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なんだか、ふと…
10年前のブログを読んでみたくなって、
引っ張ってきた。
母のことが記事としてあったので、
転載してみようと思った。

2009/7/26『身近な人ほど見えにくい』より

先日、我が家のダイニングテーブルの上に、
“東京バナナ”が置いてありました。
お土産としてよく見かけますが…
まぁ、いかんせん関東に住んでいるので、
買うこともなけりゃ、貰ったこともありません。
「珍しいね。」と言ったら、
どうやら母が貰ってきたようです。

本日、母親とランチへ出かけた時のこと。
先日の“東京バナナ”を貰ってきた経緯を話し始めました。
うちの母親はよく喋ります。
そんな母親に対し、
私はいつも適度に聴き、
適度に流していました。
しかし、今日はなんだか話を聞きたい気分となり、
(東京バナナに興味があり?)
いつもより真剣に話を聞いていました。

こんなお話・・・

うちの母はパート勤めをしています。
彼女が勤めている会社は、
若い社員やバイトの子たちが多い場所で、
うちの母は彼らの賄いを作るオバちゃん。
母からすると沢山の娘や息子がいるようなものです。
皆「お母さん」と呼び、慕われている様子。

土用の丑の日の前日。
ウナギを愛して止まない子達が、
こう言ったそうです。

あぁー!!明日はメニューがウナギじゃん!
私休みだよ~いいなぁ。


と…。
しかも彼女と同じ状況の子(ウナギを愛するが、
たまたまシフトが休み)が5~6名ほどいたそうです。
この会社のメニューでウナギは、この土用の丑の日のみ。
一年に一回のチャンスだそうです。
しかも彼らは地方から出てきている子達で、
寮生活をしています。
…ともなれば尚更。
ウナギに会える機会はなかなかありません。

一方ウナギ好きがいれば、ウナギ嫌いもいます。
土用の丑の日の当日。
ウナギ嫌いな子へは、別メニューを母は用意しました。
そして余ったウナギを翌日、
休みだった彼女たちに出したそうです。
そしたらウナギを愛して止まない子達は大喜び☆

翌日、お礼に…と数名(ウナギを食した子達)から
“東京バナナ”をもらってきましたとさ‥チャンチャン!

という、なんの変哲もないお話しであります。
なのに、急に涙が出てきたんです。

灯台下暗しとは、よく言うものです。
本当に近くにあるものこそ見えまえん。
近くにいる人ほど本来の姿が見えません。

私は母が批判的になっていたり、
ヒステリックになっている姿ばかりを見て、
嫌悪感を抱いていたり、
嫌気がさしていたり、
疲れてしまったり。
それで話すら聞いていませんでした。

でもね、今回のウナギの話しを聞いて。
「なんて思いやりがあるんだろう。」と純粋に思ったんです。
「こんなに愛情の深い人だっただなんて。」と。
他人にそうしているのであれば、
私はそれ以上に母から、
深い愛情という名の思いやりをもらっているはず…。
そう思ったら、泣けてきました。

母の思いやりの深さを全く見ていなかったのは自分なんだ。
母の愛情を受け取ってこなかったのは自分なんだ。
母を受け入れてこなかったのは自分なんだ。

思わず泣いたことが恥ずかしくて、
ごまかしちゃいました。

多分、この恥ずかしさって、
自分の情けなさと恥ずかしさが入り組んだ感じ。
それだけに口に出して言うのには、
ちょっと勇気がなかった。

ほふー、なんだかその視点が持てるようになったということは、
受け入れて前に進めたということだな。

本当、最近はムキムキ・・・もとい。
メキメキ剥けている心の成長です。

まついゆかブログButterfly of Mind 2009/7/26

忘れてしまう“有り難み”

