感性論哲学に出会って
「感性論哲学」という哲学に出会ってから、まだ私は日が浅い。2016年の岡部明美さん(通称:あけみちゃん)のワークショップに参加したとき、はじめて「感性論哲学」という言葉を耳にしました。
※あけみちゃんワークショップのご案内はこちらから
初めて聞いた時には、言葉の響きとして心地よい感じがあったし、説明していただくことや、伝わってくることはとても心に響いてくるんだけど、どこか掴みどころがない感じが自分の中にあり。
さらには、あけみちゃんワークショップを経て、今年で2年連続受講をしているLPL養成講座においても「感性論哲学」については取り扱っていきます。そこで2018年の今年より、直々に感性論哲学の創始者である芳村思風先生の「東京思風塾」へと通うことにしました。
★芳村思風先生ホームページ★
感性論哲学とは
とても深すぎて、正直一言で簡単には言い表せない。大きく表すと「感性を原理とした哲学」であるのですが、これが深い!深すぎる!!
これまでの時代は、理性を中心とした時代でした。近代というのは、理性を使って物質的・経済的に発展をしてきました。それはそれで、必要だった時代。しかし、理性で失われた代償がありました。自然破壊・環境破壊・人間破壊。もはや〈人間性の破壊〉は〈理性からの解放〉が必要とされるのです。
そして、人類史上第3の過渡期が来ていると言われている今。大きく変革しようという時が来ています。その変革する先、それがまさに「感性の時代」なわけです。理性の時代から感性の時代へのシフトチェンジ。感性が本質で理性は手段。理性に支配されていたこれまでの時代から、感性が理性を超える力へとするときです。
「人間の本質は感性である」ということを、思風先生は40年近く説いてきています。感性なくしては人間ではない。私たちは呼吸を自分の力でしているわけではなく、心臓を自分の力で動かしているわけでもなく。生命によって生かされている。その生命とは、感性そのものである。感性による力であると思風先生は仰っています。
感性論哲学について、偶数月に1回。思風先生の6時間に亘る講義があります。先生はずーーーっと話しっぱなし。それでも語り尽くせない程の情報量。とても私のブログで書ける量ではありません。。
感性論哲学は私の味方
感性論哲学自体を私が語ることは出来ないので、なぜこんなにも感性論哲学が私にとって魅力的なのかについて書こうと思います。
私は感性論哲学に出会う前から、自分の体験・経験で「いつか理性優位ではない時代がくる。感性が重要視される時代がくる。」と直感で感じていました。それはおそらく、私自身が感性優位タイプの人間だからです。
正直言うと私は理性が弱く(?)、あまり頭を使って考えることが得意ではありません。頭で考えようとすると頭痛が起きます(笑)どちらかというと、自分の感性を信じて自分の人生を選択してきましたし、常に自分の心・感性・感情・感覚に触れる方向へと自分が進む。自分の感性を人生の指針として歩んできました。
●自分の中から湧き上がる欲求
●理屈抜きに惹かれてしまうモノ・人・出来事
●なんとなく心地よい感じ
●気づいたら行動してしまうほど夢中になること
●やらずにはいられない!!と思うほどのワクワク感
私はこういった自分の中の感性・感情・感覚・直感を絶対的に信じていて、且つその声に対してとても正直に従います。誰になんと言われようとも関係なく、感性・感情・感覚・直感の声を軸にします。この感性・感情・感覚・直感こそが、自分の細胞を生き生きさせ、生命が喜んでいるという感覚があるからです。また、自分の感性で動き出した時には、自分の思考(理性)が追いつかないスピードで行動をしていることもあります。
そんなふうに生きてきた私からすると、感性論哲学はその生き方が真実であると肯定してくれている理論。私の味方です。感性論哲学に出会った時は答え合わせをしたような、「あぁ、やっぱりこの生き方でよかったんだ」と心底思え、とても自分の生き方に自信が持てた瞬間でした。これまで理性優位だった社会的風潮があり、感性に主軸を置いている私からすると、とても息苦しかったのです。仕事ではバカにされたこともあります。
●ちゃんと考えろ
●考えが浅い
●そこに理屈はあるのか?
●思いつきで物を言うんじゃないよ!
