音楽を〈理性〉と〈感性〉で“きく”違い
最近、眠れなくて…。
寝不足が続いているから、
早く寝ようとして努力をし、
一旦は眠るんだけど、
また2時間後とかに目が覚めてしまう。
どうしたものかと。
最近、前とは違う何かをしているのかと。
ふと思い返していたら…
音楽の“きき方”に違いがあることが、
要因ではないかと思い始めた。
J-POPをきくようになる
アタシは20代から、
ほぼ洋楽しかきかない。
邦楽できくのは、
友人たちの音楽だけだった。
ところが、ここ2週間ほど。
J-POPをきくようになった。
それはナゼかというと、
今年は【エンカウンターワークショップ】を
やろうとしているからだ。
【エンカウンターワークショップ】では、
音楽も活用していく。
音楽は心に届きやすいから、
感性を拓くために優れている。
音と歌詞が結びついて、
参加者の心の扉を開いていく。
そのため、ワークショップで活用できそうな
邦楽を最近は夢中になって選曲しているのだ。
寝るときにリフレインされまくる…
多くの音楽が集まりだした最近。
随分と長い間、邦楽をきいていなかったけれど、
素敵な曲がたくさんあるものだ‥と思ってた。
ところが、寝ようとする時…
頭の中でリフレインされまくり〜〜!
全然眠れない〜〜!!
音楽に頭が支配されてしまい、
何度もリピートされ、
まったく、そこから離れようとしない。
うぅ…なんとも苦しい…
交感神経がグイグイ優位になって、
副交感神経へと切り替わらない感覚。
頭=思考が、ずっとグルグル回っている。
いつまでも稼働し続けている。
目はギラギラ冴えてしまい、
精神は興奮状態。
副交感神経に切り替えようと、
瞑想したり、
ヒーリングミュージックをきいたり。
意図的に努力をするが、
再び引き戻される…その繰り返し。
言葉を理解しながらきく=思考(理性)
アタシにとっての、
邦楽と洋楽の大きな違いというのは、
頭(思考=理性)できくか、
ハート(感性)できくか。
この違いなんだなってことが、
今回の一件で判明した。
洋楽は歌詞も“音”の一部として、
一体化して、きいている。
しかし邦楽は、
音と歌詞、それぞれ別々に情報が入ってくる。
歌詞の“言葉”や“意味”を理解しようと、
〈頭を使って〉きいているのだ。
だから、頭がフル稼働してしまう。
あくまでも、アタシの場合。
10代・20代の頃は当然そうではなかった。
今は、自分が〈理性〉と〈感性〉を
分別することをしているから?
だからこそ、そこにストレスを感じるのかも?
多くの人は、
歌詞と音が組み合わさっていることで、
ジンワリと心に沁みるし、
感じることができるんだけどね。
アタシの身体機能は、
分類されちゃうようになっちゃったのよね。
頭で理解しようとすることは、
理性が働いていること。
何かを実現・実行するときには、
とても役立つけれど、
感じることをしたいときには、
理性はなんとも邪魔に感じてしまう。
感じたことを、
追っかけで理性が腑に落とす…
という流れがベストなんだけれども、
アタシの場合、邦楽のきき方として、
先に言葉をキャッチしてしまう傾向がある。
これは、エニアグラムタイプ7の
思考タイプだから…かもしれないけれど、
キャッチした情報を、
基本的に思考へと流しやすいんだな。
感じながらきく=ハート(感性)
それとは反対に、
音をそのまんま“感じながら”きくのは、
感性できいていることになる。
それこそ、歌詞を理解しようとはせず、
言葉も一つの“音”として、
トータル的に“音楽”としてきくこと。
ただ、あるがままを“きく”。
入ってくる“音”をそのまま感じる。
そこに、理解や意味は求めない。
感覚として“音”を受け入れて捉える。
“心地よさ”を基準にきく。
20代の頃は、よくHip-Hopをきいてた。
別に歌詞がいいと思ったことはないし、
むしろ歌詞としては、あまり魅力はない。
けれども、Hip-Hopの良さは、
韻を踏むリズム感が好きだったのだ。
韻がリズムに乗って、音として一体になり、
そのハマり具合が「気持ちいい〜!!」って、
思う音楽がいっぱいあった。
まさに、感性できいていたんだよね。
今だから、わかることだけど。
【聞く】と【聴く】の違い
ここまで、“きく”をあえて漢字で
表記しなかった。
アタシもよく傾聴の講義をする時、
