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これまでのシリーズはコチラから↓
シリーズ①:“ケンカ”が勃発するワケ
シリーズ②:“ケンカ”の表現方法

さてさて、シリーズ③は
【“ケンカ”のキーポイントは〈心の傷〉】

“ケンカ”って気力・体力を使うから
お互いにとても疲れるし、無言派は無言派で、
不完全燃焼なモヤモヤがずーーっと続く。
当然お互いが嫌な気分になるわよね。
(“無言派”についてはシリーズ②をチェック)

“ケンカ”した後って、
「こんなこと、したいわけじゃないのに…」
とか、「本当は仲良くしたいのに…」とか
思いません?

ということは、〈“ケンカ”という手段〉を
取りたいわけではなく、

本当は別の方法で
相手と仲良くなれたらベスト!!!

ってことよね。
第1弾でお伝えしたように、
“ケンカ”というのは
〈自分の正しさを主張しあった対立〉だから、
まずは“自分の正しさ”ってものが、
そこには存在している。

じゃ、その“自分の正しさ”というのは
何かというと…

〈自分の価値観〉と“ほぼ”イコールね。

この“ほぼ”ってところがミソ。

〈自分の価値観〉は自分が生きてきた中で
身についた物事に対する見方や解釈。
そこに「私の価値観が正しい!」という
観念が入ると、それが
「自分の正しさ・(自分の中の)真実」として
固まっちゃうわけ。
すると、それが単なる〈価値観〉じゃなくなって
〈価値判断〉となり、
ジャッジメントが入ることになる。
だから、完全イコールじゃなく、
“ほぼ”が付く。

ただ単に「価値観が違う」ということを、
「あぁ、私たち価値観が違うのね。」で
本来は終わる話なのよ。
それを正しいとか間違ってるといった
モノサシから見ちゃうから、
【正しさの主張合戦】が始まっちゃうわけ。

だから、そこに「正しいか間違っているか」
という二元の話しになった瞬間、
【対立】が勃発。その【対立】が
表面化したものが“ケンカ”であり、
その“ケンカ”の表現方法として、
衝突派と無言派がいるの。
ここまでOKかしら?

では振り返りをしたところで、
早速、第3弾へ行ってみよう!!

シリーズ③ “ケンカ”のキーポイントは〈心の傷〉

今回は「“ケンカ”のキーとなるのは、
自分の中にある〈心の傷〉」について。
なかなか認めたくない部分なんだけど、
ここを認めないと関係性は深まらないよ。
ここを乗り越えてこそ、
新しい関係が生まれる!!
…ということを、信じながら読み進めてね♡

冒頭でお伝えしたように、そもそも
〈お互いの価値観の違い〉というものに対し、
お互いが寛容になれたらいいわけよね。
けれども、寛容になれずに「自分の正しさ」を
主張してしまうから
“ケンカ・対立”に発展してしまう。

そして「自分の正しさ」には、
なんと自分自身の“傷”が存在している。
癒えていない傷がそこにはある。
だからその傷に触れないように守ろうとして、
相手の価値観の違いを
非難・否定することをする。
要するに、相手を“NO”とする。

ということで、対立(ケンカ)は
自分の傷が作り出したもの!
その〈心の傷〉というのが
第1弾でお伝えした、
・認められたい
・愛されたい
・信じて欲しい
・優位に立ちたい(勝ちたい)

…など。ここが“傷”と直結している。

〈心の傷〉を認識していない私たち

「自分には、〈心の傷〉なんてものはない!!」
と言いきる人がいる。
もしくは、
「はて?〈心の傷〉とは、何のことかね?」と
自覚していない人もいる。

しかし私たちは、少なからずとも、
大なり小なり〈心の傷〉を抱えて生きていて、
「傷がなくてまっさらでーす!」っていう
人は…いない。
自分の心に傷があるなんて、
認めたくないもの。
だから向き合うのは怖いことだし、
“無いもの”にするということで、
心の安心・安定・平穏を保とうとする。

誰にでも大なり小なり傷があると、
なぜ言い切れるのか?

