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私たちは人生の中で(仕事もプレイベートも)
問題が起こらないように、起こらないようにと
意識していること、多くないですか?

問題が起こらないことは、
果たして良いことなんだろうか…?
っていうと、実はそうでもない。

起こらないことが大事なんじゃなく、
起こったことを“おかげさま”にする力が大事である。

問題は“テーマを問う”こと。

問題っていうのは、
字の如く【題(=テーマ)を問うこと】。
ということは、問題が起こったということは、
問うべきテーマが浮上してきたってこと
だと、
私は思っている。

問題をなくそうっていうのは不可能で。
これから先、何千年経ったっても、
問題はなくなることなんてない。

だって、問うべきテーマはいつだって
私たちを成長させてくれるものだから。

とはいえ、落ち込むよね。

とはいっても、問題が起こると落ち込むよね。

私もつい先日、
とある仕事でミスをしてしまった。

クレームとなり、ご迷惑をお掛けしてしまい、
深く反省して、落ち込む…。
申し訳無さで、面目ない気持ちが自分を支配した。

そんな時、クレームを対応してくださった方が、
おっしゃってくれた。

「今回の一件があったから、
 見直すことが出来ました。」

その言葉で、私の気持ちは救われた気分になった。
これこそ、“おかげさま”という精神だ。

私は自分が起こしたミスを
“自分責め”に使っていた。
“自分責め”をして、
また自己肯定感を下げようとする。
これもいつものパターンだ。

“おかげさまで”と言ってくれる人が、
職場やプライベートの関わりの中に
いてくれるのは、
どんなに救われることだろう。

問題を起こした人を“責める”スタイル

今回のケースのように、
職場などでミスがあった時、
問題を起こした本人を責める人がいる。
しかも、「それが“指導”だ」と
思っている人がいる。

一昔前まではそうだったのかもしれない。
それが主流のスタイルだったし、
その責めている人も、
そうやって指導されてきたのだ。
けれどもね、もう古いのね、そのスタイル。

問題は“何を問われているのか”という視点で、
学びを吸収したら手放すこと。
迷惑を掛けてしまった相手に対しての
謝罪や反省はもちろん必要だけれども、
それは相手への誠意を示すことと、
信頼関係をつなぎ直すため。

起こってしまった過去の出来事を責めても、
何の解決にもならない。

叱るは相手を思っての愛情のある指導だけど、
怒るは相手を責める指導なんだよね。
この違い、区別つかない人もまだまだ多い。

問題を“おかげさまで”=感謝に変容させる

問題が起こった時の最終目的地は、
“おかげさまで”という感謝に変容させること。

問題は成長をさせるために、
浮上してくるテーマだったりする。
成長促進剤?成長起爆剤?だね。

問題は解決・解消されたら、
「おかげさまで成長できました」となる。
目指すは“感謝”。

影響を与えた対象に対しては、
謝罪・反省の意を持って、
誠意を伝え、信頼関係を取り戻し、
問題を起こした側は、
テーマを問い、成長へとつなげ、
起こった出来事に感謝をする。

こうして成長を繰り返す。

こんな風に、問題を別の角度から見ると、
怖れることもなくなるよね。

問題を解決して無くそう!
問題が起こらないように事前対策を!
問題がなぜ次から次へと出てくるんだ!
といった、排除する視点ではなく。
“悪”として捉えるのではなく。
問題は必要なこととして起こってくる
〈自然現象〉だと受け止めた上で、
次への架け橋にしていく。

そんな関わりが広がっていったら、
世の中がもっと平和になってゆくね♡

Written by まついゆか

☆個人セッション 申込☆

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まつい ゆか綴|Blog私たちは人生の中で(仕事もプレイベートも)問題が起こらないように、起こらないようにと意識していること、多くないですか? 問題が起こらないことは、果たして良いことなんだろうか…?っていうと、実はそうでもない。 起こらないことが大事なんじゃなく、起こったことを“おかげさま”にする力が大事である。 問題は“テーマを問う”こと。 問題っていうのは、字の如く【題(=テーマ)を問うこと】。ということは、問題が起こったということは、問うべきテーマが浮上してきたってことだと、私は思っている。 問題をなくそうっていうのは不可能で。これから先、何千年経ったっても、問題はなくなることなんてない。 だって、問うべきテーマはいつだって私たちを成長させてくれるものだから。 とはいえ、落ち込むよね。 とはいっても、問題が起こると落ち込むよね。 私もつい先日、とある仕事でミスをしてしまった。 クレームとなり、ご迷惑をお掛けしてしまい、深く反省して、落ち込む…。申し訳無さで、面目ない気持ちが自分を支配した。 そんな時、クレームを対応してくださった方が、おっしゃってくれた。 「今回の一件があったから、 見直すことが出来ました。」 その言葉で、私の気持ちは救われた気分になった。これこそ、“おかげさま”という精神だ。 私は自分が起こしたミスを“自分責め”に使っていた。“自分責め”をして、また自己肯定感を下げようとする。これもいつものパターンだ。 “おかげさまで”と言ってくれる人が、職場やプライベートの関わりの中にいてくれるのは、どんなに救われることだろう。 問題を起こした人を“責める”スタイル 今回のケースのように、職場などでミスがあった時、問題を起こした本人を責める人がいる。しかも、「それが“指導”だ」と思っている人がいる。 一昔前まではそうだったのかもしれない。それが主流のスタイルだったし、その責めている人も、そうやって指導されてきたのだ。けれどもね、もう古いのね、そのスタイル。 問題は“何を問われているのか”という視点で、学びを吸収したら手放すこと。迷惑を掛けてしまった相手に対しての謝罪や反省はもちろん必要だけれども、それは相手への誠意を示すことと、信頼関係をつなぎ直すため。 起こってしまった過去の出来事を責めても、何の解決にもならない。 叱るは相手を思っての愛情のある指導だけど、怒るは相手を責める指導なんだよね。この違い、区別つかない人もまだまだ多い。 問題を“おかげさまで”=感謝に変容させる 問題が起こった時の最終目的地は、“おかげさまで”という感謝に変容させること。 問題は成長をさせるために、浮上してくるテーマだったりする。成長促進剤?成長起爆剤?だね。 問題は解決・解消されたら、「おかげさまで成長できました」となる。目指すは“感謝”。 影響を与えた対象に対しては、謝罪・反省の意を持って、誠意を伝え、信頼関係を取り戻し、問題を起こした側は、テーマを問い、成長へとつなげ、起こった出来事に感謝をする。 こうして成長を繰り返す。 こんな風に、問題を別の角度から見ると、怖れることもなくなるよね。 問題を解決して無くそう!問題が起こらないように事前対策を!問題がなぜ次から次へと出てくるんだ!といった、排除する視点ではなく。“悪”として捉えるのではなく。問題は必要なこととして起こってくる〈自然現象〉だと受け止めた上で、次への架け橋にしていく。 そんな関わりが広がっていったら、世の中がもっと平和になってゆくね♡ Written by まついゆか ☆個人セッション 申込☆心の対話ファシリテーター|企業研修講師|実現プロデューサー まついゆか 公式ブログ