よくある【聞く】と【聴く】の違いについて、
話しをすることがある。
今回のことを、
“きく”という漢字として考えたとき、
どんな違いがあるんだろう‥って思った。
■聞く
自然と入ってくる音を聞くこと。受動的な聞き方。
■聴く
積極的に耳を傾けて聴くこと。能動的な聴き方。
受動的・能動的という違いでいうと、
音楽は、受動的な“聞く”で
いいんじゃないかって思った。
人の話しに耳を傾けるときは聴くけれど。
音楽を能動的に聴いていると、
思考(脳・頭)が休まらないww
興味・関心をもって“きく”ということでは、
音楽も“聴く”なんだろうけど…
うーん‥漢字って難しい。
思考で聴く音楽 or 感性で聞く音楽
邦楽には言葉が多く詰まってる分、
思考がとても働きやすくなる。
洋楽だって、
英語の歌詞を理解しようとする人にとっては
同じことだね。
あんま邦楽・洋楽、関係ないね。
要するに、
歌詞・言葉を“音”として聞き入れるか。
歌詞・言葉を“意味やメッセージ”として聴き入れるか。
“きき方”のスタンスよって、
音楽のきき方は変わるし、
身体への影響も変わる。
もし思考で音楽を聴いていたら、
脳は休まらないし、
神経も休まらない。
そうなると、自律神経のバランスも崩すし、
心のバランスも崩れて、
鬱になりやすくなったりもする。
リラックスする時間って、
本当大事なんだな‥って、
アタシ自身も自律神経を崩して、
病気になった経験があるからこそ、
その重要性を感じる。
そして、現代人は多くの人が、
思考=左脳に偏りすぎて、
バランスを崩してしまっているんでないかと
本気で心配する。
だからこそ、
右脳の活性化!
感性を拓く!
ってことが、大事なんですよ。
すべてはバランス。
どっちが良くて、どっちが悪いではなく、
右脳と左脳のバランス。
思考と感性のバランス。
右脳を活性させるための、
音楽、アート、瞑想、身体ほぐしetc…
自分なりの方法を見つけてくださいな。
Written by まついゆか
https://yuka8.com/mind/musichttps://yuka8.com/wp-content/uploads/2019/03/965505-1024x768.jpghttps://yuka8.com/wp-content/uploads/2019/03/965505-150x150.jpg心|Mind最近、眠れなくて…。寝不足が続いているから、早く寝ようとして努力をし、一旦は眠るんだけど、また2時間後とかに目が覚めてしまう。 どうしたものかと。最近、前とは違う何かをしているのかと。 ふと思い返していたら…音楽の“きき方”に違いがあることが、要因ではないかと思い始めた。 J-POPをきくようになる アタシは20代から、ほぼ洋楽しかきかない。邦楽できくのは、友人たちの音楽だけだった。 ところが、ここ2週間ほど。J-POPをきくようになった。それはナゼかというと、今年は【エンカウンターワークショップ】をやろうとしているからだ。 【エンカウンターワークショップ】では、音楽も活用していく。音楽は心に届きやすいから、感性を拓くために優れている。 音と歌詞が結びついて、参加者の心の扉を開いていく。 そのため、ワークショップで活用できそうな邦楽を最近は夢中になって選曲しているのだ。 寝るときにリフレインされまくる… 多くの音楽が集まりだした最近。随分と長い間、邦楽をきいていなかったけれど、素敵な曲がたくさんあるものだ‥と思ってた。 ところが、寝ようとする時… 頭の中でリフレインされまくり〜〜! 全然眠れない〜〜!! 音楽に頭が支配されてしまい、何度もリピートされ、まったく、そこから離れようとしない。うぅ…なんとも苦しい… 交感神経がグイグイ優位になって、副交感神経へと切り替わらない感覚。 頭=思考が、ずっとグルグル回っている。いつまでも稼働し続けている。目はギラギラ冴えてしまい、精神は興奮状態。 副交感神経に切り替えようと、瞑想したり、ヒーリングミュージックをきいたり。意図的に努力をするが、再び引き戻される…その繰り返し。 言葉を理解しながらきく=思考(理性) アタシにとっての、邦楽と洋楽の大きな違いというのは、頭(思考=理性)できくか、ハート(感性)できくか。