それは誰にでも“親”という存在があり、
その“親”からの価値観を受け継ぎながら
生育する中で、〈自分〉という個と、
親の価値観との間に相違・摩擦が起きたり、
また社会というステージに出た時、
家庭での価値観と他者・社会・世界の
価値観との間に相違・摩擦が起きたりするから。

その摩擦の中で、
「認めてもらえなかった」
「愛されなかった」
「信じてもらえなかった」
「受け容れてもらなかった」
といったような、ガッカリした体験。
敗北感や絶望感など、大小関わらず感じている。
また人間関係においてだけではない。
例えば事件・事故・病気などといった
予想外の出来事と出会したことによって、
傷つくってことも当然ある。

けれども、教育や大人からの教えの中で、
「泣くな!」
「強くなれ!」
「我慢しろ!」
「弱音を吐くな!」
と言われてしまうから、傷ついたことを
“無かったもの”のように扱う手段をとってきた。
それが一番手っ取り早かったし、
その方法しか知らない。
だって、上から(大人から)そうやって
押し付けられるんだもの。
それが正解だって思っちゃうよね。

そして、いつしかそれが
当たり前のようになるし、
泣く自分、弱い自分、我慢できない自分を
〈ダメ人間〉と位置づけ、
感じていることを封印して走り続ける…
ということを、ずーっとやってきてるのだ。

〈心の傷〉を自分で認めてスタート地点

ズバリ、対立・ケンカする相手というのは、
自分の〈心の傷〉を触発する、
脅かすような存在。

自分の〈心の傷〉に触れてくるから、
自分の中で「危険です!!」というサイレンが
鳴り響き、とっさに反応する。
そして「自分の正しさ」を盾としながら、
理論武装したり、
衝突派でケンカをふっかけたり、
無言を貫き通して拒絶したり。
要するに、逃げるか、戦うか…?の
戦闘モードになる。

あまりにも一瞬の反応すぎて、
自分でもなかなか意識できないくらいの
スピードでそれは起こる。
だから、「気づいたらケンカになっていた…」
ということになるし、冒頭でお伝えしたような
「こんなこと、したいわけじゃないのに…」、
「本当は仲良くしたいのに…」ということを、
後々になって思ったりするわけだ。

対立やケンカを、〈関係性を深める〉ための
ステップや過程とするには、
やはりトレーニングが必要なんだよね。
そのはじめの一歩としては、
自動的に鳴り響くサイレンを自分で止めること。

そのサイレンを自分で止める方法は、
またシリーズ後半戦で書くね!
前半戦はここで終了!

さて、いよいよ次回は、
【実践!〈対立〉が起きた時にどうする!?】
についてだよ。

Written by まついゆか

自分の〈心の傷〉を発見して癒やす。
そして、関係性を新しくしていくお手伝いをします!

