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さてさて。最近、楽しくなってきちゃったりなんかしているブログ投稿。皆さまからの温かいフィードバックを胸に噛み締めながら…今回もキレッキレに進めてまいりませう。
今回のネタは、先日某新年会で、とある人が仰っていたことをヒントにしました♡自分の〈弱み〉について。ある意味、この投稿はアタシ的に実験みたいなもん♪

弱みって怖いよね〜(。ŏ﹏ŏ)

人に“弱みを見せる”って、怖いよね〜! めっちゃ怖いよね〜!
清水の舞台から飛び降りるどころじゃないよね!
バンジージャンプするどころじゃないよね!!
富士急ハイランドのFUJIYAMAを立って乗るどころじゃないよね!!
「生きるか、死ぬか…」という死活問題レベルよ、これ。

だってさ、見せられていたら、それってそもそも〈弱み〉じゃなくない?
〈強み〉はガシガシ出していく・表現していくに越したことはないし、そんなん誰だってやってるよね。
こうしてアタシだって、文章やブログを書くことを強みとして認識するようになったから、アウトプットをガンガンしているし。最近はグラフィックデザインなんかもやっちゃうから、自分のデザインセンスも強みとして認識するようになって、お金も有り難くちょうだいして仕事にもしているし。
〈強み〉はオープンにすることで、どんどんエネルギー・力となって循環させることができる。〈強み〉をさらけ出すことに、なんの抵抗もなけりゃー、「どうぞ、私の強みを使ってくだせぇ〜」と差し出すわけです。
これが“社会に貢献する”ってことね。

じゃ、逆に〈弱み〉というのは?
自分がある一部分に対して、“恥じていること”だと思うの。恥じているから、見せられない、曝け出せない、隠してしまう…ということが起こるよね。“恥じている”ってことは、よっぽどのお恥ずかしいことがあるんでしょうよ〜(*´艸`*)

自分の中で“恥じている”部分を、他者に、社会に、世界にさらけ出す…それはそれは、恐ろしすぎる〜…って思うのも当然。

“恥じている”のは、過去の自分?

“恥じている”部分というのは、「過去の自分を恥じている」とイコールなんじゃないかなーって思うのだ。

過去の自分(の一部)を、認められていないってことじゃん?
過去の自分(の一部)として、受け入れがたいってことじゃん? 
これまでの人生に起こった出来事の中で、

「こんな◯◯な私を、他人から私なんて思われたく(見られたく)なーい!」

って思ったことがあるから、必死に頑張って隠そうとする。一生懸命バレないように、バレないように、ひたむきに隠し続けることを努力する。

そして、あたかも〈こんな◯◯な私〉が存在しないかのように、むしろ〈◯◯な私〉を1mmたりとも見せないように自分を装って周囲にアピールし、「ふふふ〜ん♪」みたいな鼻歌なんか歌いながら余裕ぶっこいている。心の中はヒヤヒヤなのに。。

で・・・それって、疲れるよね?

という話しですよ。

そんなに必死に隠してまで、守りたいものはナニ!?
そんなに懸命に取り繕ってまで、見せたくないものはナニ!?
そんなにヒヤヒヤしてまで、バレたくないものはナニ!?

ユー、認めちゃいなよ

そんな〈弱み〉って、まずは自分が認めることからしないと、どーにもこーにもならない。要するに、過去の自分に対して「お手上げですぅ〜」って白旗を挙げることが第一歩。

「お手上げですぅ〜!」と、白旗を挙げた瞬間に何が起こるかというと…

「ま、いっか。」

となるんだよー! これが不思議なことに。
あんなにも拒否ってたのに!?
あんなにも必死に隠していたのに!?
あんなにも無いものにしようとしてたのに!?
まるで魔法がかかったかのように、「どうでもよくなる」っていうのが、おもろいところ。

そして、ふと思うのである。
「はて?私は何をそんなに怖がっていたのじゃ?」と。

白旗を挙げるってことは、認めるってこと。
認めるってことは、受け入れるってこと。
受け入れるってことは、同時に執着がなくなるってこと。

執着してるから、固執しているから、「バレないように…」と必死に自分の両手で抱え込む。その「バレないように…」としているもの。とてもドロドロしていて、汚くって、そんなのを持ってるってことがバレた時点で、人から嫌われるんじゃないかって思ってるでしょ?
知ってる? 両手で抱えているソレ・・・

お宝だよ?

