実感と本音こそがすべて
3月16日・17日と、
「感性論哲学後継者育成講座」に
参加するため、名古屋へ行ってきました!
感性肌のアタシ
もともと“感性肌”のアタシは、
子どもの頃から、
自分の中の“感性”をとても大切にしていて、
そのセンサーを指針としている。
快か、不快か
楽しいか、つまらないか
好きか、嫌いか
心地いいか、心地悪いか
気持ちいいか、気持ち悪いか
これらを感じる時に、
“なんとなく…”という感覚と共に、
言葉にならない領域にアンテナを立て、
それを基準に物事を判断してきた。
そんな生き方を、
自分は“ダメな子”としてきた。
なぜなら、世の中のモノサシが
【理性社会】だから。
世の中のモノサシが【理性】というのは、
どういうことかというと…
良いか、悪いか
正しいか、間違っているか
優れているか、劣っているか
出来るか、出来ないか
勝ちか、負けか
といったモノサシ。
だから、親にもそうやって
育てられてきたし、
学校でも、社会でも、
その〈理性の価値判断〉で図られ、
成人になるまで過ごしてきた。
これはアタシに限ってじゃないよね。
世の中の水準がそこだもの。
多くの人が、その〈理性の価値判断〉という
枠に入れられて来たと思う、時代的に。
そんな窮屈さと、
生きづらさと、
息苦しさと、
違和感がずーーーっとあって。
どんどん【自分】という人が、
見えなくなってきていた。
アタシは誰で、
アタシは何者で、
アタシは何がしたくて、
アタシは何のために生まれたのか。
拭いきれない問いが、
ずーーーっと頭の片隅にあった。
“感性を拓く場”との出会い
そんな自分が、
まず出会ったのは、
“心理学”だった。
2006年頃から学んできて、
次から次へと知る心の世界が、
楽しくてしかたなかった。
その中でも、
最も好きだったものが、
エンカウンターワークショップ
だった。
その当時の「エンカウンター」についての説明。
こちらの★過去ブログ★からどうぞ。
端的に言うと、
エンカウンターという言葉自体は、
“出会い”を意味するが、
「本音と本音の交流で自分や他者に出会うこと」
を目的とした、グループ心理療法。
この療法のスタートは、
来談者中心療法の創始者である、
カール・ロジャースです。
アタシは、このエンカウンターが大好きで。
自分の本音や感じていることが、
なんなのか分からなくなるほどまで、
抑圧していたアタシだったのが、
今くらいまでオープンになることができた(笑)
きっかけは、このエンカウンターだった。
当時は、自分の本音を話そうとするだけで、
涙が溢れてしまって、
何も言えなかった。
しょっちゅう泣いてた。
言葉に出来なくて苦しかった。
今だって、本音を話そうとするのは、
躊躇することもあれば、
なかなか吐露できないこともある。
けど、約10年前に比べると、
格段と出来るようになったもんだ。
失感情症・失体感症
紆余曲折、人生いろいろあって。
一度は離れた対人援助職だったが、
再び同じステージに戻ろうと決めた時、
出会ったのが“あけみちゃん”こと、
岡部明美さんのワークショップだった。
アタシのブログでも、
何度も紹介させていただいている。
このワークショップの中で、
「現代人の問題は、
失感情症・失体感症にある」と
いう話しを聞いたとき、
当時のアタシにとってドンピシャで、
「同じことを感じている人がいた!」
と思って、とても嬉しかった。
また、
「自分が自分らしく生きるためには、
“感性を取り戻すこと”だ」という
話もあり、深く共感したのだった。
そして、あけみちゃんのワークショップや、
リーダーシップ育成の教えの基盤の考え方には、
【感性論哲学】があることを知り、
そこから【感性論哲学】に興味を持った。
アタシは〈人生はすべて体験にある〉と
10代の頃から思っていたし、
だからこそ、さまざまな体験をすることに
意味と価値を置いて人生を選択してきたのだ。
体験そのものも大事だけれど、
そこで“感じること”が大事なわけで、
体験でしか
“本当に知り得る”ことは出来ない
と、思ってる。
というのも、体験を通じて感じたことが、
理性を使って記憶されることで、
はじめて「知った」になると。
アタシの基準の「知る」はソコ。
脳内だけでの“記憶”は、
あまり重要ではない。
だからこそ、
バーチャル世界に異を唱える。
失感情症・失体感症は、
極論、“生きる実感”を失うことだ。
だから、頭でっかちになるなってこと!
