最強の“ジブンの愛し方”
以前、「自分を愛すること」を最優先にやらなくてはいけないことだ…ということについて書いた。
その時に、「どうしたら自分を愛せるようになるのか?」ということについても少しだけ触れた。
昨日、ちょうど旬なネタで、剛力彩芽さんがインスタで…
自分をスキになる。とか、自分を大切にする。ってなんだろう、どういうことだろう。ってずっとかんがえています。
Instagram @ayame_goriki_official
と投稿していたことが、Webニュースに出ていた。
「そうかぁ…剛力さんでも、そんなこと思うんだなー」なんて思った今日このごろ。みんな、悩んでいるのだね。
そこで!
ここ最近感じている“最強のジブンの愛し方”が見えてきたので、それについて今回は書いちゃうよ!
“ジブンを愛すること”に対する勘違い
そんな簡単に「自分を愛するんだよ」なんて言うなよ!!…って思ったりしません? 知っとるわ!自分を愛することが大事なんてこと、薄々気づいとるわ!
けれど…実際、どうやんのよ? 教えてくれよぉ〜…ってことですよね。
ここで、よく耳にする“ジブンを愛すること”に対する勘違いを並べてみましょ!
* 自分を愛すると、自分勝手でワガママな人間になりそう
* 自分を愛すると、他人を押しのけ、意地悪な人間になりそう
* 自分を愛すると、自分が怠けてしまいそう
* 自分を愛すると、何もしなくなってダメ人間になりそう
こんなことが頭に浮かぶ人も多くいるかと。
でもね、これってなかなかの勘違いっす。勘違いっていうかね…表現が難しいんだけどね…ズバリ言うと。
次元が違う話しなんだよね!
じゃ、“ジブンを愛する”っていう状態は?
次元が違うって言われても、まぁ困るよね。じゃ、“ジブンを愛する”ってどういう状態で、どういう次元かっつーと…
【あるがままの私を、そのまんま自分で受容する】
ってことなんよ。
「自分を愛すると◯◯になりそう」っていう考えを持ってるってことはね、実は他人の目をめっちゃ気にしてるってことなんよ。他人の目を気にして、自分の在り方(態度・姿勢・言動・振る舞い等)を決めてるってことは、あるがままの私をそのまんま受容していることにはならないわけ。
他人の目をめっちゃ気にしてることを【他人軸の生き方】なんて言うけれど、その次元と、他人の目なんか気にせず、あるがままの自分で堂々と生きている【自分軸の生き方】という次元だと全く世界が違う。見え方も違う。当然のことながら、それが自分の態度・姿勢・言動・振る舞いなどに現れてくる。
で、【他人軸の生き方】をしている限り、本当の自分の生き方なんて出来るわけがない。
* 自分勝手でワガママになると、人が離れてしまいそう
* 他人を押しのけ意地悪になると、人に嫌われてしまいそう
* 怠けていると、誰かに責められそう
* 何もしてないと、誰からも信頼されなそう
こうやって他人の目を気にしてるもんだから、いつまでも〈自分にOK〉が出せない。ってことは、自分で自分をNGとしている。
【自分軸の生き方】をしている人というのは、どんな状態の自分であっても、他人になんと言われようとも〈自分にOK〉が出せているのだ。
↑これ、めっちゃ大事なこと言ったよ!!メモして、メモ!
【自分軸の生き方】のポイント
では、この【自分軸の生き方】で最大のポイントになるのはどこかっつーと、“ジブンの本音”なんよ。みなさま、自分の本音に気づいているかしらん?
本音っていうのは、心の中で呟いていることだったり、心の中に湧き上がってくる感情だったり、身体が感じている感覚だったりに現れている。この呟きや感じていることに、〈善い・悪い〉ってことは何一つない。
だって、アタシが感じてるんだもーん!