●お前はバカ(頭が悪い)だなぁ。
という言葉を言われたこともあります。
理性は当然のことながらとても大切です。昨日の思風先生の講義でもありました、「理性は人が幸せな人生を生きるために備えられた能力」と。ここでいう「幸せ」というのは、「自分のしたいことが実現できる時」を幸せといいます。そして自分のしたいことは、理性から出てくるのではなく、感性から湧き上がってくるものです。感性から湧き上がってきた「自分のしたいこと=幸せ」を、理性を使って実現させていく。理性は動物界では唯一人間だけが持っている能力です。理性を発達させてきたからこそ、これまでの歴史の中で様々なことを人は成し遂げて発展させることが出来ました。けれども、理性での自己実現には限界があります。そのことを、今、人類が気づき始めた時代に来ました。理性の支配からの脱却。それが今生きている私たちに求められていることであり、課題なのです。
「細胞」という言葉が好き(笑)
私は昔からよく、この「細胞」という言葉を使って表現することが多く、過去のブログでもチラホラ登場します。私は感性に触れることがあったとき、「細胞」という比喩を使って表現するのです。
〈2010年5月〉
3日間で多くの美術品に触れ、右脳に刺激を受け、細胞を呼び起こし、とても充実した濃厚な3日間。
〈2010年5月〉
最近、ちょっと生活が偏り、恋ボケしてたけど、昨日アドレナリンが放出し細胞が目覚めました。仕事スイッチONです。そう、私にはやるべき仕事がある。そう、私には成し遂げるべき仕事がある。
〈2010年7月〉
なんだか最近、エネルギーが漲っているのか。はたまた細胞が目覚めたのか。それともHighが続いていて躁状態なのか。単に気が大きくなっているだけなのか。私の細胞たちが活性化している。
で、ふと思う。人の可能性ってのは、やっぱり無限なのではないか。実はすっっごい力をワタシは持っているのではないか?・・・な~んて。
この世の中にポーンと生まれてきて右も左も分からないまま、それでもなんとか選択を重ねつつ前に進んで。気づけば自分の経験という足あとに縛られて。いつしか自分の経験を軸に選択することをしていて。すると、冒険することや新しい可能性に目を向けることを恐れて。だからとて、決して今までの自分の経験や価値観を否定するものではなく。
ただ、無限の可能性を、自分の経験や価値観というもので、自分にとって都合のいいように制限しているだけなんだな…ということに気づいてみたり。
まぁ、無防備だと危険だからねぇ。制限もしないとパンクするからねぇ。守ることを覚えてしまうよね、誰しもが。
しかし守ることだけに固執してしまうと、新しい扉は全く開かず。てか、むしろ守ることは必要なのか?それすら分からなくなってきた。なんだか自分で制限をしてるって、もったいなくねぇ?と思えてさ。
周囲の大人からの教えや、自分の経験に基づいた価値観があり、自分の道筋を自分で創ってきた。けれど、その教えが正しいことだなんて、誰も証明はできない。経験だって、どう認識したかで価値観は如何様にも変わる。
今まで創ってきた道があって、その道がこの先もずーっと、ずーっと続いているかのように錯覚してしまうけれど、本当は今この瞬間から先、全てが新しい道。本当は誰も踏み入れていない草むらなのだ。知ってた??
今まで私は過去の自分を、『できない自分』にフォーカスしていた。これは、私が自分自身を「私はできない子」と捉えていたから。けれど、よくよく思い返してみると、自分で認めてあげてなかった小さな成功体験は数多く、これから武器になるようなことばかり。しかも、それを成功と捉えるか、失敗と捉えるかも自分次第。
例えば途中で投げ出してしまったことも、やり遂げない自分にフォーカスしたら、結果は失敗へ帰結するし。新しいステージにチャレンジする自分にフォーカスしたら、結果は成功へ帰結する。ほらね、如何様にもなるでしょ。
そんな成功体験を色々思い出していたらさ、だんだん「ワタシってもしかして、すげー奴なんじゃね?」とか、「実はやればデキる子なんじゃね?」とか、「もっと出来るんじゃね?」とか、「まだ力出し切ってないんじゃね?」とか、「眠ってる可能性があるんじゃね?」とか、「余力ありすぎるんじゃね?」など思えてきて、そしたら細胞が元気になってきたってワケ。
軽い勘違いもあるかもしれないけど、勘違いだって活力の源になるんであれば、いくらでも使えばいい。人生は思い込んだもの勝ちだぁ!思ったことが現実に跳ね返ってきているだけ。だから自分の制限を取っ払ったもの勝ちなのさ。
〈2010年8月〉
次に会う新しい「コンニチハ」のため、今日の「サヨナラ feat. 涙」があったんだと思えば、また上を向いて歩ける。
皮膚と一緒。古い細胞が剥がれ落ち、新しい細胞が生まれてくる。何かを失くして、何かを手にする。こうして人生も世の中も循環することが、自然の摂理であり、健康なのだ。
今日は私の細胞生まれ変わり日。今日の「サヨナラ」を無駄にしないため、自分の経験を糧に、次なる「コンニチハ」を探して、また旅をする。
〈2010年8月〉※サマーソニックへ行って…
また音もこの上なくカッコイイ!超一流は、やっぱり格が違う。当たり前っちゃー当たり前なんだけど、身体の細胞一つ一つが痺れるのよ。細胞一つ一つに音が沁みてくる。とにかく、やばかったです!!!
