“お金”の意識をシフトチェンジ
もう気づいている人も多いけど。
今は過渡期だから、様々な価値観や概念が
入り組んでいる時だけれど。
アタシの中でもじんわ〜りと浸透してきて、
実感を伴って感覚が変化してきたので、
そのことを認めておこうと思う!
“お金”に対する意味づけ
“お金”に対して意味づけは、
人によって様々。
最近はキャッシュレスも増えてきて、
やんわりと“お金”に対する価値観、
概念やイメージが世間的にも変わりつつある。
アタシの中で“お金”って、
ずーっと「力(Power)」、
しかも「権力」とか「支配力」とか、
そういう感覚のものだった。
なんだか〈絶対的な強いもの〉っていう感じ。
今でもそうやって捉えている人はいるだろうし、
まだまだ多いとも思う。
だから、「お金があれば何でも出来る」って
思っている人だってまだいるんだ。
だから、お金を欲しがる。
お金で支配やコントロールをしたがる。
“お金”を「力」だと思っていると、
そこには上下関係が発生する。
支配するものと、支配されるもの。
強いものと、弱いもの。
立場の高いものと、低いもの。
かく言うアタシも、
「力」という意味づけをしていたので、
お金に支配されていたし、
「力」を持つこと(大金)への恐れがあった。
逆にお金がなくなることは、
力を奪われてしまう…そんな感覚もずっとあった。
力がなくなる、奪われる、気力がなくなる、
元気がなくなる…とても自分が弱くなっていく感じ。
なので、支払いに対しても負のイメージしかなかった。
こうして人は“お金”に対して、
いろんな見方・イメージ・感覚を持っている。
「力」と捉えたり、「手段」と捉えたり、
「価値との交換」と捉えたり…
その見方次第で、いろんな意味づけをし、
またいろんな感覚を持つのだ。
完全に紙切れと銅の塊に、翻弄されている…
“お金”と仕事と力関係
「商流ってすごく上下関係があるよなぁ…」
そんなことを、ふと思った。
それは「お金=権力」という認識の中で、
上から下に流れていくような感覚があるから…か?
実は前々からずっと不思議に思ってて。
「下請け」って言うだけで、
立場が低いイメージがあるけど、
それって、なんでだろ?って。
立場の低い人は上の人にへいこらする。
立場の高い人はふんぞり返る。
自分たちが出来ない仕事を、
やってくださる人たちであって。
っていうか、仕事って全員仲間じゃん。
上も下もなく、それぞれの能力を発揮して、
築き上げていくものであって。
能力に上も下もない。
お仕事を引き受けてくださる人たちに、
「ありがとう」という感謝が“お金”になっているのに。
「お金払ってるんだからやって当たり前でしょ」
みたいな雰囲気で発注者が偉そうにする。
発注者が絶対的な存在としている。
Why?
それって“お金”が「権力」となっているからよね?
そんな社会における暗黙の上下関係が気持ち悪いのだ。
あと、昔はよく
「お客様は神様だ」って言われてたよね。
(今でも言われてたりするのかな…?)
あれも、ずーっと前から不思議だった。
お客様は神様だ!
…なら、
アンタもアタシも神様だよ!
アタシはあなたのお客様になるし、
あなたはアタシのお客様にもなる。
目の前の人だけがお客様じゃなく、
電車の隣に座ってる人だってお客様だ。
すべては価値の循環でしかない。
“お金”は「力」ではなく、「価値」の対価
アタシは〈値引き〉が嫌い。
値引きするのもされるのも。
相手の能力や価値に対して、引き算をする。
なんじゃそりゃー!!