という世界である。
けれど、本音をそのままアウトプットしちゃうと、他人からどう思われるか…?というところを気にしちゃうがために、言うことや表現することを押さえたり、やめたり。時と場合によって嘘をついたり。自分の本音なんてなかったかのように無視をしたり…そんなことをする。
どう? してるっしょ?? しかも…ごく当たり前のように。
このように、自分の本音を自分の内側に溜め込んでいるうちに、そして誤魔化しているうちに、本当の自分がわからなくなって迷子になるのじゃ。
〈あるがままのアタシ〉で生きていけるの?
「あるがままのアタシ」っていうのが、〈感じたまんま・心の呟きのまんま〉なわけだけれども、そりゃー社会生活を送るにあたって、人から嫌われたくない、信頼を失いたくない、責められたくない…ってあるよね。
うん、うん、アタシにだってあるわ!
じゃ、どうやって社会を生きていくのさ?ってことですよ。
一番シンプルなのが、
別に万人に好かれなくてもよくね?
…ってことね。この世の全員に好かれるなんてこと、まずもって不可能だからね!人はいろんなことを勝手に投影している。自分が相手の投影される対象になることだって当然あるわけで、それはこっちがコントロールすることは出来ない。これを【他人の領域】っていう。
例えばね。アタシが相手に対して連絡を怠っていて、それに激怒してくる人がいたとするじゃん。そんな人が、たいてい言ってくる言葉が、「連絡を無視するなんて、信じられない!人でなし!!酷い人間だわ!!」なんてことを言ってくるわけですよ。裏を返せば、「私をもっと大事に扱いなさいよ」っていうことだったりする。ということは、その人が自分自身のことを大事に扱ってないから、「連絡を無視される=大事に扱われない」という変換を勝手にしちゃって激怒するわけ。
こうやって、人は勝手に誰か(物とかの場合ももちろんある)に投影をして、それを否定・批判をすることで、自分の心の平穏を保とうとする。これはれっきとした心の防衛反応。もうね、人の心理としてしょーがないの!
だからね、アタシやあなたが〈あるがまま〉で生きようと、生きなかろうと、変わんないわけ。それだったら、自由に〈あるがまま〉生きるほうが楽じゃない?
誰かのために生きてるんじゃない。アタシは自分のために生きている。だから〈あるがままのアタシ〉で生きていけばいいよ。フツーに。
しかも〈あるがままのアタシ〉を自分が認識できていないと、この後にある〈そのまんま自分で受容する〉ってことが出来ない。〈あるがままのアタシ〉を否定していたら、受容もクソもないわけ。
だから、はじめの一歩ね。
万人に好かれなくていいから。人が嫌うかどうかは相手の領域だから。
〈あるがままのアタシ=本音〉をまずは知ること。
か〜ら〜の〜〈そのまんま自分で受容する〉
第2ステップね。それが“受容”ってこと。ここも大事だよ。自分の本音を知ったところで、それを受容できなきゃ自分を愛していることにならん。
“受容”って難しい言葉のように感じるかもだけど、簡単に言うと、ただ【認めてあげる】ってことでいいのよ。認めてあげることは、結果的に受け容れること。本音の存在を自分で認めてあげる。
たまにさ…「お前なんてクソだ!地獄に落ちろーー!!死んでしまえー!」…って思うことだってあるじゃん。そりゃ、何十年も生きていれば、そう思う人に巡り合うことだって当然あるわよね。
それが本音だけど「表現しちゃいかん…」とか、「人を嫌ってはいかん…」なんて思ってると、それを包み隠して表現しないまま、自分の奥底に怒りと共に本音を押し殺す。それが時間が経過してくると、〈恨みつらみ〉になるわけ。
まずは、自分の本音として【地獄に落ちて欲しいと切に願うほど、相手に対してムカついている】ってことを自分で知らないと先に進めない。そして、そこを知ることが出来たら、次のステップとして「私は相手のことを地獄に落ちて欲しいと思うほどの怒りを持っているんだね」と、自分で自分の本音を認めてあげるのよ。すると、不思議なことにスーッと怒り(感情)が落ち着いてくる。
