能力は人に教えてもらう。

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自分の能力をよく知っているのは、
意外と自分以外の人だったりする。
それなら、人から教えてもらうのが、
一番手っ取り早い。

つい先日、とある方々が教えてくれた。

「私が感じているゆかちゃんの総意をお伝えします。
ゆかちゃんは、“人に教える人”だと思います。」

と。とてもシンプルで率直なフィードバック(笑)

一瞬、受け取れなくて戸惑ったけれど、
内心とても嬉しかった。

“教える”に対する思い込み

私は人に教えるという行為を、
あまり良く思っていない。
なぜなら、そこに上下関係が働くようで、
なんだかそれが居心地悪いから。

・偉そう
・一方的なコミュニケーション
・自分の正しさを押し付けるよう
・自分は大したことないのに
・おこがましい

…と、まぁネガティブなイメージが
出てくること、出てくること!

だから、一方的に教える講座スタイルより、
一緒に考えて笑って泣いて‥ってする、
ワークショップスタイルが大好きなのだ。
そこの場の人たちと、
横並びでいたい。
同じ目線でいたい。
そんな想いがあるから、
“教える”ってことを避けてきた。

“わかりやすい!”と言ってもらってた

とはいえ、“教える”っていうことを
やってきた経験も多くある。
仕事を後輩や部下に教えたり。
退職時に引き継ぎをしたり。
心理学関連の講座で講師をしたり。
最近も小中学校で出張授業をしている。

唐突なフィードバックをいただいてから、
ふとこれまでを思い返してみると…
“教える”という場面において、
「わかりやすい!」ってよく言われてたことを、
思い出した。

それはおそらく、
私が「横並び」だったり、
「同じ目線に立つ」ということを、
意識しやすいからなんだろう。
私が伝えたいというメッセージを、
相手がどう受け取るのか。
相手からはどう映るのか。
受け手側の立場に立つことを、
とてもイメージするからなんだと思う。

“講座”や“教える”という時、
一方的な伝え方をするのではなく、
受け手側が受け取ってくれるような工夫を、
資料や話し方でやっているからなんだな。

人や世界は、自分にいろいろ教えてくれる

自分が思っている自分っていうのは、
思い込み・信じ込み・期待など、
エゴが創り上げたセルフイメージが強すぎて、
ニュートラルに自分を見ることが出来ない。

私のように、
「教えるのは偉そうだから、
私はやりたくない。」と思ってると、
せっかく持っている可能性や能力を
自分が勝手に狭めて、
制限をしていることになるのだ。

これでは自分自身(自分の能力)を
世界(社会)に与えないままではないか。
なんという出し惜しみ。ケチだ。

人からのフィードバックというのは、
自分のエゴを超えて、
これまでに見ていなかった一面を教えてくれる。
盲目の一面を見せてくれるのは、
他者であり世界なのだ。

自分が認識している自分と、
他者が認識している自分とが、
一致すればするほど、生きやすくなる。

人が教えてくれた“見ていない側面”を、
自分が認識して統合できたら、
可能性は広がっていく一方なのだ。

だから、どんどん自分の能力を人から教えてもらおう。
どんどん自分では見えていない一部分を、
人に見せてもらおう。

自分が知っている自分より、
人が知っている自分の方が、
はるかにニュートラルであり、
また事実に近いんだと思う。

ということで、
“教える”っていうことを、
自分に解禁してみることにします☆

Written by まついゆか

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