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ども。
今朝方、ふと思ったので、
書いておこうと思いましてん。

ワタシもそうだし、
周囲の心友とかスピ系の人とか、

“本当(本来)の自分”

という言葉をよく使ったりするし、

「本当(本来)の自分になろう!」

とかついつい言っちゃったり、
口走っちゃったりするけど。

多くの人は、

「本当の自分は汚い・醜い!」

…と、思っているよねー。

だから、いくら

「本当(本来)の自分になろう!」

と言われたところで、
ピンと来るわけないし、
むしろ…

「いや、んなこたぁ〜望まない!!」
「いえ、結構です!」

と思うのではなかろうか。

ワタシ自身も、
昔はずっとそう思っていたから。

「本当の自分になろう!」と言う人は…

本当の自分になることをお勧めする人は、
奥深くにあった“本当の自分”との出逢いが、
素晴らしいものだったという体験をしたからである。

ワタシにしても、
素晴らしい体験だと思うので、
ついつい「本当(本来)の自分になろう!」と
言ってしまうんだが…
度が過ぎると〈押し付け〉になるし、
そもそも、その価値はなかなか伝わりにくい。

例えて言うと…

私:「このリンゴ、甘いから食べてみなよ」
相手:「いや…毒リンゴにしか見えないんですが??」

みたいなこと。
(分かりづらい??)

こちらとしては、真っ赤で蜜がたっぷりだということを
知っているからお勧めしているんだが、
相手の色眼鏡を通して見ると、
それは真っ青で毒がたっぷりなリンゴに映っている。
その奥に、真っ赤で蜜がたっぷりなリンゴがあるだなんて、
予測すらつかないわけだ。

そりゃ…食べないよねww

そもそもナゼ自分を汚い・醜いと思うのか?

ここですよ。ここ!!

ナゼ「自分は汚い・醜い」と思っちゃったんでしょうね。
正式には、“思わされちゃった”んでしょうねってとこ。

ワタシたちは育ってくる中で、
親・学校・社会から、
「アレやっちゃだめ」「コレしちゃだめ」など、
いろんな制限を掛けられてきた。

・アレをやっちゃう自分は悪い子
・コレをやっちゃうと恥ずかしい子
・アレをすると自分は汚い子
・コレをしてしまうと自分は醜い子

例えば、
・人を思いやれないのは悪い
・怒り散らすことは恥ずかしい
・相手を疑うのは汚い
・人を妬むのは醜い
といった具合に。

だから、怒り・猜疑心・嫉妬心などの
ネガティブな感情が湧いてしまった自分を
罰するかのように責め、さらには
「本当の自分は悪くて、恥ずかしくて、汚くて、醜い」
ということがバレそうになるから、
必死に隠そうとして、

いろんな仮面を装着して誤魔化そうとする。

「本当の自分は悪いから、やりたくないことをやる
「本当の自分は恥ずかしいから、話さない
「本当の自分は汚いから、いい人のフリをする」
「本当の自分は醜いから、笑ってごまかす
といった具合に。

人に対して見せられない上に、
自分で自分を責めて、否定し、誤魔化すもんだから、
どんどん自分の感じていることがわからなくなり、
【本当の自分】はさらに奥へと閉まわれてしまう。

汚さ、醜さ、恥ずかしさ…これは本当に悪なのか?

汚さ、醜さ、恥ずかしさ…これが本当に“悪”なのか。
ここを問い直す必要がある。

けれども、多くの人は“悪”と決めて付けている
(正式には信じ込んでいる)から、
問い直すという視点すら持っていない。

「え、だって当たり前じゃん?
 何か問題でも?」

…といった具合に。

そこもまた、
なぜ決めつけて(信じ込んで)しまっているのか。

それは、「悪」だと信じて、
いろんなことを我慢してきたのに、
そこを問い直してしまったら、

これまで我慢して溜め込んできた、
よくわからないドロドロした感情が、
溢れ出てしまうから!

…ってことを思ってないかな。
あ、いや。
これは、思うことじゃなくて、
心で感じていることだから、
心や感覚がなんかビクビクしていたり、
ザワザワしたりしていないかな?

ネガティブを受け止めてもらう体験が必要

ネガティブな部分をひた隠しにし、
自分を誤魔化し続け、
仮面だけで生きていると、
いつしか限界が訪れる。

体調不良・病気・事件(犯罪)・事故・トラブル…
蓄積され、奥深くに隠していた感情たちが、
暴れだすのだ。
しかも、とても小さなことをキッカケに。

人は、ポジティブな面と、ネガティブな面。
両方持ち合わせていて、
それが【普通・通常・自然】なのだ。

逆にポジティブな面しか出ていない方が、
【不自然】なんである。
ロボットや、ロボット!