体験から“実感”が湧く
何度もいうよ。
〈体験こそが大事〉
生(なま)で感じることでしか、
生きていることを感じられない。
ワークショップが大事なのは、
体験を通して、
“感じる”世界に直接アクセスするからだ。
座学は、結局のところ“思考”でしかない。
そこでずーっと座って学んでいても、
頭に知識・情報は入ってくるだろうが、
何も動いてない。
アタシの感覚でいう、
「本当に知り得る」ことにはならんのだ。
なのに…知った気になる。
知ったと思うから、
やってみようとするけど、
いざ、やろうとすると…できない。
当たり前じゃ、体験してないんだから。
“実感”の奥に“本音”がある
そして、さらには。
【実感】した後にしか、
【本音】っつーのは出てこない。
頭だけの知識や情報、考えでは、
【本音】まで辿り着けないのである。
残念なことに…。
本音って奥深いのよ。。。
そう思うと、
【本音】で言い合えている人って、
どんだけいるんだろ…?
アタシは日常生活において、
あまり出会わないかな。
“実感”することが〈怖い〉という壁
じゃ、みんなはなぜ、
そんなにも頭だけに偏ろうとするのか。
それは〈怖さ〉がそこにはあるから。
感じることを怖がる人って、
めっちゃ多い。
・コントロール出来なくなりそう
・自分の嫌な部分が見えちゃう
・本当の自分がバレてはいけない
・弱い人間なことを認めてしまう
・自分に価値がないことを認めてしまう
・これまで頑張ってきたことが、
全部崩れてしまいそう。
・自分じゃなくなってしまいそう。
こういった恐怖に襲われるから。
これは自分の“エゴ”や“マインド(思考)”が
創り出した幻想よ!
この壁を乗り越えた先に、
【真の実感】を体験することができ、
そして【本音】と出会える。
ジャッジメントのない世界
【実感と本音】には、
ジャッジメントの世界はない。
〈理性の価値判断〉は存在しない。
感じたことに、善し悪しもないし。
感じたことに、正誤はないし。
感じたことに、優劣はないし。
感じたことに、勝負はないし。
感じたこと、
それが“すべて”なの。
それ以上でも以下でもない。
そして、その感じたことを、
そのまんま伝えることこそが【本音】なの。
その【本音】こそが、
人の心を動かすの。
まとめ
感性論哲学後継者育成講座で、
感性の〈実感〉と〈本音〉に信頼をおく
という話しがあった。
まさに、その通りだと思う。
頭では、言葉としてはわかるけど、
じゃぁ…どうするの?
まずは【実感】を
この身をもって体験しましょう。
その【実感】を体験すると、
自分の奥底にある【本音】が自然と顔出す。
その繰り返しをしていると、
感性で生きるスタンスとなり、
それが自分を生きることになるから。
今年は、
エンカウンターワークショップの
実践を予定しています!!