お宝だと思えるようになるには?

自分的には、ドロドロしていて、汚くって、【こんな◯◯な自分】がいるってことが、もし旦那(妻)に、友達に、上司に、恋人にバレてしまったら・・・
・人から嫌われる
・人が離れていく
・人に見下される
・人に批判される
・人に否定される
・人に拒否られる
・人に軽蔑される
・人に…etc
と、いろーーーーんなことを想像するっしょ? こんなこと想像しちゃったら、自分の手の中にあるものがお宝だなんて、到底思えるわけないよね!!

だったら、どうやって思えばいいのさ?

闇の反対側、光を見つける

ってことがポイントね!
そうすると、ドロドロしたものが、実は光り輝くものだということがわかる。

この世は二元の世界。闇と光、陰と陽☯、夜と昼、女と男、右と左、静と動など。闇があれば、必ず光はあるよ。永遠に夜ってことはないよ。陰極まって陽に転ずるわけ。だからね、光を当てようとするの、その抱えている【こんな◯◯な自分】に。それにはね、自分ひとりじゃ無理。だって自分は「闇」に執着・固執しちゃってんだもん。
そんな時にね、光で見せてくれるありがたい存在なのが…【他人】なんだよ。

おさらいね。

① 恥じてる過去の自分を発見する
② 「お手上げです〜」と白旗を挙げる
③ これまで恥じてた闇の部分の光を探す
④ 「ま、いっか…」となる
⑤ どーでもよくなって、隠そうとしなくなる
⑥ 場合によっては、「オープンにしてやれ!」と思う

ということで、アタシの〈弱み〉とは?

前段が長くなりましたが、ようやくアタシの〈弱み〉をカミングアウト〜!これはつい最近まで持っていた〈弱み〉であります。むしろ最近どころか、ついさっきぐらいまで持ってた、旬なネタだわ😝
アタシの弱みとは、ズバリ・・・

学歴コンプレックス!

これねー、めっちゃ長いこと抱えていた。

私は高卒です。しかも商業高校。
勉強嫌いだし、好きな勉強も得意な科目もないし、高校生活はそれなりに楽しかったけど、学生でのらりくらりする生活に嫌気がさしてた。
何のために生きてるのか?勉強のため?賢くなるため?社会のため?親のため?
もし自分のためだとしたら、私は自分で早く生活ができるようになりたい。
いつまでも学生でいて、好きでもない・興味も湧かないよくわからん勉強をしていて、親の元にぶら下がっていて…なんてまっぴらだわ。。と思ってた。
私にとっては、“学生”という存在自体が、“ナマケモノ”のように思っていた。この“ナマケモノ生活”をするくらいなら、さっさと社会に出て活躍したかった。大学生というものに、まるで憧れを持たなかったのである。大学に行くことが時間の無駄だとさえ思っていた。
さらには、「学歴が大事だー!」と言っている社会に対して、「それ、本当っすか?」という疑問も抱いていた。ある種、勉強苦手な私の反抗心ではあったんだと思う。けれども、そうやって社会が「学歴重視の社会」を作っていることに違和感もあったし、馬鹿じゃないの?…とさえ思ってた。
だから、どこかで「“学歴がヒトにとって大事なんかじゃない”ってことを証明してやる!!」という、反骨精神を持っていたのも事実。

そんな感じだったので、当時は高卒であることを恥じてはいなかったし、さほどこの先の自分に影響があるようにも思っていなかった。

そして社会人になって5年ほど経った時、勤めていた小さな会社を飛び出して、もっと広い世界を見たくなった。念願の親元を離れて一人暮らしを都内で始め、自分の仕事に対するモットーを大切にしながら、あちこちで働いた。

自分の世界が広がれば広がるほど、多くの人との出会いがある。そして社会という大海原の中で、そこそこの大手の会社で仕事するようになったり、関わる人たちも高学歴で有能な人たちが周りに増えてきた。
そんな時、思いの外ムクムク…と顔を出してきたのが、

【学歴に対する劣等感】

だったのである。
徐々に履歴書で「高卒」であることを恥ずかしく思うようになっていった。

自分が聡明に見えるように、自分が賢くみえるように。必死に隠していたような気がする。身なり、立ち居振る舞い、言葉遣い。仕事が出来ることが、有能な人たちと対等に付き合う上では求められていたから、そこに追いつくのに必死だった。だからこそ、人前で話すことを習得し、PCスキルも上げ、コミュニケーションを武器にした。おかげさまで、仕事が出来るオンナにはなったし、どの会社で勤めても重宝されるようになった。