超一流を体感する。ホンモノに触れる。最近は、とても感性を磨くことに重点を置いてる私。それは人の感性に働きかける仕事を、やっぱりしていきたいから。一つの勉強として、感性磨きとして、とても素敵な刺激を受けてきました。
なんか…2010年は、やたらと感性(細胞)に触れることが多かったみたいね…(笑)
思風先生と行徳先生
思風先生を語るのに、行徳哲男先生の存在を無くしては語れない。思風先生と行徳先生は出会って41年。お二人は「感性こそが人間の本質だ」ということを、ずっと提唱し、研究し、伝え、世に広めてこられた第一人者たち。
思風先生と行徳先生の出会いについて、思風先生のホームページに記載されています。
私は行徳先生とは未だお会いしたことがなく、ずーっと会いたい人物の一人でした。10月27日に開催される「思風会 全国大会」で今回はスペシャルゲストとして行徳先生が登壇されます。そこでお会い出来ると思って楽しみにしていたのですが、な、な、な、なんと!!! 昨日行われた東京思風塾に、行徳先生がいらっしゃいましたー♡
そして東京思風塾の中で50分間、お話をしてくださいました。とても話し方に特徴のある方で、モノマネをする人も多くいるくらい(笑)これまで、さんざんいろんな方の行徳先生モノマネを見てきましたが、やっと本物の行徳先生にお目にかかれました 😀
ダブル巨匠
このダブル巨匠を囲った懇親会に参加しました。そこで、行徳先生の書が全員にプレゼントされましたー♡私がいただいたのは、「唯我独尊」を意味した書。とても光栄すぎるお言葉です。
「唯我独尊」という意味はググると「自分だけがすぐれていると自負すること」とあって、あまり良いイメージではなかったのですが…さすがにお釈迦様が誕生した時に言った言葉なので、もっと深い意味を含んでいるはず。。ということで、さらにリサーチしてみると「私たち人間に生まれなければ果たすことのできないたった一つの究極の目的がある」と。(仏教ウェブ入門講座より)おぉー!!納得!
そして、思風先生には著書にサイン&お言葉をいただきました♡
「人間における真実の愛とは考え方のちがう人とも共に生きようとする“矛盾”を生きる力である」といただきました♡先生はいつもサインの時にインスピレーションで降りてきた言葉を書いてくださいます。真実の愛を学ぶ時ですね(^^;
昨晩は感性ダブル巨匠に囲まれて、とても有意義なひとときを過ごしました。
10月27日(土) 思風会 全国大会 in TOKYO
一年に一度行われる「思風先生の全国大会」が、今年は東京で行われます!場所は新宿の京王プラザホテル。第一部は13:15〜17:25/第二部は17:45〜19:45です。
第一部では、思風先生の基調講演はもちろんのこと、行徳先生とのスペシャル対談。さらには、思風塾には数々の経営者さんや組織トップの方々が塾生としていらっしゃいますが、そういった活躍されている方々による、各分野における“覚醒”についてのプレゼンテーションなど、内容盛りだくさんのとても貴重な大会です。
第二部は懇親会となっており、お食事をたのしみながら先生方との交流をしていただけます。思風先生と行徳先生のダブル巨匠が集まる場というのは、大変めずらしいです。ぜひ一度は先生方の講演を直接聴いてみてください!大変価値のある、一生に一度の大イベントです。
▶お申込・詳細はコチラから
https://www.facebook.com/events/310875013041449/
私も副幹事としてお手伝いさせていただいております。少しでも「感性論哲学」にご興味持った方、ぜひこの機会に直接先生のお話を聴いてください!ご来場お待ちしております 🙂
Written by まついゆか
