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アタシはこれまで、
よく「世のため、人のため」と言いながら、
それが自分のミッションだと信じて、
フガフガ鼻息を荒くして、走り続けていた。

あまりにも「世のため、人のため」と思いながら
走り続けていた時期が長すぎて、
その考えこそ自分だと思っていたし、
何の疑いもなくここまできた。

「世のため、人のため」って、
とても正義感があるようだし。
ナゼやるのか…ということも説明もしやすい。
聞こえもいいし、なんだかカッコいい。

しかし、そういうことではなく。
本気で自分の中から湧き上がる社会に対する
疑問や憤り…いろんな想いはあり、
「なんとかしたい!」という気持ちも強く、
その原動力を軸にして、これまで動いてきたのだ。

これまでの「人のため」ストーリー

未来の日本を背負う子供たちの
心を豊かにしたいと思い、
そのためには子供の一番近くにいる“母”という存在を
ケアすることからじゃないのか…と、
心理学を学ぶ一つの理由がそこにあった。
世の中のお母さんの心のケアをしたかった。
そこをスタートにして…

日本の学校教育がおかしいと、
オランダに小学校教育の研修に行ったり。

オランダの教育は教員が教えるのではなく、
ファシリテーター的関わりをしながら、
子どもたちの気づきを促す役割なんだと気づき、
ファシリテーター基礎講座に通ったり。

子どもたちの心を育むため、
また命や人権の尊重を伝えるため、
道徳を民間事業に出来ないだろうか・・という想いで、
イジメをなくすことや、
徳育を軸としたプログラムを考案したり。

現代の子どもたちの“生の声”に触れるため、
チャイルドラインで電話相談のボランティアや、
情報モラル講座を小学校・中学校に出張授業しに行ったり。

その時の繋がりで、
Restorative Justice(RJ=修復的司法)と出会い、
司法分野や福祉分野の方と繋がりが出来たり。

そのRJにとても感銘を受け、
RJをベースにした「関係の仲直り屋さん」となる
メディエーションを事業化したり…。

これまでに「世のため、人のため」を軸に、
いろんなことをやろうとして動いてきた。
世の中を良くするため。
人々に安心と平和な社会をと、
本気で、本気で思い続けて走ってきたのだ。
これが、アタシのミッションだと、
信じ続けていたのだった。

今度こそは!!

いろんな事を、次から次へと生み出し、
「世のため、人のため」を実現させようと、
手探りでやってきた。

けれど、いつまで経っても、
何をやっても、うまく事が運ばない。。。
続ければ、いつしか上昇していくんだろうけど、
モチベーションが継続できない。
その理由も分からずに、
次から次へと手を替え品を替え、
自分のアンテナに引っかかるものを、
手に取っては行動をしてみて…と、
様々なことにチャレンジしてきた。

基本的に行動が早い方なので、
「これだ!」と思ったら、すぐに手を出す!
それが周囲から見ていて、
とても早く展開しているように見えていたようだし、
そんなアタシを「すごい!」と言ってくれる人も多く、
また、「成功しているように見える」とも言われた。
けれども、アタシの中ではいつまで経っても、
シックリ・ピッタリ来る手応えがなかった。

器用貧乏だから、
ぶっちゃけ何でも出来ちゃう。
“それなりに”やり遂げちゃうのだ。

カウンセラーやセラピストにもなれるし。
オリジナル講座を作って回せるし。
新事業も作れるし。
イベントも作れるし。
立派な資料作れちゃうし。
文章も書けるし。
下手じゃないレベルで歌えるし。
MCだって出来るし。
自分でデザインして、チラシも名刺も制作するし。
運転上手だし。
それ相応にプレゼンできるし。
喋れるし、聴けるし。
動画編集だってしちゃうし。

しかし実際のところ、
いろいろとやってみるけれど、
常に「何かが違う…」という心の呟きと、
奥底でくすぶっている違和感を抱えていた。
そして、心のつぶやきや違和感を無視して、
「今度こそは!」と思いながら進んでいた。
自分の中にある想いが、正解だと信じて。

ところがある日、突然気づいちゃった。。

けれど突然、その気づきはやってきた。
なんの予告もなく、突然やってきた。
やってきたというか…降ってきた。

その気づきとは、

「世のため、人のため」って…
肝心のアタシはどこにいるのよ?

自分という存在は横において、
「世のため、人のため」に夢中だった。
世の中をより良くすること、
人の喜ぶことこそが、自分の喜びなんだと、
当たり前のように思ってきた。

しかし、それは自分という存在が、
不在になっていては、
成し遂げられないんじゃないかって。
人が喜ぶことや、世の中が良くなることは、
結果でしかないんじゃないかって。

急に降ってきたかのように悟った。。
そして、自分という存在を横においていることに、
自分でようやく気づいたのだった。

外側から来る情報をキャッチして、
それによって自分の内側が反応して行動する。
そう、これがアタシの生き方のパターンなんだ。
外界からの刺激や情報に影響を受けては、
「これだー!」と思って動く。
だから、行動が早い。
けれど、長続きしない。
人のために頑張ることが、
美徳だと思っていた。

自分の存在価値は、自分で高めよ!