で、ネガな部分というのは、
表現するのが怖いことだし、
そもそも表現し慣れていないから、
出し方すら分からないことも多くある。

しかも、ネガな面を出すと、

この世の終わりだ…

と思っている人も多く。
だから、意地でも出さない。

そうなると、いつまでたっても
「本当(本来)の自分」で生きることは出来ないが、
こればっかりは本人の選択なわけだ。

だから、ネガをアウトプットしない選択を
したらしたで、病気やらトラブルやら…
自分の人生にいろんなことが起こり、
その責任を負うことになる。

ネガな面を出し切って、
ネガ&ポジの両方を統合して自然な自分を生きるか。
意地でもネガを出さずに、
ポジだけを表現し続けて、
自分を犠牲にしていくか…。

そして、
「もうこんな人生嫌だ!
ネガを出して、本当の自分を生きたい!」と、
思う人が行き着く場所…それが心理セラピーや、
ワークショップだったりするのだ。
セラピーやワークショップでは、
ネガをとことん出し切って、
受け止めてもらう体験をする。
心のバンジージャンプってところかな。

そんな場所、そんなアトラクション、
どこにだって無い。
安心・安全で信頼できる&愛のある場があって、
はじめて出せるのだ。ネガティブは。
最強の絶叫マシーンだと思う。

ネガは出し切ると、ポジに化ける

ネガティブな恨み・辛み・悲しみ・嫉妬・羞恥心・猜疑心…
こういったものは吐ききると、
ポジティブなものへと化ける。

ポジティブな“何に”化けるかは、
人それぞれ異なるので一概に言えないけれど、
ポジな方向へ変化することは確実だ。

そうなった時、はじめて
「自分をまるごと肯定する・受け止める」ことが
出来るようになり、それが自己肯定感UP・
自己受容感の目覚め、そして、
自己信頼の芽生えになってくる。

その結果、「本当(本来)の自分を生きる」に
辿り着くことが出来る。

この修業は、
決して短いものではなく、楽なものでもなく。
長期的で、時にはしんどい。

けれど、その先に見える景色は壮大で、
見たことのない景色が目の前に広がり、
何よりも自分自身が楽で軽やかで満ち足りる。

この景色を見るために。
自分自身が楽になるために。
自分自身が軽やかに自由になるために。
自分自身が幸せの中で生きるために。
自分自身が豊かになるために。

一旦、「ネガの海」へ飛び込むか否かは、
自分次第の選択でしかない。

ただし、「ネガの海」を共に泳いでくれる、
素晴らしいセラピストは沢山いる。

ワタシの本音&願いとしては、
全員に「ネガ海ダイブ」をしてもらいたいくらいだ。

強制は出来ないし、
押し付けはしたくない。

けれども、その先の景色を、
アナタと見たいのである!

