ウチの父は、ダサくって…
ウチの両親が離婚したのは、私が20代前半の頃。子供たちも成人になったため、これまで冷戦状態だった夫婦が熟年離婚へと踏み出したのは、今から約17〜18年前。
それ以来、父親と会うことはなく、正直どこに住んでいるかもわからなかった。父のことを完全に忘れはしないが、自分の生活・この先の人生には関わりのない人として整理し、心の奥底に閉じ込めていた。遠い昔の人…どこかで元気にやってくれていたら、それでいいや‥そんな感覚で過ごしていたここ十数年間。特に自分へ支障があるとは、全く思っていなかったのです。
急に父に会いたくなる
そんな私でしたが、ふと今年9月に父と会いたくなりました。自分の奥底に閉じ込めていた整理したはずの父への想い。今さら自分には関係ない‥と思っていたのですが、やはり自分のパートナーシップには問題があるような気がして、父に会うことが自分にとってヒントになるような気がしました。
父の連絡先を知るために、唯一つながっている人は叔母さん、父の姉。叔母さんに連絡をして、「父の連絡先を教えてください」とショートメールで送ったら、すぐに電話がかかってきて教えてくれました。
その連絡を取った日は、後に気づいたのですが、父の誕生日でした。
人間関係の悩みは、90%以上が【親子関係】の問題
大人になった今でも私たちは人間関係に悩むものですが、その要因・悩みや問題の源となっていることの大抵は、親との関係の間であった未解決な問題です。親との間で満たされなかったニーズは人を変え、場面を変え、自分の人生に何度も登場してきます。 そう思うと、どの親のところに生まれるかで、人生ってほぼ決まっているものなんだな‥と思ってしまいますな。
私の人生における課題 “パートナーシップ”
私のようにパートナーシップに課題があるな‥と思ったら、異性の親「=父」との関係を見直します。
では、「パートナーシップに課題」というのは、私の場合どんなことかというと、“つながり”・“ありのままで愛されること”を感じられないという課題。どこか“欠如”している感覚があることに気づきました。
そのため、パートナーに対して「私じゃなくてもいいんだろうな…」と思っているところがあったり、自分の部分的なところを好きでいてくれるだけであって、そこの部分がなかったら愛されないんだろうな‥という考えがあったり。昔はよく「容姿だけで近寄ってきたんだろうな」とか「体目的なんだろうな」なんてことも、しょっちゅう思っていました。
だから「無条件の愛され方」がどんなものかわからなかったり、どんな自分であろうとも「愛しているよ」と言われるなんて、想像がつかない。けれど、自分の奥深いところではそれを求めている。「友香じゃなきゃダメだ」と言われてみたいとか、「どんな友香であっても、愛しているよ」と言われてみたかったり。。そんなことに憧れたりするけれど、どこか「そんな人は現れるわけない」ということを自分自身が信じてしまっているから、当然現実にそんなことは起こらない。
また、“ずっと繋がっていく感覚”が自分の中に感じることが出来なくて、“つながり続ける”ということが、自分の中で怖いものになっている。
そのため、自分で関係性を壊していくんです。その繰り返しをしている…だから独身(笑)自分の思い込み・信じ込みが現実を創り出していくことを、自分の人生を通して証明しています!!!!(←自慢にならんよ…)
父性とつながり直す