自分が不在で「世のため、人のため」だと、
そりゃーいつまで経っても満たされないよね。
アタシの奥底でくすぶっていた違和感は、
ココだったということが、ようやく腑に落ちた。

「世のため、人のため」と謳って、
いろいろとやってみて、
人が喜んでくれる姿を見たり、
「おかげさまで元気になりました」とかっていう
感想もらったりしたら、一瞬は満たされる。

でも、それって…

自分の存在価値を証明したいだけ

なんだな。。
超絶、ダサいじゃないか!

自分が自分の存在をきちんと承認してあげれば、
「世のため、人のため」なんて頑張らなくても、
「自分のため」に頑張って、
自分を満たすことができる。

そして、自分を満たさないと、
人や世の中に対して影響なんて与えられるわけがない。
そう、ここに長年アタシがハマってきた
罠があったのだったぁー!!

だから、これまでの行動や活動は、
一見良さそうに映っていたけれど、
結局は自分が満たされていないもんだから、
実際のところ、人に伝わらない。
自分が満たされた状態が存在価値を高め、
その存在価値が高まると、
周囲に影響を与えるようになったり、
その結果で、人が付いてきたり、
お金が入ってきたりするのだ。
だから、自分の存在価値を高めるのは、
自分しかいないってこと。

“自分”という芯がなかったら、
そりゃー樹も倒れるよ。

「自分のため」に生きていこう

こんなこと、心底から思ったことなかった。
「自分のため」に生きていこう…なんて。

「自分のため」となると、
どうしても自己中心的なイメージや、
ワガママなイメージがあるけれど。
自己中心やワガママというのは、
自分の欲求を満たすために、
周囲をコントロールすること。

そうではなくて。
自分の欲求を自分が満たしてあげるため、
自分を自由にすること。
それが「自分のため」に生きていくことなんだと思う。

「自分のため」に生きていくことで、
自分が満たされ、
その状態で与える影響が周波数として強く出て、
結果的に人が寄ってくる。
そっちへのシフトチェンジすることを決めた。