そんなある日、打ち合わせの中で某大手企業の人たちが、自分たちの学歴自慢をするというナゾすぎる時間があった。苦痛でしかたない。自分の大学自慢。私からすると「は?だから?」というアンチな思いと、自分に対する劣等感に挟まれていた。

こうして私はいつしか、自分の学歴コンプレックスをひた隠しするようになり、同時に自分を賢く見せるための鎧をたくさん手に入れた。
まさにコレ…

「こんな低能な私を、他人から“私”なんて思われたく(見られたく)なーい!」

・・・である。

これを、ずっと〈弱み〉だと思い、恥ずかしいことだとずっと思っていた。それは、中卒である父親を「恥ずかしい」と思っていた感覚と似ている。

そんなアタシだから出来ることがある

でもね、これを〈弱み〉だと思わなくなり、〈強み〉だなって思えるようになったのは、このブログがきっかけ。

私は…
●一般的な勉強が嫌いだし苦手
●ぶっちゃけ、ガチで普通の勉強は出来ない(一般常識テストとかマジ無理)
●長い文章を読むのが嫌い(興味のない本、論文、小説etc)
●文字がわしゃーって並んでいる書物を見るだけで吐き気がする
●記憶力がすこぶる悪い。むしろ記憶障害かと思うくらい、ちょっと前のこと忘れる
●試験とか数字で評価されることにやる気が削がれ、これも吐き気がする
●数字を見ると頭が痛くなる
・・・こんな性質。こんな状態になる↓↓↓

だからね、アタシの書く文章は、過去のアタシをモデルにしていて。簡単でわかりやすい言葉で、楽しく読み進めることが出来るように。また、挿絵などを上手いこと使って、イメージから伝えやすいことも意識してる。
なぜなら、文字だけが並ぶ書物や資料が大大大嫌いだから。自慢じゃーないけど、文字面だけで理解することが出来ない脳みそを持ってるの!

そして、自分の大好きなジャンル(心理学・哲学・思想)の分野において、難しい本が山ほどある中で、それを届けたい人に届けるためには【咀嚼して吐き出す】ってことが必要だと思って、それをやる人になろうって決めたのじゃ。心理学・哲学・思想の研究者たちや提唱者の理論や学問。これらを、日常の生活に活かせるように橋渡しをするのが、アタシの役割って気づいた。

だから心理学・哲学をもっと分かりやすく、ハードルを下げて、馴染みやすいものに。そのためには、「難しい」とイメージされていたり、「怪しい」とイメージされているこの分野を、少しでも「楽しく、気楽に、そして自分に役立つもの」ということを伝えるため、喋り口調で親しみを持ってこのブログを書いてるんだよ。

それに、本を専門家だけが読んでいては何の意味もない。同じ分野の人たちだけの中で出回っててもなんの意味がないよ。もちろん、専門家のスキルアップに貢献するっていうのも一つの目的だけどね。
研究発表・論文を突き詰める人がいる。その人たちはそういうお役目。商業的に言うと、製造業である。その製造したものを、流通していくシステムが必要で。結局のところ、心理学・哲学・思想でいくら〈良いこと・ためになること〉が書かれていても、それが現実社会で活きていないと、ただの化石でしかない。そこに息を吹き込み、世の中に流していく役割になりたいって私は思うのだ。
情報は活かしてこそ、生き物になる!

ちなみに、それって…弱みなん?

ここでお気づきの人もいるかもしれん。
私が持っていた「高卒」っていう、自分的に〈弱み〉と思って何十年も抱えて、しかもバレると死活問題くらいに思っていたこと。
これって他の人から見ると・・・

「あっそ。」以上!

なんである。

要するに、単なる“事実”に過ぎないのだ。
だから、そこに「良い・悪い」とか、「強み・弱み」とか、「好き・嫌い」とか…そういう価値観をつけているのは誰?って・・・

お主じゃー!