そんなパートナーシップに対する課題を、今回も発動してしまいそうな感じだったので、ひとまずお父さんに会ってみようと思いました。欠如・決裂している父との関係を【つなげ直すこと】が、パターン化されている自分の思い込みに変化をもたらす一歩になるような気がしました。〈父性〉と繋がり続けることを、自分の人生においてやること。自ら繋がりに行くことをやろうと思ったのです。自分で人生を変えていく。それが、父に会いたくなった最大の理由でした。自分の中で“無し”にしていた人を、もう一度自分の中に取り戻す。この統合が必要だと思ったし、その時期が来たように感じたのです。
父を恥ずかしいと思っていた自分
ウチの父は、昔からダサい人でした。。それは、母からのメッセージで刷り込まれたものでもありますし、実際のところ、私のセンスとは異なり…独特のセンスなので、私の価値観から見ても“ダサい”人なんです。
小さい頃、わが家の車は軽自動車でした。裕福ではなかったので小さな車でしたが、家族4人の移動は出来るから別によかったんですが‥車体の色はゴールドで。。今の時代のようなシャンパンゴールドな色ではなく、10円玉のような銅色っぽい感じの色。。 それが小学校1〜2年生の頃だったと思います。さらに数年後、その車を父は自ら塗装して…水色に変わりました。。そしてさらには数年後、また自ら塗装して真っ白になりました。。何回お色直ししたんだろ、あの車。
水色になった頃から、父のセンスに疑問を抱くようになり、幼心にちょっぴり「うちのお父さん、恥ずかしい」という気持ちが芽生えていました。
さらには中卒の父親を、母からのメッセージで「バカだ」と刷り込まれたこともあり、これまた幼心に「うちのお父さん、頭が悪くて恥ずかしい」という考えも芽生えてきました。
このように母からのメッセージをきっかけに、自分の父親に対する“恥ずかしさ”がどんどん膨らんでいくばかりでした。それでも、とても優しくてユーモアのある人で大好きでした。よく遊んでくれるし、いつも心配してくれるし、父のいる休日は笑っていたことが多かった気がします。そんな父に対して、恥ずかしいと思ってしまっていることに、どこか罪悪感も感じていました。
久々に会っても…ダサかった(笑)
9月20日に連絡先を入手し、数日後ショートメールでコンタクトを取りました。最初に返ってきた言葉は、「いつも心配しています」…涙が出ました。私の中で“無し”としていた人から、「いつも心配しています」という言葉が返ってくるなんて、想像もしていませんでした。
それからやり取りが何度か続き、いよいよ会う約束をしました。それが昨晩だったのです。
緊張しながらの再会。待ち合わせ時間にちょっと遅れて到着した私は、父親の車を見つけました。よかった…ゴールドでも水色でもない…(笑) 助手席側から運転席を覗き込み、父に笑顔で手を振りました。ドアを開けてもらって、「久しぶり〜!!」と言って車に乗り込みます。
・・・そのジャケット、どこで買ったの??
久しぶりの感動的な再会をふっ飛ばすくらいパンチの効いたジャケットを着ています。。。それは、ゼブラ柄のジャケット。どこのヤンキーだよ。。どこのヤ◯ザだよ。。
やっぱり「うちのお父さん、恥ずかしい」でした(笑)一緒に並んで歩くのには…こりゃー勇気がいるぞ!
「久しぶり〜!」の一言目から、ひとまずご飯を食べにいく場所を伝え、次に言うのは「ねぇ、そんな服はどこで買うの?」でした(笑) 父曰く…上野だそうです。。上野までわざわざ、そのジャケット買いに??? 相変わらず、父のセンスにはついていけない…どころか、パワーアップしとる!!