感情というのは“認められたい”わけ。認めてもらえないから暴れるんだよ。誰に認められたいって、子供の頃はそれこそ親だったりするわけだけど、本当は自分で自分を認めてあげたいよね。自分の本音を知って、自分で認めてあげることができたら、それは〈アタシOK〉ってこと。自分で自分にOKが出せたとき、まるっと自分のことを受け容れられる、許してあげられる。
許しは愛だからね。だから、自分を愛することというのは、自分を許すことでもあるのだ。
ワガママと愛することの違い
ちなみに“ワガママ”との違いは何かっつーと。“ワガママ”はね、他人をコントロールしようとする力が無意識レベルで働いているの。要するに、自分が“ワガママ”を言うことによって、相手が言うことをきいてくれるとか。相手の行動を変えようとするとか。これはね、とても幼稚な愛。そもそも愛の質が全く違うのよねー。
【真実の愛】とは、一切コントロールが入らない。なぜなら先述の通り〈受容〉だからね。
ただ、ただ…受け容れるだけ。
ただ、ただ…認めていくだけ。
ただ、ただ…愛するだけ。
“ワガママ”は、前回の記事でも書いたように頭(思考)から発信される。先程の連絡を怠った例でいうと、「あなたは私からの連絡を無視してはならない」っていうのはワガママ。相手からの愛が欲しくて、コントロールしたいから「連絡しなさいよ!」とか、「なぜ連絡よこさないのよ!」とかギャーギャー言って、相手の行動を変えようとさせる。
これは“愛されないこと”への怖れがあり、その感情を自分で受け容れること(認めること)が怖いから、思考で「あなたは私からの連絡を無視するべきではない!」と思い込み、無視されると爆発する…そんな構造。こんなカップルも多いんじゃなかろうか。。
そして結果的にね、“愛されないこと”が実現しちゃうわけ。とても残念なお知らせですが…。自分が一番怖れいていたことが現実化しちゃう。そして「なぜ、私は愛されないのだろうか…?」とげんなりしちゃう…。
最強の“ジブンの愛し方”
ということで、最強の“ジブンの愛し方”というのは、
アタシ、OK!
…と心の底から、腹の底から、スッキリと言い切れること。これが言い切れるようになったとき、〈まるっとジブン受容〉となって、結果的にあるがままのジブンを愛することになる。
そうすると、他者に対しても「アナタがどんな状態であれ、あるがままのアナタを愛しています」となるわけ。どんなに醜いところがあろうとも。どんなに汚いところがあろうとも。どんなに憎いところがあろうとも。自分を受容している量の分だけ、相手を受容することができる。それこそが、真実の愛♡
前回の記事に【自分愛するプロジェクト】として、アタシはヨガに通うってことを書いたけれど、それも単純に「ヨガに通う」という行動面だけで決めたのではなく、自分が大切にされていないって感じた出来事があった時、自分が自分を大切にしていなかった、粗末に扱っていた…という気づきがあったからなの。
自分の“本音”にちゃんと耳を傾けたら、自分が本当は何を求めているのか。自分が自分に何を認めて欲しいと思っているのかが、わかるようになってくる。だからステップとしては、
①本音(心の呟き、感情、身体感覚)に耳を傾ける
②本音を受容する・認めてあげる
③自分のニーズ(本当の願い)に応えてあげる
ということをしていくこと。
そのステップで言うと、アタシの場合は、
①本音で「大切にされてない」と心の呟きがあり
②「大切にされてないって感じたんだね。」と自分で受容をし、そして自分で自分のことを抱きしめた。
③「自分の心も身体も大切にしたい」という自分のニーズがあったので、自分の心も身体も大切にする行動として、時間とお金をかけて自分自身の心と身体を労っていく&磨いてことを選択した。その一歩としてヨガ!