となるわけよ。あぁ、なんと馬鹿げてる…

要するに〈弱み〉と思っていることは、「どんな価値観を持ってるんですかー?」っつーこと。そこに価値と意味を見出してるのは、親でもない、友達でもない、夫や妻でもない、犬でも猫でもない・・・自分だからね。

そして、その価値や意味を、“ネガティブ”だけで受け止めているならば、そりゃー隠したくなる存在になっちゃうわな。だから先述のように光の部分を見つけることで【統合】され、統合されちゃえば、あとはもう価値も意味もへったくれもない。ただ単に“事実・真実”として流れていくだけ。

別に私が高卒であろうと、中卒であろうと、大卒であろうと、院卒であろうと…誰もその部分で私と付き合ってる人なんていやしない。勝手に比較して、勝手に劣等感を持っていたのはアタシだけ。
なんのこっちゃい!独り相撲やんけ!

〈弱み〉を手放すと実現すること

ということで、〈弱み〉をガシガシ手放していくよ〜!自分のことを、強みはもちろんのこと、弱みまでをもさらけ出していく。そうすることで、自分の可能性を自分で広げ、また人との関わりが親密になるってことを、体現してゆくことにしたのじゃ。

また、弱みを強みに変えるには、【他人】のお力なくしては無理だわ。なぜなら、他人というのは、自分を映し出してくれる鏡になってくれる存在だからね。自分に出逢ってくれている人は、すべて自分の中にある一部分を持った人だよ。出逢ってくれた人、ご縁がある人には感謝しかない!人様に自分を鏡として映させてもらって、そこを入口に自分を知っていくんだ。

さいごに。
〈弱み〉を手放すと実現すること。それは自分の【人間的な器】がでっかくなっていくこと。器がでかくなるってことはよ?
・嫌いな人、苦手な人が減っていく
・つながれる人が多くなっていく
・生きやすくなる
・アウトプットの幅が広がる
・自分のやりたいことが実現できる
・自分の好きなように生きていける
・自分の出来ることが多くなってくる
・仕事の枠が広がってく
・可能性が広がっていく
・挑戦し続けられる
・結果、これらが貢献となり、お金が入ってくる

まぁ、なんと幸せな♡

幸せづくし、間違いないです!
オープンマインド精神で、自分という存在を貢献してまいりましょー!