けれど、これが10〜30代までなら“恥ずかしくて嫌”だったかもしれない。けれども、自分の中で変わったなと思う感覚は“恥ずかしいけど…ま、これがお父さんだよね”という感じ。
うちの父は20年以上前から社交ダンスを趣味でやっていました。今では年金生活の傍ら、ダンス講師として生徒さんを持っているそうです。だからね、、派手なのね。目立つのが好きなのね。そんなところは、私は父譲りなのね。
センスの方向は違うけれど、自分の好きなことをやり続けること、目立つことが好きなこと、興味関心を持ったことに挑戦すること、社交性があるところは、父親の気質を譲り受けたんだと思います。
これが家族だったな…を再体験
父親と二人きりで焼肉ディナーをしながら、ここ数十年の話しをたくさんしました。そこで弟の話しが出たので、「よし!電話をしてみよう!!」ということになり、弟へ電話。いつもなら仕事の時間なのに、その日は偶然、奥さんのお誕生日ということで仕事を休んでいました。家族のために仕事を休む弟の優しさ、これも父譲りだと私は思います。
そして、弟+弟家族もすっ飛んできました。はじめて奥さんと会わせ、子どもたちとも初対面。ゼブラ柄のジャケット着てるもんだから、子どもたちもちょっと…引き気味。そりゃ、そうなるよね(笑)
私も子供の頃、親戚のおじさんがヒゲモジャモジャの顔していたのが怖くって、ドン引きしたもの。。気持ちはわかるよ、姪っ子・甥っ子よ。
父と弟、男同士っていうのも、また楽しいんだろうな。弟も父のことが大好きでした。野球を教えてくれていたし、プロ野球へ連れて行ってくれたり。男の子にとっての父親は、女性にはわからない特別な繋がりがあるんだろうね。二人の会話から、そんなことを感じました。
父と私と弟。久しぶりに談笑しながらの食事。とても懐かしさを感じ、遠くに置き去りにされていた“これが私の家族”を、とても感じられた時間でした。笑いが多かったんです、うちの家族。すっかり忘れていました。
父と母がギスギスしていた頃ばかりが記憶に残り、家族に対するイメージが冷戦状態の凍りついたものだったように思い込んでいましたが、身体が思い出したんです。笑いが多い家族だったことを。身体が思い出し、記憶が蘇り、「そうそう、こんな家族だったわ」とはっきり思い出しました。
それと…よく喋る。。とにかく、お父さんがよく喋る。人の話しを聞かない(笑) よくよく考えると、母も人の話を聞かないでよく喋る。父も母もよく喋るから、私は家族の中で聞き役になっていたんだな‥ということを実感。二人共よく喋るくせに、肝心なことは話し合わない。だから離婚したんだな。まったく正反対の父と母は、補完的関係が築ければよかったけれど、お互いの正しさばかりを主張して、肝心なこと(=本心・本音)は話し合わないで、結局傷つけあって別れることになった。その二人に囲まれて、それぞれの話しを聞いて、本心が話されないで関係が終わっていくことの悲しさを知った。本心を話さないで分かれていく夫婦・カップルなんてたくさんいる。けれど本音を話すことができれば、誰もが“愛”につながるのだ。 だから私は、夫婦・カップルカウンセリングや家族療法をやっていきたいんだと思う。
ありのままの父を愛する
今回をきっかけに、定期的に父とは会おうと思いました。今回の会う目的は、何かを話したい・伝えたいということではなく、再び繋がりを作りたいというところでした。
自分の中で欠如していた“つながり”。自分の中で蓋をしていた“父性”。この父性と繋がることが、自分の女性性を育てていくような気がするし、パートナーシップの学びに活かせることは間違いないと思えたからこそ、再会をしたんです。ありのままの父を許し、愛し、受け入れていくことが、自分の人生において変化をもたらすと信じています。
ダサいジャケットを着ていても、子供に対して愛情表現が分からなくてお金を渡してしまう不器用なところも、中卒でも、オンナ好きでも、この人が居てくれたから、私が生まれたわけで。この人の素質にある、優しさ、思いやり、ユーモア、社交性を私は受け継いだわけで。父を否定してしまったら、私の一部を否定してしまうこと。父を無いものとしてしまったら、私の半分は欠如してしまうこと。だから、ありのままの父を愛し、同時にありのままの私を愛する。
これからも、繋がり続けていくことを決めました。
