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昨晩、ものすごい勢いの夫婦喧嘩が近隣で行われていた‥。

23:00過ぎ、女性の泣き叫ぶ声が近所に響き渡る。「お前のせいだろがー!」「バカはお前だろー!!」といったような罵倒する言葉をお叫びになられているご様子…。

私はマンション住まいですが、越してきた時はお隣の土地が一軒家でした。3Fに住んでいるのですが、お隣の一軒家は2F建てだったので視界も遮られることなく、とても住みやすい環境だったのですが…1年前くらいに、その一軒家が取り壊され、土地が売られ…そこに4軒の3F建て新築が建てられました。私の部屋から見える景色は、もはやお隣のお家の窓。。その元一軒家エリアに越してきた内の1軒のお家から、怒鳴り声が聞こえてきます…。

 

仲介に入る勇気はまだ…ない。

ここでプロセス指向心理学の創始者アーノルド・ミンデル氏であれば、すぐさまその家に行って夫婦の仲介役に入り、ファシリテートするのであろうな‥と思いながら、さすがに私はまだそこまでの勇気はなかった。。これから先も、自ら行って…という勇気は一生持てないかもしれない。。けれども、とても気になる。。めっちゃ気になる。。
約30分間にわたって彼女の叫び声が近隣に響き渡る。怒り狂っている彼女に対し、おそらく同じくらいのエネルギーで旦那も何らかの応対をしているのであろう。旦那の声は聞こえてこないけれども、彼女の返す言葉を聞いていると、それなりに旦那も反抗しているようだ。

平行線のままの夫婦喧嘩。。このプチ戦争の終わりは、いつ、どのようになるんだろうか…と気になりながら、ついつい耳を傾けてしまう。けれども何も出来ない…あぁ、もどかしい。

 

“怒り”は疲れちゃうよね

怒りというエネルギーは、本当に強いエネルギー源だ。一番疲れていて苦しいのは、怒っている本人なんであろう。

 

「そんなに怒っていて疲れちゃうよね」と、面識もない近隣の女性に心の中で勝手に共感。。きっと、彼女は同じパターンでずっと生きてきているはず。何か自分に不都合があったとき、相手との間に行き違いが起こったとき、理解しあえなかったとき、彼女の中の“何か”に触れたとき、怒りを使って感情を爆発させ、相手を罵倒し、相手を蔑み、自分を守っているのだ。その守り方…もう疲れるよね、と思うけれど、当の本人としては当たり前のように使っているので、きっと「疲れている」という意識にもならないのであろう。本人の中で当たり前になっていることは、周囲がいくら何を感じようとも、何を思おうとも、本人自らが気づくまでは何もしてあげることができない。そこがまた、見聞きしていると苦しくなるポイント。ダラダラ流血しているけど、流血していることに気づいていないような感じ。周囲が「血、流れてるよ?」と言っても、本人が流血していることに気づき、痛みに目を向けなければ、周囲がいくらサポートしようと、手を差し伸べようと、残念なことに届かないのだ。

【怒りが出てくる情景・出来事・人物】→【怒りをぶちまける】→【疲れる・無力感】→【場合によっては自責】こんなことが、彼女の中で起こっているんじゃないかと推測。やめたいけど、やめられない。もはや「やめたい」ということすら頭に思い浮かばないのかもしれない、あまりにも当たり前すぎて。
いつか「なんで、いつも私はこうなっちゃうんだろう?」と自分にベクトルが向いてくれることを、ただただ祈るばかりだ。。

 

ちょっとだけ羨ましいところ

そんなことを考えながら、ちょっとだけ羨ましいと思ったりもした。なぜかというと、私は怒りをぶちまけて喧嘩をしたり、人とぶつかったりしたことが…ほぼ記憶にないから。小さい頃に、弟とはやりあっていたかな。叩いたり蹴ったり、叩かれたり蹴られたり…。けれど、いつしか“怒り”を出すことを止めてしまった気がする。忘れた?置いてきた?止めた?もともと無い?・・・どれかは分からないな。

私の家族は父と母が冷戦派だった。ぶつかる派ではなく、冷戦派。凍りついたような空気が家族の中で流れていて、本音を話さない。感情を出さない。ぶつかり合わない。ある意味、父と母の大きな喧嘩は見たことがないかもしれない。その代り、ずーーーっと…空気が凍りついていた。緊張状態が続いているような感じ。だから、言い合う・ぶつかり合う喧嘩をあまり見たことがない。喧嘩を知らないのかもしれない。

だから、近隣から聞こえてくる夫婦の怒鳴り合いを聞きながらも、感情的になれるのがちょっとだけ羨ましいとも感じた。

 