♡個人セッションお申込♡

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https://yuka8.com/wp-content/uploads/2019/02/645295-1024x768.jpghttps://yuka8.com/wp-content/uploads/2019/02/645295-150x150.jpgまつい ゆか結|Relationship綴|Blogこれまでのシリーズはコチラから↓シリーズ①:“ケンカ”が勃発するワケシリーズ②:“ケンカ”の表現方法 さてさて、シリーズ③は【“ケンカ”のキーポイントは〈心の傷〉】 “ケンカ”って気力・体力を使うからお互いにとても疲れるし、無言派は無言派で、不完全燃焼なモヤモヤがずーーっと続く。当然お互いが嫌な気分になるわよね。(“無言派”についてはシリーズ②をチェック) “ケンカ”した後って、「こんなこと、したいわけじゃないのに…」とか、「本当は仲良くしたいのに…」とか思いません? ということは、〈“ケンカ”という手段〉を取りたいわけではなく、 本当は別の方法で相手と仲良くなれたらベスト!!! ってことよね。第1弾でお伝えしたように、“ケンカ”というのは〈自分の正しさを主張しあった対立〉だから、まずは“自分の正しさ”ってものが、そこには存在している。 じゃ、その“自分の正しさ”というのは何かというと… 〈自分の価値観〉と“ほぼ”イコールね。 この“ほぼ”ってところがミソ。 〈自分の価値観〉は自分が生きてきた中で身についた物事に対する見方や解釈。そこに「私の価値観が正しい!」という観念が入ると、それが「自分の正しさ・(自分の中の)真実」として固まっちゃうわけ。すると、それが単なる〈価値観〉じゃなくなって〈価値判断〉となり、ジャッジメントが入ることになる。だから、完全イコールじゃなく、“ほぼ”が付く。 ただ単に「価値観が違う」ということを、「あぁ、私たち価値観が違うのね。」で本来は終わる話なのよ。それを正しいとか間違ってるといったモノサシから見ちゃうから、【正しさの主張合戦】が始まっちゃうわけ。 だから、そこに「正しいか間違っているか」という二元の話しになった瞬間、【対立】が勃発。その【対立】が表面化したものが“ケンカ”であり、その“ケンカ”の表現方法として、衝突派と無言派がいるの。ここまでOKかしら? では振り返りをしたところで、早速、第3弾へ行ってみよう!! シリーズ③ “ケンカ”のキーポイントは〈心の傷〉 今回は「“ケンカ”のキーとなるのは、自分の中にある〈心の傷〉」について。なかなか認めたくない部分なんだけど、ここを認めないと関係性は深まらないよ。ここを乗り越えてこそ、新しい関係が生まれる!!…ということを、信じながら読み進めてね♡ 冒頭でお伝えしたように、そもそも〈お互いの価値観の違い〉というものに対し、お互いが寛容になれたらいいわけよね。けれども、寛容になれずに「自分の正しさ」を主張してしまうから“ケンカ・対立”に発展してしまう。 そして「自分の正しさ」には、なんと自分自身の“傷”が存在している。癒えていない傷がそこにはある。だからその傷に触れないように守ろうとして、相手の価値観の違いを非難・否定することをする。要するに、相手を“NO”とする。 ということで、対立(ケンカ)は自分の傷が作り出したもの! その〈心の傷〉というのが第1弾でお伝えした、・認められたい・愛されたい・信じて欲しい・優位に立ちたい(勝ちたい)…など。ここが“傷”と直結している。 〈心の傷〉を認識していない私たち 「自分には、〈心の傷〉なんてものはない!!」と言いきる人がいる。もしくは、「はて?〈心の傷〉とは、何のことかね?」と自覚していない人もいる。 しかし私たちは、少なからずとも、大なり小なり〈心の傷〉を抱えて生きていて、「傷がなくてまっさらでーす!」っていう人は…いない。自分の心に傷があるなんて、認めたくないもの。だから向き合うのは怖いことだし、“無いもの”にするということで、心の安心・安定・平穏を保とうとする。 誰にでも大なり小なり傷があると、なぜ言い切れるのか? それは誰にでも“親”という存在があり、その“親”からの価値観を受け継ぎながら生育する中で、〈自分〉という個と、親の価値観との間に相違・摩擦が起きたり、また社会というステージに出た時、家庭での価値観と他者・社会・世界の価値観との間に相違・摩擦が起きたりするから。 その摩擦の中で、「認めてもらえなかった」「愛されなかった」「信じてもらえなかった」「受け容れてもらなかった」といったような、ガッカリした体験。敗北感や絶望感など、大小関わらず感じている。また人間関係においてだけではない。例えば事件・事故・病気などといった予想外の出来事と出会したことによって、傷つくってことも当然ある。 けれども、教育や大人からの教えの中で、「泣くな!」「強くなれ!」「我慢しろ!」「弱音を吐くな!」と言われてしまうから、傷ついたことを“無かったもの”のように扱う手段をとってきた。それが一番手っ取り早かったし、その方法しか知らない。だって、上から(大人から)そうやって押し付けられるんだもの。それが正解だって思っちゃうよね。 そして、いつしかそれが当たり前のようになるし、泣く自分、弱い自分、我慢できない自分を〈ダメ人間〉と位置づけ、感じていることを封印して走り続ける…ということを、ずーっとやってきてるのだ。 〈心の傷〉を自分で認めてスタート地点 ズバリ、対立・ケンカする相手というのは、自分の〈心の傷〉を触発する、脅かすような存在。 自分の〈心の傷〉に触れてくるから、自分の中で「危険です!!」というサイレンが鳴り響き、とっさに反応する。そして「自分の正しさ」を盾としながら、理論武装したり、衝突派でケンカをふっかけたり、無言を貫き通して拒絶したり。要するに、逃げるか、戦うか…?の戦闘モードになる。 あまりにも一瞬の反応すぎて、自分でもなかなか意識できないくらいのスピードでそれは起こる。だから、「気づいたらケンカになっていた…」ということになるし、冒頭でお伝えしたような「こんなこと、したいわけじゃないのに…」、「本当は仲良くしたいのに…」ということを、後々になって思ったりするわけだ。 対立やケンカを、〈関係性を深める〉ためのステップや過程とするには、やはりトレーニングが必要なんだよね。そのはじめの一歩としては、自動的に鳴り響くサイレンを自分で止めること。 そのサイレンを自分で止める方法は、またシリーズ後半戦で書くね!前半戦はここで終了! さて、いよいよ次回は、【実践!〈対立〉が起きた時にどうする!?】についてだよ。 Written by まついゆか 自分の〈心の傷〉を発見して癒やす。そして、関係性を新しくしていくお手伝いをします! ♡個人セッションお申込♡心の対話ファシリテーター|企業研修講師|実現プロデューサー まついゆか 公式ブログ