Written by まついゆか
◆───-- - – お知らせ – - – --───◆
11月3日(土)13:00〜14:30 @横浜桜木町
Happyなにんげん関係づくりのための
Circle tea time
Happyなにんげん関係をつくるために、美味しいお菓子とお茶を嗜みながらお話ししていくお茶会。
「話すこと」で「放すこと」へつながり、その結果溜め込んだ考えを整理し、気持ちを流していきます。
この度、なんと!! とても美味しいお菓子に出会いました♡グルメ友香によるチョイスされたお菓子と共に、ゆったりとした、ひとときを過ごしましょ 😉
https://yuka8.com/blog/myfather綴|Blogウチの両親が離婚したのは、私が20代前半の頃。子供たちも成人になったため、これまで冷戦状態だった夫婦が熟年離婚へと踏み出したのは、今から約17〜18年前。 それ以来、父親と会うことはなく、正直どこに住んでいるかもわからなかった。父のことを完全に忘れはしないが、自分の生活・この先の人生には関わりのない人として整理し、心の奥底に閉じ込めていた。遠い昔の人…どこかで元気にやってくれていたら、それでいいや‥そんな感覚で過ごしていたここ十数年間。特に自分へ支障があるとは、全く思っていなかったのです。 急に父に会いたくなる そんな私でしたが、ふと今年9月に父と会いたくなりました。自分の奥底に閉じ込めていた整理したはずの父への想い。今さら自分には関係ない‥と思っていたのですが、やはり自分のパートナーシップには問題があるような気がして、父に会うことが自分にとってヒントになるような気がしました。 父の連絡先を知るために、唯一つながっている人は叔母さん、父の姉。叔母さんに連絡をして、「父の連絡先を教えてください」とショートメールで送ったら、すぐに電話がかかってきて教えてくれました。 その連絡を取った日は、後に気づいたのですが、父の誕生日でした。 人間関係の悩みは、90%以上が【親子関係】の問題 大人になった今でも私たちは人間関係に悩むものですが、その要因・悩みや問題の源となっていることの大抵は、親との関係の間であった未解決な問題です。親との間で満たされなかったニーズは人を変え、場面を変え、自分の人生に何度も登場してきます。 そう思うと、どの親のところに生まれるかで、人生ってほぼ決まっているものなんだな‥と思ってしまいますな。 私の人生における課題 “パートナーシップ” 私のようにパートナーシップに課題があるな‥と思ったら、異性の親「=父」との関係を見直します。 では、「パートナーシップに課題」というのは、私の場合どんなことかというと、“つながり”・“ありのままで愛されること”を感じられないという課題。どこか“欠如”している感覚があることに気づきました。 そのため、パートナーに対して「私じゃなくてもいいんだろうな…」と思っているところがあったり、自分の部分的なところを好きでいてくれるだけであって、そこの部分がなかったら愛されないんだろうな‥という考えがあったり。昔はよく「容姿だけで近寄ってきたんだろうな」とか「体目的なんだろうな」なんてことも、しょっちゅう思っていました。 だから「無条件の愛され方」がどんなものかわからなかったり、どんな自分であろうとも「愛しているよ」と言われるなんて、想像がつかない。けれど、自分の奥深いところではそれを求めている。「友香じゃなきゃダメだ」と言われてみたいとか、「どんな友香であっても、愛しているよ」と言われてみたかったり。。そんなことに憧れたりするけれど、どこか「そんな人は現れるわけない」ということを自分自身が信じてしまっているから、当然現実にそんなことは起こらない。 また、“ずっと繋がっていく感覚”が自分の中に感じることが出来なくて、“つながり続ける”ということが、自分の中で怖いものになっている。 そのため、自分で関係性を壊していくんです。その繰り返しをしている…だから独身(笑)自分の思い込み・信じ込みが現実を創り出していくことを、自分の人生を通して証明しています!!!!(←自慢にならんよ…) 父性とつながり直す そんなパートナーシップに対する課題を、今回も発動してしまいそうな感じだったので、ひとまずお父さんに会ってみようと思いました。