母が2014年に肝臓がんを患って以来、
再び同居をするようになったが、
やはり近くに居ると、
見えないこと、忘れてしまうことが
多くあるものだ。

・愛情深い人であること
・自分を後回しにして人に手を差し伸べること
・常に周囲の人を気にかけていること
・誰よりも娘、息子のことを想ってくれていること

近くにいると、
重いとか、煩わしいとか、面倒とか、
うざったいとか‥いろいろ思ってしまうんだけど。

こうして過去の記事を読んで、
客観的に捉えてみると、
母のいいところが見えてくる。

有り難みを感じるためにも、
母の体調はもう大丈夫だから、
そろそろ離れて暮らすことを本気で考えよう。

Written by まついゆか

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https://yuka8.com/wp-content/uploads/2019/07/2ab407365833d3d408001c4ee7b0e1ee_m-1024x768.jpghttps://yuka8.com/wp-content/uploads/2019/07/2ab407365833d3d408001c4ee7b0e1ee_m-150x150.jpgまつい ゆか綴|Blogなんだか、ふと…10年前のブログを読んでみたくなって、引っ張ってきた。母のことが記事としてあったので、転載してみようと思った。 2009/7/26『身近な人ほど見えにくい』より 先日、我が家のダイニングテーブルの上に、“東京バナナ”が置いてありました。お土産としてよく見かけますが…まぁ、いかんせん関東に住んでいるので、買うこともなけりゃ、貰ったこともありません。「珍しいね。」と言ったら、どうやら母が貰ってきたようです。本日、母親とランチへ出かけた時のこと。先日の“東京バナナ”を貰ってきた経緯を話し始めました。うちの母親はよく喋ります。そんな母親に対し、私はいつも適度に聴き、適度に流していました。しかし、今日はなんだか話を聞きたい気分となり、(東京バナナに興味があり?)いつもより真剣に話を聞いていました。こんなお話・・・うちの母はパート勤めをしています。彼女が勤めている会社は、若い社員やバイトの子たちが多い場所で、うちの母は彼らの賄いを作るオバちゃん。母からすると沢山の娘や息子がいるようなものです。皆「お母さん」と呼び、慕われている様子。土用の丑の日の前日。ウナギを愛して止まない子達が、こう言ったそうです。あぁー!!明日はメニューがウナギじゃん!私休みだよ~いいなぁ。と…。しかも彼女と同じ状況の子(ウナギを愛するが、たまたまシフトが休み)が5~6名ほどいたそうです。この会社のメニューでウナギは、この土用の丑の日のみ。一年に一回のチャンスだそうです。しかも彼らは地方から出てきている子達で、寮生活をしています。…ともなれば尚更。ウナギに会える機会はなかなかありません。一方ウナギ好きがいれば、ウナギ嫌いもいます。土用の丑の日の当日。ウナギ嫌いな子へは、別メニューを母は用意しました。そして余ったウナギを翌日、休みだった彼女たちに出したそうです。そしたらウナギを愛して止まない子達は大喜び☆翌日、お礼に…と数名(ウナギを食した子達)から“東京バナナ”をもらってきましたとさ‥チャンチャン!という、なんの変哲もないお話しであります。なのに、急に涙が出てきたんです。灯台下暗しとは、よく言うものです。本当に近くにあるものこそ見えまえん。近くにいる人ほど本来の姿が見えません。私は母が批判的になっていたり、ヒステリックになっている姿ばかりを見て、嫌悪感を抱いていたり、嫌気がさしていたり、疲れてしまったり。それで話すら聞いていませんでした。でもね、今回のウナギの話しを聞いて。「なんて思いやりがあるんだろう。」と純粋に思ったんです。「こんなに愛情の深い人だっただなんて。」と。他人にそうしているのであれば、私はそれ以上に母から、深い愛情という名の思いやりをもらっているはず…。そう思ったら、泣けてきました。母の思いやりの深さを全く見ていなかったのは自分なんだ。母の愛情を受け取ってこなかったのは自分なんだ。母を受け入れてこなかったのは自分なんだ。思わず泣いたことが恥ずかしくて、ごまかしちゃいました。多分、この恥ずかしさって、自分の情けなさと恥ずかしさが入り組んだ感じ。それだけに口に出して言うのには、ちょっと勇気がなかった。ほふー、なんだかその視点が持てるようになったということは、受け入れて前に進めたということだな。本当、最近はムキムキ・・・もとい。メキメキ剥けている心の成長です。まついゆかブログButterfly of Mind 2009/7/26 忘れてしまう“有り難み” 母が2014年に肝臓がんを患って以来、再び同居をするようになったが、やはり近くに居ると、見えないこと、忘れてしまうことが多くあるものだ。 ・愛情深い人であること・自分を後回しにして人に手を差し伸べること・常に周囲の人を気にかけていること・誰よりも娘、息子のことを想ってくれていること 近くにいると、重いとか、煩わしいとか、面倒とか、うざったいとか‥いろいろ思ってしまうんだけど。 こうして過去の記事を読んで、客観的に捉えてみると、母のいいところが見えてくる。 有り難みを感じるためにも、母の体調はもう大丈夫だから、そろそろ離れて暮らすことを本気で考えよう。 Written by まついゆか心の対話ファシリテーター|企業研修講師|実現プロデューサー まついゆか 公式ブログ