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前回のブログにもつながる話しだけど。
→前回のブログ
「自分のために生きる」というスタンスでいると、
他人さまのフィールドでは息苦しくなる。

人の軸に合わせること。
人の基準に沿うこと。
人の期待に応えること。
人のフィールドで、
自分が伸び伸びと花を咲かせるなんて出来ない。
自分の花を咲かせるためには、
自分の土壌を自ら耕すことだ。

“自分らしさ”の探求

今年もいろいろあった。
随分と遠回りをして、
“自分”を知るための時間もお金も使った。
使い切った…

もう10年以上も自己探求をしているのに、
見えていなかった【本当のアタシ】。
正しくいうと、見えていたんだろうけど、
自分が受け入れてなかっただけだ。
自分が自分を認めていなかっただけだ。
おもしろいもので、
頭で分かっていても、
それを心底自分自身が受け入れていないと、
自分自身が腹落ちしていないと、
〈本当に理解していること〉にはならないのだ。
だから【本当のアタシ】が、
常にどこか別のところに居るんじゃないかって
ずーっと外に探し求めていたけれど、
それは灯台下暗しだったのだ。

例えていうならば、
アタシは対外的に「明るくて、楽しい」っていう
ポジティブなイメージを持たれやすい。
それが人から見えるアタシの姿であり、
実際に人へ見せている性質なのだ。

しかし、これは一つの事実なのに、
それを自分自身が受け入れようとしなかった。
なぜかというと「明るくて、楽しい」というのは、
なんだか薄っぺらい人間のように思えて。
浅はかで軽い人間のように思えて。
だから、明るくて楽しいだけじゃない自分になろうと、
人の深さに寄り添えるよう、背伸びしてきた。

「明るくて、楽しい人」の表層的な一面を流しつつ、
「重みのあって、深い人」になろうとしていた。
しかも、それがセラピストとしての“在り方”で、
重要だとも思っていた。
他人の人生に関わる仕事。
明るくて楽しいだけじゃ、務まらないと思ってた。
だから、一生懸命に人の深さに寄り添おうとし、
共感しようとしていたのだ。

しかし、「明るくて楽しい自分」を無視するもんだから、
全然“らしさ”が出てこない。
セッションをしている中で、
「アタシのやりたいセッションはこうじゃない」という
想いが徐々に強くなっていった。
なぜなら、自分が置き去りだからだ。
人からの借り物でセッションしているようなもんだからだ。
全くオリジナリティがセッションで出ないことに、
とても窮屈さとしんどさを抱えていった。
そして、自分を見失っていった。

「しゃーない!」という潔い諦め

そして、これまた気づきは突然やってきた。

明るくて、楽しくて、軽くて、浅い!
これこそが、紛れもないアタシじゃない?

…って。

人の深さや人生の重みに、
頑張って寄り添おうとしていたけど…
それが愛であり、思いやりだと思ってたけど…
そうじゃないとダメだと思っていたけど…

ごめん!
正直、アタシそれ出来ないわ!
しゃーない!!

と、潔く諦めることにした。

そしてアタシには、
明るくて、楽しくて、
軽やかな特徴を活かして出来ることや、
他のやり方やスタイルがある。
アタシが自分のフィールドで、
自分の花を咲かせることが出来るって。

自分の本質を自分で認め、
自分の性質を自分が最大限に発揮できるよう、
自分で自分の土壌を耕せばいいって。
そこに行き着いたのだった。

自分の曼荼羅づくり

3年前から師匠としている、
岡部明美さんに言われた。

「私は私の学びの曼荼羅があり。
 ゆかちゃんには、ゆかちゃんの曼荼羅があるよ。
 私の知らないことを、
 ゆかちゃんが知っていることもあるだろうし。
 だから、ゆかちゃんがこれまでに学んできたことで、
 自分の曼荼羅を作ったらいいんだよ。」

※曼荼羅とは…
宇宙を示したものと言われるように、
多くの要素を持った集合体。
空間・領域・場を表しており、
つながりを持った世界観が示されている。
「心の知恵袋」さんより)

そう、まさにそうなのだ。

自分の性質を知り、
自分の特徴を知り、
自分の“好き・ときめき”を大切にし、
自分の“ワクワク”を求め、
自分の心の底から求める“want”とつながる。

アタシがこれまでに培ってきた、
数々の経験・体験・知識・情報・出会い…
それは、アタシが自分の中にある、
好き・快・ワクワクを追いかけて、
ジブン曼荼羅を創るために収集してきた素材たち。

この素材を使って、
自分を満たすことをする。
自分を満たすことをしなかったら、
何のためにこれまで多くの時間と、
多額のお金を注ぎ込んでいたのだ!

もう自分がやりたくないこと。
無理して何かになろうとすること。
自分の奥底で「何かが違う…」という声を
無視し続けること…

全部やーめた!

本当に本当に自分の純度の高い“やりたいこと”だけを、
ジブン曼荼羅の中心に置いて、
そのことだけに集中することにした。
それこそが、自分を生きるということだ。

そして「やーめた!」を大切にすると、
不思議なことに、自分の本当に大切にしていることが
浮き彫りになってくるのだ。

これはまた長くなるので、
今日はここまで!