2019年、本当いろいろとあった。
相変わらずの外界に反応する自分。
そんな自分に自身が振り回された一年。
公私ともにボロボロだった。

でも今年最後に、この気づきを得られて、
ある意味、とても良かった。
それは今年、ボロボロになったからかもしれない。

次の扉が見えつつある。

Written by まついゆか

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まつい ゆか綴|Blogアタシはこれまで、よく「世のため、人のため」と言いながら、それが自分のミッションだと信じて、フガフガ鼻息を荒くして、走り続けていた。 あまりにも「世のため、人のため」と思いながら走り続けていた時期が長すぎて、その考えこそ自分だと思っていたし、何の疑いもなくここまできた。 「世のため、人のため」って、とても正義感があるようだし。ナゼやるのか…ということも説明もしやすい。聞こえもいいし、なんだかカッコいい。 しかし、そういうことではなく。本気で自分の中から湧き上がる社会に対する疑問や憤り…いろんな想いはあり、「なんとかしたい!」という気持ちも強く、その原動力を軸にして、これまで動いてきたのだ。 これまでの「人のため」ストーリー 未来の日本を背負う子供たちの心を豊かにしたいと思い、そのためには子供の一番近くにいる“母”という存在をケアすることからじゃないのか…と、心理学を学ぶ一つの理由がそこにあった。世の中のお母さんの心のケアをしたかった。そこをスタートにして… 日本の学校教育がおかしいと、オランダに小学校教育の研修に行ったり。 オランダの教育は教員が教えるのではなく、ファシリテーター的関わりをしながら、子どもたちの気づきを促す役割なんだと気づき、ファシリテーター基礎講座に通ったり。 子どもたちの心を育むため、また命や人権の尊重を伝えるため、道徳を民間事業に出来ないだろうか・・という想いで、イジメをなくすことや、徳育を軸としたプログラムを考案したり。 現代の子どもたちの“生の声”に触れるため、チャイルドラインで電話相談のボランティアや、情報モラル講座を小学校・中学校に出張授業しに行ったり。 その時の繋がりで、Restorative Justice(RJ=修復的司法)と出会い、司法分野や福祉分野の方と繋がりが出来たり。 そのRJにとても感銘を受け、RJをベースにした「関係の仲直り屋さん」となるメディエーションを事業化したり…。 これまでに「世のため、人のため」を軸に、いろんなことをやろうとして動いてきた。世の中を良くするため。人々に安心と平和な社会をと、本気で、本気で思い続けて走ってきたのだ。これが、アタシのミッションだと、信じ続けていたのだった。 今度こそは!! いろんな事を、次から次へと生み出し、「世のため、人のため」を実現させようと、手探りでやってきた。 けれど、いつまで経っても、何をやっても、うまく事が運ばない。。。続ければ、いつしか上昇していくんだろうけど、モチベーションが継続できない。その理由も分からずに、次から次へと手を替え品を替え、自分のアンテナに引っかかるものを、手に取っては行動をしてみて…と、様々なことにチャレンジしてきた。 基本的に行動が早い方なので、「これだ!」と思ったら、すぐに手を出す!それが周囲から見ていて、とても早く展開しているように見えていたようだし、そんなアタシを「すごい!」と言ってくれる人も多く、また、「成功しているように見える」とも言われた。けれども、アタシの中ではいつまで経っても、シックリ・ピッタリ来る手応えがなかった。 器用貧乏だから、ぶっちゃけ何でも出来ちゃう。“それなりに”やり遂げちゃうのだ。 カウンセラーやセラピストにもなれるし。オリジナル講座を作って回せるし。新事業も作れるし。イベントも作れるし。立派な資料作れちゃうし。文章も書けるし。下手じゃないレベルで歌えるし。MCだって出来るし。自分でデザインして、チラシも名刺も制作するし。運転上手だし。それ相応にプレゼンできるし。喋れるし、聴けるし。動画編集だってしちゃうし。 しかし実際のところ、いろいろとやってみるけれど、常に「何かが違う…」という心の呟きと、奥底でくすぶっている違和感を抱えていた。そして、心のつぶやきや違和感を無視して、「今度こそは!」と思いながら進んでいた。自分の中にある想いが、正解だと信じて。 ところがある日、突然気づいちゃった。。 けれど突然、その気づきはやってきた。なんの予告もなく、突然やってきた。やってきたというか…降ってきた。 その気づきとは、 「世のため、人のため」って…肝心のアタシはどこにいるのよ? 自分という存在は横において、「世のため、人のため」に夢中だった。世の中をより良くすること、人の喜ぶことこそが、自分の喜びなんだと、当たり前のように思ってきた。 しかし、それは自分という存在が、不在になっていては、成し遂げられないんじゃないかって。人が喜ぶことや、世の中が良くなることは、結果でしかないんじゃないかって。 急に降ってきたかのように悟った。。そして、自分という存在を横においていることに、自分でようやく気づいたのだった。 外側から来る情報をキャッチして、それによって自分の内側が反応して行動する。そう、これがアタシの生き方のパターンなんだ。外界からの刺激や情報に影響を受けては、「これだー!」と思って動く。だから、行動が早い。けれど、長続きしない。人のために頑張ることが、美徳だと思っていた。 自分の存在価値は、自分で高めよ! 自分が不在で「世のため、人のため」だと、そりゃーいつまで経っても満たされないよね。アタシの奥底でくすぶっていた違和感は、ココだったということが、ようやく腑に落ちた。 「世のため、人のため」と謳って、いろいろとやってみて、人が喜んでくれる姿を見たり、「おかげさまで元気になりました」とかっていう感想もらったりしたら、一瞬は満たされる。 でも、それって… 自分の存在価値を証明したいだけ なんだな。。超絶、ダサいじゃないか! 自分が自分の存在をきちんと承認してあげれば、「世のため、人のため」なんて頑張らなくても、「自分のため」に頑張って、自分を満たすことができる。 そして、自分を満たさないと、人や世の中に対して影響なんて与えられるわけがない。そう、ここに長年アタシがハマってきた罠があったのだったぁー!! だから、これまでの行動や活動は、一見良さそうに映っていたけれど、結局は自分が満たされていないもんだから、実際のところ、人に伝わらない。自分が満たされた状態が存在価値を高め、その存在価値が高まると、周囲に影響を与えるようになったり、その結果で、人が付いてきたり、お金が入ってきたりするのだ。だから、自分の存在価値を高めるのは、自分しかいないってこと。 “自分”という芯がなかったら、そりゃー樹も倒れるよ。 「自分のため」に生きていこう こんなこと、心底から思ったことなかった。「自分のため」に生きていこう…なんて。 「自分のため」となると、どうしても自己中心的なイメージや、ワガママなイメージがあるけれど。自己中心やワガママというのは、自分の欲求を満たすために、周囲をコントロールすること。 そうではなくて。自分の欲求を自分が満たしてあげるため、自分を自由にすること。それが「自分のため」に生きていくことなんだと思う。 「自分のため」に生きていくことで、自分が満たされ、その状態で与える影響が周波数として強く出て、結果的に人が寄ってくる。そっちへのシフトチェンジすることを決めた。 2019年、本当いろいろとあった。相変わらずの外界に反応する自分。そんな自分に自身が振り回された一年。公私ともにボロボロだった。 でも今年最後に、この気づきを得られて、ある意味、とても良かった。それは今年、ボロボロになったからかもしれない。 次の扉が見えつつある。 Written by まついゆか心の対話ファシリテーター|企業研修講師|実現プロデューサー まついゆか 公式ブログ