この違いなんだなってことが、今回の一件で判明した。 洋楽は歌詞も“音”の一部として、一体化して、きいている。 しかし邦楽は、音と歌詞、それぞれ別々に情報が入ってくる。歌詞の“言葉”や“意味”を理解しようと、〈頭を使って〉きいているのだ。だから、頭がフル稼働してしまう。あくまでも、アタシの場合。 10代・20代の頃は当然そうではなかった。今は、自分が〈理性〉と〈感性〉を分別することをしているから?だからこそ、そこにストレスを感じるのかも? 多くの人は、歌詞と音が組み合わさっていることで、ジンワリと心に沁みるし、感じることができるんだけどね。アタシの身体機能は、分類されちゃうようになっちゃったのよね。 頭で理解しようとすることは、理性が働いていること。何かを実現・実行するときには、とても役立つけれど、感じることをしたいときには、理性はなんとも邪魔に感じてしまう。 感じたことを、追っかけで理性が腑に落とす…という流れがベストなんだけれども、アタシの場合、邦楽のきき方として、先に言葉をキャッチしてしまう傾向がある。これは、エニアグラムタイプ7の思考タイプだから…かもしれないけれど、キャッチした情報を、基本的に思考へと流しやすいんだな。 感じながらきく=ハート(感性) それとは反対に、音をそのまんま“感じながら”きくのは、感性できいていることになる。 それこそ、歌詞を理解しようとはせず、言葉も一つの“音”として、トータル的に“音楽”としてきくこと。 ただ、あるがままを“きく”。入ってくる“音”をそのまま感じる。そこに、理解や意味は求めない。感覚として“音”を受け入れて捉える。“心地よさ”を基準にきく。 20代の頃は、よくHip-Hopをきいてた。別に歌詞がいいと思ったことはないし、むしろ歌詞としては、あまり魅力はない。 けれども、Hip-Hopの良さは、韻を踏むリズム感が好きだったのだ。韻がリズムに乗って、音として一体になり、そのハマり具合が「気持ちいい〜!!」って、思う音楽がいっぱいあった。まさに、感性できいていたんだよね。今だから、わかることだけど。 【聞く】と【聴く】の違い ここまで、“きく”をあえて漢字で表記しなかった。 アタシもよく傾聴の講義をする時、よくある【聞く】と【聴く】の違いについて、話しをすることがある。 今回のことを、“きく”という漢字として考えたとき、どんな違いがあるんだろう‥って思った。 ■聞く自然と入ってくる音を聞くこと。受動的な聞き方。 ■聴く積極的に耳を傾けて聴くこと。能動的な聴き方。 受動的・能動的という違いでいうと、音楽は、受動的な“聞く”でいいんじゃないかって思った。 人の話しに耳を傾けるときは聴くけれど。音楽を能動的に聴いていると、思考(脳・頭)が休まらないww興味・関心をもって“きく”ということでは、音楽も“聴く”なんだろうけど…うーん‥漢字って難しい。 思考で聴く音楽 or 感性で聞く音楽 邦楽には言葉が多く詰まってる分、思考がとても働きやすくなる。洋楽だって、英語の歌詞を理解しようとする人にとっては同じことだね。あんま邦楽・洋楽、関係ないね。 要するに、歌詞・言葉を“音”として聞き入れるか。歌詞・言葉を“意味やメッセージ”として聴き入れるか。“きき方”のスタンスよって、音楽のきき方は変わるし、身体への影響も変わる。 もし思考で音楽を聴いていたら、脳は休まらないし、神経も休まらない。そうなると、自律神経のバランスも崩すし、心のバランスも崩れて、鬱になりやすくなったりもする。 リラックスする時間って、本当大事なんだな‥って、アタシ自身も自律神経を崩して、病気になった経験があるからこそ、その重要性を感じる。そして、現代人は多くの人が、思考=左脳に偏りすぎて、バランスを崩してしまっているんでないかと本気で心配する。 だからこそ、 右脳の活性化!感性を拓く! ってことが、大事なんですよ。 すべてはバランス。どっちが良くて、どっちが悪いではなく、右脳と左脳のバランス。思考と感性のバランス。 右脳を活性させるための、音楽、アート、瞑想、身体ほぐしetc…自分なりの方法を見つけてくださいな。 Written by まついゆか ♡感性を育てる子育て方法♡愛の子育てレッスンまつい ゆかゆか まついinfo@ring-link.jpAdministratorただ、ワタシを生きる
コメントを残す