・・・ということになったわけ。
ぜひとも地道に続けてほしい。本音に気づき、本音を受容し、そして本音からの願いを聴いてあげることを。その積み重ねが、【アタシOK】につながっていくから。剛力さんにも届けー(笑)
Written by まついゆか
ジブンを愛するステップ①〜③をサポートいたします♡
https://yuka8.com/blog/loveme2心|Mind綴|Blog閃|Awareness以前、「自分を愛すること」を最優先にやらなくてはいけないことだ…ということについて書いた。 ★ブログ:一番やらなきゃいけないことがわかった。★ その時に、「どうしたら自分を愛せるようになるのか?」ということについても少しだけ触れた。昨日、ちょうど旬なネタで、剛力彩芽さんがインスタで… 自分をスキになる。とか、自分を大切にする。ってなんだろう、どういうことだろう。ってずっとかんがえています。Instagram @ayame_goriki_official と投稿していたことが、Webニュースに出ていた。「そうかぁ…剛力さんでも、そんなこと思うんだなー」なんて思った今日このごろ。みんな、悩んでいるのだね。 そこで!ここ最近感じている“最強のジブンの愛し方”が見えてきたので、それについて今回は書いちゃうよ! “ジブンを愛すること”に対する勘違い そんな簡単に「自分を愛するんだよ」なんて言うなよ!!…って思ったりしません? 知っとるわ!自分を愛することが大事なんてこと、薄々気づいとるわ!けれど…実際、どうやんのよ? 教えてくれよぉ〜…ってことですよね。 ここで、よく耳にする“ジブンを愛すること”に対する勘違いを並べてみましょ!* 自分を愛すると、自分勝手でワガママな人間になりそう* 自分を愛すると、他人を押しのけ、意地悪な人間になりそう* 自分を愛すると、自分が怠けてしまいそう* 自分を愛すると、何もしなくなってダメ人間になりそうこんなことが頭に浮かぶ人も多くいるかと。 でもね、これってなかなかの勘違いっす。勘違いっていうかね…表現が難しいんだけどね…ズバリ言うと。 次元が違う話しなんだよね! じゃ、“ジブンを愛する”っていう状態は? 次元が違うって言われても、まぁ困るよね。じゃ、“ジブンを愛する”ってどういう状態で、どういう次元かっつーと… 【あるがままの私を、そのまんま自分で受容する】 ってことなんよ。「自分を愛すると◯◯になりそう」っていう考えを持ってるってことはね、実は他人の目をめっちゃ気にしてるってことなんよ。他人の目を気にして、自分の在り方(態度・姿勢・言動・振る舞い等)を決めてるってことは、あるがままの私をそのまんま受容していることにはならないわけ。 他人の目をめっちゃ気にしてることを【他人軸の生き方】なんて言うけれど、その次元と、他人の目なんか気にせず、あるがままの自分で堂々と生きている【自分軸の生き方】という次元だと全く世界が違う。見え方も違う。当然のことながら、それが自分の態度・姿勢・言動・振る舞いなどに現れてくる。 で、【他人軸の生き方】をしている限り、本当の自分の生き方なんて出来るわけがない。* 自分勝手でワガママになると、人が離れてしまいそう* 他人を押しのけ意地悪になると、人に嫌われてしまいそう* 怠けていると、誰かに責められそう* 何もしてないと、誰からも信頼されなそうこうやって他人の目を気にしてるもんだから、いつまでも〈自分にOK〉が出せない。ってことは、自分で自分をNGとしている。 【自分軸の生き方】をしている人というのは、どんな状態の自分であっても、他人になんと言われようとも〈自分にOK〉が出せているのだ。 ↑これ、めっちゃ大事なこと言ったよ!!メモして、メモ! 【自分軸の生き方】のポイント では、この【自分軸の生き方】で最大のポイントになるのはどこかっつーと、“ジブンの本音”なんよ。みなさま、自分の本音に気づいているかしらん?本音っていうのは、心の中で呟いていることだったり、心の中に湧き上がってくる感情だったり、身体が感じている感覚だったりに現れている。この呟きや感じていることに、〈善い・悪い〉ってことは何一つない。 だって、アタシが感じてるんだもーん! という世界である。