https://yuka8.com/blog/sensitivity學|Learn綴|Blog「感性論哲学」という哲学に出会ってから、まだ私は日が浅い。2016年の岡部明美さん(通称:あけみちゃん)のワークショップに参加したとき、はじめて「感性論哲学」という言葉を耳にしました。 ※あけみちゃんワークショップのご案内はこちらから 初めて聞いた時には、言葉の響きとして心地よい感じがあったし、説明していただくことや、伝わってくることはとても心に響いてくるんだけど、どこか掴みどころがない感じが自分の中にあり。 さらには、あけみちゃんワークショップを経て、今年で2年連続受講をしているLPL養成講座においても「感性論哲学」については取り扱っていきます。そこで2018年の今年より、直々に感性論哲学の創始者である芳村思風先生の「東京思風塾」へと通うことにしました。 ★芳村思風先生ホームページ★ 感性論哲学とは とても深すぎて、正直一言で簡単には言い表せない。大きく表すと「感性を原理とした哲学」であるのですが、これが深い!深すぎる!! これまでの時代は、理性を中心とした時代でした。近代というのは、理性を使って物質的・経済的に発展をしてきました。それはそれで、必要だった時代。しかし、理性で失われた代償がありました。自然破壊・環境破壊・人間破壊。もはや〈人間性の破壊〉は〈理性からの解放〉が必要とされるのです。 そして、人類史上第3の過渡期が来ていると言われている今。大きく変革しようという時が来ています。その変革する先、それがまさに「感性の時代」なわけです。理性の時代から感性の時代へのシフトチェンジ。感性が本質で理性は手段。理性に支配されていたこれまでの時代から、感性が理性を超える力へとするときです。 「人間の本質は感性である」ということを、思風先生は40年近く説いてきています。感性なくしては人間ではない。私たちは呼吸を自分の力でしているわけではなく、心臓を自分の力で動かしているわけでもなく。生命によって生かされている。その生命とは、感性そのものである。感性による力であると思風先生は仰っています。 感性論哲学について、偶数月に1回。思風先生の6時間に亘る講義があります。先生はずーーーっと話しっぱなし。それでも語り尽くせない程の情報量。とても私のブログで書ける量ではありません。。 感性論哲学は私の味方 感性論哲学自体を私が語ることは出来ないので、なぜこんなにも感性論哲学が私にとって魅力的なのかについて書こうと思います。 私は感性論哲学に出会う前から、自分の体験・経験で「いつか理性優位ではない時代がくる。感性が重要視される時代がくる。」と直感で感じていました。それはおそらく、私自身が感性優位タイプの人間だからです。 正直言うと私は理性が弱く(?)、あまり頭を使って考えることが得意ではありません。頭で考えようとすると頭痛が起きます(笑)どちらかというと、自分の感性を信じて自分の人生を選択してきましたし、常に自分の心・感性・感情・感覚に触れる方向へと自分が進む。自分の感性を人生の指針として歩んできました。 ●自分の中から湧き上がる欲求 ●理屈抜きに惹かれてしまうモノ・人・出来事 ●なんとなく心地よい感じ ●気づいたら行動してしまうほど夢中になること ●やらずにはいられない!!と思うほどのワクワク感 私はこういった自分の中の感性・感情・感覚・直感を絶対的に信じていて、且つその声に対してとても正直に従います。誰になんと言われようとも関係なく、感性・感情・感覚・直感の声を軸にします。この感性・感情・感覚・直感こそが、自分の細胞を生き生きさせ、生命が喜んでいるという感覚があるからです。また、自分の感性で動き出した時には、自分の思考(理性)が追いつかないスピードで行動をしていることもあります。 そんなふうに生きてきた私からすると、感性論哲学はその生き方が真実であると肯定してくれている理論。私の味方です。感性論哲学に出会った時は答え合わせをしたような、「あぁ、やっぱりこの生き方でよかったんだ」と心底思え、とても自分の生き方に自信が持てた瞬間でした。これまで理性優位だった社会的風潮があり、感性に主軸を置いている私からすると、とても息苦しかったのです。仕事ではバカにされたこともあります。 ●ちゃんと考えろ ●考えが浅い ●そこに理屈はあるのか? ●思いつきで物を言うんじゃないよ! ●お前はバカ(頭が悪い)だなぁ。 という言葉を言われたこともあります。 理性は当然のことながらとても大切です。昨日の思風先生の講義でもありました、「理性は人が幸せな人生を生きるために備えられた能力」と。ここでいう「幸せ」というのは、「自分のしたいことが実現できる時」を幸せといいます。そして自分のしたいことは、理性から出てくるのではなく、感性から湧き上がってくるものです。感性から湧き上がってきた「自分のしたいこと=幸せ」を、理性を使って実現させていく。理性は動物界では唯一人間だけが持っている能力です。