「ナニモシタクナイ」もプロセス

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宇宙元旦だった「春分の日」以降、
どうしよう…ナニモシタクナイ。

やらなきゃいけないこと、
いっぱいあるのに…ナニモシタクナイ。

・レポート書かなきゃ
・仕事の今後を考えなきゃ
・事業計画立てなきゃ
・本読まなきゃ
・カウンセリングの腕磨きしなきゃ
・どうしていく?今後?
・どうやって生きてく?
・どうしたい?
・え…アタシ、どうしたい?

そんなことを考えてたら、
もう3日も過ぎてもうた。

何者にもならなくていい。

「何者にもならなくていい。」という
選択肢をしたくて仕方ない最近。

これまで「何者かにならなければ」と、
ずーっと思って走り続けてきた。
そのたびに、いろんな仮面・役割・看板が増え続けた。

何者かになろうとするから、
「やらなきゃ」と背負うことが多くなる。
無理に背負ってる感じ。
自分以上の者になろうとして、
鎧を背負おうとしている感じ。
これが、今しんどい。

この「何者かにならなければ…」というのは、
アタシにとって、
【無価値な自分】を隠すための手段だった。


何者かにならなければ、
アタシには価値がない。
何者かにならなければ、
愛される価値も、
認められる価値も、
生きている価値もない。
そんな強迫観念に追いかけられて、
必死になって生きてきたんだと思う。

でも、もう疲れていること、
自分ではわかっている。
自分の奥底で、わかっている。
そんな生き方をしたいわけじゃないと。

そして、自分が無価値だなんて、
本当ではないということ。
真実ではないということ。
ようやく、そこに気づき始めてる。

だから「何者にもならない」という実験

今年に入ってから、
すべてを手放し、
「何にもならない自分を体験してみる」
という実験をやってみようと思ってた。

そこには、何が残されるのだろうか。
すべてを手放してみたとき、
自分に残るものはなんだろうか。
それこそが、本当の自分ではないだろうか。

こんなにボーっとしてても。
こんなにぐで〜っとしてても。
何の肩書がなくても。
何の資格がなくても。
何の取り柄がなくても。
お金がなくても。
知恵がなくても。

ただ、“あるがまま”でいても、
愛してくれる人はきっといる。
その体験をすることこそが、
今のアタシにとって大切な気がしてた。

根深い「無価値ビリーフ」

ビリーフというのは、
“信念・思い込み”という意味で、
人生の中で信じ込んでしまった、
自分の中の定義のこと。

自分自身を定義したり、
他人や世界に対して定義したりしながら、
アタシたちは生きている。

その定義が自分にとっての当たり前だから、
自分の世界観から物事を見ていると、
当然、それが自分にとって真実であり、
疑いの余地すら無い。

ビリーフというのは、
子どもの頃にコツコツと築かれていく。
家族との関係、友人との関係、先生との関係、
そして自分自身との関係。
さまざまな体験・経験を、
どうやって解釈して、
生きていくための戦略・定義としていくのか。

アタシにとって、
【無価値ビリーフ】は根深く、
今の実験というのは、
“ビリーフ外しの実験”でもある。

身をもって知る。
「あなたに価値が無いというのは真実か?」
という問いを、自ら実験してみようと思った。
めっちゃ怖いけど。
だって、「価値がないと死んじゃう」って
本気で思ってるんだから。
地味な命懸けの実験中である(笑)

アタシは家族の中で、
「自分が役立ってないと愛されない」と信じ込んだ。
そのままで居るだけでは、
愛してもらえないから、
常に“何かしてないと”いけなかったのだ。

そして、唯一の活路となったのが、
両親の不仲を調和させる役目だったのだ。
アタシにとっては、
ピッタリのお役目であり、場所だった。

そこからは、
「お役目があると生きていけるんだ!」
と思ったから、必死に“お役目探し”をした。

お役目=自分の存在価値

この方程式が自分の中で確立され、
人生を歩んできたのである。

そしていつしか、
「お役目がないと、存在できない」‥という、
ビリーフに乗っ取られた人生になっていた。
だから、何かをしていないと存在できない。
だから、役立ってないと価値がない。
“そのまんま”でいることの恐怖心に
苛まれるのである。

けれど、そのビリーフは、
自分のエゴが作り出した幻想であり、
本当の自分はそこではないということを、
ようやく気づけるようになったのだ。
気づくことが出来たら、
自分の“当たり前”から脱却できているので、
これまでと違う選択をすることができ、
結果的に現実が変化していく。
アタシは今、
“違う選択をして現実を変える”ということに
チャレンジ中なんです。

ナニモシタクナイ…を信じて焦らない。

そうだった。
意図的に、こうしてるんだった。
だから「ナニモシタクナイ」は、
自分の望んでいる方向に向かっていただけだ。

「ナニモシタクナイ」という感性の声を信じ、
焦って何かをしようとしないこと。
ただ、ジッとして味わうこと。
それを体験するための時間と受け止めること。
そうすることにした。

ブログの冒頭では、
めっちゃ焦ってたのに(笑)
書き終える頃には、
焦りも消え去り、落ち着いてきた。
切り替えのサイクルも早くなってきたもんだ。

ということで、
実験をもう少し楽しみながら、
自分の感性からの“閃き”のタイミングを、
ジックリと待つこととした。

Written by まついゆか

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