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ここ一ヶ月くらい、階段を使うようになりました。それも無理やりな気持ちは全くなく、軽快に楽しい習慣に変わりつつあります。
なぜ軽快に楽しく出来るのか?それは考え方をたった一つ変えただけ。

 

これまでは「私、疲れてるんだから」というナゾの言い訳

エスカレーターを使うとき、無意識に乗っていませんか?エスカレーターと階段があったら、なんの迷いもなくエスカレーターに乗る。私も以前はそうでした。

怠け癖の習慣が身についている私は、階段を使う人を見ると、自分にナゾの言い訳をします。「私は疲れてるから」という心の呟き。もはや誰に対して言い訳してるか分かりませんが、そんなことを呟きながら、「エスカレーターに乗る自分」を肯定していました。

 

言い訳しているときは、“被害者意識”が強いとき

ナゾの言い訳をしているとき、実は“被害者的意識”が強い。被害者的意識が強いときの心の呟きは、「なんで疲れてるのにわざわざ階段使わなきゃいけないのよ」とか。「別に便利なエスカレーターがあるんだから、使ったっていいじゃん」とか。自分の意識で動いているのではなく、誰かにやれと言われてやっているという感覚。そして、その誰かにやれと言われていることに対して、言い訳をしている。とても受身的姿勢で、本当は健康のため、ダイエットのため、運動不足解消など自分のためになるのに、やらされている感を勝手に背負いながら言い訳して被害者になっています。
さらには、エスカレーターが設置されておらず階段だけの駅に対しては「今どき、なんでエスカレーターないのよ!」と文句を頭の中で呟いたりと、とても自分の頭の中がブス。

習慣を変えるには、まずは無意識を意識化させる

まずは無意識にエスカレーターに乗っていた行動を意識化します。身についた「当たり前」を当たり前で片付けない。エスカレーターに乗る前に「あ、エスカレーターをやめよう」と少しずつ意識するようにしていきます。
たま〜に考え事をしていると、うっかり乗ってしまいます。それでも意識することを繰り返していると、うっかり乗ってしまったとしても「おっと!無意識に乗ってしまった…」と行動を振り返ることで、気をつけようとする=意識する癖がついてきます。こうして少しずつ「乗る前に意識すること」自体が習慣化されていきます。

「自分の身体を使ってあげよう」という考え方

受け身な考え方をするから、しんどくなったり、ダルくなったり、言い訳したり、面倒になったり、続かなかったりする。それなら、自ら率先して“与える姿勢”で動いていくことをやってみることにしました。そこで思いついたのが、「自分の身体を使ってあげよう」という考え方への転換。
エスカレーターを使うと、自分の足・体力を使っていないことになります。私は人間として生まれて、立派すぎる太い足を与えてもらい、二足歩行が出来るよう子供の頃に練習をして、自由に歩けるという能力と体力を手にしたにも関わらず!それを使わないというのはもったいなさすぎるのではないか?…そう考えると、「よし!自分の身体を使ってあげよう!」という気分になってきました。

そんな風に考えると、おもしろいことに階段を登ることがどんどん楽しくなってくる。要するに「足が動く」ことへの感謝なのか、幸せなのか、わからないけれど、とにかく楽しく幸せな気分になってくるのです。今日も健康的に足が動く!とか。今日も軽快に筋肉が動く!とか。
大げさに思うかもしれないけれど、本当にそんな気分になってくるから不思議。

習慣を変えるのは、ちょっとした考え方の転換から

習慣を変えるって大変そうに思う方も多いと思います。けれど、ちょっと考え方を転換したり工夫するだけで、捉え方が変わり、結果行動も変わってくるものです。
実は昔、私はタバコを吸っていました。その習慣をキッパリと止めたのも、自分の中で考え方を変えたんです。自分の思い込みやイメージを変えただけ。すごーーーーく強い意思が必要と思っている方も多いかもしれませんが、意外とそうでもない。ちょっとしたコツは必要ですが、そのコツさえ分かってしまえば、いかようにも自分の考え方や思い込みを変えることは出来ますよ。

 

Written by まついゆか

 