“本当の自分”は美しく、尊く、ユニークである…という世界を。

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“本当の自分”は汚い・醜いhttps://yuka8.com/wp-content/uploads/2019/01/1301996-1024x1024.jpghttps://yuka8.com/wp-content/uploads/2019/01/1301996-150x150.jpgまつい ゆか心|Mind綴|Blogセラピー,ビリーフ,心の世界,心理学,本当の自分,本来の自分,自己信頼への道,自己探求ども。今朝方、ふと思ったので、書いておこうと思いましてん。 ワタシもそうだし、周囲の心友とかスピ系の人とか、 “本当(本来)の自分” という言葉をよく使ったりするし、 「本当(本来)の自分になろう!」 とかついつい言っちゃったり、口走っちゃったりするけど。 多くの人は、 「本当の自分は汚い・醜い!」 …と、思っているよねー。 だから、いくら 「本当(本来)の自分になろう!」 と言われたところで、ピンと来るわけないし、むしろ… 「いや、んなこたぁ〜望まない!!」「いえ、結構です!」 と思うのではなかろうか。 ワタシ自身も、昔はずっとそう思っていたから。 「本当の自分になろう!」と言う人は… 本当の自分になることをお勧めする人は、奥深くにあった“本当の自分”との出逢いが、素晴らしいものだったという体験をしたからである。 ワタシにしても、素晴らしい体験だと思うので、ついつい「本当(本来)の自分になろう!」と言ってしまうんだが…度が過ぎると〈押し付け〉になるし、そもそも、その価値はなかなか伝わりにくい。 例えて言うと… 私:「このリンゴ、甘いから食べてみなよ」相手:「いや…毒リンゴにしか見えないんですが??」 みたいなこと。(分かりづらい??) こちらとしては、真っ赤で蜜がたっぷりだということを知っているからお勧めしているんだが、相手の色眼鏡を通して見ると、それは真っ青で毒がたっぷりなリンゴに映っている。その奥に、真っ赤で蜜がたっぷりなリンゴがあるだなんて、予測すらつかないわけだ。 そりゃ…食べないよねww そもそもナゼ自分を汚い・醜いと思うのか? ここですよ。ここ!! ナゼ「自分は汚い・醜い」と思っちゃったんでしょうね。正式には、“思わされちゃった”んでしょうねってとこ。 ワタシたちは育ってくる中で、親・学校・社会から、「アレやっちゃだめ」「コレしちゃだめ」など、いろんな制限を掛けられてきた。 ・アレをやっちゃう自分は悪い子・コレをやっちゃうと恥ずかしい子・アレをすると自分は汚い子・コレをしてしまうと自分は醜い子 例えば、・人を思いやれないのは悪い・怒り散らすことは恥ずかしい・相手を疑うのは汚い・人を妬むのは醜いといった具合に。 だから、怒り・猜疑心・嫉妬心などのネガティブな感情が湧いてしまった自分を罰するかのように責め、さらには「本当の自分は悪くて、恥ずかしくて、汚くて、醜い」ということがバレそうになるから、必死に隠そうとして、いろんな仮面を装着して誤魔化そうとする。 「本当の自分は悪いから、やりたくないことをやる」「本当の自分は恥ずかしいから、話さない」「本当の自分は汚いから、いい人のフリをする」「本当の自分は醜いから、笑ってごまかす」といった具合に。 人に対して見せられない上に、自分で自分を責めて、否定し、誤魔化すもんだから、どんどん自分の感じていることがわからなくなり、【本当の自分】はさらに奥へと閉まわれてしまう。 汚さ、醜さ、恥ずかしさ…これは本当に悪なのか? 汚さ、醜さ、恥ずかしさ…これが本当に“悪”なのか。ここを問い直す必要がある。 けれども、多くの人は“悪”と決めて付けている(正式には信じ込んでいる)から、問い直すという視点すら持っていない。 「え、だって当たり前じゃん? 何か問題でも?」 …といった具合に。 そこもまた、なぜ決めつけて(信じ込んで)しまっているのか。 それは、「悪」だと信じて、いろんなことを我慢してきたのに、そこを問い直してしまったら、 これまで我慢して溜め込んできた、よくわからないドロドロした感情が、溢れ出てしまうから! …ってことを思ってないかな。あ、いや。これは、思うことじゃなくて、心で感じていることだから、心や感覚がなんかビクビクしていたり、ザワザワしたりしていないかな? ネガティブを受け止めてもらう体験が必要 ネガティブな部分をひた隠しにし、自分を誤魔化し続け、仮面だけで生きていると、いつしか限界が訪れる。 体調不良・病気・事件(犯罪)・事故・トラブル…蓄積され、奥深くに隠していた感情たちが、暴れだすのだ。しかも、とても小さなことをキッカケに。 人は、ポジティブな面と、ネガティブな面。両方持ち合わせていて、それが【普通・通常・自然】なのだ。 逆にポジティブな面しか出ていない方が、【不自然】なんである。ロボットや、ロボット! で、ネガな部分というのは、表現するのが怖いことだし、そもそも表現し慣れていないから、出し方すら分からないことも多くある。 しかも、ネガな面を出すと、 この世の終わりだ… と思っている人も多く。だから、意地でも出さない。 そうなると、いつまでたっても「本当(本来)の自分」で生きることは出来ないが、こればっかりは本人の選択なわけだ。 だから、ネガをアウトプットしない選択をしたらしたで、病気やらトラブルやら…自分の人生にいろんなことが起こり、その責任を負うことになる。 ネガな面を出し切って、ネガ&ポジの両方を統合して自然な自分を生きるか。意地でもネガを出さずに、ポジだけを表現し続けて、自分を犠牲にしていくか…。 そして、「もうこんな人生嫌だ!ネガを出して、本当の自分を生きたい!」と、思う人が行き着く場所…それが心理セラピーや、ワークショップだったりするのだ。セラピーやワークショップでは、ネガをとことん出し切って、受け止めてもらう体験をする。心のバンジージャンプってところかな。 そんな場所、そんなアトラクション、どこにだって無い。安心・安全で信頼できる&愛のある場があって、はじめて出せるのだ。ネガティブは。最強の絶叫マシーンだと思う。 ネガは出し切ると、ポジに化ける ネガティブな恨み・辛み・悲しみ・嫉妬・羞恥心・猜疑心…こういったものは吐ききると、ポジティブなものへと化ける。 ポジティブな“何に”化けるかは、人それぞれ異なるので一概に言えないけれど、ポジな方向へ変化することは確実だ。 そうなった時、はじめて「自分をまるごと肯定する・受け止める」ことが出来るようになり、それが自己肯定感UP・自己受容感の目覚め、そして、自己信頼の芽生えになってくる。 その結果、「本当(本来)の自分を生きる」に辿り着くことが出来る。 この修業は、決して短いものではなく、楽なものでもなく。長期的で、時にはしんどい。 けれど、その先に見える景色は壮大で、見たことのない景色が目の前に広がり、何よりも自分自身が楽で軽やかで満ち足りる。 この景色を見るために。自分自身が楽になるために。自分自身が軽やかに自由になるために。自分自身が幸せの中で生きるために。自分自身が豊かになるために。 一旦、「ネガの海」へ飛び込むか否かは、自分次第の選択でしかない。 ただし、「ネガの海」を共に泳いでくれる、素晴らしいセラピストは沢山いる。 ワタシの本音&願いとしては、全員に「ネガ海ダイブ」をしてもらいたいくらいだ。 強制は出来ないし、押し付けはしたくない。 けれども、その先の景色を、アナタと見たいのである! “本当の自分”は美しく、尊く、ユニークである…という世界を。 ★☆★ 2020年8月からスタート!★☆★「40才からのしあわせカレッジ」https://82college.com心の対話ファシリテーター|企業研修講師|実現プロデューサー まついゆか 公式ブログ