Written by まついゆか

弱みを強みに変えたいアナタ♡
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https://yuka8.com/wp-content/uploads/2019/01/848913-2-1024x768.jpghttps://yuka8.com/wp-content/uploads/2019/01/848913-2-150x150.jpgまつい ゆか心|Mind綴|Blogさてさて。最近、楽しくなってきちゃったりなんかしているブログ投稿。皆さまからの温かいフィードバックを胸に噛み締めながら…今回もキレッキレに進めてまいりませう。今回のネタは、先日某新年会で、とある人が仰っていたことをヒントにしました♡自分の〈弱み〉について。ある意味、この投稿はアタシ的に実験みたいなもん♪ 弱みって怖いよね〜(。ŏ﹏ŏ) 人に“弱みを見せる”って、怖いよね〜! めっちゃ怖いよね〜!清水の舞台から飛び降りるどころじゃないよね!バンジージャンプするどころじゃないよね!!富士急ハイランドのFUJIYAMAを立って乗るどころじゃないよね!!「生きるか、死ぬか…」という死活問題レベルよ、これ。 だってさ、見せられていたら、それってそもそも〈弱み〉じゃなくない?〈強み〉はガシガシ出していく・表現していくに越したことはないし、そんなん誰だってやってるよね。こうしてアタシだって、文章やブログを書くことを強みとして認識するようになったから、アウトプットをガンガンしているし。最近はグラフィックデザインなんかもやっちゃうから、自分のデザインセンスも強みとして認識するようになって、お金も有り難くちょうだいして仕事にもしているし。〈強み〉はオープンにすることで、どんどんエネルギー・力となって循環させることができる。〈強み〉をさらけ出すことに、なんの抵抗もなけりゃー、「どうぞ、私の強みを使ってくだせぇ〜」と差し出すわけです。これが“社会に貢献する”ってことね。 じゃ、逆に〈弱み〉というのは?自分がある一部分に対して、“恥じていること”だと思うの。恥じているから、見せられない、曝け出せない、隠してしまう…ということが起こるよね。“恥じている”ってことは、よっぽどのお恥ずかしいことがあるんでしょうよ〜(*´艸`*) 自分の中で“恥じている”部分を、他者に、社会に、世界にさらけ出す…それはそれは、恐ろしすぎる〜…って思うのも当然。 “恥じている”のは、過去の自分? “恥じている”部分というのは、「過去の自分を恥じている」とイコールなんじゃないかなーって思うのだ。 過去の自分(の一部)を、認められていないってことじゃん?過去の自分(の一部)として、受け入れがたいってことじゃん? これまでの人生に起こった出来事の中で、 「こんな◯◯な私を、他人から私なんて思われたく(見られたく)なーい!」 って思ったことがあるから、必死に頑張って隠そうとする。一生懸命バレないように、バレないように、ひたむきに隠し続けることを努力する。 そして、あたかも〈こんな◯◯な私〉が存在しないかのように、むしろ〈◯◯な私〉を1mmたりとも見せないように自分を装って周囲にアピールし、「ふふふ〜ん♪」みたいな鼻歌なんか歌いながら余裕ぶっこいている。心の中はヒヤヒヤなのに。。 で・・・それって、疲れるよね? という話しですよ。そんなに必死に隠してまで、守りたいものはナニ!?そんなに懸命に取り繕ってまで、見せたくないものはナニ!?そんなにヒヤヒヤしてまで、バレたくないものはナニ!? ユー、認めちゃいなよ そんな〈弱み〉って、まずは自分が認めることからしないと、どーにもこーにもならない。要するに、過去の自分に対して「お手上げですぅ〜」って白旗を挙げることが第一歩。 「お手上げですぅ〜!」と、白旗を挙げた瞬間に何が起こるかというと… 「ま、いっか。」 となるんだよー! これが不思議なことに。あんなにも拒否ってたのに!?あんなにも必死に隠していたのに!?あんなにも無いものにしようとしてたのに!?まるで魔法がかかったかのように、「どうでもよくなる」っていうのが、おもろいところ。 そして、ふと思うのである。「はて?私は何をそんなに怖がっていたのじゃ?」と。 白旗を挙げるってことは、認めるってこと。認めるってことは、受け入れるってこと。受け入れるってことは、同時に執着がなくなるってこと。 執着してるから、固執しているから、「バレないように…」と必死に自分の両手で抱え込む。その「バレないように…」としているもの。とてもドロドロしていて、汚くって、そんなのを持ってるってことがバレた時点で、人から嫌われるんじゃないかって思ってるでしょ?知ってる? 両手で抱えているソレ・・・ お宝だよ? お宝だと思えるようになるには? 自分的には、ドロドロしていて、汚くって、【こんな◯◯な自分】がいるってことが、もし旦那(妻)に、友達に、上司に、恋人にバレてしまったら・・・・人から嫌われる・人が離れていく・人に見下される・人に批判される・人に否定される・人に拒否られる・人に軽蔑される・人に…etcと、いろーーーーんなことを想像するっしょ? こんなこと想像しちゃったら、自分の手の中にあるものがお宝だなんて、到底思えるわけないよね!! だったら、どうやって思えばいいのさ? 