理性を発達させてきたからこそ、これまでの歴史の中で様々なことを人は成し遂げて発展させることが出来ました。けれども、理性での自己実現には限界があります。そのことを、今、人類が気づき始めた時代に来ました。理性の支配からの脱却。それが今生きている私たちに求められていることであり、課題なのです。 「細胞」という言葉が好き(笑) 私は昔からよく、この「細胞」という言葉を使って表現することが多く、過去のブログでもチラホラ登場します。私は感性に触れることがあったとき、「細胞」という比喩を使って表現するのです。 〈2010年5月〉 3日間で多くの美術品に触れ、右脳に刺激を受け、細胞を呼び起こし、とても充実した濃厚な3日間。 〈2010年5月〉 最近、ちょっと生活が偏り、恋ボケしてたけど、昨日アドレナリンが放出し細胞が目覚めました。仕事スイッチONです。そう、私にはやるべき仕事がある。そう、私には成し遂げるべき仕事がある。 〈2010年7月〉 なんだか最近、エネルギーが漲っているのか。はたまた細胞が目覚めたのか。それともHighが続いていて躁状態なのか。単に気が大きくなっているだけなのか。私の細胞たちが活性化している。 で、ふと思う。人の可能性ってのは、やっぱり無限なのではないか。実はすっっごい力をワタシは持っているのではないか?・・・な~んて。 この世の中にポーンと生まれてきて右も左も分からないまま、それでもなんとか選択を重ねつつ前に進んで。気づけば自分の経験という足あとに縛られて。いつしか自分の経験を軸に選択することをしていて。すると、冒険することや新しい可能性に目を向けることを恐れて。だからとて、決して今までの自分の経験や価値観を否定するものではなく。 ただ、無限の可能性を、自分の経験や価値観というもので、自分にとって都合のいいように制限しているだけなんだな…ということに気づいてみたり。 まぁ、無防備だと危険だからねぇ。制限もしないとパンクするからねぇ。守ることを覚えてしまうよね、誰しもが。 しかし守ることだけに固執してしまうと、新しい扉は全く開かず。てか、むしろ守ることは必要なのか?それすら分からなくなってきた。なんだか自分で制限をしてるって、もったいなくねぇ?と思えてさ。 周囲の大人からの教えや、自分の経験に基づいた価値観があり、自分の道筋を自分で創ってきた。けれど、その教えが正しいことだなんて、誰も証明はできない。経験だって、どう認識したかで価値観は如何様にも変わる。 今まで創ってきた道があって、その道がこの先もずーっと、ずーっと続いているかのように錯覚してしまうけれど、本当は今この瞬間から先、全てが新しい道。本当は誰も踏み入れていない草むらなのだ。知ってた?? 今まで私は過去の自分を、『できない自分』にフォーカスしていた。これは、私が自分自身を「私はできない子」と捉えていたから。けれど、よくよく思い返してみると、自分で認めてあげてなかった小さな成功体験は数多く、これから武器になるようなことばかり。しかも、それを成功と捉えるか、失敗と捉えるかも自分次第。 例えば途中で投げ出してしまったことも、やり遂げない自分にフォーカスしたら、結果は失敗へ帰結するし。新しいステージにチャレンジする自分にフォーカスしたら、結果は成功へ帰結する。ほらね、如何様にもなるでしょ。 そんな成功体験を色々思い出していたらさ、だんだん「ワタシってもしかして、すげー奴なんじゃね?」とか、「実はやればデキる子なんじゃね?」とか、「もっと出来るんじゃね?」とか、「まだ力出し切ってないんじゃね?」とか、「眠ってる可能性があるんじゃね?」とか、「余力ありすぎるんじゃね?」など思えてきて、そしたら細胞が元気になってきたってワケ。 軽い勘違いもあるかもしれないけど、勘違いだって活力の源になるんであれば、いくらでも使えばいい。人生は思い込んだもの勝ちだぁ!思ったことが現実に跳ね返ってきているだけ。だから自分の制限を取っ払ったもの勝ちなのさ。 〈2010年8月〉 次に会う新しい「コンニチハ」のため、今日の「サヨナラ feat. 涙」があったんだと思えば、また上を向いて歩ける。 皮膚と一緒。古い細胞が剥がれ落ち、新しい細胞が生まれてくる。何かを失くして、何かを手にする。こうして人生も世の中も循環することが、自然の摂理であり、健康なのだ。 今日は私の細胞生まれ変わり日。