けれど、本音をそのままアウトプットしちゃうと、他人からどう思われるか…?というところを気にしちゃうがために、言うことや表現することを押さえたり、やめたり。時と場合によって嘘をついたり。自分の本音なんてなかったかのように無視をしたり…そんなことをする。どう? してるっしょ?? しかも…ごく当たり前のように。 このように、自分の本音を自分の内側に溜め込んでいるうちに、そして誤魔化しているうちに、本当の自分がわからなくなって迷子になるのじゃ。 〈あるがままのアタシ〉で生きていけるの? 「あるがままのアタシ」っていうのが、〈感じたまんま・心の呟きのまんま〉なわけだけれども、そりゃー社会生活を送るにあたって、人から嫌われたくない、信頼を失いたくない、責められたくない…ってあるよね。うん、うん、アタシにだってあるわ! じゃ、どうやって社会を生きていくのさ?ってことですよ。一番シンプルなのが、 別に万人に好かれなくてもよくね? …ってことね。この世の全員に好かれるなんてこと、まずもって不可能だからね!人はいろんなことを勝手に投影している。自分が相手の投影される対象になることだって当然あるわけで、それはこっちがコントロールすることは出来ない。これを【他人の領域】っていう。 例えばね。アタシが相手に対して連絡を怠っていて、それに激怒してくる人がいたとするじゃん。そんな人が、たいてい言ってくる言葉が、「連絡を無視するなんて、信じられない!人でなし!!酷い人間だわ!!」なんてことを言ってくるわけですよ。裏を返せば、「私をもっと大事に扱いなさいよ」っていうことだったりする。ということは、その人が自分自身のことを大事に扱ってないから、「連絡を無視される=大事に扱われない」という変換を勝手にしちゃって激怒するわけ。 こうやって、人は勝手に誰か(物とかの場合ももちろんある)に投影をして、それを否定・批判をすることで、自分の心の平穏を保とうとする。これはれっきとした心の防衛反応。もうね、人の心理としてしょーがないの! だからね、アタシやあなたが〈あるがまま〉で生きようと、生きなかろうと、変わんないわけ。それだったら、自由に〈あるがまま〉生きるほうが楽じゃない? 誰かのために生きてるんじゃない。アタシは自分のために生きている。だから〈あるがままのアタシ〉で生きていけばいいよ。フツーに。しかも〈あるがままのアタシ〉を自分が認識できていないと、この後にある〈そのまんま自分で受容する〉ってことが出来ない。〈あるがままのアタシ〉を否定していたら、受容もクソもないわけ。 だから、はじめの一歩ね。万人に好かれなくていいから。人が嫌うかどうかは相手の領域だから。〈あるがままのアタシ=本音〉をまずは知ること。 か〜ら〜の〜〈そのまんま自分で受容する〉 第2ステップね。それが“受容”ってこと。ここも大事だよ。自分の本音を知ったところで、それを受容できなきゃ自分を愛していることにならん。“受容”って難しい言葉のように感じるかもだけど、簡単に言うと、ただ【認めてあげる】ってことでいいのよ。認めてあげることは、結果的に受け容れること。本音の存在を自分で認めてあげる。 たまにさ…「お前なんてクソだ!地獄に落ちろーー!!死んでしまえー!」…って思うことだってあるじゃん。そりゃ、何十年も生きていれば、そう思う人に巡り合うことだって当然あるわよね。 それが本音だけど「表現しちゃいかん…」とか、「人を嫌ってはいかん…」なんて思ってると、それを包み隠して表現しないまま、自分の奥底に怒りと共に本音を押し殺す。それが時間が経過してくると、〈恨みつらみ〉になるわけ。 まずは、自分の本音として【地獄に落ちて欲しいと切に願うほど、相手に対してムカついている】ってことを自分で知らないと先に進めない。そして、そこを知ることが出来たら、次のステップとして「私は相手のことを地獄に落ちて欲しいと思うほどの怒りを持っているんだね」と、自分で自分の本音を認めてあげるのよ。すると、不思議なことにスーッと怒り(感情)が落ち着いてくる。 感情というのは“認められたい”わけ。認めてもらえないから暴れるんだよ。誰に認められたいって、子供の頃はそれこそ親だったりするわけだけど、本当は自分で自分を認めてあげたいよね。