アサーションを知ると尚更

コミュニケーションで“アサーション”というタイプがある。自分も大切に、相手も大切にするコミュニケーション方法。これを習得すると、わりといつも冷静で穏やか。感情任せにモノを言うことが格段と減るから。
アサーションを習得し始めたのは、それこそ心理学に携わるようになった12年くらい前だから、そこからは尚更、感情的なコミュニケーションが減ったかもしれない。
だからといって、感情を表現していないわけではない。感情はきちんと自分の中で整理がされていて、伝えることは伝える。悲しい、寂しい、悔しい、罪悪感、自責などなど…。ここで“怒り”を伝えないのはナゼかと言うと、“怒り”は主に二次感情と言われ、偽物の感情とも言われる。だから「あなたに対して怒っている」ということは、あまり伝えないし、伝えても意味がないと思っている。ナゼ怒っているのか、怒りの下にある本物の感情は何だろうか…?というのを、自分の中で深めて、本当の感情を自分で理解した上で、その本当の感情を相手に伝えるようにしている。だから、私のコミュニケーションは、基本的に穏やかで平和。

そのため、なおさら“怒り任せ”なコミュニケーションはしないし、怒りを相手にぶつけることもほぼしない。

余談ですが…先日、聞いた話し。ANAグループでは、ヒューマンエラーを防ぐためにアサーション教育を徹底しているそうな。私もアサーションが全員出来るようになったら、もっと平和になると思う。学校教育でも取り入れたらいいのに…。

 

相手のせいにしているうちは…

話しは近隣夫婦の話に戻るけど…。怒鳴っている彼女からは、相手ばかりを責める言葉しか出てきていなかった。相手を責めたくなるほど、傷ついたんだよね。相手を攻撃しなくちゃならないほど、自分の傷が疼いたんだよね。
相手を攻撃している人は、その分、自分を攻撃している人。自分を責めている人。だからね、私は攻撃する人ほど傷ついているんではないかと思うわけです。

そして相手のせいにしているうちは、何も解決しないし、その関係に健全性はない。では、相手のせいにしないために何が必要なのかって、まずは傷ついている自分を癒やすこと。自分が流血していることに気づいて、自分で止血することなのです。自分で気づくことが出来ない人の周りには、癒やしてあげる人がいてくれるとベストなんだけどね。

カウンセリングで、もし相手を攻撃する人、不平・不満を言う人、相手をジャッジする人、相手への恨みつらみを言う人は、まずとことん吐き出してもらいます。クッションを殴ってもらったり。大声で叫んでもらったり。とことんカウンセリングの場で、ダミーの相手を攻撃しまくって、しまくって、やり尽くした後に出てくるのは、相手への愛と感謝が自然と湧き出てくる。そのプロセスがとても大切。そして、自然と愛と感謝が湧き出てくることを、カウンセラーは信じてとことん付き合うこと。

①まずはとことん相手のせいにする
②ダミー攻撃しまくる
③解毒が済んでくると、その下にある感謝・慈愛が湧いてくる
④相手を許すようになる=(イコール)自分を許す・受け入れることになる
⑤アサーションで相手に伝える(Iメッセージ)
⑥関係性に変化が起こる

相手のせい(相手にベクトルが向いている)にしているうちは、〈自分 VS 相手〉の対立構造になる。すると、いつまでも戦い続けなくてはならない。いつまでも勝ち続けなければならないと思いこむ。そうすると、マウンティングしなくては(相手より優位に立たなくては)ならないと思いこむ。しかし、それが自分にベクトルが向くようになると、対立→対話へと変化させることが出来るのです。対話になったら、健全的・建設的な関係へと変化します。

相手のせいにするのが決して悪いわけではありません。一度や二度くらいは、相手のせいにしてみましょう。けれど、そこで終わらせない。中途半端に相手のせいで終わらせるから、いつまでもわだかまり・モヤモヤ・イライラが残るのです。徹底的に相手のせいにしちゃいましょう。但し、本人の前ではなくね、ダミーでね。徹底的にやり尽くしたら、あとは自ずと自分に意識が向いてきます。それを待ちましょ。

 

近隣の夫婦喧嘩から、いろんなことを学びましたなぁ〜☆彡 ちょっぴりうるさかったけれど、ありがとう、ご近所さん。

Written by まついゆか

 

◆───-- - – お知らせ – - – --───◆
11月3日(土)13:00〜14:30 @横浜桜木町
Happyなにんげん関係づくりのための 
Circle tea time

Happyなにんげん関係をつくるために、美味しいお菓子とお茶を嗜みながらお話ししていくお茶会。
「話すこと」で「放すこと」へつながり、その結果溜め込んだ考えを整理し、気持ちを流していきます。
この度、なんと!! とても美味しいお菓子に出会いました♡グルメ友香によるチョイスされたお菓子と共に、ゆったりとした、ひとときを過ごしましょ 😉

