか?」がいつまで経っても明確にならない。昨年に比べ今年はとても有り難いことに、ファシリテーションや講師業が増えてきている。カウンセラーもファシリテーターも職業であって、実績があれば活動の一部として公言していいと思う。・・・けれども、その職業・手段を使って、何をしたいのかが不明確なままだったのだ。

 

手段に踊らされちゃうワタシ

いつもいつも手段に踊らされ、手段を目的だと思い込んじゃって、結局その手段となるスキルが身についた時に、先が見えなくなっていたり、次にどこへ行けばいいのか分からないことが起きた。手段・スキルを身につけようという時は必死だから、そのことには気づかない。ゴール設定を間違っていることに気づかないで走り続けるのだ。そして、ゴールに行き着いた時に、「はて?何がしたかったんだろうか?」ということになる。そしてまた、次なるゴールだと思いこんでいる手段を探そうとする。
こんなことが、ずーーーーっと自分の人生に起きていたのだということにようやく気づき…ちょっとゲンナリし、そして落ち込んだ。。。

けど、ふと思う。
同じような人、実は沢山いるのではなかろうか? だから今回、記事にしようと思った。

 

目的が先、手段は後

「何がしたいか」が先。それを達成するための手段は後。この順番を間違えたり、そもそも目的を設定しないで(もしくは、設定したと勘違いをして)走り出すと、迷走ループにハマる。私のように目的を設定していないことすら、気づいていないということもあるわけだ。

美容師になりたい!→なんのために?
弁護士になりたい!→なんのために?
ダンサーになりたい!→なんのために?
看護師になりたい!→なんのために?
カウンセラーになりたい!→なんのために?
コーチングしたい!→なんのために?
社長になりたい!→なんのために?
会社を立ち上げたい!→なんのために?
先生になりたい!→なんのために?
結婚したい!→なんのために?
お母さんになりたい!→なんのために?

なんだか、当たり前のことなんだけど…この見失っちゃう&間違っちゃうことは、よくあるような気がする。
子供に将来の夢は?と聞いて、「漫画家!」と答えたら、「それはいい夢だね!頑張ってね!」で終わらせちゃーいけないんだ。「漫画家になって、君は何を実現したいの?」とか、「なんのために漫画家という手段をとるの?」と聞いてあげないといけないんだ。じゃないと、いつまで経っても手段を目的だと思って走り続け、満たされず、ゴールが見えてこないんじゃないだろうか。

 

職業は公言しなくてもいいのかも

ようやく…そんな答えにたどり着いたら、私はカウンセラーであることやファシリテーターであること、変な話、どうでもよくなってきた。なぜなら、私が設定している今回の人生の目的は、そこではないからだ。スラッシャーとしていろんなこと(仕事)をやっているけれど、それは自分の人生の目的を達成するために必要なスキルの集大成でしかない。もしかすると、職業は公言しなくてもいいのかもしれない。

あなたは何者ですか?とか、何をしている人ですか?と尋ねられたら、「私は、この世から人間関係のもつれによる犯罪やトラブルを軽減させ、思いやりのある共存社会を創り出すために活動している人です」と答えられたら、それでいい。それだけで、十分自分を表現できているし、相手にも伝わるんじゃないだろうか。。

目的は一つで、手段はたくさん。私は【人間関係のもつれによる犯罪やトラブルを軽減させるため】であれば、カウンセリングもするし、ファシリテーターもするし、講師もするし、イベントもするし、会社の代表もするし、自分でチラシも作るし、その分野や少しでも関わることがあれば勉強をし続けるのだ。逆に、この目的を達成するために、多くの学びとスキル磨きを続けてきた。

今、自分の目的がとても明確になったことによって、手段に振り回されなくなってきた。目的がクリアになったからこそ、このことに気づけたのかもしれない。これはとても楽な感じ。今までは手段に振り回され、次から次へとゴールを探し続け、迷走をしてきたから。 これからも目的を達成するために、必要だと思うことには時間もお金も労力も投資していくんだと思う。けれど、自分が「これをしたい!」と強く思えることがあるのは、とても幸せなことなんだと思う。

手段の落とし穴、どうか皆さんもお気をつけくだされ。

Written by まついゆか

LINEで送る
Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)