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まつい ゆか綴|Blogここ一ヶ月くらい、階段を使うようになりました。それも無理やりな気持ちは全くなく、軽快に楽しい習慣に変わりつつあります。 なぜ軽快に楽しく出来るのか?それは考え方をたった一つ変えただけ。   これまでは「私、疲れてるんだから」というナゾの言い訳 エスカレーターを使うとき、無意識に乗っていませんか?エスカレーターと階段があったら、なんの迷いもなくエスカレーターに乗る。私も以前はそうでした。 怠け癖の習慣が身についている私は、階段を使う人を見ると、自分にナゾの言い訳をします。「私は疲れてるから」という心の呟き。もはや誰に対して言い訳してるか分かりませんが、そんなことを呟きながら、「エスカレーターに乗る自分」を肯定していました。   言い訳しているときは、“被害者意識”が強いとき ナゾの言い訳をしているとき、実は“被害者的意識”が強い。被害者的意識が強いときの心の呟きは、「なんで疲れてるのにわざわざ階段使わなきゃいけないのよ」とか。「別に便利なエスカレーターがあるんだから、使ったっていいじゃん」とか。自分の意識で動いているのではなく、誰かにやれと言われてやっているという感覚。そして、その誰かにやれと言われていることに対して、言い訳をしている。とても受身的姿勢で、本当は健康のため、ダイエットのため、運動不足解消など自分のためになるのに、やらされている感を勝手に背負いながら言い訳して被害者になっています。 さらには、エスカレーターが設置されておらず階段だけの駅に対しては「今どき、なんでエスカレーターないのよ!」と文句を頭の中で呟いたりと、とても自分の頭の中がブス。 習慣を変えるには、まずは無意識を意識化させる まずは無意識にエスカレーターに乗っていた行動を意識化します。身についた「当たり前」を当たり前で片付けない。エスカレーターに乗る前に「あ、エスカレーターをやめよう」と少しずつ意識するようにしていきます。 たま〜に考え事をしていると、うっかり乗ってしまいます。それでも意識することを繰り返していると、うっかり乗ってしまったとしても「おっと!無意識に乗ってしまった…」と行動を振り返ることで、気をつけようとする=意識する癖がついてきます。こうして少しずつ「乗る前に意識すること」自体が習慣化されていきます。 「自分の身体を使ってあげよう」という考え方 受け身な考え方をするから、しんどくなったり、ダルくなったり、言い訳したり、面倒になったり、続かなかったりする。それなら、自ら率先して“与える姿勢”で動いていくことをやってみることにしました。そこで思いついたのが、「自分の身体を使ってあげよう」という考え方への転換。 エスカレーターを使うと、自分の足・体力を使っていないことになります。私は人間として生まれて、立派すぎる太い足を与えてもらい、二足歩行が出来るよう子供の頃に練習をして、自由に歩けるという能力と体力を手にしたにも関わらず!それを使わないというのはもったいなさすぎるのではないか?…そう考えると、「よし!自分の身体を使ってあげよう!」という気分になってきました。 そんな風に考えると、おもしろいことに階段を登ることがどんどん楽しくなってくる。要するに「足が動く」ことへの感謝なのか、幸せなのか、わからないけれど、とにかく楽しく幸せな気分になってくるのです。今日も健康的に足が動く!とか。今日も軽快に筋肉が動く!とか。 大げさに思うかもしれないけれど、本当にそんな気分になってくるから不思議。 習慣を変えるのは、ちょっとした考え方の転換から 習慣を変えるって大変そうに思う方も多いと思います。けれど、ちょっと考え方を転換したり工夫するだけで、捉え方が変わり、結果行動も変わってくるものです。 実は昔、私はタバコを吸っていました。その習慣をキッパリと止めたのも、自分の中で考え方を変えたんです。自分の思い込みやイメージを変えただけ。すごーーーーく強い意思が必要と思っている方も多いかもしれませんが、意外とそうでもない。ちょっとしたコツは必要ですが、そのコツさえ分かってしまえば、いかようにも自分の考え方や思い込みを変えることは出来ますよ。   Written by まついゆか  心の対話ファシリテーター|企業研修講師|実現プロデューサー まついゆか 公式ブログ