もう人のフィールドでは生きない。
もう自分のフィールドを耕し、大事に育てる。
人の軸・基準・期待には応えません!(宣言)

2019年は断捨離の一年だった。
今年はいろんなものを失った&手放したので、
2020年はゼロからスタートします。

Written by まついゆか

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まつい ゆか綴|Blog前回のブログにもつながる話しだけど。→前回のブログ「自分のために生きる」というスタンスでいると、他人さまのフィールドでは息苦しくなる。 人の軸に合わせること。人の基準に沿うこと。人の期待に応えること。人のフィールドで、自分が伸び伸びと花を咲かせるなんて出来ない。自分の花を咲かせるためには、自分の土壌を自ら耕すことだ。 “自分らしさ”の探求 今年もいろいろあった。随分と遠回りをして、“自分”を知るための時間もお金も使った。使い切った… もう10年以上も自己探求をしているのに、見えていなかった【本当のアタシ】。正しくいうと、見えていたんだろうけど、自分が受け入れてなかっただけだ。自分が自分を認めていなかっただけだ。おもしろいもので、頭で分かっていても、それを心底自分自身が受け入れていないと、自分自身が腹落ちしていないと、〈本当に理解していること〉にはならないのだ。だから【本当のアタシ】が、常にどこか別のところに居るんじゃないかってずーっと外に探し求めていたけれど、それは灯台下暗しだったのだ。 例えていうならば、アタシは対外的に「明るくて、楽しい」っていうポジティブなイメージを持たれやすい。それが人から見えるアタシの姿であり、実際に人へ見せている性質なのだ。 しかし、これは一つの事実なのに、それを自分自身が受け入れようとしなかった。なぜかというと「明るくて、楽しい」というのは、なんだか薄っぺらい人間のように思えて。浅はかで軽い人間のように思えて。だから、明るくて楽しいだけじゃない自分になろうと、人の深さに寄り添えるよう、背伸びしてきた。 「明るくて、楽しい人」の表層的な一面を流しつつ、「重みのあって、深い人」になろうとしていた。しかも、それがセラピストとしての“在り方”で、重要だとも思っていた。他人の人生に関わる仕事。明るくて楽しいだけじゃ、務まらないと思ってた。だから、一生懸命に人の深さに寄り添おうとし、共感しようとしていたのだ。 しかし、「明るくて楽しい自分」を無視するもんだから、全然“らしさ”が出てこない。セッションをしている中で、「アタシのやりたいセッションはこうじゃない」という想いが徐々に強くなっていった。なぜなら、自分が置き去りだからだ。人からの借り物でセッションしているようなもんだからだ。全くオリジナリティがセッションで出ないことに、とても窮屈さとしんどさを抱えていった。そして、自分を見失っていった。 「しゃーない!」という潔い諦め そして、これまた気づきは突然やってきた。 明るくて、楽しくて、軽くて、浅い!これこそが、紛れもないアタシじゃない?…って。 人の深さや人生の重みに、頑張って寄り添おうとしていたけど…それが愛であり、思いやりだと思ってたけど…そうじゃないとダメだと思っていたけど… ごめん!正直、アタシそれ出来ないわ!しゃーない!! と、潔く諦めることにした。 そしてアタシには、明るくて、楽しくて、軽やかな特徴を活かして出来ることや、他のやり方やスタイルがある。アタシが自分のフィールドで、自分の花を咲かせることが出来るって。 自分の本質を自分で認め、自分の性質を自分が最大限に発揮できるよう、自分で自分の土壌を耕せばいいって。そこに行き着いたのだった。 自分の曼荼羅づくり 3年前から師匠としている、岡部明美さんに言われた。 「私は私の学びの曼荼羅があり。 ゆかちゃんには、ゆかちゃんの曼荼羅があるよ。 私の知らないことを、 ゆかちゃんが知っていることもあるだろうし。 だから、ゆかちゃんがこれまでに学んできたことで、 自分の曼荼羅を作ったらいいんだよ。」 ※曼荼羅とは…宇宙を示したものと言われるように、多くの要素を持った集合体。空間・領域・場を表しており、つながりを持った世界観が示されている。(「心の知恵袋」さんより) そう、まさにそうなのだ。 自分の性質を知り、自分の特徴を知り、自分の“好き・ときめき”を大切にし、自分の“ワクワク”を求め、自分の心の底から求める“want”とつながる。 アタシがこれまでに培ってきた、数々の経験・体験・知識・情報・出会い…それは、アタシが自分の中にある、好き・快・ワクワクを追いかけて、ジブン曼荼羅を創るために収集してきた素材たち。 この素材を使って、自分を満たすことをする。自分を満たすことをしなかったら、何のためにこれまで多くの時間と、多額のお金を注ぎ込んでいたのだ! もう自分がやりたくないこと。無理して何かになろうとすること。自分の奥底で「何かが違う…」という声を無視し続けること… 全部やーめた! 本当に本当に自分の純度の高い“やりたいこと”だけを、ジブン曼荼羅の中心に置いて、そのことだけに集中することにした。それこそが、自分を生きるということだ。 そして「やーめた!」を大切にすると、不思議なことに、自分の本当に大切にしていることが浮き彫りになってくるのだ。 これはまた長くなるので、今日はここまで! もう人のフィールドでは生きない。もう自分のフィールドを耕し、大事に育てる。人の軸・基準・期待には応えません!(宣言) 2019年は断捨離の一年だった。今年はいろんなものを失った&手放したので、2020年はゼロからスタートします。 Written by まついゆか心の対話ファシリテーター|企業研修講師|実現プロデューサー まついゆか 公式ブログ