自分の本音を知って、自分で認めてあげることができたら、それは〈アタシOK〉ってこと。自分で自分にOKが出せたとき、まるっと自分のことを受け容れられる、許してあげられる。 許しは愛だからね。だから、自分を愛することというのは、自分を許すことでもあるのだ。 ワガママと愛することの違い ちなみに“ワガママ”との違いは何かっつーと。“ワガママ”はね、他人をコントロールしようとする力が無意識レベルで働いているの。要するに、自分が“ワガママ”を言うことによって、相手が言うことをきいてくれるとか。相手の行動を変えようとするとか。これはね、とても幼稚な愛。そもそも愛の質が全く違うのよねー。 【真実の愛】とは、一切コントロールが入らない。なぜなら先述の通り〈受容〉だからね。ただ、ただ…受け容れるだけ。ただ、ただ…認めていくだけ。ただ、ただ…愛するだけ。 “ワガママ”は、前回の記事でも書いたように頭(思考)から発信される。先程の連絡を怠った例でいうと、「あなたは私からの連絡を無視してはならない」っていうのはワガママ。相手からの愛が欲しくて、コントロールしたいから「連絡しなさいよ!」とか、「なぜ連絡よこさないのよ!」とかギャーギャー言って、相手の行動を変えようとさせる。 これは“愛されないこと”への怖れがあり、その感情を自分で受け容れること(認めること)が怖いから、思考で「あなたは私からの連絡を無視するべきではない!」と思い込み、無視されると爆発する…そんな構造。こんなカップルも多いんじゃなかろうか。。そして結果的にね、“愛されないこと”が実現しちゃうわけ。とても残念なお知らせですが…。自分が一番怖れいていたことが現実化しちゃう。そして「なぜ、私は愛されないのだろうか…?」とげんなりしちゃう…。 最強の“ジブンの愛し方” ということで、最強の“ジブンの愛し方”というのは、 アタシ、OK! …と心の底から、腹の底から、スッキリと言い切れること。これが言い切れるようになったとき、〈まるっとジブン受容〉となって、結果的にあるがままのジブンを愛することになる。 そうすると、他者に対しても「アナタがどんな状態であれ、あるがままのアナタを愛しています」となるわけ。どんなに醜いところがあろうとも。どんなに汚いところがあろうとも。どんなに憎いところがあろうとも。自分を受容している量の分だけ、相手を受容することができる。それこそが、真実の愛♡ 前回の記事に【自分愛するプロジェクト】として、アタシはヨガに通うってことを書いたけれど、それも単純に「ヨガに通う」という行動面だけで決めたのではなく、自分が大切にされていないって感じた出来事があった時、自分が自分を大切にしていなかった、粗末に扱っていた…という気づきがあったからなの。 自分の“本音”にちゃんと耳を傾けたら、自分が本当は何を求めているのか。自分が自分に何を認めて欲しいと思っているのかが、わかるようになってくる。だからステップとしては、①本音(心の呟き、感情、身体感覚)に耳を傾ける②本音を受容する・認めてあげる③自分のニーズ(本当の願い)に応えてあげるということをしていくこと。 そのステップで言うと、アタシの場合は、①本音で「大切にされてない」と心の呟きがあり②「大切にされてないって感じたんだね。」と自分で受容をし、そして自分で自分のことを抱きしめた。③「自分の心も身体も大切にしたい」という自分のニーズがあったので、自分の心も身体も大切にする行動として、時間とお金をかけて自分自身の心と身体を労っていく&磨いてことを選択した。その一歩としてヨガ!・・・ということになったわけ。 ぜひとも地道に続けてほしい。本音に気づき、本音を受容し、そして本音からの願いを聴いてあげることを。その積み重ねが、【アタシOK】につながっていくから。剛力さんにも届けー(笑) Written by まついゆか ジブンを愛するステップ①〜③をサポートいたします♡ ♡個人セッション申込♡まつい ゆかゆか まついinfo@ring-link.jpAdministratorただ、ワタシを生きる
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