闇の反対側、光を見つける ってことがポイントね!そうすると、ドロドロしたものが、実は光り輝くものだということがわかる。 この世は二元の世界。闇と光、陰と陽☯、夜と昼、女と男、右と左、静と動など。闇があれば、必ず光はあるよ。永遠に夜ってことはないよ。陰極まって陽に転ずるわけ。だからね、光を当てようとするの、その抱えている【こんな◯◯な自分】に。それにはね、自分ひとりじゃ無理。だって自分は「闇」に執着・固執しちゃってんだもん。そんな時にね、光で見せてくれるありがたい存在なのが…【他人】なんだよ。 おさらいね。 ① 恥じてる過去の自分を発見する② 「お手上げです〜」と白旗を挙げる③ これまで恥じてた闇の部分の光を探す④ 「ま、いっか…」となる⑤ どーでもよくなって、隠そうとしなくなる⑥ 場合によっては、「オープンにしてやれ!」と思う ということで、アタシの〈弱み〉とは? 前段が長くなりましたが、ようやくアタシの〈弱み〉をカミングアウト〜!これはつい最近まで持っていた〈弱み〉であります。むしろ最近どころか、ついさっきぐらいまで持ってた、旬なネタだわ😝アタシの弱みとは、ズバリ・・・ 学歴コンプレックス! これねー、めっちゃ長いこと抱えていた。 私は高卒です。しかも商業高校。勉強嫌いだし、好きな勉強も得意な科目もないし、高校生活はそれなりに楽しかったけど、学生でのらりくらりする生活に嫌気がさしてた。何のために生きてるのか?勉強のため?賢くなるため?社会のため?親のため?もし自分のためだとしたら、私は自分で早く生活ができるようになりたい。いつまでも学生でいて、好きでもない・興味も湧かないよくわからん勉強をしていて、親の元にぶら下がっていて…なんてまっぴらだわ。。と思ってた。私にとっては、“学生”という存在自体が、“ナマケモノ”のように思っていた。この“ナマケモノ生活”をするくらいなら、さっさと社会に出て活躍したかった。大学生というものに、まるで憧れを持たなかったのである。大学に行くことが時間の無駄だとさえ思っていた。さらには、「学歴が大事だー!」と言っている社会に対して、「それ、本当っすか?」という疑問も抱いていた。ある種、勉強苦手な私の反抗心ではあったんだと思う。けれども、そうやって社会が「学歴重視の社会」を作っていることに違和感もあったし、馬鹿じゃないの?…とさえ思ってた。だから、どこかで「“学歴がヒトにとって大事なんかじゃない”ってことを証明してやる!!」という、反骨精神を持っていたのも事実。 そんな感じだったので、当時は高卒であることを恥じてはいなかったし、さほどこの先の自分に影響があるようにも思っていなかった。 そして社会人になって5年ほど経った時、勤めていた小さな会社を飛び出して、もっと広い世界を見たくなった。念願の親元を離れて一人暮らしを都内で始め、自分の仕事に対するモットーを大切にしながら、あちこちで働いた。 自分の世界が広がれば広がるほど、多くの人との出会いがある。そして社会という大海原の中で、そこそこの大手の会社で仕事するようになったり、関わる人たちも高学歴で有能な人たちが周りに増えてきた。そんな時、思いの外ムクムク…と顔を出してきたのが、 【学歴に対する劣等感】 だったのである。徐々に履歴書で「高卒」であることを恥ずかしく思うようになっていった。 自分が聡明に見えるように、自分が賢くみえるように。必死に隠していたような気がする。身なり、立ち居振る舞い、言葉遣い。仕事が出来ることが、有能な人たちと対等に付き合う上では求められていたから、そこに追いつくのに必死だった。だからこそ、人前で話すことを習得し、PCスキルも上げ、コミュニケーションを武器にした。おかげさまで、仕事が出来るオンナにはなったし、どの会社で勤めても重宝されるようになった。 そんなある日、打ち合わせの中で某大手企業の人たちが、自分たちの学歴自慢をするというナゾすぎる時間があった。苦痛でしかたない。自分の大学自慢。私からすると「は?だから?」というアンチな思いと、自分に対する劣等感に挟まれていた。 こうして私はいつしか、自分の学歴コンプレックスをひた隠しするようになり、同時に自分を賢く見せるための鎧をたくさん手に入れた。まさにコレ… 「こんな低能な私を、他人から“私”なんて思われたく(見られたく)なーい!」 ・・・である。 これを、ずっと〈弱み〉だと思い、恥ずかしいことだとずっと思っていた。それは、中卒である父親を「恥ずかしい」と思っていた感覚と似ている。 そんなアタシだから出来ることがある でもね、これを〈弱み〉だと思わなくなり、〈強み〉だなって思えるようになったのは、このブログがきっかけ。 私は…●一般的な勉強が嫌いだし苦手●ぶっちゃけ、ガチで普通の勉強は出来ない(一般常識テストとかマジ無理)●長い文章を読むのが嫌い(興味のない本、論文、小説etc)●文字がわしゃーって並んでいる書物を見るだけで吐き気がする●記憶力がすこぶる悪い。