今日の「サヨナラ」を無駄にしないため、自分の経験を糧に、次なる「コンニチハ」を探して、また旅をする。 〈2010年8月〉※サマーソニックへ行って… また音もこの上なくカッコイイ!超一流は、やっぱり格が違う。当たり前っちゃー当たり前なんだけど、身体の細胞一つ一つが痺れるのよ。細胞一つ一つに音が沁みてくる。とにかく、やばかったです!!! 超一流を体感する。ホンモノに触れる。最近は、とても感性を磨くことに重点を置いてる私。それは人の感性に働きかける仕事を、やっぱりしていきたいから。一つの勉強として、感性磨きとして、とても素敵な刺激を受けてきました。 なんか…2010年は、やたらと感性(細胞)に触れることが多かったみたいね…(笑) 思風先生と行徳先生 思風先生を語るのに、行徳哲男先生の存在を無くしては語れない。思風先生と行徳先生は出会って41年。お二人は「感性こそが人間の本質だ」ということを、ずっと提唱し、研究し、伝え、世に広めてこられた第一人者たち。 思風先生と行徳先生の出会いについて、思風先生のホームページに記載されています。 ★行徳哲男先生と芳村思風先生の出会い★ 私は行徳先生とは未だお会いしたことがなく、ずーっと会いたい人物の一人でした。10月27日に開催される「思風会 全国大会」で今回はスペシャルゲストとして行徳先生が登壇されます。そこでお会い出来ると思って楽しみにしていたのですが、な、な、な、なんと!!! 昨日行われた東京思風塾に、行徳先生がいらっしゃいましたー♡ そして東京思風塾の中で50分間、お話をしてくださいました。とても話し方に特徴のある方で、モノマネをする人も多くいるくらい(笑)これまで、さんざんいろんな方の行徳先生モノマネを見てきましたが、やっと本物の行徳先生にお目にかかれました 😀 ダブル巨匠 このダブル巨匠を囲った懇親会に参加しました。そこで、行徳先生の書が全員にプレゼントされましたー♡私がいただいたのは、「唯我独尊」を意味した書。とても光栄すぎるお言葉です。 「唯我独尊」という意味はググると「自分だけがすぐれていると自負すること」とあって、あまり良いイメージではなかったのですが…さすがにお釈迦様が誕生した時に言った言葉なので、もっと深い意味を含んでいるはず。。ということで、さらにリサーチしてみると「私たち人間に生まれなければ果たすことのできないたった一つの究極の目的がある」と。(仏教ウェブ入門講座より)おぉー!!納得! そして、思風先生には著書にサイン&お言葉をいただきました♡ 「人間における真実の愛とは考え方のちがう人とも共に生きようとする“矛盾”を生きる力である」といただきました♡先生はいつもサインの時にインスピレーションで降りてきた言葉を書いてくださいます。真実の愛を学ぶ時ですね(^^; 昨晩は感性ダブル巨匠に囲まれて、とても有意義なひとときを過ごしました。 10月27日(土) 思風会 全国大会 in TOKYO 一年に一度行われる「思風先生の全国大会」が、今年は東京で行われます!場所は新宿の京王プラザホテル。第一部は13:15〜17:25/第二部は17:45〜19:45です。 第一部では、思風先生の基調講演はもちろんのこと、行徳先生とのスペシャル対談。さらには、思風塾には数々の経営者さんや組織トップの方々が塾生としていらっしゃいますが、そういった活躍されている方々による、各分野における“覚醒”についてのプレゼンテーションなど、内容盛りだくさんのとても貴重な大会です。 第二部は懇親会となっており、お食事をたのしみながら先生方との交流をしていただけます。思風先生と行徳先生のダブル巨匠が集まる場というのは、大変めずらしいです。ぜひ一度は先生方の講演を直接聴いてみてください!大変価値のある、一生に一度の大イベントです。 ▶お申込・詳細はコチラから https://www.facebook.com/events/310875013041449/ 私も副幹事としてお手伝いさせていただいております。少しでも「感性論哲学」にご興味持った方、ぜひこの機会に直接先生のお話を聴いてください!ご来場お待ちしております 🙂 Written by まついゆか まつい ゆかゆか まついinfo@ring-link.jpAdministratorただ、ワタシを生きる
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