特に物の売買ではなく、
スキルやクリエイティブなものに対して、
発生しやすい。
無形なだけに、曖昧になりがち。
しかしそこには、
その人が身につけてきた多くの学びや知識、
蓄積された技術、ノウハウ。
そして、その人自身を活かしたセンスなど、
目には見えない多くのものが盛り込まれているのだ。
その価値を、こちらから値引くって、
失礼極まりない。
アタシも何度かそういう交渉を受けたことがある。
「通常◯◯円かもだけど、
知り合いだからまけてよ!」的なこと。
自ら「◯◯円でいいよ」ということなら、
自分で決めたことからいいんだけど。
相手に言われることほど、苦痛で腹立たしいことはない。
アタシの価値は、アタシが決める。
もし結果的に、
金額にそぐわない仕事だったとしたら、
後に交渉すればいい。
だから端から値引きしてくる人とは、
仕事をしません。
アタシの価値を低く見積もられるから。
自己肯定感が下がる一方。
そんな中でベストパフォーマンスなんて、
出来るわけがない。
相手に値引きを要求してくる人は、
大抵自分のことも低く見積もっていたりする。
そんな負の連鎖に巻き込まれるのはゴメンじゃ。
自分が提供するモノ・スキル・成果物(=価値)に対し、
感謝として返ってくるのが“お金”。
その価格を設定しているということは、
それだけの価値を提供する自信があるってこと。
ただ、相手とのモノサシは違うから、
自分の価値はこのくらいだって思ってても、
相手からすると違う‥というズレが生じることも稀にある。
その場合は、話し合いだよね。。
“お金”は「価値」への感謝として
あなた方の提供する食事で空腹を満たしてくれてありがとう。
髪をカットして、私をキレイにしてくれてありがとう。
たくさん話しを聴いてくれて、寄り添ってくれてありがとう。
楽しい場・空間・時間を提供してくれてありがとう。
自分の商品を素敵に仕上げてくれてありがとう。
高い技術と知識と経験でサポートしてくれてありがとう。
困っていることを解決してくれてありがとう。
急いでいる中、送迎してくれてありがとう。
重たいものを遠くから届けてくれてありがとう。
私たちが出来ない仕事をやってくれてありがとう。
“お金”はぜーーーんぶ「ありがとう」の現れ。
「力」→「感謝」へと意識を変えた。
「力」と捉えていた時は、
“お金”の存在がとても怖くて、汚いもので、
いやらしいもので、敬遠していた。
そりゃー貯まらないわ(笑)
だって、無意識でお金を避けていたもの。
ただ、“お金”って循環させるものだと思ってるから、
いっぱい貯め込む必要はないんだけどね。
これって、
「男性性」→「女性性」への変化の一部なのかも。
“お金”に対する意識のシフトチェンジをして、
相手に対する「ありがとう」の気持ちを乗せて、
これからは相手にお渡ししたいと思う。
アタシを満たしてくれて、
ありがとう♡
Written by まついゆか
https://yuka8.com/blog/money綴|Blogもう気づいている人も多いけど。今は過渡期だから、様々な価値観や概念が入り組んでいる時だけれど。 アタシの中でもじんわ〜りと浸透してきて、実感を伴って感覚が変化してきたので、そのことを認めておこうと思う! “お金”に対する意味づけ “お金”に対して意味づけは、人によって様々。最近はキャッシュレスも増えてきて、やんわりと“お金”に対する価値観、概念やイメージが世間的にも変わりつつある。 アタシの中で“お金”って、ずーっと「力(Power)」、しかも「権力」とか「支配力」とか、そういう感覚のものだった。なんだか〈絶対的な強いもの〉っていう感じ。 今でもそうやって捉えている人はいるだろうし、まだまだ多いとも思う。だから、「お金があれば何でも出来る」って思っている人だってまだいるんだ。だから、お金を欲しがる。お金で支配やコントロールをしたがる。 “お金”を「力」だと思っていると、そこには上下関係が発生する。支配するものと、支配されるもの。強いものと、弱いもの。立場の高いものと、低いもの。 かく言うアタシも、「力」という意味づけをしていたので、お金に支配されていたし、「力」を持つこと(大金)への恐れがあった。逆にお金がなくなることは、力を奪われてしまう…そんな感覚もずっとあった。力がなくなる、奪われる、気力がなくなる、元気がなくなる…とても自分が弱くなっていく感じ。なので、支払いに対しても負のイメージしかなかった。 こうして人は“お金”に対して、いろんな見方・イメージ・感覚を持っている。「力」と捉えたり、「手段」と捉えたり、「価値との交換」と捉えたり…その見方次第で、いろんな意味づけをし、またいろんな感覚を持つのだ。