むしろ記憶障害かと思うくらい、ちょっと前のこと忘れる●試験とか数字で評価されることにやる気が削がれ、これも吐き気がする●数字を見ると頭が痛くなる・・・こんな性質。こんな状態になる↓↓↓ だからね、アタシの書く文章は、過去のアタシをモデルにしていて。簡単でわかりやすい言葉で、楽しく読み進めることが出来るように。また、挿絵などを上手いこと使って、イメージから伝えやすいことも意識してる。なぜなら、文字だけが並ぶ書物や資料が大大大嫌いだから。自慢じゃーないけど、文字面だけで理解することが出来ない脳みそを持ってるの! そして、自分の大好きなジャンル(心理学・哲学・思想)の分野において、難しい本が山ほどある中で、それを届けたい人に届けるためには【咀嚼して吐き出す】ってことが必要だと思って、それをやる人になろうって決めたのじゃ。心理学・哲学・思想の研究者たちや提唱者の理論や学問。これらを、日常の生活に活かせるように橋渡しをするのが、アタシの役割って気づいた。 だから心理学・哲学をもっと分かりやすく、ハードルを下げて、馴染みやすいものに。そのためには、「難しい」とイメージされていたり、「怪しい」とイメージされているこの分野を、少しでも「楽しく、気楽に、そして自分に役立つもの」ということを伝えるため、喋り口調で親しみを持ってこのブログを書いてるんだよ。 それに、本を専門家だけが読んでいては何の意味もない。同じ分野の人たちだけの中で出回っててもなんの意味がないよ。もちろん、専門家のスキルアップに貢献するっていうのも一つの目的だけどね。研究発表・論文を突き詰める人がいる。その人たちはそういうお役目。商業的に言うと、製造業である。その製造したものを、流通していくシステムが必要で。結局のところ、心理学・哲学・思想でいくら〈良いこと・ためになること〉が書かれていても、それが現実社会で活きていないと、ただの化石でしかない。そこに息を吹き込み、世の中に流していく役割になりたいって私は思うのだ。情報は活かしてこそ、生き物になる! ちなみに、それって…弱みなん? ここでお気づきの人もいるかもしれん。私が持っていた「高卒」っていう、自分的に〈弱み〉と思って何十年も抱えて、しかもバレると死活問題くらいに思っていたこと。これって他の人から見ると・・・ 「あっそ。」以上! なんである。 要するに、単なる“事実”に過ぎないのだ。だから、そこに「良い・悪い」とか、「強み・弱み」とか、「好き・嫌い」とか…そういう価値観をつけているのは誰?って・・・ お主じゃー! となるわけよ。あぁ、なんと馬鹿げてる… 要するに〈弱み〉と思っていることは、「どんな価値観を持ってるんですかー?」っつーこと。そこに価値と意味を見出してるのは、親でもない、友達でもない、夫や妻でもない、犬でも猫でもない・・・自分だからね。 そして、その価値や意味を、“ネガティブ”だけで受け止めているならば、そりゃー隠したくなる存在になっちゃうわな。だから先述のように光の部分を見つけることで【統合】され、統合されちゃえば、あとはもう価値も意味もへったくれもない。ただ単に“事実・真実”として流れていくだけ。 別に私が高卒であろうと、中卒であろうと、大卒であろうと、院卒であろうと…誰もその部分で私と付き合ってる人なんていやしない。勝手に比較して、勝手に劣等感を持っていたのはアタシだけ。なんのこっちゃい!独り相撲やんけ! 〈弱み〉を手放すと実現すること ということで、〈弱み〉をガシガシ手放していくよ〜!自分のことを、強みはもちろんのこと、弱みまでをもさらけ出していく。そうすることで、自分の可能性を自分で広げ、また人との関わりが親密になるってことを、体現してゆくことにしたのじゃ。 また、弱みを強みに変えるには、【他人】のお力なくしては無理だわ。なぜなら、他人というのは、自分を映し出してくれる鏡になってくれる存在だからね。自分に出逢ってくれている人は、すべて自分の中にある一部分を持った人だよ。出逢ってくれた人、ご縁がある人には感謝しかない!人様に自分を鏡として映させてもらって、そこを入口に自分を知っていくんだ。 さいごに。〈弱み〉を手放すと実現すること。それは自分の【人間的な器】がでっかくなっていくこと。器がでかくなるってことはよ?・嫌いな人、苦手な人が減っていく・つながれる人が多くなっていく・生きやすくなる・アウトプットの幅が広がる・自分のやりたいことが実現できる・自分の好きなように生きていける・自分の出来ることが多くなってくる・仕事の枠が広がってく・可能性が広がっていく・挑戦し続けられる・結果、これらが貢献となり、お金が入ってくる まぁ、なんと幸せな♡ 幸せづくし、間違いないです!オープンマインド精神で、自分という存在を貢献してまいりましょー! Written by まついゆか 弱みを強みに変えたいアナタ♡自分の枠を広げたいアナタ♡個人セッションで共に、【新しい自分】に出逢ってまいりましょう〜 ♡個人セッションお申込み♡心の対話ファシリテーター|企業研修講師|実現プロデューサー まついゆか 公式ブログ