欠如・決裂している父との関係を【つなげ直すこと】が、パターン化されている自分の思い込みに変化をもたらす一歩になるような気がしました。〈父性〉と繋がり続けることを、自分の人生においてやること。自ら繋がりに行くことをやろうと思ったのです。自分で人生を変えていく。それが、父に会いたくなった最大の理由でした。自分の中で“無し”にしていた人を、もう一度自分の中に取り戻す。この統合が必要だと思ったし、その時期が来たように感じたのです。 父を恥ずかしいと思っていた自分 ウチの父は、昔からダサい人でした。。それは、母からのメッセージで刷り込まれたものでもありますし、実際のところ、私のセンスとは異なり…独特のセンスなので、私の価値観から見ても“ダサい”人なんです。 小さい頃、わが家の車は軽自動車でした。裕福ではなかったので小さな車でしたが、家族4人の移動は出来るから別によかったんですが‥車体の色はゴールドで。。今の時代のようなシャンパンゴールドな色ではなく、10円玉のような銅色っぽい感じの色。。 それが小学校1〜2年生の頃だったと思います。さらに数年後、その車を父は自ら塗装して…水色に変わりました。。そしてさらには数年後、また自ら塗装して真っ白になりました。。何回お色直ししたんだろ、あの車。 水色になった頃から、父のセンスに疑問を抱くようになり、幼心にちょっぴり「うちのお父さん、恥ずかしい」という気持ちが芽生えていました。 さらには中卒の父親を、母からのメッセージで「バカだ」と刷り込まれたこともあり、これまた幼心に「うちのお父さん、頭が悪くて恥ずかしい」という考えも芽生えてきました。 このように母からのメッセージをきっかけに、自分の父親に対する“恥ずかしさ”がどんどん膨らんでいくばかりでした。それでも、とても優しくてユーモアのある人で大好きでした。よく遊んでくれるし、いつも心配してくれるし、父のいる休日は笑っていたことが多かった気がします。そんな父に対して、恥ずかしいと思ってしまっていることに、どこか罪悪感も感じていました。 久々に会っても…ダサかった(笑) 9月20日に連絡先を入手し、数日後ショートメールでコンタクトを取りました。最初に返ってきた言葉は、「いつも心配しています」…涙が出ました。私の中で“無し”としていた人から、「いつも心配しています」という言葉が返ってくるなんて、想像もしていませんでした。 それからやり取りが何度か続き、いよいよ会う約束をしました。それが昨晩だったのです。 緊張しながらの再会。待ち合わせ時間にちょっと遅れて到着した私は、父親の車を見つけました。よかった…ゴールドでも水色でもない…(笑) 助手席側から運転席を覗き込み、父に笑顔で手を振りました。ドアを開けてもらって、「久しぶり〜!!」と言って車に乗り込みます。 ・・・そのジャケット、どこで買ったの?? 久しぶりの感動的な再会をふっ飛ばすくらいパンチの効いたジャケットを着ています。。。それは、ゼブラ柄のジャケット。どこのヤンキーだよ。。どこのヤ◯ザだよ。。 やっぱり「うちのお父さん、恥ずかしい」でした(笑)一緒に並んで歩くのには…こりゃー勇気がいるぞ! 「久しぶり〜!」の一言目から、ひとまずご飯を食べにいく場所を伝え、次に言うのは「ねぇ、そんな服はどこで買うの?」でした(笑) 父曰く…上野だそうです。。上野までわざわざ、そのジャケット買いに??? 相変わらず、父のセンスにはついていけない…どころか、パワーアップしとる!! けれど、これが10〜30代までなら“恥ずかしくて嫌”だったかもしれない。けれども、自分の中で変わったなと思う感覚は“恥ずかしいけど…ま、これがお父さんだよね”という感じ。 うちの父は20年以上前から社交ダンスを趣味でやっていました。今では年金生活の傍ら、ダンス講師として生徒さんを持っているそうです。だからね、、派手なのね。目立つのが好きなのね。そんなところは、私は父譲りなのね。 センスの方向は違うけれど、自分の好きなことをやり続けること、目立つことが好きなこと、興味関心を持ったことに挑戦すること、社交性があるところは、父親の気質を譲り受けたんだと思います。 これが家族だったな…を再体験 父親と二人きりで焼肉ディナーをしながら、ここ数十年の話しをたくさんしました。そこで弟の話しが出たので、「よし!電話をしてみよう!!」ということになり、弟へ電話。