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まつい ゆか結|Relationship綴|Blog昨晩、ものすごい勢いの夫婦喧嘩が近隣で行われていた‥。 23:00過ぎ、女性の泣き叫ぶ声が近所に響き渡る。「お前のせいだろがー!」「バカはお前だろー!!」といったような罵倒する言葉をお叫びになられているご様子…。 私はマンション住まいですが、越してきた時はお隣の土地が一軒家でした。3Fに住んでいるのですが、お隣の一軒家は2F建てだったので視界も遮られることなく、とても住みやすい環境だったのですが…1年前くらいに、その一軒家が取り壊され、土地が売られ…そこに4軒の3F建て新築が建てられました。私の部屋から見える景色は、もはやお隣のお家の窓。。その元一軒家エリアに越してきた内の1軒のお家から、怒鳴り声が聞こえてきます…。   仲介に入る勇気はまだ…ない。 ここでプロセス指向心理学の創始者アーノルド・ミンデル氏であれば、すぐさまその家に行って夫婦の仲介役に入り、ファシリテートするのであろうな‥と思いながら、さすがに私はまだそこまでの勇気はなかった。。これから先も、自ら行って…という勇気は一生持てないかもしれない。。けれども、とても気になる。。めっちゃ気になる。。 約30分間にわたって彼女の叫び声が近隣に響き渡る。怒り狂っている彼女に対し、おそらく同じくらいのエネルギーで旦那も何らかの応対をしているのであろう。旦那の声は聞こえてこないけれども、彼女の返す言葉を聞いていると、それなりに旦那も反抗しているようだ。 平行線のままの夫婦喧嘩。。このプチ戦争の終わりは、いつ、どのようになるんだろうか…と気になりながら、ついつい耳を傾けてしまう。けれども何も出来ない…あぁ、もどかしい。   “怒り”は疲れちゃうよね 怒りというエネルギーは、本当に強いエネルギー源だ。一番疲れていて苦しいのは、怒っている本人なんであろう。   「そんなに怒っていて疲れちゃうよね」と、面識もない近隣の女性に心の中で勝手に共感。。きっと、彼女は同じパターンでずっと生きてきているはず。何か自分に不都合があったとき、相手との間に行き違いが起こったとき、理解しあえなかったとき、彼女の中の“何か”に触れたとき、怒りを使って感情を爆発させ、相手を罵倒し、相手を蔑み、自分を守っているのだ。その守り方…もう疲れるよね、と思うけれど、当の本人としては当たり前のように使っているので、きっと「疲れている」という意識にもならないのであろう。本人の中で当たり前になっていることは、周囲がいくら何を感じようとも、何を思おうとも、本人自らが気づくまでは何もしてあげることができない。そこがまた、見聞きしていると苦しくなるポイント。ダラダラ流血しているけど、流血していることに気づいていないような感じ。周囲が「血、流れてるよ?」と言っても、本人が流血していることに気づき、痛みに目を向けなければ、周囲がいくらサポートしようと、手を差し伸べようと、残念なことに届かないのだ。 【怒りが出てくる情景・出来事・人物】→【怒りをぶちまける】→【疲れる・無力感】→【場合によっては自責】こんなことが、彼女の中で起こっているんじゃないかと推測。やめたいけど、やめられない。もはや「やめたい」ということすら頭に思い浮かばないのかもしれない、あまりにも当たり前すぎて。 いつか「なんで、いつも私はこうなっちゃうんだろう?」と自分にベクトルが向いてくれることを、ただただ祈るばかりだ。。   ちょっとだけ羨ましいところ そんなことを考えながら、ちょっとだけ羨ましいと思ったりもした。なぜかというと、私は怒りをぶちまけて喧嘩をしたり、人とぶつかったりしたことが…ほぼ記憶にないから。小さい頃に、弟とはやりあっていたかな。叩いたり蹴ったり、叩かれたり蹴られたり…。けれど、いつしか“怒り”を出すことを止めてしまった気がする。忘れた?置いてきた?止めた?もともと無い?・・・どれかは分からないな。 私の家族は父と母が冷戦派だった。ぶつかる派ではなく、冷戦派。凍りついたような空気が家族の中で流れていて、本音を話さない。感情を出さない。ぶつかり合わない。ある意味、父と母の大きな喧嘩は見たことがないかもしれない。その代り、ずーーーっと…空気が凍りついていた。緊張状態が続いているような感じ。だから、言い合う・ぶつかり合う喧嘩をあまり見たことがない。喧嘩を知らないのかもしれない。 だから、近隣から聞こえてくる夫婦の怒鳴り合いを聞きながらも、感情的になれるのがちょっとだけ羨ましいとも感じた。   アサーションを知ると尚更 コミュニケーションで“アサーション”というタイプがある。自分も大切に、相手も大切にするコミュニケーション方法。これを習得すると、わりといつも冷静で穏やか。