完全に紙切れと銅の塊に、翻弄されている… “お金”と仕事と力関係 「商流ってすごく上下関係があるよなぁ…」そんなことを、ふと思った。それは「お金=権力」という認識の中で、上から下に流れていくような感覚があるから…か? 実は前々からずっと不思議に思ってて。「下請け」って言うだけで、立場が低いイメージがあるけど、それって、なんでだろ?って。立場の低い人は上の人にへいこらする。立場の高い人はふんぞり返る。 自分たちが出来ない仕事を、やってくださる人たちであって。っていうか、仕事って全員仲間じゃん。上も下もなく、それぞれの能力を発揮して、築き上げていくものであって。能力に上も下もない。お仕事を引き受けてくださる人たちに、「ありがとう」という感謝が“お金”になっているのに。「お金払ってるんだからやって当たり前でしょ」みたいな雰囲気で発注者が偉そうにする。発注者が絶対的な存在としている。 Why?それって“お金”が「権力」となっているからよね?そんな社会における暗黙の上下関係が気持ち悪いのだ。 あと、昔はよく「お客様は神様だ」って言われてたよね。(今でも言われてたりするのかな…?)あれも、ずーっと前から不思議だった。 お客様は神様だ!…なら、アンタもアタシも神様だよ! アタシはあなたのお客様になるし、あなたはアタシのお客様にもなる。目の前の人だけがお客様じゃなく、電車の隣に座ってる人だってお客様だ。 すべては価値の循環でしかない。 “お金”は「力」ではなく、「価値」の対価 アタシは〈値引き〉が嫌い。値引きするのもされるのも。相手の能力や価値に対して、引き算をする。なんじゃそりゃー!! 特に物の売買ではなく、スキルやクリエイティブなものに対して、発生しやすい。無形なだけに、曖昧になりがち。 しかしそこには、その人が身につけてきた多くの学びや知識、蓄積された技術、ノウハウ。そして、その人自身を活かしたセンスなど、目には見えない多くのものが盛り込まれているのだ。その価値を、こちらから値引くって、失礼極まりない。 アタシも何度かそういう交渉を受けたことがある。「通常◯◯円かもだけど、 知り合いだからまけてよ!」的なこと。自ら「◯◯円でいいよ」ということなら、自分で決めたことからいいんだけど。相手に言われることほど、苦痛で腹立たしいことはない。アタシの価値は、アタシが決める。もし結果的に、金額にそぐわない仕事だったとしたら、後に交渉すればいい。 だから端から値引きしてくる人とは、仕事をしません。アタシの価値を低く見積もられるから。自己肯定感が下がる一方。そんな中でベストパフォーマンスなんて、出来るわけがない。相手に値引きを要求してくる人は、大抵自分のことも低く見積もっていたりする。そんな負の連鎖に巻き込まれるのはゴメンじゃ。 自分が提供するモノ・スキル・成果物(=価値)に対し、感謝として返ってくるのが“お金”。その価格を設定しているということは、それだけの価値を提供する自信があるってこと。ただ、相手とのモノサシは違うから、自分の価値はこのくらいだって思ってても、相手からすると違う‥というズレが生じることも稀にある。その場合は、話し合いだよね。。 “お金”は「価値」への感謝として あなた方の提供する食事で空腹を満たしてくれてありがとう。 髪をカットして、私をキレイにしてくれてありがとう。 たくさん話しを聴いてくれて、寄り添ってくれてありがとう。 楽しい場・空間・時間を提供してくれてありがとう。 自分の商品を素敵に仕上げてくれてありがとう。 高い技術と知識と経験でサポートしてくれてありがとう。 困っていることを解決してくれてありがとう。 急いでいる中、送迎してくれてありがとう。 重たいものを遠くから届けてくれてありがとう。 私たちが出来ない仕事をやってくれてありがとう。 “お金”はぜーーーんぶ「ありがとう」の現れ。「力」→「感謝」へと意識を変えた。 「力」と捉えていた時は、“お金”の存在がとても怖くて、汚いもので、いやらしいもので、敬遠していた。そりゃー貯まらないわ(笑)だって、無意識でお金を避けていたもの。ただ、“お金”って循環させるものだと思ってるから、いっぱい貯め込む必要はないんだけどね。 これって、「男性性」→「女性性」への変化の一部なのかも。 “お金”に対する意識のシフトチェンジをして、相手に対する「ありがとう」の気持ちを乗せて、これからは相手にお渡ししたいと思う。 アタシを満たしてくれて、ありがとう♡ Written by まついゆかまつい ゆかゆか まついinfo@ring-link.jpAdministratorただ、ワタシを生きる
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