ワクワクが止まらない〜♡
感じること、生きること、愛すること、
つながること、自分と出会い、
本当の自分で他者と出会う場を創造していくよ。
自分とつながらなければ、
他者とつながることなんて出来ない。
まずは、自分の感性を拓きましょう。
準備が整ったら、
また告知しますね☆
Written by まついゆか
感性論哲学を基盤とした、
子育て講座のモニター募集中です♪
https://yuka8.com/blog/feelinghttps://yuka8.com/wp-content/uploads/2019/03/light-girl-sun-woman-sunset-sunlight-106914-pxhere.com_-1024x683.jpghttps://yuka8.com/wp-content/uploads/2019/03/light-girl-sun-woman-sunset-sunlight-106914-pxhere.com_-150x150.jpg心|Mind綴|Blog3月16日・17日と、「感性論哲学後継者育成講座」に参加するため、名古屋へ行ってきました! ★感性論哲学とは…? 感性肌のアタシ もともと“感性肌”のアタシは、子どもの頃から、自分の中の“感性”をとても大切にしていて、そのセンサーを指針としている。 快か、不快か楽しいか、つまらないか好きか、嫌いか心地いいか、心地悪いか気持ちいいか、気持ち悪いか これらを感じる時に、“なんとなく…”という感覚と共に、言葉にならない領域にアンテナを立て、それを基準に物事を判断してきた。 そんな生き方を、自分は“ダメな子”としてきた。なぜなら、世の中のモノサシが【理性社会】だから。 世の中のモノサシが【理性】というのは、どういうことかというと… 良いか、悪いか正しいか、間違っているか優れているか、劣っているか出来るか、出来ないか勝ちか、負けか といったモノサシ。 だから、親にもそうやって育てられてきたし、学校でも、社会でも、その〈理性の価値判断〉で図られ、成人になるまで過ごしてきた。 これはアタシに限ってじゃないよね。世の中の水準がそこだもの。多くの人が、その〈理性の価値判断〉という枠に入れられて来たと思う、時代的に。 そんな窮屈さと、生きづらさと、息苦しさと、違和感がずーーーっとあって。どんどん【自分】という人が、見えなくなってきていた。 アタシは誰で、アタシは何者で、アタシは何がしたくて、アタシは何のために生まれたのか。 拭いきれない問いが、ずーーーっと頭の片隅にあった。 “感性を拓く場”との出会い そんな自分が、まず出会ったのは、“心理学”だった。2006年頃から学んできて、次から次へと知る心の世界が、楽しくてしかたなかった。 その中でも、最も好きだったものが、 エンカウンターワークショップ だった。 その当時の「エンカウンター」についての説明。こちらの★過去ブログ★からどうぞ。 端的に言うと、エンカウンターという言葉自体は、“出会い”を意味するが、「本音と本音の交流で自分や他者に出会うこと」を目的とした、グループ心理療法。この療法のスタートは、来談者中心療法の創始者である、カール・ロジャースです。 アタシは、このエンカウンターが大好きで。自分の本音や感じていることが、なんなのか分からなくなるほどまで、抑圧していたアタシだったのが、今くらいまでオープンになることができた(笑)きっかけは、このエンカウンターだった。 当時は、自分の本音を話そうとするだけで、涙が溢れてしまって、何も言えなかった。しょっちゅう泣いてた。言葉に出来なくて苦しかった。 今だって、本音を話そうとするのは、躊躇することもあれば、なかなか吐露できないこともある。けど、約10年前に比べると、格段と出来るようになったもんだ。 失感情症・失体感症 紆余曲折、人生いろいろあって。一度は離れた対人援助職だったが、再び同じステージに戻ろうと決めた時、出会ったのが“あけみちゃん”こと、岡部明美さんのワークショップだった。アタシのブログでも、何度も紹介させていただいている。 このワークショップの中で、「現代人の問題は、失感情症・失体感症にある」という話しを聞いたとき、当時のアタシにとってドンピシャで、「同じことを感じている人がいた!」と思って、とても嬉しかった。 