いつもなら仕事の時間なのに、その日は偶然、奥さんのお誕生日ということで仕事を休んでいました。家族のために仕事を休む弟の優しさ、これも父譲りだと私は思います。 そして、弟+弟家族もすっ飛んできました。はじめて奥さんと会わせ、子どもたちとも初対面。ゼブラ柄のジャケット着てるもんだから、子どもたちもちょっと…引き気味。そりゃ、そうなるよね(笑) 私も子供の頃、親戚のおじさんがヒゲモジャモジャの顔していたのが怖くって、ドン引きしたもの。。気持ちはわかるよ、姪っ子・甥っ子よ。 父と弟、男同士っていうのも、また楽しいんだろうな。弟も父のことが大好きでした。野球を教えてくれていたし、プロ野球へ連れて行ってくれたり。男の子にとっての父親は、女性にはわからない特別な繋がりがあるんだろうね。二人の会話から、そんなことを感じました。 父と私と弟。久しぶりに談笑しながらの食事。とても懐かしさを感じ、遠くに置き去りにされていた“これが私の家族”を、とても感じられた時間でした。笑いが多かったんです、うちの家族。すっかり忘れていました。 父と母がギスギスしていた頃ばかりが記憶に残り、家族に対するイメージが冷戦状態の凍りついたものだったように思い込んでいましたが、身体が思い出したんです。笑いが多い家族だったことを。身体が思い出し、記憶が蘇り、「そうそう、こんな家族だったわ」とはっきり思い出しました。 それと…よく喋る。。とにかく、お父さんがよく喋る。人の話しを聞かない(笑) よくよく考えると、母も人の話を聞かないでよく喋る。父も母もよく喋るから、私は家族の中で聞き役になっていたんだな‥ということを実感。二人共よく喋るくせに、肝心なことは話し合わない。だから離婚したんだな。まったく正反対の父と母は、補完的関係が築ければよかったけれど、お互いの正しさばかりを主張して、肝心なこと(=本心・本音)は話し合わないで、結局傷つけあって別れることになった。その二人に囲まれて、それぞれの話しを聞いて、本心が話されないで関係が終わっていくことの悲しさを知った。本心を話さないで分かれていく夫婦・カップルなんてたくさんいる。けれど本音を話すことができれば、誰もが“愛”につながるのだ。 だから私は、夫婦・カップルカウンセリングや家族療法をやっていきたいんだと思う。 ありのままの父を愛する 今回をきっかけに、定期的に父とは会おうと思いました。今回の会う目的は、何かを話したい・伝えたいということではなく、再び繋がりを作りたいというところでした。 自分の中で欠如していた“つながり”。自分の中で蓋をしていた“父性”。この父性と繋がることが、自分の女性性を育てていくような気がするし、パートナーシップの学びに活かせることは間違いないと思えたからこそ、再会をしたんです。ありのままの父を許し、愛し、受け入れていくことが、自分の人生において変化をもたらすと信じています。 ダサいジャケットを着ていても、子供に対して愛情表現が分からなくてお金を渡してしまう不器用なところも、中卒でも、オンナ好きでも、この人が居てくれたから、私が生まれたわけで。この人の素質にある、優しさ、思いやり、ユーモア、社交性を私は受け継いだわけで。父を否定してしまったら、私の一部を否定してしまうこと。父を無いものとしてしまったら、私の半分は欠如してしまうこと。だから、ありのままの父を愛し、同時にありのままの私を愛する。 これからも、繋がり続けていくことを決めました。 Written by まついゆか ◆───-- - – お知らせ – - – --───◆ 11月3日(土)13:00〜14:30 @横浜桜木町 Happyなにんげん関係づくりのための Circle tea time Happyなにんげん関係をつくるために、美味しいお菓子とお茶を嗜みながらお話ししていくお茶会。 「話すこと」で「放すこと」へつながり、その結果溜め込んだ考えを整理し、気持ちを流していきます。 この度、なんと!! とても美味しいお菓子に出会いました♡グルメ友香によるチョイスされたお菓子と共に、ゆったりとした、ひとときを過ごしましょ 😉まつい ゆかゆか まついinfo@ring-link.jpAdministratorただ、ワタシを生きる
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