感情任せにモノを言うことが格段と減るから。 アサーションを習得し始めたのは、それこそ心理学に携わるようになった12年くらい前だから、そこからは尚更、感情的なコミュニケーションが減ったかもしれない。 だからといって、感情を表現していないわけではない。感情はきちんと自分の中で整理がされていて、伝えることは伝える。悲しい、寂しい、悔しい、罪悪感、自責などなど…。ここで“怒り”を伝えないのはナゼかと言うと、“怒り”は主に二次感情と言われ、偽物の感情とも言われる。だから「あなたに対して怒っている」ということは、あまり伝えないし、伝えても意味がないと思っている。ナゼ怒っているのか、怒りの下にある本物の感情は何だろうか…?というのを、自分の中で深めて、本当の感情を自分で理解した上で、その本当の感情を相手に伝えるようにしている。だから、私のコミュニケーションは、基本的に穏やかで平和。 そのため、なおさら“怒り任せ”なコミュニケーションはしないし、怒りを相手にぶつけることもほぼしない。 余談ですが…先日、聞いた話し。ANAグループでは、ヒューマンエラーを防ぐためにアサーション教育を徹底しているそうな。私もアサーションが全員出来るようになったら、もっと平和になると思う。学校教育でも取り入れたらいいのに…。   相手のせいにしているうちは… 話しは近隣夫婦の話に戻るけど…。怒鳴っている彼女からは、相手ばかりを責める言葉しか出てきていなかった。相手を責めたくなるほど、傷ついたんだよね。相手を攻撃しなくちゃならないほど、自分の傷が疼いたんだよね。 相手を攻撃している人は、その分、自分を攻撃している人。自分を責めている人。だからね、私は攻撃する人ほど傷ついているんではないかと思うわけです。 そして相手のせいにしているうちは、何も解決しないし、その関係に健全性はない。では、相手のせいにしないために何が必要なのかって、まずは傷ついている自分を癒やすこと。自分が流血していることに気づいて、自分で止血することなのです。自分で気づくことが出来ない人の周りには、癒やしてあげる人がいてくれるとベストなんだけどね。 カウンセリングで、もし相手を攻撃する人、不平・不満を言う人、相手をジャッジする人、相手への恨みつらみを言う人は、まずとことん吐き出してもらいます。クッションを殴ってもらったり。大声で叫んでもらったり。とことんカウンセリングの場で、ダミーの相手を攻撃しまくって、しまくって、やり尽くした後に出てくるのは、相手への愛と感謝が自然と湧き出てくる。そのプロセスがとても大切。そして、自然と愛と感謝が湧き出てくることを、カウンセラーは信じてとことん付き合うこと。 ①まずはとことん相手のせいにする ②ダミー攻撃しまくる ③解毒が済んでくると、その下にある感謝・慈愛が湧いてくる ④相手を許すようになる=(イコール)自分を許す・受け入れることになる ⑤アサーションで相手に伝える(Iメッセージ) ⑥関係性に変化が起こる 相手のせい(相手にベクトルが向いている)にしているうちは、〈自分 VS 相手〉の対立構造になる。すると、いつまでも戦い続けなくてはならない。いつまでも勝ち続けなければならないと思いこむ。そうすると、マウンティングしなくては(相手より優位に立たなくては)ならないと思いこむ。しかし、それが自分にベクトルが向くようになると、対立→対話へと変化させることが出来るのです。対話になったら、健全的・建設的な関係へと変化します。 相手のせいにするのが決して悪いわけではありません。一度や二度くらいは、相手のせいにしてみましょう。けれど、そこで終わらせない。中途半端に相手のせいで終わらせるから、いつまでもわだかまり・モヤモヤ・イライラが残るのです。徹底的に相手のせいにしちゃいましょう。但し、本人の前ではなくね、ダミーでね。徹底的にやり尽くしたら、あとは自ずと自分に意識が向いてきます。それを待ちましょ。   近隣の夫婦喧嘩から、いろんなことを学びましたなぁ〜☆彡 ちょっぴりうるさかったけれど、ありがとう、ご近所さん。 Written by まついゆか   ◆───-- - – お知らせ – - – --───◆ 11月3日(土)13:00〜14:30 @横浜桜木町 Happyなにんげん関係づくりのための  Circle tea time Happyなにんげん関係をつくるために、美味しいお菓子とお茶を嗜みながらお話ししていくお茶会。 「話すこと」で「放すこと」へつながり、その結果溜め込んだ考えを整理し、気持ちを流していきます。 この度、なんと!! とても美味しいお菓子に出会いました♡グルメ友香によるチョイスされたお菓子と共に、ゆったりとした、ひとときを過ごしましょ 😉心の対話ファシリテーター|企業研修講師|実現プロデューサー まついゆか 公式ブログ