また、「自分が自分らしく生きるためには、“感性を取り戻すこと”だ」という話もあり、深く共感したのだった。 そして、あけみちゃんのワークショップや、リーダーシップ育成の教えの基盤の考え方には、【感性論哲学】があることを知り、そこから【感性論哲学】に興味を持った。 アタシは〈人生はすべて体験にある〉と10代の頃から思っていたし、だからこそ、さまざまな体験をすることに意味と価値を置いて人生を選択してきたのだ。 体験そのものも大事だけれど、そこで“感じること”が大事なわけで、 体験でしか“本当に知り得る”ことは出来ない と、思ってる。というのも、体験を通じて感じたことが、理性を使って記憶されることで、はじめて「知った」になると。アタシの基準の「知る」はソコ。脳内だけでの“記憶”は、あまり重要ではない。 だからこそ、バーチャル世界に異を唱える。失感情症・失体感症は、極論、“生きる実感”を失うことだ。だから、頭でっかちになるなってこと! 体験から“実感”が湧く 何度もいうよ。〈体験こそが大事〉生(なま)で感じることでしか、生きていることを感じられない。 ワークショップが大事なのは、体験を通して、“感じる”世界に直接アクセスするからだ。 座学は、結局のところ“思考”でしかない。そこでずーっと座って学んでいても、頭に知識・情報は入ってくるだろうが、何も動いてない。 アタシの感覚でいう、「本当に知り得る」ことにはならんのだ。なのに…知った気になる。知ったと思うから、やってみようとするけど、いざ、やろうとすると…できない。当たり前じゃ、体験してないんだから。 “実感”の奥に“本音”がある そして、さらには。【実感】した後にしか、【本音】っつーのは出てこない。頭だけの知識や情報、考えでは、【本音】まで辿り着けないのである。残念なことに…。本音って奥深いのよ。。。 そう思うと、【本音】で言い合えている人って、どんだけいるんだろ…?アタシは日常生活において、あまり出会わないかな。 “実感”することが〈怖い〉という壁 じゃ、みんなはなぜ、そんなにも頭だけに偏ろうとするのか。それは〈怖さ〉がそこにはあるから。感じることを怖がる人って、めっちゃ多い。 ・コントロール出来なくなりそう・自分の嫌な部分が見えちゃう・本当の自分がバレてはいけない・弱い人間なことを認めてしまう・自分に価値がないことを認めてしまう・これまで頑張ってきたことが、 全部崩れてしまいそう。・自分じゃなくなってしまいそう。 こういった恐怖に襲われるから。これは自分の“エゴ”や“マインド(思考)”が創り出した幻想よ! この壁を乗り越えた先に、【真の実感】を体験することができ、そして【本音】と出会える。 ジャッジメントのない世界 【実感と本音】には、ジャッジメントの世界はない。〈理性の価値判断〉は存在しない。 感じたことに、善し悪しもないし。感じたことに、正誤はないし。感じたことに、優劣はないし。感じたことに、勝負はないし。 感じたこと、それが“すべて”なの。それ以上でも以下でもない。そして、その感じたことを、そのまんま伝えることこそが【本音】なの。その【本音】こそが、人の心を動かすの。 まとめ 感性論哲学後継者育成講座で、 感性の〈実感〉と〈本音〉に信頼をおく という話しがあった。まさに、その通りだと思う。 頭では、言葉としてはわかるけど、じゃぁ…どうするの? まずは【実感】をこの身をもって体験しましょう。その【実感】を体験すると、自分の奥底にある【本音】が自然と顔出す。その繰り返しをしていると、感性で生きるスタンスとなり、それが自分を生きることになるから。 今年は、エンカウンターワークショップの実践を予定しています!!ワクワクが止まらない〜♡ 感じること、生きること、愛すること、つながること、自分と出会い、本当の自分で他者と出会う場を創造していくよ。 自分とつながらなければ、他者とつながることなんて出来ない。まずは、自分の感性を拓きましょう。 準備が整ったら、また告知しますね☆ Written by まついゆか 感性論哲学を基盤とした、子育て講座のモニター募集中です♪ 感性論哲学流 愛の子育てレッスン ♡個人セッションお申込♡まつい ゆかゆか まついinfo@ring-link.jpAdministratorただ、ワタシを生きる
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